雪解けてⅩ

 重心を前に向けて、左足を前に出すと上半身を前かがみにすると、右腕を下から上に少し上げてアンダースローの投げ方のように腕を振り切る。川姫かわひめと同じ投げ方なのに少女の方が安定した微妙な角度で水面と接する。石は川姫よりも多く飛び跳ね向こう岸に余裕でたどり着いた。

「おお、行ったねぇ……。回数は二十回以上、そして、距離も十分に越している。文句なしの私の勝利ね」

「貴様、一体何をした! 人の子がこの私を越えることは出来んだろうが! 何の妖術ようじゅつを使った⁉」

 川姫は少女に近づき、振り向かせるとそのまま川に押し倒した。

「うわっ!」

 びっくりして後ろに倒れると同時に服全体が水に濡れる。かぶっていた麦わら帽子が宙に舞い、近くの岩場にゆっくりと落ちた。

「私が妖術を使える人にみえる? 何の力もないただの人間よ。視えるだけのね……」

「ああ、そうだったな。貴様は何も力を使っていなかった。だが、妖が人に負けてはならないのだ! それくらい分かっておる。分かっておるが……」

 川姫は少女を押し倒したまま黙りだす。冷たい川の水が二人を包み込む。

 少女はそんな川姫の悲しそうな顔を見て、手を差し伸べて言った。

「ああ、そんな顔しないでよ。こっちが本気で勝ちに来たのが馬鹿馬鹿しくなるじゃない。でも、本気で遊んでみると楽しいものでしょ。一人でいるくらいなら誰かと関わってみる事もいいじゃない。あなたは優しい妖怪。昔、どんなことがあったのか知らないけど私はそんなのどうでもいいわ。だから……」

 少女は笑って————


     ×     ×     ×


「ふん。懐かしな……。あれ以来、彼女は私の前に何度か現れたが、二週間後には忽然こつぜんと姿を消し、それ以来現れることはなかった」

 川姫は自分の昔話を終えると、改めて灯真を見た。

「ああ、そうか。そういう事だったのか……。お前はあい……」

「それ以上の話はやめてください」

 と、灯真とうまの頭の上に乗っていた白猫姿の雪菜ゆきながいきなり声を上げた。そして、元の姿に戻ると川姫の口を塞ぐ。

 橋の上で見ていた夏帆かほ月詠つくよみも驚いてその場でじっと見つめていた。

 手で塞がれた口を探そうと、川姫は雪菜の手を振りほどいた。

「貴様、何をするんだ!」

「ちょっと耳を貸しなさい! 灯真様、私、この妖と少しお話がありますのでお時間いただけないでしょうか?」

「え、あ、ああ……」

 思わす灯真はかける言葉もなく答える。

「ちょっ、きさっ……」

 雪菜に背中を押されて川姫は灯真から少し離れた場所に移動させられると、彼女の方を振り返った。

「貴様、一体何者だ!」

「私は灯真様の式神・雪女ゆきおんなの雪菜だ」

「妖が、人の子の手下だというのか?」

「だったらどうだ? 私は好きであの主の元にいるだけだ。それにあなたが言っていたその少女はおそらく私の主の母親だ」

「何? だったらなんでそれを言ってはならぬ」

 川姫は少しばかし驚きを隠せず、雪菜の肩を握り灯真に聴こえないように体を寄せてちらっと後ろを見ると、続けて話し出す。

「もしかして、あ奴はもうこの世にはおらんのか?」

「ええ、それも灯真様を授かりこの世に産んだ後、不幸にも事故でこの世を去りました」

「そうだったのか……。もう、あの頃みたいに無邪気むじゃきな笑顔もみる事はないんだな……。待ち続けて二十六年。私の寿命も少しずつ短くなってきた。あ奴が戻ってこないのならここで死ぬのも悔いはない。ここには出会いがあり、そして、悲しい別れもあった思い出の場所だからな……」

「あなた……」

 雪菜はそんな言葉を聞いて、暗い顔をしたまま俯き、空を見上げると、次第に雲行きが怪しくなってきた。

「そうですか。それで、あなたと知世の約束は一体何だったのですか?」

「約束? ああ、さっきの話か……。約束————」

 ぽつん、ぽつんと雨粒が上空から地上に数滴落ち始めた。


     ×     ×     ×


「だから、今日からあなたは私の物よ。この世界は楽しくいきなさい。例え、私がいなくなったとしてもそれは別れではない。小さな始まりなの。いろんな刺激を受ければ、そこから世界は広がっていく。こんな小さな世界で閉じこもっているよりも一歩前へ、一歩前へ行くのよ!」

 少女はゆっくりと起き上がると、川姫の額に自分の額を重ね合わせ目をつぶった。

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