雪解けてⅡ

 西ヶ丘にしがおか高校は、進学校ということで一限目の前に朝課外が四十分間実施される。

 靴箱にたどり着くと、灯真とうま将気しょうきは、一年二組の自分の出席番号の場所に置いてある青いスリッパに履き替える。ちなみに女子はピンク色のスリッパである。

 一年二組の教室にたどり着くと、三分の二のクラスメイトが朝課外の準備をしながら時間が来るまで自由に過ごしていた。灯真の席は、くじ引きで勝ち取った窓側の前から五列目の席だ。後ろには女子生徒が座っている。将気は、灯真の斜め前の席に座った。

 残り十分程で朝課外が始まる。未だに学校に登校してこないクラスメイトが数名いる。彼らの八割はサボりだ。朝課外は、遅刻の範囲内には入らず、そこを突き入った犯行だろう。

 授業が始まるチャイムが鳴ると、数学教師の岡部おかべが教科書のページを支持し、授業が始まる。

 さすがの灯真も朝からの授業は眠く、目蓋が重く感じた。

 周りも同じような気持ちで授業を受けており、後ろの席に座っているほど、居眠りをしている生徒がすぐにいた。

「お前ら、中学から高校に進学してまだ時間が少ないのは分かるが、朝っぱらから寝ている奴は三年後、泣く運命になるぞ!」

 寝ている生徒は叱らずにその一言だけを岡部は言った。

 だが、新入生の一年生にとってはこの意味を理解するのには時間がかかるだろう。

 灯真は、教科書を簡潔に説明されているところを読みながら、要点ようてんだけを黒板に書かれてある数式を混ぜてまとめた。


 四十分間の朝課外が終わると、多くの生徒が大きな溜息ためいきらし、机の上でぐったりとしていた。

 灯真もノートや教科書を開いたまま、机の上に寝そべり腕はちゅうにぶら下がりになっていた。

「どうした、朝の四十分でもうノックアウトか?」

 将気が後ろを振り返って笑いながら言った。

「どうもこうもないよ。俺にとっては朝早くから勉強って苦手なんだよな」

 顔だけを起こして、将気を見る。

「でも、朝の十五分だけでも勉強すれば違うと思うんだけどな……」

「十五分?」

「ああ、これはある大学教授が言っていたから信用してもいい情報なんだけど、朝起きたら十五分間勉強すれば、頭の活性化につながると言っていた」

「十五分間ね……。俺の朝の生活からすると、どう見ても時間ギリギリになるから無理だな」

「だろうな。灯真の場合、夜遅くまで遊んでいるんだろ?」

「遊んでいない。寝る前はその日の復習はしている」

 将気にそこだけは反論する。

 日頃の日課として、寝る前はしっかりと授業の復習は何年もしている。

 だが、ここ三ヶ月間は思い通りにいかないことが多い。それは一人部屋だった自分の部屋には、もう一人同居人が住んでいるからだ。

 それ以来、自分の日常は壊れていく一方だ。この地には多くのあやかしひそんでおり、霊力の高い灯真は彼らにとっては最高のえさなのだ。特に山沿いを歩いていると、匂いに釣られて襲ってくるたびに妖である雪菜ゆきなが退治してくれる。

 自分でも少しずつは対応しているつもりだが、持って帰ってきた例の書物は、未だに『契約の』ただ一つしか扱うことができない。

「あ、そう言えば、今日から転校生が一人来るらしいぞ」

「こんな時期に? それっておかしくないか?」

「いや、俺も詳しくは知らないんだが、確か新潟から転向してきたとか言っていたな……」

「新潟ね……」

 灯真は『新潟』の単語を訊いて、頭に浮かぶとしたら雪菜の事以外考えられなかった。当たっていない事を願いたい。

 そう思っていると、担任教師の福田京子ふくだきょうこが教室に入ってきた。

 それに気づいたクラスメイト達は自分の席に座りだし、教室内は静かになりつつある。

 福田は出席名簿しゅっせきめいぼと健康観察簿、自分のノートを教卓の上に置いて腕時計で時間を確認する。

 放送のチャイムが鳴ると、学級委員長が号令ごうれいをかけ、起立、礼をして着席した。

「はい、皆さんおはよう。早速だけど、このクラスに転校生が来ることになりました。まあ、この時期に転校してくるのは異例いれいだが、皆、仲良くしてください」

 いつもながら清々し微笑みでしっかりと挨拶を返してくれる。

「じゃあ、転校生を紹介します。中に入ってきてもいいわよ」

 福田に呼ばれて、教室の扉が横にスライドされた。クラスメイト達が騒めく中、その転校生は何事もなく中へ入ってきた。

 いつも見覚えのある黒く長い髪、左右には六枚の花弁を持つ花の形のヘアピン、そして、何よりもその水色の瞳は日本人にはない色だ。西ヶ丘高校の女子制服を着ている。それを見た灯真は落胆した。

「初めまして、新潟の高校から転向してきました。名前は有馬雪菜ありまゆきなです。皆さん、三年間よろしくお願いします」

 転校生の女子生徒は、黒板に自分の名前を書き、軽く自己紹介をした。

 なぜここにいないはずの雪菜が、こんな所にいるのか不思議ふしぎでたまらない。

「灯真、有馬ってお前の家の親戚しんせきか?」

「そうじゃなかったら俺にとってはどんなにうれしい事だか……」

 将気の質問に対して、嫌みの一言でも言いたそうな灯真は、小さく溜息をついてこちらを嬉しそうに見つめてくる雪菜を睨みつけた。

「ええと、彼女はそこにいる有馬君の親戚だそうなので……有馬君、彼女に学校の事など分からないところを教えてあげて」

 そう言われると、周りからくどいほど家庭の事情に対して情報を訊き出そうとしてくる。特に女子よりも男子だ。

 美少女がクラスに転校してきたならば、それだけで十分な話題性になる。

 だが、彼らは彼女の本当の正体を知らない。いや、知ってはならないのだ。

 雪菜は本来妖であり、周りの人間には彼女の姿を視ることができない。

「じゃあ、有馬さんの席は彼の隣に座ってもらいましょうか?」

 と、福田は灯真の隣に空いている席を指定した。

「分かりました」

 雪菜は教卓の前を通り、窓側から二列目の前から五列目の席に向かう。

 いつもよりおしとやかで、人当たりが良すぎる。これが雪菜だと思うと、背筋せすじが凍る。

「よろしくお願いします。灯真君……」

 席に座ると、笑顔で挨拶してくる。

「あ、ああ。こちらこそよろしく……」

 灯真は、顔が引きずったまま嫌そうに軽く挨拶をした。


 昼休み。灯真は雪菜を連れて屋上へ向かった。

 扉を開けると、風が吹いていた。誰もいない屋上には、灯真と雪菜以外誰もいない。扉を閉めると、灯真は壁に寄りかかって腕を組み、話し始めた。

「で、なんで雪菜がこんな所にいるんだ? 説明しろ!」

「学校というものに行きたかったからです」

「説明になっていない! ちゃんとした理由を『説明しろ』と言っているんだ!」

「簡単に言いますと、美咲さんが『年頃の娘なんだから学校に通ってみない?』と言われたので……」

「それですぐに行くといったのか?」

 灯真は額に手を当てて、また溜息をつく。

「ったく……。何やっているんだよ、母さん。どう考えても高校に通わしてはいけないだろ。いや、母さんは雪菜の正体に気づいていないから仕方ないが……」

 チラッと、雪菜を見る。

 改めて、彼女の制服姿を見るとどこも違和感いわかんがなく、むしろ似合っている。

 他の妖が、雪菜の姿を見たら驚くに違いない。

「とにかく、これからは灯真様の身の安全は保障されますし、私にとってもこちらの方がこそこそとしなくていいですから……」

 雪菜は、悪気もなく、笑顔で灯真の手を握ったその時だ。雪菜は何かの気配を感じ取った。扉の方をじっと見つめる。

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