雪解けてⅧ

 少しずつ太陽は西の山の方へ沈みかけている頃だった。二人の影が長くなる。


 古い小屋の近くに足音を忍ばせて、灯真とうまは一度小屋の陰から様子を窺った。川姫かわひめは川辺で、草で作った小さな船を川の流れに沿って流していた。ゆっくりと流れる船は大きな石にぶつかり、方向転換してまた海の方へと流れだす。

「おい、そこで何をしているんだ?」

 と、灯真は川姫に声をかける。

「なんだ、人の子か。貴様には関係ないことだ」

「と言っても、今朝もここで何かしていたんだろ?」

「貴様、この私が視えるのか? いや、今朝もこの場所を通ったのか?」

 川姫は振り向くと、いきなり灯真の胸倉むなぐらを掴んで叫んだ。

 灯真は後ろによろける。雪菜は肩から灯真の頭の上に飛び移った。

「ん? お前、どこかで視たことのある顔だが、昔、私とどこかで会ったことはないか?」

「し、知らない……。お前と会ったのは今日が初めてだ! 思い違いじゃないのか?」

「いや、その顔、どこかで視た気がする。あれは十年以上の前の事だ……」

 川姫は学ランを掴んだまま放そうとはしない。むしろ、顔を近づけてまじまじと灯真の顔を覗き込む。

「は、話せ!」

 川姫の腕を握り払い落す。一歩後ろに下がった灯真は、乱れた呼吸を整え直し、学ランについたシワを伸ばす。白猫姿の雪菜は、長い尻尾をペチペチと灯真の頬を何度も叩きながらご機嫌斜めになっている。これでも怒りを抑えているのだ。

「雪菜、怒るのだけは大概にしてくれ。頼む……」

 灯真は彼女の気持ちを悟り、小声で呼びかける。

「…………」

 雪菜は返事をしない。

「そうだ、人の子よ。お前に頼みたいことがある」

「頼みたいこと?」

 川姫は草むらにしゃがみ込み、目の前の自然の景色を眺めながら話し出した。

「ああ、ある人物を探してほしいのだ。これは昔、私と人の事の思い出だ。この話をするのはお前が初めてだ」

「それをなぜ俺に……?」

「お前があ奴と似ておるからだ」

 そう言うと、川姫は自分の昔話を話し始めた。


     ×     ×     ×


 二十五年前————

 この辺り一面がまだ田んぼで、人や自然が多くこの時代にあった頃、今とは思えない時代遅れの景色がそこにあった。その日はお日柄も良く、心地よい風が吹いていた。川姫は、川辺で石を積み上げながら昼間からこのゆったりとした時間の流れを楽しんでいた。

 人間は寿命八十年ほどであるが、妖はその倍以上、永遠の命とでも言っていいくらい時間がある。

「今日もまた、ただ時間が過ぎていくだけか……」

 川姫は積み上げた石を倒して、一つ、また一つ、川の向こう側へと投げる。

 すると、近くで釣りをしている親子がいた。

 頭にタオルを巻いた若い男が釣竿つりざおを持ち川の流れを見つめて、麦わら帽子をかぶった幼い少女がバケツに入った魚を見つめている。こんな場所で釣りを楽しむ親子は何年ぶりにみただろうか。

「お父さん、この魚この後どうやって食べるの? 刺身? それとも塩焼きにするの?」

「ああ、そうだね。川魚で刺身にするのはちょっと抵抗あるから塩焼きかな。あ、でも炭火焼きもおいしいぞ」

「えー、炭火焼き? どうせ、黒焦げにしちゃうんでしょ」

「何を言う、黒焦げにはせんよ。黒焦げにするのはお前だろ?」

「いやいや、私よりお父さんの方が黒焦げ状態だと思うけど……。ねぇ、あそこにいる人、綺麗だね?」

 少女は川姫がいる場所を指差す。

「はぁ? 何を言っているんだ? そこには誰もいないぞ」

「いるよ! ここにいるんだよ!」

「…………。そうか、お前がいつも言っている僕には視えない妖の事か?」

「うん、そうだよ!」

 父親の少し困った笑顔を見て、少女は満面な笑みを浮かべる。

「それで、どんな妖なんだ?」

「ええと、モデルさん並みの美少女だよ」

「ははは、そうか。今回はまた面白い妖を見つけたな」

「お父さん、信じてないでしょ⁉」

 少女は頬を膨らませる。

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