第1話 花の都3



「今、夕雲紅天流と言いました?」


 近藤が少しだけ眉を動かして、隣にいる土方にたずねた。


「はい。聞いたことのない流派ですが――知っていますか?」


「まあ噂くらいは、ね」


 クスクスと笑いながら近藤は興味深そうに林を見つめている。


 怖いな、と土方は思った。近藤の悪い癖が出そうだ。近藤は性格上、ほしいと思ったものをどのような手を使ってでも手に入れる。


 だが、あの前髪を上げたばかりの少年のどこにそんな魅力を感じたのか。


 夕雲紅天流、土方も知らない名だった。


 最初に見た時はどこぞの無名道場の流派だろうと思ったが、どうも近藤の様子を見る限りそうでもなさそうだ。


 無名道場というならば、近藤が道場主を努めた試衛館しえいかんも無名だし、その流派である天然理心流だって故郷の多摩近郊はまだしも、京まで名は通ってない。


 誰もかれもが江戸三大道場と呼ばれる有名な道場に入りたがる。


 三大道場とは――


 鏡新明智流きょうしんめいちりゅう


 北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう


 神道無念流しんとうむねんりゅう


 で、ある。


 新撰組の中では先程受け付けに居た藤堂平助などが北辰一刀流。芹沢鴨は神道無念流、免許皆伝の凄腕だ。


 土方は他の人間がなんと言おうと、自分たちの天然理心流てんねんりしんりゅうが他の流派に劣っているとは思ってない。有名な流派が強い流派、人気な流派が強い流派、人数が多い流派が強い流派、そんなはずがない。


 流派の強さではない、本人の強さこそが大切なのだ。


 ――お手並み拝見だ。


 土方の鋭い目が、瞬時の出来事も見逃さぬように細くなった。






 どう攻める?


 林は考えるようで、しかし深くは思案していない。


 夕雲紅天流はどうあれ、林は後の先をとるのが得意だ。どちらかと言えば夕雲紅天流は攻め手の多い流派であるから師匠にはいつも「気合が足らん!」と怒鳴られていた。


 それでもやめられなかったのは、それが林の持って生まれた性分なのだろう。


 だからこの時も、


 ――来たら返して、とる。


 その程度の事だけを思って木刀を構えていた。


「こんのやったら、こっちからいくで」


 山崎が構えを変えた。上段に木刀を振り上げる。


 どこか脇が甘いように見える。打ち込むか? 林は迷ったが、やめておいた。まだ早い。


 相手との呼吸を合わせる。


 待つ時は夕日に照らされる雲のように、自由に柔軟に。そして攻めに転ずる時は紅に染まる空のように激しく。それが夕雲紅天流の理念である。


 決定的な瞬間が来た。


 山崎の気が一瞬緩んだのだ。上段に構えた肩が、少しだけ落ちた。その瞬間、林は山崎の肩を突こうと、踏み込んだ――。


 しかし、踏み込んだのだがその刹那、「わっ」という叫び声が響いた。林は驚いてしまい、慌てて踏み込んだだけの姿勢で剣を止める。


 思わず叫び声が上がった方に目をやった。


 浪士が一人、頬を抑えて倒れている。


 そして、倒れた浪士を一蹴りして、実りきった稲穂のような黄金の髪をなびかせこちらに歩いてくる女性が一人。壬生浪士隊筆頭局長、芹沢鴨だった。


「まったく、朝っぱらからぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあとうるさいですわ」


 誰が見てもあきらかに不機嫌と分かる表情で、芹沢はそう言った。


「あらあら、もう牛の刻も近いですよ」と、近藤。


 そちらを一瞥して、芹沢は「そうですわね」と頷いた。


 頭を抑えている。二日酔いなのだろう。それにしては美しさをまったくそこなっていない。林は思わずそちらに見とれて、木刀を降ろした。


「誰だ、あれ?」


 浪士の一人が、なんの気なしに呟いた。その瞬間、芹沢の目が吊上がった。


「そこのあなた!」


 芹沢が持っていた鉄扇で一人の男を指す。それは今まさに「誰だ、あれ」と呟いた男だった。


「は、はい」


「こちらへ」


 促されて、男は芹沢の近くに行く。と思ったその瞬間、鉄扇が横薙ぎに男を弾き飛ばした。


 また、叫び声が響いた。先程の叫び声も、同じように芹沢が鉄扇で叩いた結果だろう。


「頭が高い! わたくしを誰と心得る!」


「こちらの方は壬生浪士隊筆頭局長、芹沢鴨先生だ」


 先程紹介された近藤が局長。そして芹沢は筆頭局長である。バカでも分かる。一番偉いのは誰なのか。入隊希望の浪士たちは慌てて頭を下げた。


 林も頭を垂れながら、そうか芹沢先生はこの隊で一番偉いのかと今更気がついていた。


 そんな人に誘われたと言うだけで見が縮こまるような思いだった。


 顔をあげると、芹沢と目があった。


「あら!」


 芹沢は鉄扇を開いて、自らを仰ぐ。鉄扇には「尽忠報国じんちゅうほうこく」と書かれている。水戸者が好んでつかった言葉だ。


 忠義をつくし、国にむくいる――芹沢の座右の銘でもある。


「あら、あらあら!」


 芹沢は楽しそうに言いながら、林に近づいてくる。もう先程までの仏頂面ではなく、満面の笑みだ。


「昨日来てくださると思ったのに、来ないと思ったら、わざわざ一般隊士の入隊募集で来たの? 律儀なのねえ」


 よしよし、とでも言うように芹沢が林の頭を撫でた。


 林は思わず恥ずかしくなって顔を真っ赤にする。


 昨日の内に来ておけばよかった、とすら思った。


「あら、その子芹沢さんのつば付きなの?」


 どこかねっとりとした声で、近藤が聞いてくる。


「そうですわ! わたくしが見つけた有望株です!」


 ささ、こちらへと芹沢に手を引かれる。林の心臓がまた早鐘を打ち始めた。いったいぜんたいこれはなんなのだ、と自分でも分からない。


「あいや、お待ち下さい。まだ立ちあいの途中ですので」


 そう言って芹沢を止めたのは、土方である。土方にはもちろん林の実力をはかりたいという目論見があった。


 芹沢はそれを聞いて、おっほっほと高笑いをした。


「いりませんわ。彼の実力はわたくしが保証します。なにせ一緒に浪人どもを無礼討ちにしたんですから。ねえ、林さん」


「え、いやあれは――」


 林は曖昧に答えた。あれはどちらも芹沢がやった事だ。


 これ以上引き止めれば芹沢が怒ると思ったのか、土方は分かりましたと黙った。


 林は芹沢に手を引かれたまま、新入隊士たちから離れていく。なんだか自分だけ他の場所に連れて行かれるというのは、不思議な気分だった。


「林さん、一緒にお酒でも飲みましょうよ」


「こ、こんな昼間からですか?」


「良いじゃありませんか」


 林は何も断れなかった。


 ただ、芹沢が開いた鉄扇に書かれた文字だけがまるで異国の言葉のように脳裏に焼き付いた。


 この人は自分とは違う、剣の腕はピカイチで、しかも学びもあるすごい人なのだ。


 そう思うと、なぜか胸の高鳴りは収まっていったのだった。



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