人間の国

 その頃、人間領。

 木々のまばらに生えた広大な平原の中心に位置するのは、人間領で最も栄えた国である“皇国”の首都。オベリスク。

 住む住民達から発せられる喧騒たち。奇声、怒号、嬌声、悲鳴、喝采、男女の睦言などにより構成される、異常な賑やかさに包まれる城下町。


 その中心にそびえ立つのは、人間の職人でも最高峰の実力を持つ者達が作りあげた、豪華絢爛なる純白の城。政を司る地にして、国の長である王を守るという目的を最後まで成し遂げるであろう、多数の防衛設備が設置された巨大な石造りの建造物。国の建国者の名を冠するそれは――ガリオンフォード城である。


 ☆


 皇国は魔族領にある二つの勢力と戦争中であるが、戦地とは離れているため王宮内は整然とした静寂に包まれていた。その一角で、封蝋ふうろうの施された書簡を持つ戦地からの伝令が、大きな扉の前に立っている。

 伝令の両脇に立っていた見張りの二人の兵士は、協力して伝令の身体検査をし、扱い様によっては凶器ともなりえる道具や防具などを没収した。鈍器として扱えるとして鎧や兜をとられた伝令は、走って汗だくになった体が冷えたために、一度大きく体を震わせる。鎧を脱いで体が冷えた、以外の理由もあるであろうが。


 見張りの二人は自身の持ち場に戻り、その背後の巨大な扉に手をかけた。それぞれ片側ずつ。

 右側の扉には、裸の男が扉の中央上にあるものをあがめるように両手を掲げ、左の扉には裸の女が右の男の合わせ鏡のような逆向きのポーズを取っている。男女の足元には虫や鼠や魚などの多種多様な生物がおり、男女の手の先には何らかの球体が彫られていた。

 見張りの兵士は同時にその扉を力いっぱい押し、巨大な扉を開いた。


 その扉の先を一言で表すのならば、豪奢、という言葉が適当であろう。

 乳白色の淡い色の壁に、赤い絨毯を挟むように建ち並ぶ純白の列柱。部屋の奥の上部には色つきのガラスで作られた芸術性の高窓。

 遥か遠くに位置する天井には列柱に掲げられた蝋燭の光はおろか、窓から入ってくる日光すらも届いていないため見えにくいものの、初代“人天王”である英雄、アリウス・ガリオンフォードの活躍を描いた絵が描かれている。


見張りの一人が声を張り上げた。


「陛下! 戦地にいるオーロロ将軍より緊急の書簡です!」


 伝令役たる兵士はゴクリと唾を飲み込み、広間の奥に居た人物の許しを得ると、その人物の下へと真っ直ぐ引かれた赤い絨毯の上を歩いた。緊張のためか、どことなくその歩く様子はぎこちない。

 見据えた先の床には三段ほどの階段のついた舞台のようになっており、その舞台の中央には革張りの大きな椅子に座った老人。兵士から見て老人の右に演台のような机の前に立つ青年が、かえって左にはいかにも強そうに見える鎧を纏う壮年の男。計三名がその舞台の上には居た。


 兵士は緊張に震える息を押し殺しながら、革張りの椅子に座った老人の正面に来る位置に立つ。その場に膝をつき、顔を見ないように下げたまま書簡を持つ右手を掲げた。老人は指で演台前に居る青年を指さしたあと兵士の持つ書簡を指差した。青年は「かしこまりました」と、そのいかにも文人らしい見た目通りに静かな口調で答えると、兵士から封蝋の施された巻物を預かった。

 封蝋を割って開かれた書簡の中から青年の目に飛び込んできた情報は、一瞬で落ち着いた雰囲気だった青年に冷や汗を流させるには十分だった。老人が落ち着いた低い声で言う。


「早く読むのだ、文書長」

「は、はい! ……皇国歴五月十二日八ノ刻、ロッソ大将軍が流行病にかかり病没。指揮系統が混乱したため、急遽オーロロ将軍がその任の代わりを務めたそうです。死亡による混乱で出た損害は、死者十一名、戦闘不能五十名……」

「…………」


 老人は押し黙りながら体勢を変え、ひじ掛けを使って右腕で支えつつ顎に手をついた。そのまま右を向き、視線の先に居る甲冑の男に命令を下す。


「親衛隊長……ロッソ将軍一家の者共を全て捕えよ。妻と長兄は死刑、父親と母親は城下からの永久追放。その他は奴隷とせよ、いや……たしか次女は美しいと評判であったな……次女は今日の夜、我が寝所へと連れて来るがよい」

「……で、ですがロッソ将軍は我が皇国の為に今まで……」


 甲冑の男はゴクリと唾をのんだあと、老人に恐る恐る意見した。親衛隊長と呼ばれた男は疫病で亡くなった大将軍の後輩で、若い時に良く世話になったのだという。恩を感じている為に男は、主君であるとしても、意見を具申せずにはいられなかった。

 されど老人は、親衛隊長を冷たく睨む。


「そなた如きが口出しするようなことでは無い。あやつは十二年前、付け上がった貴族出身の将の動向に気付くことが出来ず、反乱によって兵士を無駄にした。あやつの監督不行き届きだ」

「そ、それは……」

「儂の“家畜”を、儂の“許可無く”、無駄にした罪は重い」


 老人の言葉を聞き、何かを堪えるようにしながら、苦々しく了解の意を唱えた。次に老人は文書長と呼んだ青年の方を向き、


「文書長、次に言う言葉を書にあらわせ」


 それはオーロロと呼ばれる将軍を、正式に大将軍という役職に据える。という命であった。青年がその言葉を演台の下から取り出した紙に書き、老人に確認するように見せた。老人はそれを見ると頷き、そして、嗤った。

 嘲笑った。


「皮肉なものだな。かつて英雄と呼ばれた一行の光は、今や世界中に追われる反逆者。たいしてその影に隠れていた者が、今や戦争を指揮する英雄なのだ。……どうした、笑え」


 老人の言葉に乾いた笑い声を上げる室内の者達。老人……“現人天王”、ゴロン・ガリオンフォードは、詰まらなさそうに兵士の方に手を振りつつ、ゆっくりと立ち上がった。倒れそうになるゴロンを、親衛隊長が慌てて支える。


「もういい、さっさと行け。儂は餌をやらねばならぬ時間なのだ」


 ゴロンの言葉に冷や汗を掻く文書長と親衛隊長。ゴロンは体のバランスを取り体を安定させると親衛隊長の手を荒々しく振りほどいた。伝令は絨毯の脇に移動し、ゴロンが部屋の外へと出ていくのをジッと待っていた。


 ☆


 ガリオンフォード城の地下の一室。ゴロンは数名のトップクラスの実力を持つ兵士などを引き連れてそこにやってきた。一国の王が訪れる場所とは思えないような苔むし、ジメジメと暗い一室である。部屋の中央で仕切るように鉄格子があり、その鉄格子の奥の闇の中で、何かが蠢いていた。

 ゴクリと、武装した兵士の誰かが息を飲み込む。


 ゴロンは傍に控えていた執事に、手で合図を送った。執事はその手に持った鈴を鳴らす。その瞬間、その闇の中で蠢いていた者が爆発的な速度で動いた。鉄格子に何かがぶつかる音が地下室に響く。その音の原因は、ぼろ布を纏った幼い金髪の少女であった。痩せ細った体、何かで汚れた肌。そんな姿をしているものの、少女のその顔は悲嘆に暮れておらず、むしろ爛々とその瞳を輝かせていた。


「あははははははははっ! あははははははっ!」


 少女は鉄格子に張り付きながら、地下室に入って来た一団を見つめ、ただその狂喜に溢れた笑いを延々続ける。ゴロンは醜悪なものを見るように視線を向けたあと、その手元にある鞭を振るった。


「ぎゃっ! ……あははははははっ!」


 鞭で叩き落されてもなお一団を見つめて笑う少女。ゴロンはもう一方の手に持った小さな袋を、鉄格子の間からその少女が居る場所に投げ入れた。少女はその袋の飛びつき、その中身を取り出して一心不乱に食べる。

 プチプチという音がどこからか聞こえた。


 兵士や執事が何かに恐れおののくなか、ゴロンは床に唾を吐き捨てると、忌々しそうに呻いた。


「この醜悪な化物め……」

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