第1章 「未来の選択」第2節
未来が視える。
数分程度の、ほんの少し先の未来だ。
先ほどのような交通事故が視えたのは初めてだったが――というより、交通事故に遭遇したことが初めてだったのだが――もっと些細なことは何度か体験してきた。
例えば、先ほどのコンビニでの出来事だが、俺は今日の夕食にと弁当を買った。
手にしたビニール袋には買った弁当が入っているわけだが、ハンバーグ弁当かチキン南蛮弁当のどちらを買うかで迷った。
どちらも商品棚には残り一つだったわけだが、少し迷ってから俺はハンバーグ弁当を選んだ。
そして、ハンバーグ弁当に手を伸ばした時に、視えた。
弁当を選んでいる俺の横で、同じく弁当を物色しているらしいスーツ姿の男が居た。
俺はハンバーグ弁当を手にレジへと歩いて行くわけだが、その男はチキン南蛮弁当を手にもう一つのレジへと歩いていった。
そして、男は特に何をするでもなく、店をあとにした。
それだけである。
ハンバーグ弁当を選んだ俺に対して、スーツ姿の男が『それを譲ってくれ』なんて言って来るわけでもないし、アクセルとブレーキを間違えた車がコンビニへと突っ込んでくるなんてこともない。
さすがにハンバーグ弁当を選んだだけで、隣の男が倒れたりするのならばチキン南蛮弁当を選んでみたりもしたが、本当に何も起こりそうになかったので、俺は迷いなくハンバーグ弁当を買った。
隣のレジではスーツ姿の男がチキン南蛮弁当を買っていた。
本当にそれだけである。
◆
「私も似たようなものね」
事故現場から駅とは逆方向に歩いて十分程度のところにある狭い公園のベンチで腰を下ろしながら、彼女と俺は話していた。
いや、正しくはほとんど俺が話しっぱなしであった。
過去のいくつか視えた話題について話してみたのだが、どれもお気に召さなかったのか、こちらには顔すら向けない。
同じベンチの傍らに座る彼女はフライドポテトをつまみながら、適当に相槌を打っているばかりだった。
そのフライドポテトは俺のおごりなのだから、少しは興味ありげに聞いて欲しいものだ。
「似たようなものってことは、そっちも何かあるんだろう? 聞かせてくれよ」
「今は食べている途中よ。あまり喋るのは行儀が悪いじゃない」
「行儀が悪いって、軽トラックに鞄を投げつけるのはどうなんだよ」
「………」
彼女は無言で俺を睨みつける。
冷えきった眼差しを向けられ、思わず身体を反らしてしまった。
俺は両手を上げて降参のポーズを取ると、彼女に食事へ戻るよう促した。
「俺が悪かった。ゆっくり食べてくれ」
「ええ、そうするわ」
彼女はゆっくりとフライドポテトを口に運んで咀嚼している。
その横顔は歳相応ながらも大人びていて、とにかく落ち着いているように見える。
先ほどの交通事故での彼女の振る舞いは、今でも現実感が薄い。
……ちなみに先ほどから彼女が口にしているフライドポテトは、『話を聞いてあげるからおごりなさい』という俺への要求によって手に入れたものである。
ならば、ちゃんと話を聞いて欲しいのだが、割と聞き流されている気がするのは、きっと気のせいではない。
◆
ここに来るまでにお互いについて少し話したが、彼女は先ほどの交差点から駅に向かって五分ほど歩いたところにある女学園に通っており、その学園の寮で生活しているそうだ。
好きな食べ物はファストフードやジャンクフードだそうだが、寮生活であることや学則でアルバイト禁止であることなどから金銭的な余裕がなく、振り込まれる生活費も最低限であり、ほとんどそれらを口にすることはできないそうだ。
今時珍しいように感じたが、だからこそこうして話をするための交渉材料になってくれたことには感謝しなければならない。
「あまりじっと見られると食べにくいのだけれど」
「すまん」
ひとまず俺は、スマホをいじって時間を潰すことにした。
彼女の学園について調べてみたりもしたが、お嬢様学園であることが分かったくらいで、話のキッカケになりそうなことは何もない。
そもそも、学園生活について話すのは俺にとって敷居が高い。
今から一年ほど前に、俺が高校を中退しているからだ。
「……ん。ごちそうさまでした」
そうこうしていると、隣からそんな言葉が聞こえてきた。
時間にして十分ほどかけて彼女は食べ終えると、彼女はハンカチで手を拭いながら、ゆったりとした動作でこちらに身体を向けた。
「あるわよ」
「聞かせてくれ」
俺はズボンのポケットにスマホを仕舞うと、彼女に向き直った。
その表情は明らかに面倒くさそうだったが、その原因は話すこと自体ではなく、体験自体を思い出しているせいらしかった。
「さっきフライドポテトを買ったわ」
「俺の金でお前がな」
「Mサイズに決めて注文しようとした時に視えたけれど、店員が『今なら全サイズ同じ値段ですがいかがですか』って言ってきたわ。だからMサイズを頼む時に、Lにはしなくていい、と付け加えたの」
「ああ、分かる…面倒くさいな…」
彼女の今した話に似たような経験を俺もしている。
何かを決めたとき、選択したとき、相手の言動が先に分かってしまうのだ。
それは便利に思えるかもしれないが、分かっている以上は変に気を遣ってしまうし、対応を変えようとしたことで違う未来が視える事もある。
未来を視ている間、実際の時間は経過しないのだから、実に面倒くさい。
とにかく決めてしまわなければ、現在から状況が進まないのだ。
「何かを選んだり決めたりすると、その先の未来が視える…」
「そうだな」
彼女の呟きに俺は頷いた。
「見る見ない、聞く聞かない、言う言わない。人生は選択の連続なのに、くだらないことでも重要なことでも視えるわ」
「でも、視えないこともある。毎回じゃない。俺の場合は週に一度程度だ」
「私は多い時は週に二度。けれどまるまる一ヶ月視ないこともあるわ」
「そんなもんか…。生活環境の違いかもな…」
彼女の横で俺は唸ってみたが、正直なところ何も分からない。
視えるという事実が共有できたことや、同じ境遇の人間に出会えたことは嬉しいのだが、だからといって何かが変わるわけではなかった。
理解者ができただけなのである。
◆
それからも数十分は話してみたのだが、お互いにそれ以上の進展した話は無かった。
「さて、そろそろ帰るわ。門限よ」
「ああ、分かった」
その言葉を聞いた俺は立ち上がり、伸びをする。
彼女も立ち上がると、空になったフライドポテトの容器を近くのゴミ箱に放り込む。
「私は来た道を戻って学園寮に帰るけれど、貴方は?」
「じゃあ俺は逆方向だな」
「そう。なら、さようなら、ね」
彼女は別れを惜しむような素振りは一切なく、こちらに少しだけ頭を下げてから、きびすを返して歩き始めた。
だが、数歩進んで立ち止まると、こちらを振り返った。
相変わらずの仏頂面で感情はあまり読み取れなかった。
「……視えるようになったのは昨年からよ」
彼女はそこで言葉を切ると、溜め息をひとつ挟んで、話を続けた。
「昨年、祖父が亡くなったわ。私の目の前で。病気で。突然の発作で」
ぽつり、ぽつり、と付け加えるように口にする。
「それからよ。視えるようになったのは。それが本当のキッカケなのかどうかは分からないけれど、他は特に思いつかないわ」
「そ、そうか、俺は子供の頃からずっとだな。それに、俺は誰かの死に立ち会った記憶もない…」
突然の告白に対して、俺は言葉に詰まりながらもそう返した。
何が彼女をそう思い立たせたのか俺には全く分からなかったが、彼女は俺の返答に対して、腑に落ちたような、納得したような表情を見せた。
「そう」
そして彼女は目を閉じ、ゆっくり俯いた。
「そもそも、視えること自体、特別な意味があるのかしら」
「……わからん」
「そうね。私も分からないわ。でも…」
顔を上げた彼女の視線は、交通事故を防いだ時の彼女のように、厳しいものに変わっていた。
その視線には、先ほどのように怒りや軽蔑だけではなく、複雑な感情が込められていた。
「もし誰かが死ぬかもと分かっていたら。いいえ、いいえ。誰かが傷つくのが分かっていたら。それがもしかしたら防げるのなら…」
「………」
「最後まで諦めたくない。諦めたくないのよ…!」
俺は会ってから初めて感情を露にした彼女に対して、かける言葉を探した。
だが、結局何も思いつかず、無意味に口を半開きにして閉じるだけだった。
そんな俺の様子に、はっ、としたような表情を彼女は浮かべた。
「ごめんなさい。帰るわ。さようなら」
そして彼女は早口でそう言うと、来た道を走って戻っていった。
取り残された俺は、再びベンチに崩れるように座りなおした。
「そのじいさんのこと、きっと大好きだったんだろうなぁ」
長い間ベンチでボーっとしてから、誰に聞かせるわけでもなく、そう呟いてから公園を後にした。
◆
結局、何かを得られたわけではなかった。
この能力のことはおろか、彼女の事だって何も分かっていない。
ただ同年代の異性と楽しく……いや、楽しくはないが、ちょっと周りが聞いたら痛いお喋りをしたに過ぎない。
「……って、まずい。連絡先どころか、名前も聞いてないぞ」
頭を掻きつつ、散々連れまわしたハンバーグ弁当が入った袋を片手に、足取りも重く帰路に着く。
――彼女とは、後日、ばったりと再会することになるのだが、それはまだ知る由も無い。
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