幕間
栄村由美は気づいていた
少しだけ長くなった陽も、結局午後五時過ぎには弱々しく街の影へと消えていく。そんな夕暮れの繁華街を、私とマサキは歩いていた。
「もう、マサキは一度夢中になると止まらないんだから」
「悪い悪い。だけど、お前にプレゼントをやろうってのはマジだったんだ」
マサキの謝罪を半分聞き流しながら、私は街並みを見回す。金曜の夜ということもあり、人が増えてきた。当然その中には、ガラが悪く見える方々も混じっている。
「ねえ。言い訳はいいから、そろそろ帰らない?」
私はマサキの腕にくっつき、媚を売るように声を掛ける。当然、上目遣いも忘れない。「『女』もまた、武器である」。祖父が残した言葉だった。
「ちょっと早くないですかね由美さんや。せっかく運賃払って都心まで来たんだ。もうちょい楽しみません?」
しかしマサキはそっぽを向き、丁寧っぽさ全開の口調で抵抗する。最初は平助も入れて三人で遊ぼう、って言ってたのに。なにか企んでるのかしら。
「だって、ほら。そこかしこ」
私はそんなマサキの腕を引き、目線でガラの悪そうな方々を指す。本当に嫌そうに、先方に気づかれないように。
「あー。居るなあ。避難するか」
しかしマサキの反応は鈍い。私の言いたいことを分かっていない。多分、平助の言葉も文字通りに受け取っている。なにかあるに決まってるのに。
思えば一昨日。この空気読めないマンを逆エビ固めにした時。私はようやく気がついたのだ。あの二人の距離が、妙に近いことに。そもそも隣同士だから、不自然はないとも思った。だけど。今まで繰り広げていた、微妙な付き合い方はなんだったのか。そう考えた時、ひっくり返った。
もしかして二人が。既にプライベートでも縁を結んでいるとしたら? それは、私を騙したことになる。マサキに嘘を吐いたことになる。別に、嘘を吐かれるのは仕方がない。多少は気になるが、本人にも都合ってものがある。だけど。
だから、放課後に敢えて踏み込んだ。向こうがそうするのなら、こっちだって突っ込んでいく。結果。
私の予感は当たっていた。平助はなにも言わなかったけど、私には分かってしまった。なぜなら。
私はかつて、彼の恋心に気づいていたのだから。
「分かりやすかったのよね」
言葉が、口をついて出た。あくまで小声だけど、マサキの耳は拾ったらしく。
「なにか言ったか?」
「なんでもない。マサキが避難してでも、もうちょっと居たいって言うなら。それもまたいいけどね。夜が空いてるとは、私も言ったし」
この辺りで程々にしよう。そう考えて、マサキに決定権を譲る。ちょっといじめ過ぎてるし。
「よっしゃ、デパート行こうぜデパート。金はあるんだ、今日は」
「あら、ディナーでもおごってくれるの?」
なるほど。せっかくだからちょっとだけ背伸びしたかった、と。平助もそうだけど、マサキもわかりやすいよねえ。まあそうでもなきゃ制服を着替えて、数駅も移動して。わざわざ都心まで来ないよね。
「うっ、流石におごりは勘弁。一品ぐらいは払うけど」
「それでいいわよ」
分かりやすく顔を曇らせたマサキに、私は手を緩めた。お互い学生だし、これぐらいが丁度いいのよ。だけど。
「代わりに、エスコートよろしくね?」
手を差し出し、いたずらっぽく笑って。私は男心をくすぐりに行く。なぜなら。
「おうよ。きっちり誘導してやるからな」
男の自尊心は、こういうちょっとしたことで回復するからだ。
去年のクリスマス。私はマサキに告白された。
「ずっとお前が好きだった! 頼む、付き合ってくれ!」
どう考えてもコナ掛けにしては月並みな言葉。場所も高校近所の商店街。イルミネーションの中。
多分彼なりに必死に選んで、自分なりに突き詰めたのだろうけど。私がそれだけでオチると思うのなら、それは勘違いで。
だから、断っても良かったのだけど。三人の友情でよかった気もしたのだけど。彼なりに強い想いは抱えていたようで。
「ただのコナ掛けなら、もっといい場所を選ぶ。俺は、真剣だから。月並みを選んだんだ」
再び真面目に頭を下げるマサキに、私は少し考えてしまう。彼は嘘は吐けないタイプだ。つまり、限りなく本気である。だから私は。ホントの気持ちで返してやることにした。
「平助」
「おう?」
告白を受けての回答に、平助を持ち出すのは違う気もした。違う気もしたけど。これが守られないと私は。納得できない。
「平助に、きちんと報告すること。平助との友情も守ること。平助も、私たちの行動に巻き込むように配慮すること。それでも良ければ、告白を受けるわ」
言ってしまった。サイを投げてしまった。理由は簡単だ。平助が私を見る目は。平助自身が考えるよりも、私への恋心に満ちている。だから申し訳ないけど。巻き込んでいく。そうしないと。平助が惨めだ。
「ん。分かった。やってやるさ」
考えたのか考えてないのか。それとも即答できるほどに本気なのか。マサキの返事は、ひどく早いものだった。
「そう。じゃあ、気持ちに応えるわ。ありがとう」
私の返事はそっけないものになってしまった。だけど、思いを告げてくれたことは嬉しくて。
この日。私達の関係は少しだけ動いた。
それから、早くも二ヶ月になろうとしている。マサキは大雑把なように見えて、私との約束をなるべく果たしてくれていた。時には、平助の方を重んじていることもある。そのことが、私にはとても嬉しかった。
「ありがとな」
デパートの最上階。夜景を見ながら、マサキが急に礼を言った。その目は夜景を見ていて、表情は読み取れなかった。
「どうしたの。急に言われるとビックリするんだけど」
「実際急に浮かんできたんだ、仕方ないだろ。こうして都心の夜を一緒に見てたらな。自然にそんな気持ちが湧き上がったんだ」
マサキは表情を見せないまま、掴みどころのないことを言う。でも、その気持ちだけは汲むことにした。
「どういたしまして。でも、礼を言われる筋合いはないわよ。言うのはむしろ、こっち」
そう言って、私はマサキを強引に振り向かせた。
「なにすんだよ」
「私を見て」
そうだ。気持ちは読めるし汲み取るけど。そのセリフは夜景でごまかしていいものじゃない。
私の知ってるマサキは。空気が読めなくて。ナンパで。でも真面目。だから分かるのだ。さっきのセリフは、ホンモノの言葉だと。ホンモノだからこそ、正面で聞きたくなった。
「もう一度言って?」
微笑みを作って。首を傾げて。私にできる、精一杯の「女」を描いて。私は、私の彼氏を見る。
「えー。あー」
ためらうマサキ。やはり気恥ずかしいか。しばらく彼は、口を閉じていて。唸っていて。だけど。彼はそこから顔を上げて。
「ん。俺のワガママを聞いてくれて、ありがとう。そう言いたかったんだ」
ハッキリと、私に向かって。言ってくれた。
「気にしなくてもいいのに。私だって、ワガママ言ったじゃない」
だから私も、言葉を返した。そうだ。あの日の言葉はワガママだった。でも彼は、それを守ってくれている。だから、私は。飯田雅紀という男を。受け入れつつあるのだ。
「あんなの、ワガママにならねえよ」
右頬をかきながら、マサキが言葉を返す。なぜだろうか、と気になって。
「だって、平助はダチで。由美もダチだ。それを勝手に変えようとした。だから、あれくらい言われるのは分かっていた」
ああ。なるほど。空気の読めないマサキが、なぜあのクラスの中心にいるのか。その理由が少しわかった。真っ直ぐで、ためらわない。一つダメなら、次の手を。私は近すぎて、気安すぎて。分かっていなかった。マサキの、本気具合も。
「由美が好きだった。隣りにいて欲しかった。だから、それでもいいにした。守ってきた」
マサキの言葉は単純で、それでいて強い言葉だった。私への好意に、満ち溢れていた。
「でも……もういいよな?」
「えっ」
だから、その次の言葉は。本当に意外で。
「アイツは。平助は。俺達に嘘を吐いていた。だから、もう平助はいいよな?」
いつもの声で吐き出された、とんでもない言葉。私はなにも答えず、聞く。
「いつ気づいたの」
「多分お前と同じ時。あの逆エビ固めの時だ。隙を突いたつもりなんだろうが、俺の視界にも入っちまった」
「そう」
なんの感慨も浮かばない。私は、その後聞きに行ったけど。彼は、そのままを受け止めてから。きっと、考えて。
「今日、乗ってきたら。言うつもりだったんだ。でも、アイツは自分を優先した。もしかしたら、あっちを優先したのかもしれない」
私は、勘違いしていた。自分の彼氏を、見誤っていた。
「別に、アイツに怒りたい訳じゃない。縁を切りたい訳でもない。俺は……」
そこでマサキは、一呼吸。私は、続きをただただ聞こうとしていて。
「俺はアイツを突き放す。次になにかあっても、こちらからは手を差し伸べない。そういうことにする」
そして、聞いた。
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