冷たき来訪者Ⅵ
自分でもなんですぐに分かったのか、未だに解明できていないが、一か八かのやるしか他がない。
「分かった。これが終わったら俺の全てを
「いいんだな。これが終わったら私の物になっても……」
「ああ、好きにしてくれ。終われば、契約も解除してやる」
「よかろう。良くて五分、悪くて四分だ」
「十分だ。場所は奥にある
「あの蔵だな。そうと決まれば、早く行け!」
雪菜は、氷の
急いで蔵の前に立ち、契約の
手が震え、文字が
雪の上で動き回ると、呼吸するのもつらく、体力を持っていかれる。妖はこんな気持ちにはならないのだろうか。
陣を描き終えると、両手をパンッ、と叩いて重ねた。そして、
「雪菜!」
と、彼女に合図を送る。
雪菜は頷き、敵の妖の足元と腕に分厚い氷の術を発動させ、動きを鈍らせる。
敵はもがき、抜け出そうと必死になる。
その間に、雪菜は灯真のいる方へと飛んでいき、陣の中へ納まる。
「覚悟はできおるな」
「ああ……。背を後ろにして上半身をチラッと脱いでくれ……」
「貴様、こんな状況で何をする気だ! 高貴な妖である私を恥ずかしめるつもりか!」
「違う、違う。契約を結ぶのには
そして、溜息をついて、悩んで、また、溜息をつく。
「これを書いた人間は、相当な奴だったんだな。」
そう言って、背を後ろにして灯真の前に立つ。上半身の心臓の所まで白い着物を脱ぎ、呼吸を整えだす。
「それじゃあ、行くぞ!」
雪菜は小さく頷く。
「我、
刻まれた一は光り、痣となる。
これで一通りの契約は終了した。成功したのか、失敗したのかともかく、疲れが根こそぎからゾッと出てきた。
「はぁ、はぁ、後は頼む……」
膝に手をつき、意識を保ちながら立つことしか気力が残っていなかった。
「ああ。貴様の
そう言っていると、やっと氷の重りから解放された悪の強い妖がこちらに向かってくる。
「消えろ! 小者が! 二度と私の前に現れるな! そして、死んでしまいな……」
雪菜は妖力の強い氷の技で全身を凍らせ、鋭い氷の刃で真っ二つに斬り刻んだ。
二つに割れた巨大な氷は、大きな音を立てて倒れる。中で斬られた妖は、姿形を現世に保つことができずに黒い光に包まれて消えていった。
後に残ったのは、妖力で作られた氷の塊。
灯真は扉に寄りかかって、横腹を押さえながらいきなり倒れてしまった。
地面に流れ出す大量の血、
扉の向こうから見たことのない右手に血がついている。
「ぐはっ……。やばい、視界が見えなくなってきやがった……。もしかして、今ので封印が解かれたのか……」
倒れながらも最後の気力を振り絞って怪我を負っているのにもかかわらず笑っている。
「すまない。俺……から……約束を……破って……。でも……」
そのまま灯真は気絶した。まだ、死んではいない。
「あーあ、これは見てられないねぇ。挙げ句の果てには油断してこんな大怪我ときたものだ。ここからは母親の私の専売特許だよ!」
「き、貴様は!」
気を失っている灯真の元に一人の女性が近寄ってきた。黒いコートを羽織り、腕には古いミサンガをつけている。黒いブーツは雪が中に入らないように履いているようだ。
灯真の前に立つと、しゃがみ込んで体を仰向けにする。
「それで、今回の主はどうだい、雪菜?」
「ええ、あの人と変わらない優しすぎる人ですよ。人の親子というのはこんなに似ているものなんですね」
「優しすぎるか……。確かにこの子、私の息子はどこかに心のブレーキを掛けているのかもしれないね。それが逆手に取られることもある。あの人とは違ってこの子は不器用なところがあるから……」
「
「そうか。それは良かった。じゃあ、私はそれなりの仕事を中で片付けてくるから……その子の
そう言って、美咲は眼鏡をかけると蔵の中へ姿を消した。
雪菜は、負傷した灯真を抱えて、その場から離脱し、灯真が泊っている部屋へと運んだ。
布団に寝かせ、息苦しそうにしている灯真を見て額に手を当てた。
「ま、この顔はこの顔で可愛らしい所があるけどな……」
優しい目をして、雪菜は知世と出会った日のことを少しばかし思い出していた————
二十四年前————
この日も雪の降る寒い季節だった。
当時十六歳、高校二年生の
「寒いわね。今年ももうすぐ終わりか……。来年になれば私も受験生なのね……」
高校のセーラー服の上に白いコートを羽織り、行きつけの和菓子屋で買った
長い階段を登り終えて後ろを振り返ると、山の
墓地には、昔からこの地に縁のある人たちが眠っている。知世の父親もそうだ。
彼女の父親・有馬伸介は病弱な体であり、六年前、四十六歳という若さでこの世を去った。生前は、小説家であり、
彼の墓は、左から三番目の前から四番目の場所にある。
墓地には誰もお参りに来ておらず、しんみりとしていた。
父親の墓前で座ると、袋の中身を開けて箱から中身を取り出す。
昔、伸介が良くこの饅頭を好きで食べていたことを思い出し、持ってきたのだ。
黒餡の入った饅頭を五つほど取り出し、供えられている
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
何かが聞こえてくる。
誰もいないはずなのに確かに声が聞こえてくる。女性の声だ。
耳を澄ませると、その声は近くから出ている。試しに墓の後ろをそっと覗き込んでみると、今にも死にそうな女がいた。
「ねぇ、人の子よ。何をお供えしているんだ?」
「饅頭よ。この墓には私のお父さんが眠っているの。もう、六年前の事だけどね……」
自分の父親の墓に背を預けて寄りかかって座っている少女に言った。
「人の子って、あなたも同じ人間でしょ?」
「さて、それはどうかな……。あなたにはそう見えているのかもしれないけど、それは違う。人には見えない妖という生き物だってこの世には存在するのよ」
「妖ね。確かに現代の日本においては私たちには怖がられる存在かもね。非科学的に現れる現象なんて、皆は否定したいものよ」
「じゃあ、そこにある食べ物を食べてもいい?」
「そうね。本当は仏様の物はすぐには食べていけないけど、
知世はみじめに思えてきて、彼女の腕を引っ張る。白い肌に体温の冷たさが伝わってくる。下を向いていてどんな表情をしているのか分からなかった。何かを失ったのか、それとも、ただお腹が空いているだけなのか。そんな事を思っていた。
知世に言われるまま、手を合わせ続ける。
一分ほど手を合わせた後、いきなり饅頭と焼酎を飲み食べ始めた。むしゃくしゃに食べながら一気にコップに入った焼酎を飲む。
普通だったら罰の一つでも当たってもおかしくないのだが、知世は微笑んでそれを面白そうに見つめていた。
「おいしい?」
「……………………」
一言も言わずに最後まで食べ続ける。
最後の一口を口の中に入れ、のどを通して胃の中へと流れていく。
もう一度、手を合わせるといきなり倒れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます