第2話 大阪下りで芹沢金二百両を得る3


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 さて、大阪についた壬生浪士隊一行は山崎の手引で鴻池家へと向った。


 鴻池といえば両替商で財をなした日の本でも屈指の大財閥である。実はこの当時、日本では関東と関西で通貨が違っていた。江戸では金が流通しており、大阪などの関西では銀が主に貨幣として流通していた。通貨が違えば相場も違う。相場の違う通貨があるということは、つまり両替が必要であったわけだ。この両替時の差額で鴻池財閥は潤っていた。今でいう銀行のようなものを生業とする一族だったのだ。


 頭首の名は鴻池善右衛門こうのいけぜんえもん。これはこの家で代々受け継がれる名前である。


 昼下がりの頃、事前の連絡もなしに、ぞろぞろと七人の浪人はこの男に会いに行った。


「たのもう!」と、芹沢がいつもの大声で言った。


 出てきたのは小僧だ。


 これに芹沢は少し不機嫌になった。


「おいでやす」


「わたくしどもは会津候おあずかり、壬生浪士隊である。主人と面会したくそうろう」


 小僧は芹沢の様子が尋常にないと思ったのか、すぐに奥に引っこんだ。かと思うと、入れ代わるように支配人だと名乗る男が出てきた。


 丸い眼鏡をかけた、鼻のひん曲がった男である。


「ようこそいらっしゃいました」


もみてをしながら支配人は営業用の笑顔で七人を迎える。


「どうぞこちらへ」


 支配人が案内しようとしたのは、あろうことか脇玄関であった。これには芹沢もムッとしたようで、


「浪人と侮って脇玄関に通そうとするとは失礼でありましょう!」


 と大声で怒鳴った。


 脇玄関といくのは武家屋敷などに見られる家族や身分の低い来客のためにある玄関である。正式なものは正面玄関として式台付きのものが中央に用意されていた。


 この仕打には芹沢だけではなく、新見や永倉も目を怒らせた。農民出身の土方や、商人出身の山崎はそこまでではなかった。林にいたっては、「この屋敷は玄関が二つあって立派だなあ」というくらいしか思っていなかった。


「これは失礼しました」


 支配人は頭を下げて非礼を詫て、七人を客間に通した。


 芹沢はなおも不機嫌そうに「ふんっ」と斜に構えて歩いていたが、客間にいくとお茶と菓子を出されて一応は機嫌を直したようだった。


「主人はあいにくと不在でして、代わって私が要件をうかがいます」


「いないのでしたら仕方ありませんわ。貴方に言いましょう、それも単刀直入に」


 単刀直入、というのがこの浪人集団が言えば比喩でもなんでもないように思える。まさに断れば斬る、とでも言わんばかりの勢いだ。


「金二百両、用意してくださいませ!」


「へ、二百両?」


 支配人は素っ頓狂な声を出した。


「ちょっと芹沢先生、それはさすがに――」


 後ろから永倉が口を挟んだ。


「おいおい、永倉くん。ちょっと黙っていなさい」


 新見が止めようとする永倉の着物の裾を引いた。


「なんですか?」


「あれが芹沢先生のいつものやり方なんだよ。ああして無理難題をふっかけて、その後でなら百両で、五十両でと下げていくんだよ。そうすれば相手はそれならばと思って出すって寸法さ」


「……そういう事なら」


 確かに良い手だった。


 しかし金二百両は無茶がすぎる。一般に、町人が一年生活するのにかかる金子が一両程と言われている。つまり二百両とは途方もない金額という事だ。そんなにあれば隊士全員に上等な服をあつらえてなお釣りが来る。


 もちろん芹沢もふっかけただけで、本気で二百両が手に入るとは思っていなかった。


「返済は今月末までにはきちんと耳を揃えておこないますわ」


 という事で、この言葉も嘘だ。


「もうしわけありません、さすがに二百両となると手前の一存としてはどうにも……。少々同役と相談してきますので、どうぞごゆるりとおくつろぎして待っていてください」


 まるで逃げるように支配人は出ていった。


「二百両とは大きく出たものですね」


 土方が額に手を当てて、呆れるように言った。


「まあ、言ったもん勝ちですわ」


 芹沢は鉄扇をひらき、パタパタと自らをあおいだ。


「でも、この家なら二百両くらいポンと出せそうなもんでっせ」


 ここまで案内した山崎が言うと、みんなそちらに目をやった。


 どうやら山崎はこの家の金庫事情を多少なりと知っているようだ。


 まさか、ね。と一同は顔を見合わせた。ごくり、と生唾を飲み込む。


 やがて、支配人が再びもみ手をしながら戻ってきた。


「えー、同役で話をしたところ、やはり何分主人が不在という事で。すぐに、とはいきませんのですわ。つきましてはこれを――」


 そう言って支配人はふところから包を取り出し、うやうやしく置いた。


「失礼ながら」


 という言葉は、いかにも慇懃無礼だった。


 芹沢はその場でその包を開けて――中に入っていた小判を支配人の頭目掛けて投げつけた。


 一、ニ、三、四――五枚の小判が宙を舞い、支配人にぶち当たる。


「ぎゃっ!」と支配人は叫び声を上げる。


「かようなはした金を頂戴しにまいった訳ではありませんわ! 恐れ多くも我々は会津候お預かりの尽忠報国の士! そこらのたかり強請ゆすりと十把一絡にするとは無礼千万!」


 芹沢は刀を抜き放った。


「ちょ、芹沢局長!」


 林が止める。


「あー、駄目ですって!」


 慌てて永倉も割って入る。その間に、土方が支配人を逃した。


「ええい、腹立たしいですわ! 金二百両、全部持ってくるまでここに居座り続けますからね!」


 逃げていく支配人に、芹沢は大声で言った。


 まったく、沸騰する水のような怒りかただった。


「芹沢先生、帰りましょうよ。ね」


「あら、永倉さん。いつからわたくしに意見できるほど偉くなったのかしら」


 これは駄目だ、と永倉もさじを投げた。


 芹沢は言葉の通り、その場から一歩も動こうとしなかった。時折怖いもの見たさか、屋敷の使用人たちがそれとなく客間の前を通っては、ちらちらと中を伺ってくる。


 しかし芹沢はゆうゆうとそこに座り続けた。まったく他人の視線を気にしていないようだった。


 やがて、当主の鴻池善右衛門が現れた。


 彼はもともと屋敷にいたのだが、芹沢たちをただの浪人だと思い無視していたのだ。


 しかし、先程出ていった支配人が町奉行に事の次第を報告して、どうにかしてほしいと泣きついたところ、


「壬生浪士隊と言えば会津藩のおあずかりであろう。無礼のないよう丁重に扱うべし」という沙汰があった。


 これにはさすがの鴻池善右衛門も無視を決め込むわけにはいかず、自らが出る事になったのだ。


「あら、やっとお出ましですわね」


 ここまで来ると芹沢の方がむしろ偉そうなくらいだ。


「当方の数々の無礼、ここに頭を下げまする。まっこと申し訳ござらんかった」


 大富豪と呼ばれる男に平身低頭されて、さすがの芹沢も溜飲が下がったのか「いえ、頭をお上げになってくださいまし」と意外にもしおらしく言った。


「金二百両、たしかにご用意いたしまする」


「へ?」と、今度はこちらが呆ける番だった。


「おおい、ここに持って来い!」


 鴻池善右衛門が大声で叫ぶと、先程の支配人が大きな風呂敷包みを担いで持ってきた。


「ど、どうぞご主人様」


「わしではない、こちらの方に渡せ」


「は、はい。どうぞお侍様。失礼します」


 そう言って、風呂敷は置かれた。中には大量の大判小判。まさに宝の山のようだった。


「けっこうですわ」


 苦し紛れに芹沢はそう言って、ではこれでとそそくさと立ち上がった。


 風呂敷包みを持とうともしない。しょうがないので七人の中で一番下っ端の林が風呂敷を担いだ。


 一同は満足したような、それでいて不気味なような気分になりながら京へと帰ることになった。


「それにしても僕たちにもお金が入ってくるんですね」


 帰り道で、林はポツリと言った。


「なんのことや?」と、山崎。


「だってさっき芹沢局長、月末にはこれを返すって言ってたじゃないか」


 これには近くにいた新見と永倉が大笑いした。


「あっはっは、林くんそんな事信じてるのか?」


「まったく林は純粋だなあ」


「え? え?」


「そんなもの、返す宛などありませんわ」


 おほほ、と芹沢が高笑いをした。


「え、そうなんですか?」


「押し借りとはそういうものだ……」


 その筋の達人とも言える平山が、重苦しい声で言った。無口な彼が喋ると、場が一瞬だけ白ける。


 林はその微妙に冷めた数秒間で、自分がなんだか少し賢くなったような、それで居て卑怯になったような気がした。


 いったい侍ってなんだろう? と、林は思った。


 分からなかった。


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