第3章 「結果と後悔」第3節

高校を中退してから一年間ずっと会えていなかった先輩――金子 白奈ことシロネコと再会した。

偶然の再会を喜んだ一方で、これまた偶然にも久遠と一緒に行動している日だったので、少しばかりややこしいことになったのも事実である。



「改めまして、金子 白奈です。宜しくね」

「久遠 明日葉といいます。宜しくお願いします」


俺の向かいに座る久遠と俺の横に座るシロネコの間で簡単な挨拶が交わされ、それきり二人の間で会話が途切れてしまう。

久遠もシロネコも気まずそうにお互いを見るだけで、会話が弾むことは無かった。

お互いに初対面で話す話題も見当が付かないだろうし、そもそも、久遠もシロネコも、あまり積極的に話を弾ませようとするタイプではない。

久遠は打てばそれなりに響くタイプではあるが、基本的に必要最低限の会話で済ませようとする傾向があるのは今日一日でよく分かったし、一方のシロネコも、一年前から変わっていないのであれば、初対面の相手に対しては借りてきた猫のように大人しくなってしまう。

案の定というか、二人とも緊張した面持ちで無言を貫いていた。

もしかしたら二人の間で会話が弾むかもしれないと思って少しだけ様子を見ていたのだが、俺は早々に助け舟を出すことにした。

手に持っていたコーヒーカップを置き、まずは久遠に向き直る。

それに気付いた久遠もまた、俺へと顔を向けた。


「久遠。この人は俺がまだ高校に通っていた頃に所属していたオカルト同好会の先輩だ。古本屋巡りの趣味を俺に教えてくれた人でもある」

「そう…」


久遠の反応は薄いものだったが、まあこんなものだろう。

逆に、興味を持たれて根掘り葉掘り聞いてくる姿は想像できない。

だが、この一言には、さすがの久遠でも食いついてくるだろう。


「それと重要なことだが――」


俺の言葉を待つ久遠が、少しだけ首を傾げる。

言うかどうか迷わなかったわけではないが、これもきっと縁だろう。

シロネコも少し分からない顔をしているが、俺は迷わず言い切った。


「――シロネコは、俺がことを知っている」

「………」


久遠は首を傾げた状態のまま、シロネコに視線だけ向けた。

俺の発言を信じていないのか、久遠はシロネコにじっと視線を注いでいる。


「……ことを知っている、とはどういうことですか?」


少ししてから口を開いた久遠は、そうシロネコに問いかけた。

平淡な口調だったが、心臓を捕まれるたような錯覚を覚える冷たい声色だった。


「そ、それは…。桐ヶ谷くん、そ、その、答えて良いんだよね?」


シロネコはその問いかけに答えようとして、俺に顔を向けた。

俺が頷くと、シロネコは再び久遠へ顔を向ける。


「信じられないかもしれないけど、桐ヶ谷くんは、少しだけ先の未来が視えることがあるの」

「………」


シロネコの言葉を聞いた久遠は、頷くでもなく黙り込み、姿勢を正したまま静かに目を閉じた。

それから数分間、かなり気まずい沈黙が続き、俺が少しばかり後悔し始めたくらいで、久遠が目を開けた。


「……はぁー…」


そして、それは大きい溜め息を吐いた。


「桐ヶ谷くん。私、何か間違ったかな…」

「いや。間違ってるとしたら俺の方だ」


困惑する俺たちをよそに、久遠は頼んでいたコーヒーに口をつける。

そして俺に対して、ジト目を向けてきた。


「貴方、こんな眉唾じみた話、よく人に話せるわね」

「いや、ちゃんと話したことがあるのは久遠を含めても数人だぞ」

「数人もいれば十分よ」


色々あってシロネコには話しているし、これもまた色々あって二宮にも話している。

荒谷先生は……話したとカウントするには怪しいからノーカウント扱いとして、先の二人に久遠を加えても三人だろう。

……三人は多いのだろうか。


「それで金子さんは、その話を信じたんですか?」

「え、うん」


俺をよそに、久遠は会話を続ける。

先ほどまで緊張していたのが嘘のように、普段どおりの無表情に戻っていた。


「こんな根拠も無い話を、ですか?」

「うん。桐ヶ谷くんだから」

「………?」


久遠は一旦会話を区切ると『心底分からないわ』とでも言いたげな顔で俺を見て首を傾げた。

失礼な奴だ、と心の中で反論しておくが口には出さない。

俺がすっかりぬるくなってしまったコーヒーに口を付け始めると、久遠はまたシロネコと話し始めた。


「でも、未来が視えるって、普通は考えられないことですよね」

「うん。でも、あったら面白いよね」


シロネコは久遠の問いに、少し緊張しながらも答える。

そんなシロネコに対して、久遠は更に質問を重ねる。


「それじゃあ、私もそうだ、って言ったら、信じますか?」

「えっと…」


久遠はいくらか真剣な表情を浮かべて、シロネコを見つめる。

シロネコはその表情に気付いているのかいないのか、うーん、と唸ってから、久遠の問いに答えた。


「信じない、かな。ごめんね」

「え、あ、そう、ですか…」


シロネコの返答が予想外だったのだろう。

久遠は少し驚いた表情を浮かべて、口を閉じてしまう。

そして、不服そうに俺のことを睨んできた。


「(久遠、それは八つ当たりだぞ)」


俺はその視線に気付いていない振りをしながら、コーヒーをすすって誤魔化す。

シロネコは一見して素直そうに見えるが、基本的に少し人間不信なところがある。

俺の時は、そもそも会話すらままならなかったのだが、そう考えるとシロネコも成長したということだろうか。

こうして初対面の久遠と話せているだけでも、俺にとっては驚きだ。

……さて、さすがに気の毒なので久遠の援護に回ることにしよう。


「シロネコ。久遠だけど、かくかくしかじか、だ」

「え、それ本当なの?」

「あれ、分かったのか?」

「ごめん、全然分からない」

「だよな。じゃあ話すけど――」


シロネコとの軽い茶番を済ませて俺が話し始めようとすると、久遠はゆっくりと身体を前に倒して、テーブルに額を打ち付けた。

コン、と軽く音を立てて、そして、唸り始めた。


「……私、もう帰っていいかしら…」


額をテーブルに押し付けたまま、久遠は感情の無い声でそう言った。

久遠の今までの言動からは想像もつかない行動だったので、さすがに慌ててしまう。


「ど、どうした、久遠」

「……少しだけ、少しだけよ? 心が、折れてしまったの…」

「そ、そうか…」


なんだか今日は久遠の色んな一面が見れる日だな、と思いつつ、さすがのさすがに気の毒になってきたので、俺は久遠の様子に狼狽しているシロネコをなだめてから、俺と久遠が出会ったきっかけや、こうして会っている理由についてシロネコに詳しく説明した。



「――とまあ、こんな感じだな」

「そっか、そんなことがあったんだね…」


久遠との出会いから今日までの経緯を一通りシロネコに話し終えた頃には、すっかり久遠も普段どおりに戻っていた。

スマホで写真くらいは撮っておくべきだったか、と少しだけ後悔したが、それは悟られないようにしよう。


「でも、本当に会うのは二回目なの?」

「二回目だぞ」

「とっても仲良しに見えるけど…」

「桐ヶ谷と私の仲は良くないです」

「だそうだ」

「ほら、そういう感じ」


シロネコは俺と久遠のやり取りに笑みをこぼすと、目を細めて見せた。


「本当は何回も会ってて、今日はデートだったりして」

「バレたか。実は結婚を前提にお付き合いたたたたたたたたたた」

「馬鹿な冗談は止めてちょうだい」


テーブルの下で久遠に足先をぐりぐりと踏みつけられ、思わず悶絶する。


「何か言うことは?」

「あ、ありがとうございます?」

「ふんっ!」


踏みつけられていた足が解放されたかと思えば、その直後に足のすねに強烈な痛みが走る。

今度は俺がテーブルに額を付けて唸る番であった。

ただし、俺の場合は物理的な痛みのせいである。


「貴方、馬鹿な冗談ばかり言っていると、本当に馬鹿になるわよ」

「すみません…」


その様子を傍らで見ていたシロネコは笑っていた。

ふふ、と控えめながらも笑っている声が聞こえた。


「仲良しなんだね。ちょっと妬けちゃうな」

「金子さんにお譲りします。好きなだけ持っていってください」

「俺は一つだけだぞ…」


声を抑えながらも本当に楽しそうに笑っているものだから、まあ、蹴られ損ではなかったようだ。

そう思うことにした。


「……でも、そっか。高校を辞めてからも、桐ヶ谷くんは桐ヶ谷くんなんだね」

「? 俺は俺だぞ」

「それは知ってるよ。うん、知ってる。でも、良かったな、って」


シロネコの言っている意味は良く理解できなかったが、楽しそうにしているのだから細かいことはきっとどうでもいい。

俺はあまり深く考えることはしなかった。

そんな俺の頭上へと久遠の声が届く。


「貴方、高校に通っていた頃からこうだったの?」

「そうじゃない」

「へえ、そうだったのね」

「話聞けよ?」


語弊がある。

たしかにシロネコに対しては打ち解けるために色々なコミュニケーションを試していたが、それはシロネコが少しばかり特殊だっただけで、高校生活の終始がこんな感じだったわけではない。

とまあ、こんな感じの説明をしてみたのだが。


「信用できないわ」


と、軽く一蹴されてしまった。

普段どおりに見えて、実は先ほどの一件を根に持っているのではないだろうか。

だが、俺が引いてきた痛みに合わせて顔を上げると、普段通りの仏頂面な久遠がいるだけであった。



それなりに話が弾み始めたところで、久遠は遠慮がちに切り出した。


「それはそうと……えっと、ごめんなさい。こういうことを聞くのは失礼だと思うのですが、聞いてもいいですか?」


俺の時と打って変わって、久遠はシロネコに対しては遠慮がちに話す。

その遠慮がちな態度に申し訳なさそうな表情も加えて、シロネコの髪を指差した。

また、その視線はシロネコのだけでなく、にも向けられていた。

察したシロネコが、久遠が抱いているであろう疑問に答えた。


「北欧出身の祖母譲りなの。両親はどっちとも黒髪黒目なんだけれど、隔世遺伝とか先祖帰りとかで私だけ違うの。ちなみに、昔はもっと白かったんだけどね」


たしかに、俺の記憶でも会った頃はもう少し白寄りだった記憶がある。

初めて同好会を訪れた日、出迎えてくれたシロネコの綺麗なプラチナブロンドの髪に目を奪われたのを覚えている。


「あ、ありがとうございます」


久遠はそれだけ言うと、また押し黙ってしまう。

まあ、あまり人の容姿をどうこう聞くのは気が引けたのかもしれない。

……会って早々に聞いた俺が言えた義理じゃないが。


「この白っぽい髪と私の名前でね。シロネコだな、って桐ヶ谷くんが付けてくれたの」

「えっと…?」


どうしてそうなるのか分からないといった風に久遠が首を傾げたのを見て、シロネコは楽しそうに説明を始めた。


「えっとね、金子のと白奈ので、それをひっくり返して、シロネコなんだって。ふふ、変だよね」

「………」

「おい、なんだその目は…」


じっとりとした目線を向けられ、俺は思わず聞き返す。


「……いいえ、別に。……はぁ…」


溜め息を返された。

容姿も相まって悪くないと思うんだがな、シロネコ。


「やっぱり変だよね、ふふ。でもね、お気に入りなんだ」


髪の毛を指先で遊ばせながら、シロネコは困ったような笑みを浮かべながら、少し遠い目をする。

シロネコが何を思い出しているのかは分からないが、きっと楽しい思い出に違いない。


「桐ヶ谷くん、結構しつこかったなあ、ふふ」


違った。


「貴方ね…」


久遠から視線が痛い。

まあ、しつこくなかったかといえば否定はできない。

毎日のように同好会に顔を出しては、あの手この手でシロネコから反応を引き出そうとしていたのは事実である。


「でも、しつこくしてくれて、ありがとう、桐ヶ谷くん。私、桐ヶ谷くんと一緒に同好会で活動できて楽しかったよ」

「俺も楽しかったよ。ありがとう」

「ふふ、良かった。あ、そうだ、こんなことあったの覚えてる?」


シロネコのこの言葉を皮切りにして、俺たちは同好会での思い出を一つずつ丁寧になぞっていくようにして、あれやこれやと挙げていった。

そのどれもが楽しい思い出で、俺たちはついつい時を忘れて、話し合ってしまった。

……そう、同席しているもう一人の存在を忘れて、である。


「あの…」


昔の思い出にトリップしてしまっていた俺たちは、久遠の遠慮がちな声で我に帰る。

現実に戻ってきた俺たちの前には、居心地悪そうに目を逸らしている久遠が居た。


「そういうのは私が帰ってからか、よそでやってくれないかしら…」


俺たち二人は顔を見合わせて、お互いに苦笑いを浮かべるのだった。

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