冷たき来訪者Ⅳ

 昼食も抜いていたせいか、お腹が空いた。

 美咲みさき和恵かずえもこの時間帯から段々忙しくなっていく。迷惑をかけるわけにはいかない。

 持ってきた財布の金額を確認すると、丁度、三千円と電子マネーしか入っていなかった。一階の方では、掃除機の音が響き渡っている。「温泉にでも行って来る」と言っておけば、何とかごまかせるだろうと思った。バックの中に入れておいた、ショルダーバッグに二冊の本と書物を入れ、呪符じゅふ、小さな瓶、財布を入れた後、コートを羽織って街の方まで歩いて行った。

 歩くたびに足が雪の中に少しずつ埋まっていく感触が伝わってくる。

 これでは車が移動できるかどうかも怪しい。早く除雪車じょせつしゃが来て欲しいものだ。

 街の方に出ると、門松かどまつや雪だるま、かまくらがあちらこちらにあるのが見えた。

 公園では地元の男子中学生たちが雪の壁を作り、雪合戦をしていた。この寒い冬空の下、外で遊ぶ子供たちは、そこまで珍しくもない。信号機は作動していなく、中央に警察官が台に立って行き交う車の誘導をしていた。

 灯真は、白い息を吐きながら毎年ここに来たら訪れる温泉へ向かう道を歩いていた。

 歩道を歩いていき、しばらくすると整備されていない道に入っていく。

 道端には折れた木の枝や石が転がっている。向かう先には鳥居が見えてきた。

 近づいていくと、誰かが階段で座っている。遠くからは、男か女なのかは判断しにくいが、誰かがそこで座っている。

「ん? 誰だろう……」

 鳥居の前で立ち止まると、そこには可愛らしい少女が座っていた。

 例えるなら雪の中で力強く生き抜いて咲いている一輪の花のような感じだ。黒髪ロングに水色の瞳、地元の学生服を着て、首にはマフラーを巻いていた。

 今まであった人との中で雰囲気が違っていた。

 目が合うと、灯真は目を逸らしてそのまま階段を上ろうとした。

「あなた、ここの地元の人? それにしては寒そうな表情をしているわね」

 と、少女が話しかけてきた。

「いや、母親の実家がここだから帰郷ききょうしただけだけど……」

「へぇー。じゃあ、この神社に何のようなの? よっぽどのない限りこの神社に近づこうとする人はいないわよ」

「なんで? ここは神様をまつっている場所だろ?」

 灯真は足を止めて、少女の目を見て問う。

「そう、ここは昔、ここの山の神様を祀っていたところなの。でも、時代の流れでその信仰心は薄れていった。信仰心しんこうしんが無くなったらその神様はどうなると思う?」

「他の地に移動するか、そのままその地で終わりを迎えるのを待つ。この二択か?」

「後者は、大体あっているわ。信仰心が無くなった神は、その自我を保つことが出来ずに消えていく。でも、ある例外では穢れに陥って悪の強い妖になるっていう噂があるの」

 少女は不敵な笑みを見せてそう言った。

 彼女は、どこまでそれを知っているのか。その話が本当なのか。灯真は、半信半疑で聞いていた。

「それは本当なのか? それに君は妖怪が見えるのかい?」

「いいえ。私には見えないわ。これはある人から聞いた噂話よ。ま、それを信じるかどうかはあなた次第だけど……」

「あ、そう。それでも俺には関係のない事だ。お参りはさせてもらうよ」

「やめておいた方がいいよ。……そうだね、私も暇だからついて行くとしましょうか」

 少女は頭に積もった少量の雪を払い除けて、ゆっくりと立ち上がった。

「いや、俺に付き合う必要なんてないよ。それにお参りが済んだらすぐに行く場所があるんだけど……」

「だったら最後まで付き合う。いいでしょ。大晦日おおみそかで何もやることが無いから昼間からこうして時間が過ぎるのを待っているんでしょ?」

「い、いや、だから……」

「はい、もう決まり。じゃ、行こうか」

 少女は楽しそうにしながら階段を登っていく。

 灯真とうまは、溜息をつきながら彼女の後をついて行く。

 空には雪雲が西の空から見え始めた。今夜もまた、降りそうな予感がした。

 階段を登り終えると、参道のそばにある身を清める場所の手水舎で手を洗う。水が冷たく、しもやけ症状になりそうだ。少女は平然と手を洗っていた。

 小さな拝殿の前で賽銭箱に財布から出した五十円玉を入れ、手を合わせて願い事を唱えた。

 彼女も隣に立って一緒に手を合わせる。

 何を願っているのだろうか。さっきまでこの神社の事をあまりいいとは思っていなかったはずだ。でも、お参りするときはしっかりとするらしい。

「それじゃ、次に行くとするか……」

「どこに行くの?」

「本屋に行ってから温泉に行き、そして、家に帰る予定だが……」

「温泉……」

「どうかしたか?」

「あ、いや……。何でもないよ。ほら、この地域での本屋といったらあそこに見える本屋のことでしょ?」

 少女は慌てて指をさして言った。

「そこじゃなくて、近場の本専門の場所があるんだが……。あ、そう言えばまだ、君の名前を訊いていなかったんだが……」

「私は雪菜ゆきな。雪の雪に野菜の菜よ」

「俺は有馬灯真。灯の灯に真実の真で灯真と呼ぶ。珍しい読み方だろ?」

「へぇー、そうなんだ。ま、知っているけど……」

 最後、何を言ったのかよく聞こえなかった。クスクスと彼女は笑いながら一緒に階段を降り、本屋に向かって歩き出す。

 灯真は、未だに不思議な少女だとしか思っていなかった。何を考えているのか分からない。それに自分の感は、仲良くしてはいけないと頭の中で思っていた。

 会話をしながら本屋にたどり着くと、店内に明かりは無く、扉に紙が貼ってあった。今日から五日までこの店は休みだというのだ。

 仕方なく、本を買うのは諦めて次の温泉に向かった。

 温泉の無料券は三枚。食事券付きというのがなんともお得感がある感じがする。赤字にはならないかと心配してしまう。

「個々の温泉って半額でご飯が食べられるんだ……なんでそんな所までするんだろう?」

「人に来てもらうためだろ。人は特典や安売りに対しては敏感な生き物だからそれに反応して来てしまうんだろうさ」

「愚かな生き物だな、人というものは……」

 雪菜は呆れているのか、悲しそうな目をしていた。

 こうして二人で雪の街を歩いていると、昔たまたま見ていた韓国ドラマのあの撮影現場に入り込んだかのようだ。

 ショルダーバッグの中に入れてある荷物から不穏な空気を読み取った。

「そのバッグの中に何か入っているの? もしかして、見せたくない物とか入っていたりして」

「入っていない、入っていない。普通に貴重品ばかりで本当に何も入っていないよ」

 灯真は、慌てて否定する。

「今、目を逸らしたでしょ。怪しいわね。本当に何もないの?」

「ああ、何も入っていない。ほら、それよりも温泉についたぞ」

 雪菜の強引な問いから逃げるように、灯真は話を変えた。

 目の前には温泉の看板が見える。名前は『温泉・雪の湯』と言うらしい。なんと寒そうな店の名前なんだと思った。

 敷地内に入ると、扉を開け、店の中へと入っていく。靴を脱ぎ、ロッカーにしまうと受付へと足を運んだ。

 店内は非常に明るく、人が大勢集まっていた。

「え、こんなに人いるの?」

「これはうまそうな血がいっぱいいるわね……」

 雪菜はよだれを垂らしながら不敵な笑みを浮かばせ、そう言った。

「何か言ったか?」

「いや、何も……」

 灯真は、何も疑いなく受付でチケットを見せると、係りの人がそれを確かめ食事券を出し、いよいよ温泉への入浴許可が下りた。

 浴衣ゆかたを着た客がほとんどを占めており、今日一泊して明日帰るのだろう。

 長い廊下で行き交う人と軽く会釈をしながら男湯と女湯の手前で二人は立ち止まった。

「それじゃ、俺はこっちだから上がったらさっき受付の前にあった大広間で待ち合わせ場所ということで……」

「あ、はい……」

 雪菜は小さく頷き、それぞれ暖簾をくぐって中へと入っていった。


 数分後————

 女湯の扉を開けて、そこから雪菜がすぐに姿を現した。

「さて、芝居しばいをするのも疲れてきたな。人の子もこの姿にはそこまで疑っていなかったようだし、最後までからかっていたかったのだが、あの袋からには人の霊力が完治できた。一応、調べる価値はある」

 雪菜は自分の姿を消し、本来の姿に戻った。白い着物に水色のマフラー、薄水色の髪、水色の瞳の姿。彼女は昨夜、灯真の露天風呂に現れ、今朝、部屋に現れたあやかしだった。この姿だと普通の人間には、彼女の姿を見ることが出来ない。

 彼女の正体が何なのかは誰も知らず、そのまま雪菜と呼ぶ妖は男湯に入ると、灯真の姿が脱衣所にいないことを確認し、一からロッカーを調べるのもいいが、さっきの霊力を辿り、ロッカーを調べ当て、三十八番の場所にその霊力が残っていた。

 彼女の妖力だったらこんな鍵穴など解除するのに手間は省けない。

 すぐに中のバッグを取り出して、中身を調べ始める。

『こ、これは……。なるほど、人の子はこんな代物を持っていたのか。それは慌てるはずだ。だが、今のあ奴では、こんな難易度の高い術は使うことは出来ないだろう』

 ふっ、と笑い、そのまま中身は取らずにバッグを元の場所に戻したその時————

「やばい、やばい。タオル忘れた!」

 灯真が脱衣所にタオルを取りに来たのだ。

 思いもよらぬ出来事に雪菜は、慌ててその場から離れた。

 急いでいたせいでバッグのチャックがうまく閉まらず、開いた状態のまま戻してしまった。

「あれ? なんでバッグが開いているんだ? 確か、しっかりと閉めたはずなんだが……。妙だな。————ん? そこにいるの誰だ!」

 灯真は、強い妖力を感じた。彼自身の霊力が強いせいなのか雪菜の妖力ようりょくと共鳴し合って、感じられてしまったのだ。

 彼女は物陰ものかげに身を潜めて、出口まで灯真に見つからないように移動した。

「気のせいか……。あ……」

 周囲が灯真を不思議そうに見ていた。いきなり叫び出して、訳の分からない事を言いだした事におかしな少年だと思ったのだろう。

 灯真は顔を赤らめ、そのまま入浴しに中へ入っていった。

 焦っていた雪菜は、落ち着きを取り戻すと男湯を後にした。

 ヒトの死角となる場所まで歩いていき、そこで人の姿に戻った。

「いやいや、私の妖力がまさかあんな事で感じられるとは……これは私の妖力も弱くなってきたということかな。早く、力を取り戻さないと……」

 雪菜は、そのまま待ち合わせの場所へ歩いて行った。


 灯真が男湯から出てきたのは、それから約三十分後のことだった。

「いやー、ここの温泉は最高だよ。露天風呂からの景色もいいし、肌に伝わる原水の気持ちも良かったからな」

 そう言って、濡れた髪をここで借りたタオルで乾かしながら上がってきた。

 何の疑いもなく雪菜と話をする。

 彼女は何も言わずにただ座ったまま灯真を見上げた。

「さて、食堂にでも行こうか。今が空いているらしいよ」

 雪菜を連れて前を歩き出した灯真の後姿を見て、

「なぜ、そこまで私に優しくする……」

「うーん、なんとなくだよ。それだけじゃダメかな?」

「ふん。好きにするがいい。馬鹿者め……」

 雪菜は照れ隠しし、そっぽ向いた。

 この温泉宿の食堂は、いろんなメニューがあり、何を食べるのかを考えるのに一苦労だ。

 灯真は地元のおすすめメニューを選択し、雪菜は海鮮かいせんパスタを選択した。

 食事が来るのを店員に決められた席でしばし待った。

「あん、雪菜はこれからどうするんだ?」

「これからって?」

「これからって言ったら俺と別れた後のことだよ」

「ああ、まあ、一応、家に帰ろうと思ってはいるけど……。それにしても君の場合は、帰りたくなさそうな表情をしているわね。理由でもあるのかしら?」

 雪菜は、少しずつ話術わじゅつを組み入れながら灯真の事情を解き明かそうと小細工こざいくしかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る