【幕間】魔王と閻魔「咎」

 天界。それは地上で死した者のが向かう場所である。そして天界に来た者たちが初めて訪れるのは、天国と中間霊界、地獄のどこに行くのかを決める閻魔の元居城にして仕事場、“三枝天秤さんしてんびんの城”である。


 この場所はがらんとしていた。時折動くのは身じろぎをする子鬼たちだけ。そして、閻魔その人だけである。

 最近は戦争の為に死人が絶えないのだが、地上ではやっと夜になったので戦争が中断されて落ち着いてきたのだ。今の時間帯はせいぜい、寿命か病気、事件で死ぬ者だけである。その者達はせかせかと閻魔の前に連れてこられ、三つの世界のどこに行くのかを言い渡されて終わりだ。

 地獄行きを命じられて泣き叫んで抵抗する亡者も居るが、日常茶飯事であるため気にも留めぬ。


「あぁ。楽だ。このまま人来なければ良いのに」


 だが、閻魔のそんな願いは叶わなかった。

地上で新たにヒトが死んだことを察知したものの、その妙な気配に閻魔は一瞬眉を顰める。


(また、誰か死んだのか。……だが、なんだ? このバカみたいに強い奴は。魔族だとしても異常すぎるぞ……一体、何故こんなに強大な力を持つ奴が死んだんだ……?)


 ☆


城の正門から入って来たのは真っ黒なローブを纏った大男。動物の骨のような形をした頭に鹿のような角が生えている。


(こいつは……確か魔王だとかって現世で呼ばれてるやつか)


 閻魔は柱の影に隠れて魔王の圧倒的な存在感に怯える子鬼共を無視し、脇の机に置いてある“罪科の巻物”を手に取ろうとする。


(……っな!?こんな大きさの巻物見たことが無いぞ……!!?)


彼の罪状が記された巻物は異常な程太い。普通が棒と呼ぶならば、これは車輪のような形をしていた。


(魔王と言われるとかなり凶悪なイメージがあったりするが、まさかこれほどまでとは)


「我の名はアラン・ドゥ・ナイトメア。審判などいらぬ。我をコキュートスへ堕とせ」


 閻魔は目を細めた。永きに渡って審判を行っているが、数ある地獄の中でも最も辛く苦しいとされる“永遠氷牢コキュートス”へ堕とせなど、どんな蛮勇であってさえのたまう者はいなかったからだ。


 コキュートス。別名嘆きの川と呼ばれ、その凍った川に永遠とも思える時間、閉じ込められ続けるという最も罰の重い地獄である。寒く、ひもじく、乾燥した世界。そこで、身動きを取ることも出来ず、霊魂である為に死ぬことも出来ずに暮らし続けるのだ。


(とりあえず、この分厚い巻物に何が書いてあるか見るか)


 閻魔は巻物に片手を添え、意識を集中する。すると、閻魔の目の前に彼の罪状の中でも重い順に内容が浮かんでくる。そして、一番前に見える罪状を見て目を見開いた。


(なんだ……これは。こんな罪の者が存在したのか……!!? しかも、罪の分厚い巻物の内容のほとんどがこれ一つだけだと……?)


 あまりにも特異な事例に閻魔でさえ唾をのみ、目の前の男に問いかけた。まず、最初に問わねばならない事。


「アラン・ドゥ・ナイトメアだと……? それは本当の名では無いだろう。何故、俺に嘘をつく」

「我がその質問に答える必要性は無いな」


 閻魔は溜息をついた。巻物からわかるのだが、答えないと言うのならそのまま続けるしかない。“罪科の巻物”に本当の名が書かれているため、無理に聞く必要はないのだ。

 そのため、閻魔はそもそもの仕事として問わねばならないことを尋ねる。


「まあ、良いだろう。ではアラン・ドゥ・ナイトメア、汝に問う。お前の最大の“とが”はなんだ?」


 目の前の骨のような頭の人物は、数秒の間を置いて答えた。


「我は答えよう。我の最大の咎。それは、“我の存在そのもの”だ。」


 閻魔は頭を片手で押さえた。罪を指摘されて狼狽える姿などを好むわけではないが、自身の罪を自覚していると言うのはまた厄介な話であった。


(こいつは自分で理解しているのか。自分の咎を。確かにこいつが犯した罪はコキュートスに行ってもおかしくは無いが……)


「生きようとは、思わないのか…? お前の復活を望む者たちもいるのだぞ?」


 閻魔の問いに、骨のような頭は空虚な目を閻魔に向けた。口を小さく動かすが、その喉から音は聞こえない。次の瞬間、魔王は顎関節(口元)を大きくゆがめ、胸の内にたまっていることを吐き出した。


「我に存在する資格があると言うのか! 我が居なければ地上は平和なままでいられたのだ!! 我さえいなければこのような戦争が起こることさえ無かった!!!」


 魂の叫び。

 魔王の口から出た叫びはまさにそのような言葉が合うものだった。

 絶望、失望、悲哀、苦渋、恨み、慈愛、憤怒、悔恨、殺意、喜び、反抗。様々な感情が混ざり合ったその悲痛な叫びは、いくつの重荷を背負い枷をつければ出せるのか。


 ☆


 閻魔はその叫びを聞いた途端、いつの間にか立ち上がって、目の前の死んだ者を殴った。

 全体重を乗せ、己の内にある感情を拳に乗せて、力のままに相手の頭を殴りぬいた。


「……っ!!?」


 目の前の殴られた男は再び空虚に、焦点の合わなくなったその目で閻魔を見た。おそらく常人であれば頭が爆発四散するような、凄まじい衝撃だったのだろうが、その一撃が心に響いている様子は無い。


(何故、俺はこいつを殴り飛ばした? わからない。わからない……が。だが、こいつはこんなとこじゃなくて、地上で罪を償わなければいけないやつだってことは分かる)


「魔王、アラン・ドゥ・ナイトメア! お前には復活の罰を与える!! 地上という世界でその咎を償え!!」


 すると魔王の焦点が合い、目に焦りの色が浮かぶ。


「ま、待て! 待ってくれ! 我をコキュートスに堕とせ! 別に別の場所でも良いのだ!! 頼む、現世だけは止めてくれぇ!! 我が存在していては不幸が生まれるだけだ!!」


 閻魔は目の前の男の、どこまでも絶望した言葉にズキリと心が痛む。だが、


「お前には守るべき魔族が居るじゃないか! 彼らを置いてお前は逃げるのか!!」


 閻魔の怒りと真実の籠った反論に、魔王は言葉を失った。彼の足もとが淡白く光る。


「……逃げて苦しくなるのはお前だけじゃ無いんだ。もう少し考えろよ魔王のクセに。…次に会う時はまともなお前に、会いたいもんだな。……アラン」


 淡く光っていた地面は徐々に光量を増し、アランの体を包み込んでいく。

アランの姿が完全に隠れると、光ははじけるようにして、消えた。


 ☆


 三枝天秤の城にある人影はほんの両手の指で足りるほど。閻魔と子鬼たちだけ。

今は、ここを訪れる者は昼間でも少ない。逆に夜の方が多いくらいだ。

閻魔はこっそりと呟いた。


「アランのやつめ、やれば戦争を止めるくらいできたじゃないか」


 どことなく嬉しそうな閻魔の独り言は誰にも聞かれることも無く、ただ静かに静寂の中へと消えていった。

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