第3章 「結果と後悔」第2節

土曜日。

バイトの無い休日である。

午前中から電車に揺られて隣町にやってきた俺は、趣味の古本屋巡りに興じていた。

立ち寄る店にこだわりは無く、チェーン店から個人経営の小さな古書店まで、気の向くままにふらっと立ち寄るのが好きなのだ。

特にこれといった一冊を探すでもなく、気紛れに手に取った本を立ち読みしたりして、のんびりとした時間を過ごす。

気になった本があれば購入して、適当な喫茶店に入って読みふけることもある。

高校時代にできた友人の影響を受けて始めた趣味だが、今ではすっかりライフワークのようなものになっている。

高校に通っていた頃はその友人と一緒に巡ったことも何度かあったが、俺が高校を辞めてしまってからは会えていない。

ばったり出くわすこともあるだろうと高を括っていたがそんなことはなく、気付けばここ一年ずっと一人であった。

そして今日も、例に漏れず一人のはずであった。


「……さて、どうしてこうなった」

「なに? 不満なの?」


どうしてか、俺の横には久遠くおんが居た。

もっと言えば、駅前の改札口からずっと供に行動していた。

前日に時間を決めて、当日に待ち合わせをして、同じ電車の同じ車両に乗り込んで、席は隣同士に座って、同じ駅で降りて、ずっと一緒に行動している。


「考えようによっては、可愛い年下の女の子とデートが出来ている俺はきっと幸せだと思う」

「ならいいじゃない」


可愛いことは否定しないのか、というツッコミを飲み込みつつ、俺は前日のやりとりに何かすれ違いは無かっただろうか、と思い出していた。



「……えっと、なんだって?」

「聞こえなかったのかしら。私も行くわ、と言ったの」


彼女は俺に対して、その耳は飾りなのかしら、と付け加えてから腕を組んだ。


「前回も今回も、貴方とじっくり話すには時間が足りなさ過ぎるのよね」

「門限か」


そうよ、と彼女は自身のスマホで時間を気にしながら頷いた。

前回と同じ感じなら、猶予はあと一時間も無いだろう。


「いや、だからって、別に付いてくることは無いだろ。なんならその日は空けてもいいし、こっちでもいいじゃないか」

「こっちだと知り合いが居るかもしれないし、見られて変な誤解でもされたら困るのよ」

「デートってことにすりゃいいんじゃないの?」

「外に年上の男を作った、なんて思われたら、女学園でどういう扱いになるか想像してほしいものね」


彼女は口にしてからその様子を想像してしまったのか、額に手を当てて首を振った。

花園の平穏を乱すのは俺も本意ではないので、付いてくる方向でも構わないだろう。

なので最終確認として俺は、この話題が出てからずっと疑問に思っていたことを彼女に投げかけた。


「っていうかお前、俺のこと嫌そうな目で見てただろ。そんなやつと隣町でデートもどきなんてするのは嫌じゃないのか」


交通事故の直後や前回の去り際で、彼女が俺に対して軽蔑するような眼差しを向けていたのを覚えている。

その理由はきっと、俺がこれから起こる交通事故を視たうえで、せいだということは薄々は分かっていた。

祖父の死をきっかけにして未来を視る能力が目覚めたらしい彼女にとって、俺が許せないという感情もなんとなく理解できる。

だからこそ彼女が、そんな俺と一緒に行動することを提案してきたことに対して、俺は疑問を抱かずにはいられなかった。


「嫌…? ああ、そういうこと」


だが彼女は、そんな俺の問いに対してあまり気にした様子も見せず、むしろ、合点がいったとばかりに言葉を続けた。


「嫌ってほどじゃないわ。あの時は少しだけ納得がいっていなかっただけだもの」

「納得?」

「そう、納得。貴方なりに最善を尽くした、っていう理解。そうなんでしょう?」

「あ、ああ…」

「まあ、私も、あの時はその、少しばかり興奮もしていたし、悪かった、とも……思わないでもないわ、ええ、その、ごめんなさい」


自信満々で話しかけていた彼女が少し視線を外し、早口でそうまくし立てるものだから、俺は拍子抜けしてしまった。

詰まるところ、杞憂だったのだ。


「そうか、なんだかホッとしたよ」

「……そう、よかったわね」


彼女が顔を背けたまま、横目でこちらを窺うように視線をよこしてくる。

俺はといえば、素っ気無い返事に思わず笑ってしまいそうになるのをこらえていた。

とにかく、と彼女は言葉を続けると組んだ腕を解いて、俺に身体を向けなおす。


「明日、色々と話しましょう」

「ああ、わかった」


俺たちは連絡先を交換してから、明日の予定を決めて分かれた。



回想終了。

思い返してみたが、何もすれ違いは無かった。


「ひとつ聞いておきたいんだが、久遠は俺のことが好きなのか?」

「貴方、時々そうやってくだらないこと言うの、やめたほうがいいわよ」


こちらには視線を一切よこさずに、一冊の本を手に取りながら、彼女は答えた。

本のタイトルは『世界の預言者たち』。

彼女はパラパラとめくっては、興味があるのかないんだか分からない無表情で、中身を眺めていく。


「こういう人たちの中には、本当に未来が視えていた人が居たのかしらね」

「さあな。実際に居たら、もっと有名になってるんじゃないのか?」

「それもそうね」


彼女は興味を無くしたのか、手に取った本を元の場所に戻すと、また新しい本を探し始める。

そしてまた新しい本を手に取ると、パラパラとページをめくって読み始めた。

とっかえひっかえではあるが、彼女が手にとった本は、これで十冊目である。

不機嫌そうでも、退屈そうでもなく、彼女は俺の横。


「もっと退屈そうにするかと思ったよ」

「本は好きよ。学園の図書館で借りた本をよく読んでいるわ」


彼女は手元の本に目を落としながら、俺の疑問に答える。

ということは、パラパラとめくりながらも、読んでいるらしい。


「本屋にはよく来るのか?」

「いいえ、来ても買うお金が無いもの」

「親から小遣いは貰ってないのか?」

「少しはあるけれど、あまり余裕は無いわね」

「じゃあ、バイトとかしてるのか?」

「校則で禁止よ」

「何か欲しいものがあった時に、小遣いが足りない場合はどうしてんだ?」

「お父様に直接頼むわ」

「お父様」

「何よ。おかしい?」


いいや、と俺は慌てて首を振ると、彼女は納得がいっていないのか不機嫌そうな表情を浮かべたまま本に視線を戻した。

だが、すぐにまた、今度は彼女が話しかけてきた。


「そういえば、貴方、普段は一人で来るの?」

「ん? いつもは一人だぞ。それがどうかしたか?」

「それにしては気がしたのだけれど」

「慣れている? どういう意味だ」


彼女は俺の疑問に答える代わりに、手元の本から視線を外して俺の顔をじっ、と下から覗き込んでくる。

そして、言おうか言うまいか迷っているのか、口を開けたり閉じたりしたあと、


「……言うのが癪だわ」


と、口にして教えてくれなかった。


「すごく気になるんだが…」

「知らないわ」


分かりやすく顔を逸らされてしまい、俺は二の句が継げなくなってしまう。

――彼女は結局、この件に関しては何も答えてくれなかった。



その後も何件か古本屋を巡り、久遠と一緒に数多くの古本を漁った。

その間、彼女は退屈した様子も見せず、黙って俺が入る店に付いてきては、俺の横に付いてとにかく色々な本を漁っていた。

俺はといえば、気になるタイトルの本を何冊か見つけて購入したので、帰って読むのが楽しみである。

久遠と一緒に巡るというのは想定外ではあったが、今回も趣味の古本屋巡りを満喫することができた。

むしろ、友達と来ていた頃の感覚を思い出して懐かしい気持ちになることもできたので、普段より楽しめたかもしれない。


「……私、邪魔になってなかったかしら」


そんな俺の内心を知らない彼女は、喫茶店の席に着いてメニューを頼んだ後、少しだけ不安そうな表情でこちらを見ていた。


「いや、まったく。むしろ、昔よく友達と来ていた雰囲気が思い出せて楽しかったよ」

「……そう。なら、よかったわ」


彼女は俺の答えに満足したのか、深く頷いた後、いつもの無表情に戻る。

平常運転に戻った彼女に対して、俺は、本日のもう一つの目的について切り出すことにした。

彼女にとっては、ここからが本題だろう。


「んじゃ、話すか」


その一言だけで察しがついた彼女は、居住まいを正して、持ってきていた鞄からノートやらボールペンやらを出してテーブルに並べ始めた。

――その矢先であった。


「……あれ…? 桐ヶ谷くん…?」

「え?」


不意に名前を呼ばれて顔を上げる。

顔を上げた先には、高校生活でよく顔を合わせていた人物が立っていた。

高校の頃と比べて雰囲気が少し変わっていたが、すぐに分かった。


「え、えっと、桐ヶ谷くん…じゃない…?」

「あ、いや、あ、合ってる…」


相手がすぐに誰かは分かったのだが、思いがけない再会で状況に頭が追いついていないせいか、俺の返答は、かなりぎこちないものになってしまった。

そんな俺の様子を向かいの席から見ていた久遠が、困惑した表情を浮かべて、俺に尋ねてくる。


「貴方の知り合い、でいいのよね?」

「あ、ああ」


その問いかけに俺は頷くと、久遠に向かって先輩を紹介することにした。


「えっと、高校の先輩の、その、シロネコだ…」

「白猫…? たしかに、全体的に白い、けれど…?」


違う。

いや、厳密には違わない。

間違った、という表現が正しい。

なぜなら、シロネコは本名ではないにしても、愛称ではあるのだから。

だが、先輩と初対面である久遠に対して愛称で紹介してしまうのは確実に間違っている紹介だろう。

現に、久遠は状況が飲み込めず、困惑した表情のままだ。

だが、俺のこの失敗は、先輩に対する対応としては正しかったらしい。

先ほどまで不安がっていた先輩の表情は、困ったような笑顔に変わっていた。


「もうっ、シロネコじゃ伝わらないよ、桐ヶ谷くん」


――金子かねこ 白奈しろな

愛称はシロネコ。

俺の一つ上の先輩で、同じ同好会に所属していた人である。

そして、いつかは会えるだろうと思って高を括っていたら、まるまる一年間、会えなかった友人、その人である。

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