第二十四話 平助、喧嘩する
ブツンと切れたなにか。怒りが沸く。苦しさを跳ね除け、言葉が飛び出す。
「なに説教こいてんだ。裏切ったのは、そっちが先だろ!」
雅紀の手首を、がむしゃらに掴む。力を入れる。
「栄村さんを、先に好きになったのは。僕だったんだぞ!」
手首を握り込む。いっそ千切りたい。襟の締め付けが、緩む。そのまま、自分の腕を突き出して。雅紀を押し込み。
ガン!
今度は右腕を叩き付けた。腕から上がる、鈍い音。折れた? 違う。痛いだけだ。逆。逆。もう一回、逆!
「ぐううっ! そうだ、その調子だ! 俺にぶつけやがれ!」
両腕を押さえて雅紀が下がる。僕は間合いを詰める。が。
「しかしただでは受けてやらねえ!」
今度は左足にローキック。コイツ、こっそり運動靴じゃないか。痛い。足が止まる。集中が切れると、苦しさが戻ってきて。
「ゲホッ! ゲホッ! ゲホゲホッ!」
えずく。咳が止まらない。膝を付きかける。
「膝を付くんじゃねえ! 気を張れ!」
そこへ掛かる声。腰に力が入る。歯を食い縛る。そうだ、僕は。
「佐久場さんに、頼まれたんだ」
構えを取る。
「他言無用にって、二人の秘密にしてくれ。って……」
足を踏み出す。
「内容はともかく。頼まれて、嬉しかった。自分の意志で、約束を守った」
二歩。三歩。拳を握って、もう一歩。
「それで嘘を吐いて。秘密を守って。なにが悪い!」
頬を狙う右拳。しかしそれは、雅紀の左腕に阻まれる。
「悪くねえよ。だが。お前には足りないものがある」
拳が弾かれる。右腕が、僕に向かって飛んで来る。左の腕で、無理矢理ガードを試みる。鈍い音。間に合った。
「一度決めたなら、なにを言われてもやり遂げろ。その気持ちが、お前には足りん。俺はあの時、そう決意して。告白した!」
安堵した一瞬。雅紀の左腕が、光速で僕の顎。その右端に刺さる。歯が軋み、脳が揺れる。首から上が、跳ね上げられる感覚。天地がひっくり返って。空が、見えた。
「……。お前に、その覚悟はあるか?」
身体がきしむ。景色が揺れる。それでも起きようとする僕に、雅紀が問いかける。ゆっくりとした歩みで、距離が縮んでいく。
「俺を殴り切れず、跳ね飛ばされるお前に。その覚悟はあるのか!?」
言葉に、力があった。悟る。これは、
「ないなら。ここで、俺にノックアウトされろ。あるなら。俺を殴り飛ばしてみろ。言っておく。俺はお前に、嫌われる覚悟がある」
ドクン。
心臓が、跳ねた。そうだ。僕は、佐久場さんの希望を。叶えたいんだ。その為なら。
「今なら、踏み越えられる気がする」
手が震える。膝が笑っている。そりゃそうだ。僕はケンカなんてやったことがない。殴り合いですら、生まれて初めてだ。
だけど、ここで耐えなければ。僕は、翼くんに勝てない。全てを、失う。
「ふうぅぅぅぅぅ……」
腹から息を吸う。集中する。雅紀だけが、くっきりと見える。さあ来い。殴られる前に、殴ってやる。嫌われても、知るもんか。。栄村さんだって関係ない。僕の想いは、とっくに破れたんだ。
ザッ。
足を踏み出す音は、ほぼ同時に聞こえた。視界の端に雅紀が見えて、もう一歩だけ足を伸ばし。無我夢中で腕を振り。そして。
拳が、柔らかい感覚を拾った。
「まあ合格だ」
「ありがと」
決着から暫く後、少し家路に近付いたコンビニの前。僕達は互いに飲み物を買い合い、肌を冷やしていた。栄村さんも、渋い顔しながら後を付いて来ていた。僕達の上着を、抱えたままで。
「全く。マサキも無茶するんだから」
「いいじゃねえか。荒療治だ」
栄村さんの呆れ声に、雅紀はブスッとした声で答えた。打ち合わせ済みだったのだろうか。
「そうね。平助も、平助にしてはいいとこ見せたしね」
答えを受けて、ようやく栄村さんも顔を明るくした。とはいえ僕には、その顔で刺してくるのだけど。
「酷いなあ、栄村さん。僕だって、貴女のことが好きだったんですけど」
ケンカの流れでぶっちゃけた以上、もう隠す意味はない。確かに雅紀より先に、好きになったはずだ。
「それは言わないで欲しかったなあ。今はもう、遅いんだからさ」
「違いないな。もう今は俺のもんだ。くれてやらねえぞ、平助」
「ちょっと! まだアンタのものじゃないわよ!」
冗談とも本気ともつかぬやり取りに、僕は思わず笑ってしまった。笑うとまた、そこかしこが痛んで。でも、無視した。
「なにがおかしいのよ!」
「いや、こうやって見るとお似合いだなあって」
僕は素直に返す。
「だろ?」
雅紀が軽く笑う。
「ちょっと!」
笑い合えば、更に言葉が刺さる。
ああ、良かった。もう一度、会話ができてよかった。傷を負ってでも、進んだ甲斐はあったんだ。
僕の心に沸き起こる、温かい気持ち。
しかし、事態はこれで終わりではなかった。そうだ。僕のやらかしは。
「ねえ、平助。仲直りして嬉しいところに悪いけど。昨日も言った通り、佐久場さんを泣かせたりしてないよね?」
泣こうが騒ごうが回避できない山。それが、もう一つあった。
「えと。せめて場所を変え」
「もう一度聞くわよ。アンタ、佐久場さんを泣かせてないわよね?」
待ったの声は、一蹴されて。栄村さんの瞳が、僕を覗き込む。ダメだ。この目を前に、嘘を吐ける訳がない。僕は、力なく首を振った。
「そう」
栄村さんが、目力を外す。目線は、雅紀に移っていた。マズい。確かに僕が悪い。だけど、ここで興味をなくされたら。手を引かれたら。
「待って!」
自分でも信じられない程、大きな声が出た。二人の視線が、僕に集まる。一瞬、ビビる。
説得なんて無理だ。
これがお前の罰だ。大人しくしろ。
内面の声が、うるさい。だけど。
僕は僕のやりたいようにやる。黙ってろ!
腹に力を込める。声を絞り出す。
「僕は確かに悪いことをした。ごめんなさい。勝手に行動して、誰にも相談しなかった。申し訳ない。だけど。このままじゃ。佐久場さんが、もっと泣くことになる!」
「それで? 貴方は、どうしたいの?」
栄村さんからの、冷たい問い掛け。そうだ。意志だけでは、足りない。
「佐久場さんを助けたい。力になりたい。話せる限りは話すから。二人にも、協力して欲しい! お願いします!」
九十度。いや、気持ちとしてはそれ以上に。頭を下げる。
どうか。どうか。届いて欲しい。こんなに真剣に願ったのは、いつぶりだろうか?
「マサキ、そろそろいいよね?」
「ああ。俺はもう、言いたいことは言った」
言葉を交わす二人。そして。
「平助、顔を上げて」
優しい声に、僕は、無言のままで顔を上げる。そこには、僕の大事な二人の友が。二人の笑顔が。
「詳細は話せる程度で勘弁してやる。意見も出してやる」
雅紀の、ぶっきらぼうな声。引き継ぐように、栄村さんが僕に視線を合わせて。
「その代り、この後の作戦会議。一品ずつおごって頂戴?」
悪戯っぽく、笑うのだった。
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