第十五話 平助、寝物語を聞く
階段を上がってあの部屋へ向かう。すっかり道も覚えてしまい、ドギマギすることも……多少は減った。だが、今日は違う。相手が普段と異なる。それを噛み締めて、ゆっくりと上る。
「遅かったじゃない」
「トイレも済ませてました」
既に本調子を取り戻したのだろう。僕が部屋のドアを閉める頃には、サキュバスの口調は最初のそれに戻っていた。ベッドに横たわり、肩から上だけが露出している。当然といえば当然だが、既に肌にはなにも身に着けていなかった。
「脱ぎなさい。そして私の傍らに」
サキュバスが、平和的に僕を誘う。僕は、それに応えて服を脱いだ。例のお守りは胸ポケットに戻したから、裸になってしまえば無防備である。そのまま布団へと潜り込む。彼女の肌を見ないように、だ。一度は虚脱したとはいえ、いつまた下半身が首をもたげるか。理性を保つためにも、直視は避けたかった。
「お待たせしました」
肩まですっぱり布団に入って、ようやく僕は彼女の瞳を見た。普段はサファイアのように蒼い瞳は、今はルビーのような紅色で。だが、どちらにしても。吸い込まれそうな程に美しい。
「そうね。たっぷり待たされたわ。さあ、寝物語を始めましょう」
サキュバスは怪しげな笑みをたたえると、僕にウインクをしてみせた。するとたちまち部屋の明かりが消え、壁面が夜空を描き出した。それも、真に澄んだ夜空を。満天の星空を。
「えっ」
「オトコを惑わす術の一つよ? まあ今回は大サービスだけど」
驚きを隠せない僕を尻目に、サキュバスはこともなげに言ってのける。
「ふふ。奮発したんだから、お代はちゃんと払ってもらうわよ。それじゃあ、どこから話そうかしら」
サキュバスは早くも会話のペースを握った。だが今回は僕が聞き手だ。ではどうするか。いや、そもそもがあったか。
「でしたら、貴女と佐久場さんの関係を伺いたく」
僕は単刀直入で突っ込んだ。そうだ。すっかり流されていたが、これでは二重人格ではないか。佐久場さんやかがりさんの発言と違う訳じゃないけど。あくまで「血が目覚める」であって、「人格が変わる」ではない。はずで。
「なるほどね」
サキュバスがコクコクとうなずく。どうやら、僕の言いたいことを分かってくれたようだ。彼女は頭を軽く上げ、僕を見つめる。その意図するところがわからず、僕は戸惑う。
「ふふ。追加料金が欲しいわ。そうね、貴方の左腕。……おっと。説明が足りなかったかしら。腕枕よ、腕枕」
ああ、なるほど。一瞬ギョッとしたけど、話を最後まで聞いてよかった。僕はそっと、左腕をサキュバスの頭。その下に通す。おお、髪の手触りが凄い。絹か、これは。痛みもほつれもなく、一枚の布地のように動くではないか。世の中にはそこそこ髪フェチがいるとは聞くが、これなら分からなくもない。
「ほらほら。そっちばかりに夢中になっちゃダメでしょ?」
うっとりしかけたところでサキュバスから声。おっと、ついついハマってしまうところだった。僕は改めて、腕の中に収まるサキュバスを見た。
「そろそろ焦らし過ぎになりそうね。私がなぜ、『こういう出方』をするのか。それは。本体の彼女が、自分の中にあるサキュバスの血を嫌っているからよ」
「っ!」
僕に突き刺さる、サキュバスからの答え。ああ、なるほど。そういうことか。佐久場さんは、乱れる自分を嫌っている。少なくとも、受け入れ切れてはいない。
「だけど。それでは今後、本体の人生はより難しくなっていく。少なくとも、『私』と『本体』で分かれている間はね」
なるほど。僕の中で、考えがまとまっていく。発作のような暴走。周期的な覚醒。いくらサキュバスが夢魔で夜行性で。相応の能力があっても。これを延々と繰り返して人生を過ごすのは。
「そういうこと。ついでに私から言っちゃうけど、この本体は一度不行状でお屋敷に軟禁させられてるの」
「っ!?」
いやいや。それは聞きたくなかったんですけど、サキュバスさん。そういうのは、せめて本人の口からですね? 後やっぱりいいとこの人じゃないか。
「分かれてるとはいえ、私も『佐久場澄子』に他ならないのだけど?」
「ア、ハイ」
うぐ、ズルい。その姿で口を尖らされたら、僕はなにも言い返せないじゃないか。
「まあ、本体の名誉もあるからこれ以上多くは語らないけど。思春期に入った頃から、本体はかなり苦労してるわ。サキュバスの血を受け入れ難いが故に暴走は常に酷く、おまけに月に一度はこういう状態。そこへプラスして月のもの。さて、ストレスはどんなものかしら?」
語らないとか言っといて随分と語ってる気もするけど、それって。
「ストレスしかないんじゃないんでしょうか」
「正解。ストレスしかないから、覚醒はどんどん酷くなるわ。暴走も抑制が解けていく。まあ、キミのおかげで少しは落ち着いてきたんだけどね」
「えっ」
素直に答えを吐き出した僕への、サキュバスからの返答。その言葉に、僕は思わず間抜けな声を出してしまう。
「ふふ。まあこれ以上は野暮でしょう。私は本体に『あの男の子が美味だったから、お近付きになりたい』って言っただけだし。本体が実行するかどうかは、半々だったけどね」
「それで、最初のセリフだったのですか」
ああ。そういうことか。ようやく納得がいった。僕を脅かし、サキュバスらしく振る舞って。僕の意志を挫けさせ、なるべく淡々とコトを済ませようとしたのだろう。佐久場さんの「敵」として。
彼女の想定外は、僕がお守りを持ち込んでいたこと。これは、僕にとっても想定外だったのだけど。
「だいたい合っている、ということにしておきましょう。それよりも……。ね?」
僕の腕で大人しくしていたはずのサキュバスが、僕に向かって被さってくる。二つの肉まんが顔に押し付けられ、腰が密着。足が絡み合い、手で下腹部をまさぐられる。気付けば夜空は、既に消え果てていて。
僕はそのまま、冬には似合わぬ熱い夜を味わうこととなった。
人生の全てを過ごしたアパートの前。僕は自分よりも背の低い母親と、その傍らに立つ男を直視できずにいた。
「じゃあ。お母さん、行くからね」
母の声が耳を打つ。しかし、僕は言葉を発する気にはなれなかった。
「平助君。君の気持ちは分かる。だが、僕は説得を諦めない。月に一回は様子を見に来るから」
傍らの男。戸籍の上では「父」という扱いになるであろう人物の声。だが、それすらも気に障って。
「お好きにどうぞ。お茶ぐらいは出します」
ツンケンした言葉を返してしまう。
「平助!」
そんな物言いに、母が僕を注意する。だが、こればかりは譲れない。譲れやしない。なぜなら。
「僕は構いませんよ。突然貴女を奪ったんだ。このくらい言われても仕方ありません」
この男の言う通りだからだ。母さんを奪い去る相手に、なぜ僕は。
「行きましょう。申し訳ありませんが、僕も次の予定が詰まっています」
男が、母さんの肩に手を添える。母さんが、後ろめたそうに僕から離れていく。追い掛けたくて。だけど、追い掛ける訳にはいかなくて。
母さんを取り戻したくて。だけど、自由にさせてあげたくて。
結局僕は、そのまま見送った。それが、去年のクリスマスの朝。そして。この翌日。僕は。
「平助、平助! 聞いてくれよ! 栄村さんが! 俺の、告白に! ……平助?」
どん底に突き落とされて。僕は。僕は。僕は!
「はうああああっ!」
ベッドの上で飛び起きる。首を振って、周囲を確認する。そこは、ボロアパートとは異なる天井で。
「……あ。ああ。ゆめ、か」
ようやく自分の所在地に気づいた。そうだ。昨日は。しかし、誰が客間に僕を?
「ようやく起きたか、この寝坊助が」
その答えはちゃぶ台のそばにあった。メイド服のかがりさんが、我が物顔で座り込んでいたのである。ご丁寧に、テレビまでつけてだ。あ、この番組ってことは朝九時過ぎか。だいぶ寝てたな。
「今日は休みじゃないんですね」
「新月の翌朝六時からは勤務時間だ。後、私のサボりへのツッコミは許さん」
なるほど。つまり六時過ぎまではあの部屋で寝ていたのか。まあかがりさんに抜かりはないし、いいとしよう。あ、待て。ここに居るってことは。
「それにしても、貴様随分とうなされていたぞ」
やっぱりか。やっぱりうなされてたのか。聞かれていたのか。
「少し、夢見が悪くて」
ごまかす。多くを語るものじゃない。佐久場さん達に、迷惑は掛けたくない。
「そうか」
かがりさんは、なにかを言いたそうに視線をさまよわせていた。しかし、結局言わずに立ち上がった。
「食事を持って来る。お嬢様はまだお休み中だし、貴様は恐らくそこから動けまい。たまには、サービスもよかろう」
予言めいた言葉を残し、そそくさと立ち去るかがりさん。僕はそれを追うべく、ベッドから下りようとして。
べちゃん。
腰の痛みに崩れ落ちたのだった。
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