正しい未来は

スーニャ

第1章 「未来の選択」第1節

夕刻。


――コンビニで買い物を済ませて帰る途中、横断歩道に対して、信号無視をした軽トラックが突っ込んできた。

スマホにイヤホンをしていた大学生らしき男が俺の目の前で撥ねられ、10メートルほど転がるように吹っ飛んだ。

直前に軽トラックの急ブレーキ音がけたたましく鳴ったが、間に合わなかったのだ。

幸いにも若者はすぐに立ち上がったが、足をひねったらしく、足を引きずるようにして歩道へと戻ってくる。

顔に擦り傷がある程度で、軽傷のようだった。

軽トラックは男を残して急スピードで走り出していた。


……ようにのは、俺だけだろう。


実際の横断歩道は、まだ赤信号だ。

目の前の男も、まだ撥ねられていない。

横断歩道へ向かってくる軽トラックが見えるが、まだ小さい。

だが、このままだと俺が視たようになってしまうだろう。

この事故を防ぎたければ簡単だ。

横断歩道の信号が青に変わった途端、目の前でスマホに夢中な男が背負っているリュックサックを掴めばいい。

男は怪訝な顔をするだろうが、すぐ目の前で軽トラックが通り過ぎていけば、納得してくれるだろう。


しかし、それは、正しいのだろうか。

人助けが出来るのだから正しい、という簡単な話ではない。

では、この男に対して個人的な恨みがあるから迷っているのか?

そんなことは微塵もない。


結果として、俺は男をそのまま行かせることを選んだ。

事情を知っている者がいるならば、俺を指差して非難するかもしれない。

だが、俺が男の背中へ手を伸ばそうと思った時、もう一つ、視えてしまったのだ。


――男を引き止め、怪訝な顔をされた直後、スピードを緩めずに軽トラックが横断歩道を通過する。

男は難を逃れたわけだが、減速せずに進んだ軽トラックは、向かいの横断歩道へ突っ込んだ。

その進路上に、子供に手を引かれて歩く女性の姿があった。

きっと親子だろう。

子供は楽しそうで、母親は困り顔ながらも幸せそうだった。

軽トラックが突っ込む直前までは、そうだった。

鈍い衝突音と共に、二人が弾き飛ばされる。

弾き飛ばされた先で、母親は首があるべきでない方向に曲がり、一方の子供も鼻と耳から血を流していた。

母親はピクリとも動かず、子供はその傍らで痙攣していた。

そして、軽トラックは電柱に直撃し、煙を吹き上げていた。


どちらの未来が正しいか、そんなものは分からない。

スマホに夢中の男を助けることか?

それとも、男を引き止めずに、親子を助けることか?

けれど視てしまった以上は選ばなければならない。

どちらかの未来を選び、そして、捨てなければならない。


横断歩道の信号が青へと変わる。


男が歩き始める。


軽トラックが迫ってくる。


大丈夫だ。

この男は死なない。

俺はただ見送るだけでいいのだ。

言い聞かせる。

納得した。

これでいいと、最善だと、確信した。


その時だった。


歩き始めていた男は、後ろから走って来た誰かによってリュックサックを勢いよく引っ張られ、尻もちを突いたのだ。

俺はその様子を愕然と見おろした後、突如として現れた人物へと目をやった。

自分よりも一回り小柄で、学生服に身を包んだ少女だった。

恐らく、突っ込んでくる軽トラックに気付き、必死に走ってきたのだろう。

そして、男を助けることができた。

彼女にとっては正しい未来を選択したのだろう。

けれど、それでは、まずい。

それでは、親子はどうなるのか。

この未来は視えなかったが、このままでは軽トラックはブレーキをかけることなく、向かい側の横断歩道に突っ込んでしまうのは明白だ。


「まずい…!」


思わず口から漏れ出ていた言葉が思ったよりも大きかったのか、少女はこちらに顔を向ける。


「まずい…?」


男が轢かれるのを未然に防いだ少女に向かって呟く言葉ではない。

きっと、怪訝そうな顔でこちらを見上げるだろう。

だが、実際にこちらに顔を向けた少女の表情は想像していたものと違っていた。

怒ったような、それでいて軽蔑するような、どこか含みをもった表情を浮かべていたのだ。


「まずくないわ」


そして一言、少女にしては大人びた声で、俺に向かってハッキリと口にした。


「え…」


その直後、少女は困惑する俺を押し退け、持っていた黒い鞄――学生鞄を向かってくる軽トラックに向かって投げつけていた。

学生鞄は軽トラックのフロントガラスに吸い込まれるように直撃し、その直後にけたたましい急ブレーキの音が鳴り響いた。

ハンドルを切り損ねたらしい軽トラックが横転し、横滑りしながら交差点の中央あたりで静止した。

少女は横転したトラックへ平然と歩いていくと、慌てた様子で這い出てきた中年男性の運転手の手首を掴み、尻もちを突いたまま呆然としている男の前まで戻ってきた。

そして、その男の前で仁王立ちになると、呆れたように言い放った。


「貴方、轢かれたわよ」

「……は?」


少女は男の反応を待たずにその脇を通り過ぎていくと、運転手を適当な所に座らせて電話をかけ始めた。

恐らく、警察や救急車を呼んでいるのだろう。

その傍らで、座らされた運転手はまだ状況に対して整理が追い付いていないのだろう。

困惑した表情で、交差点の惨状を呆然と眺めていた。


俺もまた、困惑していた。

だが同時に、一つの確信に、心臓が痛いほど鳴り響いていた。

目の前で警察あたりに電話をしているだろう彼女は先程こう言った。


『貴方、轢かれたわよ』


ほんの少しの言い回しの違いかもしれない。

だが俺は、聞かずにはいられなかった。

俺は電話を切り終えた彼女へ駆け寄ると、前置きもせずに、こう切り出していた。


「知ってたのか? いや……、のか?」


彼女は俺の言葉に頷きを返すこともなく、こう切り返した。


「ええ、わ。貴方が動かないことも」


その数分後、サイレンと共にパトカーや救急車、そして消防車がやってきた。



何気ない一日。

俺は初めて、自分と同じものが視える人物に出会ったのだった。



(続かない)

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