第二章 1 踊り始めた足は自由な心のままはしゃぎ

「信じられるか、夜の君が複数回、同じ人間とワルツを踊っている」

その声に誰かが返す。

「確かにとても珍しい。王位継承権を持たない王族たる夜の君が、こんな場所に夜の君として現れる事も珍しいが」

「だが人間らしい部分があってよかった」

「どうしてそう思う?」

だって、と一人の衛兵がこそこそとしゃべる。

「夜の君って言ったら、王位継承権の代わりに怪物の力を手に入れるって言われているだろ、だから跡継ぎが生まれなくて、毎回毎回代替わりとして、王族の男児をとっていくんだって話だし」

「そうだなあ」

衛兵の話し相手も、それを知っていたらしい。頷いて同意する。

「確かに珍しいに違いない、それゆえに夜の君の夫人はどこから湧いて出てきたのかわからない女性、というのがセオリーだったわけだが」

「今回の夜の君のお相手は、あの少女かもな、妃候補を脱したコ」

周りに迷惑が掛からない程度、そして仕事に差し支えない程度の音量で会話する彼等は、またその踊る姿を見る。

夜の君はもしかしたら、この少女が一番綺麗に見えるように己の姿を、白とは正反対の色にしたのではないかと思う位、二人は調和していたしお互いを際立たせていた。

「それにしても」

「にしても?」

「若様、楽しそうに踊るよなあ……」

「おい馬鹿、若様はもう夜の君だから、夜の君って呼ばなきゃダメだろ」

「そうだよな、夜の君の紋章を持っている時限定で、若様夜の君だもんな」

「俺たちにご馳走の残りを持って行けるように手配してくれた、あの優しい若様とはもう話すのも出来ないんだよなあ」

「さみしいなあ……うちのばあちゃんなんて、若様が持ってきてくれる残りの物の白パンめちゃくちゃ楽しみにしてたんだぜ。美形がばあちゃんに、笑顔で持ってきてくれるからばあちゃん、めちゃくちゃ幸せそうだったっけ」

「ああ、爺さん早死にしたからさみしかったんだろ、嫁ともめたりしてた時だったし」

「懐かしいよな、まだ一年前なんだぜ」

彼等の会話はそこで途切れる。彼等の見張る出入口を、複数の人間が通ったからだ。

彼等が不審人物ではなさそうだ、と身なりなどから判断した兵士たちは、お喋りを一度止める事にした。

ただ彼らの視線によれば、この後の飲み会で大いに語る気満々の様だったが。




「プロ―ポス、ねえ、いいの? ずっとわたしと踊ってる。同じ人と何回も何回も踊ったらいけないんじゃないの、王族様は」

「夜の君は継承権を放棄しているし、王族じゃないからいいんだ」

「そういうもの?」

クラウスは内心で気付いている、男に対するたくさんの熱意のこもった視線を無視しようとしながら、出来ないでいた。

いたたまれないのだ、針の筵のような気分にもなる。

「あっちのお嬢さん達も、あなたと踊りたかってそうだよ」

「クラウスはおれと踊るのが嫌なのか?」

微かに彼が悲しそうな顔をする。表情の薄い彼が見せるさみしさに、クラウスは首を思い切り振った。

「そんな事あるわけないでしょ、わたしすごくすごく」

楽しいよ、と言いかけた言葉は途中で、己の疑問符によって止まる。

この気持ちが、浮足立つ心が、ふわふわとした多幸感が、只の楽しいなんてささやかな言葉であるわけがない、気がしたのだ。

「でも、きれいな人たちがこんなにたくさんいるのに。ファーストワルツが終わったから、誰でも踊れるのに、わたしがあなたを独り占めなんてなんだか、すごくあなたに対してもったいない気がして」

彼女が言葉を探しながら告げた事に、男が頷く。

「それはこちらも似たような事を考えていた」

「あ、じゃあこれで終わりに……」

「こんな素晴らしい友人を、俺だけで独占するのはもったいないなんてな、でももったいないと思いながらもほかの誰にも躍らせたくないと思うんだ」

にこ、とまた彼が笑いかけてくる。

まただ、とクラウスは心臓が変な音を立てたような気分になった。

単純に言えば幸せな気分、うれしい気分。

その言葉が薄っぺらくなる妙な感覚を、伴うそれら。

「それとそうだ、俺を友人としてご両親に紹介してくれるんだろう、楽しみにしていたのに」

「そうだ!」

クラウスはそこで約束を思い出した。

「あなたは約束どころかとんでもない、登場の仕方をしてくれちゃったけどね」

なんて、すごくびっくりした事に対しての文句を含ませる少女だったが。

「そっちが普通にティアラとかを用意できていればもっと、静かに登場したさ」

などと飄々と受け流されて、これが夜の君という、王の血を引きながら王族ではなくなった人間の余裕なのか、と変な物を教えられた気分になっていた。

踊りが終わる。クラウスはそのまま彼に視線で、両親がいる方を見せた。

そこであれ、と気付く。

両親がなんだかとても楽しそうな笑顔で、こちらを示して話し合っていたからだ。

とっても愉快そうである。冗談が好きな父様は愉快っぷりがすごいらしい、いい笑顔だ。

しかしプロ―ポスはそれも問題ないらしく、クラウスをエスコートしながら彼らに近付く。

彼が歩く方は、さっと道が分かれる。

まるでどこかの話に出て来る、海を二つに割った奇跡のような物だった。

大げさかもしれないが。

「クラウス、まあ素敵な方と友達だったのね」

先に口を開いたのは、公爵と一瞬目を合わせた夫人だった。

「そうなんです、最初はこんな立派な方だとは全然思っていなくって驚きました」

「お伽噺みたいで素敵だわ。身分を知らないで出会った二人がお互いの身分を驚きの再会で知るなんて」

何か含みがありそうだ、なんて思う事もあったわけだが、害はなさそうだ。

母様が危害を加えるわけもないし。

「出会いのお話は後でゆっくり聞かせてもらわなくっちゃね、母様は楽しみだわ。……夜の御方、当代様とはお初お目にかかりますわ。ドルヴォルザードの当代夫人マッリーアでございます」

「相変わらず美しい女性のままという事。十数年前と何も変わらずお美しい」

「いやだわ夜の君、褒めてくださってもお茶の招待状しか送れませんわよ」

「それはうれしい。ドルヴォルザードの庭はいつ見ても素晴らしいし、温室もこれまた素晴らしいのだから」

「マッリーア、頼むからこれ以上私の嫉妬心をあおらないでおくれ」

母様の楽しげな声に加わる、これも楽しそうでいながら焦った風を装う父様。

何と言うか二人とも、とても楽しそうだった。

「そちらは見間違えようがない、ドルヴォルザードの家長殿だろう。当代としては初めておめにかかるか? 稚い時にはしばしば、温室に連れて行ってもらった事を覚えている」

「え、知り合い」

クラウスが呆気に取られてしまったのも無理はない。

彼女からすれば、どうやったって接触のなさそうな年齢層なのだから。

「彼は夜の君を継ぐ前までは、家で預かっていた事もあるの」

「えーっと」

何がどうなればそう言う事が、起きうる? クラウスが限界まで想像をしてみても、思いつかない物だった。

「後でゆっくり説明してあげるわ」

にこりと母が笑い、クラウスはならばここで深く追求しなくても問題ない、と判断した。

そして。

なんだか、両親と友達が友好的な関係の様なので、とてもうれしくなった。

たとえ険悪だったとしても、この人は自分の自慢の友人だ、と言い切りたい少女だったが。

やはり気持ちが変わってくるわけである。

「夜の君、今度晩餐会にでも。いや、クラウスのお披露目としてドルヴォルザードの庭を使った舞踏会にでも。いかがでしょうか?」

「それはうれしい。暗き夜の住人を招待してくれるなど、望外の喜び」

大仰な喜びは、それでも違和感なくあたりに溶け込む事になった。

クラウスはそこで知った。

「あの、父様、母様、わたし、デビュタントの後にパーティを行うんですか」

「ああ、基本的に社交界デビューした令嬢の家は、自宅や庭で彼女を主役にしたパーティを行うんだ。そう言えばクラウスはそれを見た事が無いんだったな」

「ギースウェンダル家はデビュタントした後の娘たちが入ってきましたものね、彼女たちは早々と十四歳でデビュタントしましたから」

「もう六年も前か」

「彼女たちはそろそろ縁談の適齢期、ぜひ素晴らしい男性と結婚してもらいたいものだわ」

指を折って数える父様と、心底をそれを願っていそうな母様。

姪っ子たちを心配しているに違いなかった。

それもうれしい、と少女は内心で感じていた。

自分の大事な人たちを、ほかの人も大事に思ってくれている。

たとえ家族の縁を切るしかないとしても、その先の幸いを願う。

それが出来てよかった。

「さて、そろそろクラウスは疲れてきたようだ、わたしたちもここで退散しよう」

「夜更かしは美容の敵、そう言えばわたくしもこんな遅くまで主催していないパーティにいるのは久しぶりだわ」

だが心が浮足立っていても、疲労は隠せなかったらしい。

指摘されてやっと、少女は自分の足が疲れて震えている事に気付く。

使用人の仕事とは違う動きをして、踊り続けて、そして視線にさらされていたからだ。

言われて余計に疲れてきた少女を見て、友人が言う。

「それはいけない。クラウス、また会おう。手紙か何かで誘うから、返事が欲しい」

ちょっとじゃれた調子の声で言った彼に、クラウスは頷く。

「わたしも楽しみにしているよ。そうだ、今度はフィフラナさんも一緒がいいや」

「あの女傑と? そうしたら俺はクラウスをとられてしまうじゃないか。……いや、フィフラナはブラコンだから弟を呼べば何とか……?」

真顔で少女が、横取りされる事を懸念している男だ。

それを見た時の、少女の胸に咲いた感情の色や温度は、普通の鮮やかさでも温度でもなかった。

熱くて赤い。それも信じられない位の熱さと赤さだ。

疲れたから、いまさらほてってきたのかもしれない。

それらが意味するものに、興味を持てない環境に長くいた娘はそんな事を思った。




「あんなサプライズやらないでちょうだいよ! 本当にびっくりして近づけなかったんだからね!」

デビュタントパーティから数日後、先ぶれの後に現れた友人は、クラウスの顔を見て一番に言った。

場所はドルヴォルザード家の一室、この家の娘たちが代々使って来た娘用の客室である。

「えっと」

「誰よあなたが職人技の銀の飾りで来るって、持ってきた奴! あいつだったわね、情報が古すぎるってつるし上げておかないと」

人の見た目にたいして、かなり辛らつになる事が出来るフィフラナは、衣装などへの関心がかなり高い。

そのため、あのパーティで現れたクラウスに対して、言いたい事が溜まっていたらしい。

「半世紀前のデザインの癖に、流行をしのぐ優雅さ! 余裕! デコルテからのしなやかな曲線! 二の腕とか、皆が隠したがっても、流行のせいでむき出しになりやすい所を隠すくせに、古臭いとか言わせる隙が無い半透明な袖! 腰から裾にかけての、簡素なくせに歩き出すとさざ波だって生地の光沢と陰影が見事な下半身部分! くっそ私もそんなデザイン着たかった!」

「褒めてるのか怒り狂ってるのかわからないよ、フィフラナさん」

「喜んでるの! もうちょっと語らせてちょうだいよ! おしゃれに無頓着すぎた友人が見違えて、皆をあっと言わせてきたから、すごい気分がいいのよ!」

「へー」

「それに、あの頭の飾りすごく、すっごく素敵だったわ! 貴女の髪の毛が緑っぽいから余計に、あなたがフローラの一人みたいに見えたわよ」

「フローラ(花の妖精)に失礼だよ、こんなさえない顔の女の子にその形容」

「あのねえ、フローラは花の見事さが人間のような形をとったものだから、顔じゃないのよ。雰囲気とか、立ち振る舞いとか、匂いとかが見事ならフローラを形容できるのよ!」

「そうなんだ」

こう言ったところで、色々身なりなどに詳しいフィフラナに勝てるわけもない。

クラウスがうんうんと頷けば。

「もう、あなたがそこんじょそこらの、生半可な令嬢じゃ太刀打ちできない身ごなしなのはよーく知ってたけれどね? あんな場所で見せられるとこう、なんというか……そうよ! よくやった! って言いたくなるの」

散々言いまくったからか、息を切らせるフィフラナである。

彼女にお茶を進めながら、少女は言う。

「わたし、あの場所にいた令嬢たちの誰よりも平凡だったと思うよ」

「面と雰囲気と身ごなしは一致しないのよ」

びしゃりと言い切られる。

「クラウス様はね……ほら、私の方が序列は低いから、様で問題ないでしょ、そんな顔しない……とにかく。あなたはね、顔以外はどこの令嬢も勝てない物があるの」

「そう思わないけれど」

「あなたの身ごなしは、一朝一夕で身につくものとは格が違うの。それがあそこで誰にも見せられたの。貴族の令嬢の誰もが憧れる動きかた。どう動いてもみっともなく見えない立ち振る舞い。みっともないはずの動きも、そう見えないだけのもの。身分が高くなればなるほど、それを求めて、手に入らないのよ」

お茶を飲んで息を落ち着かせ、フィフラナが言う。

「あの後から、あなたの事を馬鹿にする声がびっくりするくらい減ったわ。逆にあなたとお近づきになりたい令嬢が、山のようにいるわよ。今のところ手紙もあなたに届かないんでしょ、たぶん当主様が燃やしているのね」

「わたしあての手紙を燃やすの?」

「娘に必要のない手紙とかは、家長の権限で燃やせるでしょ」

「あ、たしかに奥様も燃やしてた事あった」

思い当たる事があった少女が、納得したようにうなずいた。

「それに、こんな話まで回るくらいよ」

「その話って?」

「ギースウェンダルの妃候補の娘は、本物だったって話」

「それってキララ様の事じゃないの?」

「違う違う。……ギースウェンダルはガラスの靴の本当の持ち主をいじめて追い出して、自分の家の娘を妃にしようとしたとかね」

「ガラスの靴なんて持ったためしがないんだけれど」

「ガラスの靴は伝説の一品だから、色々訳が分からない事が多いわよ」

そんな話の後。クラウスは彼女の顔を見てから、どうしても気になっていた事を聞く事にした。

「フィフラナさん、夜の君と知り合いなんでしょ?」

「あ、あれは腐れ縁みたいなものよ。あいつが先代の夜の君に見いだされるずっと前に、この屋敷で殴り合いのけんかしてたってだけで」

「な、殴り合い!?」

「そ。男の子って、ある年齢までは女の子よりも成長が遅かったりするのよ。だから私よりも小さいし、年上って感じもないから。こっちは使用人だったけどあっちもその垣根がないから言いたい放題。あなたの家じゃ信じられないかもしれないけれど、貴族の子供って、実は親よりも使用人が身近なのよね。子供は使用人の領域に出入り自由だから」

「わたしはそんな物の前に、使用人の場所しかなかったから、分からないや……ああ、だから他所の使用人の人が、我が家のお嬢様や坊ちゃまの自慢をしたわけか」

ここでクラウスはやっと、教会で知り合ったりした人々の言葉の意味が分かった。

「でも、どうしてプロ―ポスは夜の君なの? えっと、夜の君って王子様なんだったっけ? わたし今、よく分からないんだけれど」

色々とクラウスも混乱してきたようだ。

しかし疑問は解消したいらしい。

「直系の血を継ぐ王族の子供は、ある時いきなり夜の君に、お前はこれからうちの子だ、宣言されるわけよ。そうしたらその子は王位継承権が無くなって、その代わりに夜の君の跡継ぎになるわけ。あなたは夜の君ってどういう感じだと思ってる?」

「王様の影の使用人をまとめている存在、みたいな感じ」

「ま、一般的な認識ね。実際には、違うけど」

「どう?」

「夜の君はね、その時の王様のために存在しているの。常に王様と対等の立ち位置で、王様が間違っていたら正すし、厳しすぎたら緩めるし。王様の良くない所を映す鏡なわけ。それでいて、王様の力では殺せないっていう特殊な物をついじゃうし」

「え……?」

「その中身は知らないけれどね、そういう話なの。夜の君は王様の権力では殺せない。王様の兵士たちも、王様の貴族たちにも、殺せない。殺せるのは沼姫ただ一人」

「実際は?」

「夜の君の殺害はことごとく失敗しているわ。返り討ちで別の王を立てられてしまう事もあるくらい」

「それって革命? でもこの国滅びてないって……え、歴史の授業で聞いた、悪王の時に立ち上がる名君って夜の君にたてられてるの? あー、だから鏡だからいい王様なんだ」

もしかして自分は、とんでもない相手と友人になったのだろうか。

「クラウス様、一つ聞いてもいい?」

「何?」

「どうしてここまでぶっちゃけても、あなたあいつに対しての恐怖とか嫌悪とか、あいつに対するわるい感情なさそうなの?」

「びっくりはしたし、フィフラナさんの言う事もきっと本当だけど、わたし」

クラウスは笑った。

「笑いかけてくれたプロ―ポスの、友人って言って笑ってくれた心を信じたいな」

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