冷たき来訪者Ⅶ

「どうだった? 人の食べ物というのも悪くないでしょ?」

「ああ、だから約束するよ」

 仰向けで覗き込む知世ともよを見た。

「これから先はあんたの契約者となってやるよ。まあ、用心棒ようじんぼうみたいなところだけどな……」

「あら、私はそんな風に恩を返さなくてもいいわよ。だったら、私の友達になってよ。どんな形とあれ、上とか下とか、差別をするのが私は嫌いなの。だから、あなたも私を友人のように接してくれると嬉しいわ」

 中腰になって、初めて会ったばかりの少女にそう言った。

 これが、灯真とうまの母・知世と雪菜ゆきなの出会いだった————


「本当にお前ら親子は、あやかしに優しすぎる。いつ、悪霊あくりょうになってもおかしくない妖と友達になろうなど、おかしな話だな……」

 灯真の顔を覗き込みながら、体を優しく抱いた。暖かい温もりは、冷たくも少しでも心を和らいであげようと必死になる雪菜。

 彼女ができることはただ、見守ることしかできない。人の怪我けがは妖には治せないのだ。

「馬鹿な子だ。今回はしっかりと主従の関係を結んでもらうぞ、灯真様……」

 耳元でそっとささやくと、雪菜はその場から姿を消した。

 いつの間にか大量に流れていた出血は止血しけつされており、傷も治り始めていた。

 外はが沈み、夜に出歩くのは厳しい状況になっていた。

 一階から誰かが階段を登ってくる。

 まだ、眠り続けている灯真は気づいていない。扉を開け、誰かが部屋の中へと入ってきた。おけに入ったお湯に、タオルが浸してある。

「あーあ、やっぱり怪我が治っちゃったか……。凄いわね、この子の霊力は……。まあ、私の術も成功していて良かったわ」

 そこには美咲の姿があった。彼女は、くらの中で封印ふういんされ続けていた妖を祓ってきたばかりである。元々、彼女も妖が見える体質であり、今まで灯真には隠し続けてきた。霊力は灯真ほど、高くはないが、自分に合ったスタイルで数々の悪の強い妖を祓ってきた事がある。

 美咲は、灯真の横に座り、お湯に濡れたタオルを絞るとそれを額に載せて、看病をした。

 それから丸二日間、灯真は年を通り越して布団の中で眠り続けていた。


 一月二日、正月三が日半ば————

 灯真はようやく目を覚ました。天井の明かりが眩しくて、二日ぶりに目に光を浴びるのは少々抵抗がある。

 起き上がって、周りを見渡すと誰もいない。外は暗く、時計を見ると午後七時を回っていた。

「なんで俺は生きているんだ? 思い出せない。二日間の間に一体何が……。たしか、横腹を貫かれて倒れたところまでは覚えているんだが……」

 毛布をどかして、来ている服を脱ぎだす。腹に巻かれている包帯をはがし、怪我を塞いでいる白い布を剥がして傷跡きずあとを見る。

 だが、怪我はすっかり治っており、傷一つもない体に修復されていた。

 あんな大怪我ですぐに治るわけじゃない。ましてや、死に至ってもおかしくないのだ。

「どうなっているんだよ……」

 科学的にあり得ない事態に、灯真とうまの頭の中は空回りしていた。

 すると、美咲みさきが丁度部屋に入ってきた。

「灯真、熱は下がった?」

「え?」

 灯真は、驚いていた。

「あんた、丸二日高熱で寝込んでいたのよ。発見した時は雪の上で倒れていたのよ。後五分遅れていたら凍死していたかもね」

 実際に目のあたりにしたあの事件とは裏腹に、自分が倒れていたことになっているらしい。

 灯真にとっては、都合がよく。その上、怪我のことなどバレずに済んだのだ。

 美咲は、灯真がなぜ雪の上で寝ていたのか疑問に思っていたらしく、それ以上は何も聞くことはなかった。

「そう言えば、あんた学校の冬課題は終わったの?」

「いや、後は英語と数学がちょっとだけど……」

「早く済ませて受験勉強をしなさいよ。と、言ってもその点に関してはある程度できるから大丈夫か」

 持ってきた湯呑ゆのみに暖かいお茶を入れて渡した。

「ありがとう」

 灯真はそれを受け取って、ゆっくりと口の中に入れていく。

「ん?」

 飲む最中、唇に何か軟らかいものが当たった。

 湯呑みの中を確かめてみると、暖かいお茶の中に赤い球体が入っている。よく見ると、しわの入った梅干しだ。

 昔から風邪などを引いた時に飲むといいと言われている。

 最後までお茶を飲みほすと、梅干しを中に入れて種だけを湯飲みに吐き、残りを口の中でしっかりと噛みしめる。梅干しの酸っぱさが伝わり、頭を抱えそうになった。

「酸っぱい!」

「ふふふ……」

 突然、美咲が笑う。

「なんだよ……」

「そこまで元気になったら、もう、心配する必要はないわね」

「心配かけてごめん……」

「いいのよ。子供は親に心配かけてなんぼよ。親は子がかわいいから心配で怒ったりするのよ。気を使わないのが親子というものでしょ」

 そして、皿にのせてある手で握ってきた白米の塩むすびを灯真に渡した。

「そうそう、明日、私たちも変えるからひと段落着いたら帰る準備を少しでもしておきなさいよ」

「何時頃?」

「朝の九時過ぎよ」

「ふーん。分かった。今日は風呂に入ってすぐに寝るよ」

 最後の米粒まで食べ終わると、ゆっくりと立ち上がろうとすると体がふらついた。

「おっと、危ない。大丈夫なの? まだ、歩くのは止した方がいいわよ。階段から落ちると危ないし……」

「いや、大丈夫。これくらい大したことはないよ。時間が経てば普通に歩けるようになるから、母さんは先に降りてていいよ。風呂には自分一人で行くから……」

「そう、無理はしない事よ。危ないと思ったらすぐにやめること。それだけは守ってちょうだい!」

 美咲はそう言って、持ってきた食器を片付けると部屋から出ていった。

 残された灯真は、自分のバッグから着替えの用意を始める。

 予定して持ってきた服のほとんどは使うことが無かった。二日間も服を着替えていなければ、体を洗っていない。少し、わきをかいでみると、汗臭い匂いが漂ってくる。

 鼻をつまみ、溜息をつく。

 下着と地味じみな寝間着を用意して部屋を出た。壁を手すり代わりにして、ゆっくりと階段を降りる。廊下を歩き、脱衣所にたどり着くと服を脱ぎ、シャンプーと用意されていたタオル、石鹸せっけんを持って扉を開いた。

 久しぶりに見た露天風呂は何も変わらずそこにあった。

「やっぱり居ないか……」

 何に期待していたのか。自分でも分からない。

 ここに来れば、また、彼女に会えるかもしれないと思ったのだろう。

 そんなのは自分の願望で期待ではなく、ただ会いたいだけ。

 会って礼を言いたいのだ。この前、自分がまだ言い残した言葉がたくさんある。

 裸のまま、蛇口を捻って熱いシャワーを頭から掛ける。流れるお湯が、頭から足の裏まで熱さが伝わってくる。

 シャンプー大量に取り出して髪から頭皮とうひにかけてしっかりと泡を立て始める。

 自分の指で優しく撫でながら体の汚れを洗う。

「灯真様、お背中を私が流してあげましょう」

 目の前に置いていたタオルが姿を消していた。

 背中には柔らかい温もりが伝わってくる。上から下に何度も繰り返しに擦られて心臓がドキドキする。

「もしかして、雪菜か?」

「だったらどうです? 何か問題でもありますか?」

「いや、だって……。その口調……おかしくないか?」

「おかしいとは? 私が優しい言葉を掛けたらダメですか?」

「ダメじゃないが……なんだか、調子が狂うとか、そんな感じがするんだけど……」

 淡々と今の状況をおかしいと思わずに二人は流れで話している。

「そうですか? 言いましたよね、今後は私が好きなようにしてもいいって……」

「言ってない、言ってない!」

「言いましたよ。だから、私はあなたの用心棒となりましょう。あなたが死ぬまで私がお傍で共にいましょう」

「それって、これから俺に取りくって事か?」

「はい! だから、私も連れて行ってください! いいですよね?」

 楽しそうに雪菜は話し出した。

「ダメだ、ダメだ! 俺は面倒ごとには巻き込まれたくないの! それに母さんに何と言えばいいのか、あ……」

 振り返ると、今にも間違いが起きそうな状況に気づいた。

 雪菜ゆきなは着物を着ておらず、ほぼ全裸の状態で灯真の背中を流していたのだ。そして、髪の色は黒く、人間の姿に化けている。

 同じ年頃の女子と一緒に風呂に入ったことが無く、体を見るのはこれが初めてだった。

 出る所はしっかりと出ており、白い肌と体の曲線が抜群的に合っている。

「お、お前、その姿……。って、なんで裸なんだよ! 服着ろ! 服!」

 すぐに振り返って、視覚から彼女の裸を見ないように消す。

「なるほど。人間の男というのは女性の裸を見て、そういう態度をとるのか。恥ずかしいなど、ないと思いますけどね……」

「おかしいのはお前だ! ああ、もう、俺は上がる!」

 シャンプーと石鹸を洗い流し、灯真とうまは露天風呂に入らずに脱衣所に向かおうとしていた。

 だが、雪菜は灯真の腕をしっかりと握り、逃がしはしない。

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