結:ボーイ・ネイバー・イズ・サキュバス

第七章 遠い夕焼けにこだまする友の叫びを耳にして

第二十三話 平助、殴られる

 狭い部屋に、一人。カーテンは閉め切り、電気も灯さず。僕はちゃぶ台に置いたスマートフォンを前に、三十分近く考え込んでいた。だが。


「やはり、やるしかないか」

 右の手を伸ばし、スマートフォンを握る。思いが消えない内に素早く指を滑らせ、電話帳を開き。目当ての人物の所で、タップする。


 トゥルルル……。


 電話が持つ欠点の一つ。それは相手が出るまでの待ち時間だと僕は思う。この時間さえなければ。決心したまま、突っ込めるのに。


「もしもし」

 声が聞こえて来る。僕は胸を撫で下ろした。繋がらないのは、とても悲しいことだから。ずっと聞いてきた声なのに、不思議と胸に染み渡る。


「ああ、栄村さん。久しぶり」

 だがその感慨は後だ。僕は会話を切り出す。に残された猶予は、今月中しかない。


「謝罪したいことと、相談したいことがあるんだ。明日の放課後、時間取れないかな? できれば、雅紀にも来て欲しいんだ」

 だから僕は。急ぎ足で相談を持ちかけるけど。


「マサキは無理よ。貴方を突き放すつもりでいるわ」

 返って来たのは、予想もしなかった言葉で。いつもなら、二つ返事なのに。


「この際だから、言わせてもらうわよ。貴方の嘘は、マサキにもバレてるわ。そのことで、彼は貴方に不信感を抱いているの」

 嘘だ。アイツは、いつだって僕を。だが言い返せない。

 そういえば最近、思い当たる節はあった。僕が、佐久場さんとやらかした頃から。アイツと飯を食っていない。気付けば、会話もしていなかった。登下校も揃わなかったし、とにかく距離を感じていた。


「私も驚いたけど、マサキは結構敏感よ。貴方が心から謝罪して、経緯をできる範囲でいいから説明して。話はそれからになるわ。私も、連絡ぐらいは協力はしてあげるけどね」

 想定外の試練。だが、これも罰と思えば。僕が嘘を吐いた以上、いつかはやって来る未来だったのだ。


「分かった。アイツと連絡が取れたら、僕も電話する。教えて欲しい」

「了解よ。落とし所としては、マシな方だと思いなさい。そのまま絶交だって、有り得たんだし」

 栄村さんの言葉は手厳しい。そうだよね。僕はかけがえのない友人を、裏切ったんだ。縁を切られないだけマシなんだ。


「ありがとう」

 お礼の言葉は、驚くほどすんなりと出た。

「どういたしまして、と言うには早いけどね。とにかく、期待しないで待ってなさい」

 分かったと返して、僕は電話を切ろうとする。だが。


「ああ、そうそう。もしも佐久場さんを泣かせたとか言ったら。その時は覚悟なさい?」

 意識の奥に入れていた言葉が、僕に追い討ちを掛けた。



「助けて。このままだと、四月から翼くんが来てしまうの」

 電話越しに、あの人が言った。

「頼む。私はお嬢様の意志に沿いたいのだ。その相手が貴様であろうと、あの人の意志は絶対なのだ」

 敵意を飲み込み、従者が言った。


 ならば。あの人に頼られた人間として、するべきことは。僕の想いを掲げ、思惑に立ちはだかること。

 もう、止まってはならない。自分の意志を持ち、流されずに生きていく。それ以外に、なにがある。


 だから、僕は。ここに立つ。学校から離れた、路地裏の公園。雅紀が指定した、待ち合わせの場所。制服のまま、直立不動で待っていた。


「よう。おしゃべりするのは、久しぶりだな。勝手に引きこもって、勝手に出て来て。んで呼び出そうとするとは、偉くなったもんだ」

 午後の三時にも関わらず、公園に人影はない。広くなく、遊具も少ない公園。そこに、制服を着て。栄村さんを引き連れて。雅紀は、やって来た。


「そうだね」

 僕は素直に返す。ここ暫くの間、二人になにも言えなくて。いつの間にか、顔も合わせなくなっていた。だが、今日は覚悟を決めている。僕は口を開こうとして。息を呑んだ。


「由美、これを持っててくれ」

 なぜか雅紀は上着を脱いで。栄村さんに預けて。ボクシングの選手がよくやるように飛び跳ねて。


「平助、上を脱ぎやがれ。今から俺の怒りをぶつけさせてもらう」

 突然の発言。ちょっと待った。確かに俺のしたことはマズかったけど。


「どうした。俺は容赦なく行くぞ」

「どういうことだよ!」

「こういうことだ! 俺を騙しやがって!」

 雅紀の姿が消え、右の頬に衝撃が走った。首がねじれ、雅紀から目をそらした形にされる。身体が連動し、たたらを踏んだ。だが。


「俺達、親友だろうがよお! なんで黙っていやがった!」

 追撃。右のボディが腹に刺さる。手加減のない一撃に、身体が浮いた。胃の中身が、飛び出しそうだ。


「うぐぅ……」

 腹を押さえて、よたよたと後ろへ引く僕。このままではいけない。指を詰め襟にかけ、上着を脱いでいく。その間、雅紀は待ってくれて。


「覚悟は決まったか?」

 上着を脱いだ僕へ、雅紀から問い掛けが飛ぶ。理屈は分かる。だが納得いかない。なぜ僕達が、こんなことしなくちゃいけないんだ。僕は無言で、防御の構えを取る。


「オラッ!」

 しかし次の手は読めなかった。地面を蹴り上げての、目潰し。砂埃が舞い上がり、雅紀が見えない。そこへ、下からの声。


「守りに入ろうってか? ヌルいんだよ!」

 しまった、懐か。

「取った!」

 腰を掴まれ、タックルの要領で地面に転がされる。この状態、僕でも知っている。マウントポジションの、前段階だ。


「くそっ!」

 とにかく優位だけは取られまいと、無茶苦茶に拳を振るう。当たれば儲けものだけど。

「当てに来い! まだ足りねえか!」

 当然、そんな拳は当たらない。上半身を押さえつけられる。

「うっ……」

 もはやこれまでか。諦めが浮かぶ。しかし。


「いい加減にしろよ」

 かかる雅紀の声は。悲しみを帯びていて。

「お前の気持ちは、その程度なのか?」

 問い掛けには、重みがあって。


「おう」

 首元を掴まれ、引き寄せられる。呼吸が苦しい。だが、更に締め上げられた。雅紀の顔が、異常に近い。

「俺達に嘘吐いてまで、やりてえことがあったんじゃねえのかよ。成さねばならないことが、あったんじゃねえのかよ」

 言葉が続く。淡々と。しかし、熱を込めて。そうだ。他言無用と言われたとはいえ、やりようはあったはずなんだ。なのに、なぜ。隠したのか。


 頼られて、嬉しかったからか?

 それとも。他の理由があったのか?


「雅紀! それ以上は危険よ!」

 遠のく意識。栄村さんの声。浮かび上がる記憶。どん底から更に突き落とした、喜びの声。


「俺な、由美と付き合うことになったんだ」


 プツン。


 僕の中で、なにかが切れた。そんな音がした。

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