第十一話 平助、月を見る

 夜更けの公園。空は暗く、風は冷たい。夜半過ぎには雪が降るかもしれないな。それにしてもかがりさん、こんなところをほっつき歩いていてもいいのだろうか?


「雪が降るまでは付き合わせんよ。後、今日は半休だ。お嬢様は別の護衛が見ている。監視カメラもたっぷり仕掛けてあるがな。ぐひょっ」

 一瞬聞こえた奇声を、僕は聞こえなかったことにする。もしかして、それは盗撮というやつではないだろうか。そんな疑問を抱き、即座にねじ伏せた。聞きたいことは聞きたい。けど、必要な会話から、逸れる。


「で、なんの用です? 僕だって今日は寝るだけとはいえ、暇じゃない」

 かなり刺々しい物言いになってしまったが、とにかく話を進めたい。後、学生服の下が今日は寒い。明日はもうちょっと着込むことにしよう。


「そうだな。ではズバッと聞こう。明後日、お嬢様に招かれたな?」

「はい」

 ダッシュで間合いを詰められるような問いかけを、僕は回し受けをするように切り返す。この人相手に嘘を吐いても、ロクなことにはならない。


「そうか。明後日は新月だ。お前は、その意味を聞かされているのか」

 既に月はかなり細くなっている。それを見上げて、かがりさんは口を開いた。

「ええ。本人の口から、一応は」

 僕も、月を見上げて答えた。あの日の記憶を、今一度思い出す。



 あの日、あのS・Cで。佐久場さんはこう語った。

「……と、まあ。基本的にはそういう話なのですけど」

 言葉としてはかなり過激なものも含まれていた、佐久場さんの告白。だが僕は、出された言葉を受け取ることしかできなかった。ドン引きどころではない。感情が反応を示さなかったのだ。

 無論それは、今思えばという話で。あの時は脳みそがシェイクされすぎていて。聞き取る以外になにもできなかった、というのが正しいのだろう。


「ですが。新月の夜だけは、事情が変わります」

 コーヒーのおかわりを貰ってから、彼女は再び言葉を紡いだ。あいも変わらず、真剣な目をしていた。


「新月の夜。空より見下ろす神の眼が消える夜に。私の中にあるサキュバスの血が、完全に目覚めるのです」

「……つまり、どうなるのです?」

 その問い掛けは、ワンテンポ遅れた。普段の暴走バーストと、なにが違うのか。僕はそこが気になった。


「正直、覚えていることは少ないです。私はこの通り、自分の中に流れる、サキュバスの血を肯定できておりません」

 佐久場さんは、飲みかけのコーヒーに口を付けた。どことなくキスの顔を思い起こさせるのは、気のせいだと信じたい。


「……目を覚ました時に、複数の男が周りに倒れていたこともありました。私の覚えのない場所で、私の覚えのない方と夜を過ごしていたこともありました。おぼろげな記憶の私は。男を誘い、魔性の力で。殿方の精を、食らっているのでしょう」

 佐久場さんはは目を伏せ、過去のことを語る。それはきっと、真面目な彼女にとっては。本来なにがあっても話したくないことなのだろう。


「私は、私を理解しているつもりです。ですが、新月の時の私だけは。どうにも理解ができません。普段の暴走はある程度抑えが利きますが、新月の夜に関してはどうにもならないのです」

 それはきっと、暴走ではなく。なのだろう。この時、僕はそう当たりをつけた。とはいえ優先順位は暴走の方だったから、あの時はそっちの衝撃が大きかったのだ。


「……その『どうにもならないもの』を、僕になんとかして欲しいと?」

 当時、僕が返した質問。今にして思えば、脳が沸いていた気がする。まあ仕方ないな。シェイクされた頭じゃ、深い意味までは思い浮かばない。

「そう仰られても、文句は言えませんね」

 佐久場さんは、再びコーヒーに口を付けた。それきり、この件について語ろうともしなかった。僕も、暴走の方へと意識を引き戻した……。



「忘れてはいませんが、少々思い出すのに時間がかかりました」

 僕は、正直に打ち明けた。

 素直でよろしい、と言いたいのだろう。かがりさんは、静かに頷いた。

「新月の夜だけは、なにが起こるか分からん。かつても今も、私はその日だけお世話から外されている」

 月を見上げたままのかがりさん。その表情を、僕は横目で見た。頬を伝うものに、思わず押し戻される。そのまま、沈黙が場を覆い。


「松本平助」

 一分ほど経ってから、ようやくかがりさんが口を開いた。

「私は、お前が嫌いだ」

「ですよね」

 僕は、平然と返した。あんな出会い方で、好かれてると思える方が不思議だ。


「だが、悲しいことに。お嬢様は、貴様を選んだ」

 言葉は。選ぶように、紡がれる。顔は相変わらず、月を見ていて。

「松本平助」

 もう一度、同じ呼び掛けをされる。この人がなにを言うのか。僕は少しだけ気になった。


「恥を忍んで言う。お嬢様を守る者として、お嬢様を支える者として。私と手を組んで欲しい。こちらとしても、余程でない限りは貴様に危害を加えたりはしない。お嬢様についても、教えられるだけのことは教えてやる」

 僕は、沈黙した。夜風が、言葉を押し流す。未だに、かがりさんの表情は見られない。でも、言いたいことは分かった。

 かがりさんはかがりさんなりに、冷戦状態を良くないとしたのだ。だから、敵意を飲み込もうとしている。わざわざ呼び出したのは、そういうことだ。


「承知しました。ですが」

「む?」

 意図が分かれば、答えは簡単だ。僕だって、股間切除とかされたくない。命は守りたい。だけど。

「佐久場さんについての話は、本人の意志を待ちたいと思います。カンニングは、好きじゃないので」

 問われてなお、声は落とさず。月から目を離して、思いを告げる。そうだ。僕は佐久場さんを知りたくて、あの四人飯の場を作ってもらったんだ。だから、カンニングはズルすぎる。佐久場さんだって、きっと喜ばない。


「そうか」

 彼女の返事は短かった。その目は、月を見たままだった。

「少しだけ、貴様を見直した」

 ただ、最後に付け加えられた一言。それが彼女の真意だったと思いたい。連絡先を無言で交換し、僕達が解散した直後。雪がしんしんと降ってきた。

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