冷たき来訪者Ⅲ

「何かが入っているのか?」

 手を伸ばしてそのつぼを触ろうとするが、壷を貫通して触ることが出来ない。

 今の自分は、人には見えない霊体に近い存在である。そもそも自分の夢なのだから触ることなんてできるはずがない。

「触れないのか……」

 振り返って中央で何かをしている人物を物陰に隠れて観察をする。

 体の大きさからすると男性のようだ。じんは白チョークで描いているのが分かった。見たことのない陣だ。

 男は、描き終えると古い書物を近くになる棚に置き、懐から封印しているのであろうビンを陣の中央に置くと、陣の外に出て手を合わせた。

「我、示すものは血となり肉となり。我の思いに応え、我を助けよ。我が名は……」

 男が術を唱えだすと陣が光り始め、物凄い霊力がビンビン伝わってくる。

 これはおそらく契約の一つなのだろうか。

 何も知らない灯真とうまは、一部始終まばたきを忘れるほどその瞬間を見ていた。

 吹き荒れる風、光の柱が天井まで上っていき、男はそのまま術を唱え終えると、自分の左親指を噛み、皮膚から血を出すと、陣に二、三滴こぼす。

 たぶん、あれはこの術に必要な生贄なのだろう。

 何かを得るには、何かを失わなければならない。昔、読んだ本に書いてあった。等価交換とうかこうかんと同じ原理だ。

 しかし、本当に恐ろしかったのはこの後だった。

 あまり、記憶に覚えていないが封印された壷から黒い物体の悪の強いあやかしが飛び出してきた。

 その後、男がどうなったのかは分からない。白い光に包まれ、灯真は、起き上がった。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………。今のは一体…………」

 顔を右手で覆いながら息を切らす。部屋の電気は明るく、テレビは何も放映されていなかった。

 時刻は夜中の二時半。窓の外は真っ暗で何も見えない。

 呼吸をゆっくりと整えながら自分の思考回路を整理していく。

 落ち着くのにそう時間は掛からなかった。

「なんで、あんな夢を……。もし、あれが本当にあったとするならば今もあの妖怪たちは蔵の中で生きている————」

 そう思うと居ても立っても居られない。

 だが、外は吹雪ふぶき。夜の外は危ない。確認をしに行くとするならば明け方だ。

 とりあえず一度トイレを済ませ、明かりのない廊下を往復して、部屋に戻り、部屋の電気を夕方にすると、布団の中に入り眠りなおした。

 それからは何も起こらずに朝を迎えるまでぐっすりと眠ることが出来た。


     ×     ×     ×


 大晦日おおみそか本番————

 朝はやけに寒かった。窓の外を見ると雪一色の景色が広がっていた。雑木林の中には、鹿や白うさぎが隠れているのが見えた。

 昨日の吹雪で、十センチほどまた高くなったようだ。

 窓を開けると、冷たい空気が部屋の中へ入ってくる。閉めようと思ったが、二酸化炭素が充満したこの部屋で過ごすのには息苦しい。それに空気の入れ替えに目を覚ますという一石二鳥の考えだ。

 時計を確認すると、六時四十五を過ぎていた。

 いつもだったらこの時間よりも前に起きて、朝の全国ニュースを見ているのが日課なのだが、気温が低いせいなのか、起きるのが遅れたらしい。

 冷たい手でテレビのリモコンを持ち、電源を入れるとチャンネルを変えて、いつもの番組に設定した。この時間はスポーツニュースの特集を三十分間している。朝食の時間になるまで、外から入ってくる冷たい風に当てられながら、ぼーっと見ていた。

 あの蔵には、どんな妖怪が封印ふういんされているのだろうか。

 もし、その封印が年月によって解かれたとするならば、この家も危ないのかもしれない。

 そう考えているうちに、早く、あの蔵について調べたくなった。

 自分にできることがあるのならば、やりたい。人と妖怪が、なんで争うようになったのか、あそこに行けば、ヒントを得られるのかもしれない。

 いろんなことが頭の中を過ると、誰かが扉をノックした。

 防寒着を着た美咲みさきが部屋に入ってきた。

「灯真、朝ご飯よ。早く降りて来な……さむっ! あんた、朝からよくなどを開けていられるわね。何かあった?」

「いや、何も……。それよりも朝ご飯、もう出来たんだ」

「そうだった、そうだった。忘れるところだったわ。私、先に降りてくるからすぐに下りて来なさいよ」

 そう言って先に階段を下りて行った。

「それじゃあ、俺も行くか……」

 膝に手を置いて、ゆっくりと立ち上がると窓を開けたまま部屋を後にした。

 誰もいなくなった部屋の中にいきなり少女が姿を現した。

「なんじゃ、人間の住まいというのはこんな小さな部屋に住んでおるのか? ちっぽけな生き物だな……。それにしてもあの少年、顔色が悪かったな。これは好都合……私に食べられるのを恐れておるのだな」

 少女は、一人笑いをして何か企んでいるようだった。

 彼女は昨日、灯真とうまを襲おうとした妖怪だ。白い着物を着た少女の妖怪。人間の年齢で例えるなら、十四、五歳といったところだ。

 少女は、そのまま辺りを見渡し、灯真が寝ていた布団にそっと左手を置いた。

 目をつぶり、残った霊力を辿って何かを調べている。

 暗い、暗い道の先に何が見えるのだろう。知れば知るほど、真実とは残酷なものである。

「んっ!」

 目をパッと開き、左手をすぐに話すと険しい顔をしたまま少女は窓から外へ出て行った。

「なんだ、あの妖気は……。身に覚えのない強力な……。この山にまだそんな奴がいるとでも?」

 そのまま空高くまで飛び、辺りを見渡す。

「うむ。これじゃあ、何も分からない……。あの人の子を喰うのを少しばかり延ばすとしよう。あの者、何か知っておるようじゃしな」

 そう言うと、少女は姿を暗ませた。


 大晦日の朝の朝食は、何も変わらず白米に目玉焼き、ウインナーと味噌汁のみだ。

 何もしゃべらずに黙々と食べ終えると、手を合わせ、使った食器を水に浸けておく。

「おばあちゃん、蔵の鍵ってある?」

「おや、灯真から蔵について訊かれるとは思わなかったよ。それであそこで何をするつもりだい?」

「大晦日の大掃除だよ……」

「そうかい。だったら持っていきな。そこの棚の上に置いてあるのが蔵の鍵だよ」

「ありがとう、おばあちゃん。借りていくよ」

 灯真は、鍵を握るとそのまま二階に上がっていった。

「ちょっと、お母さん。あそこは決して開けてはならない蔵じゃ……」

 美咲は、手を止めて心配そうに和恵を見つめた。

 和恵かずえは、何事もなかったかのようにそのまま味噌汁を飲む。

「美咲、あの子はいいんだよ。他の親戚とは違うところがあると私は思っている。あそこはあの子にとって、これから先の人生を変えるのかもしれない。知世ともよもそう言っていただろ?」

「お母さん、知世のことは灯真には話してないよね?」

「ああ、あの子の写真や遺品は全て私の部屋の押し入れの奥にしまってある。灯真に真実を話したくないのは分かっているが……。美咲、時が来たら分かっておるな?」

「ええ、あの子にはあの子自信が知りたくなったときに話すわよ」

 美咲は、少し悲しい顔をしていた。

 彼と話に出てきた知世という名には何の関係があるのだろうか。

 年の終わりの日の朝、不穏な空気を漂わせながら長い一日が始まろうとしていた。


     ×     ×     ×


 鍵をもらった灯真は、すぐに着替えてコートを羽織ると、例のくらの前に立っていた。

「…………」

 灯真は、蔵を見上げたまま改めてその大きさに驚いていた。古い建物なのに倒壊する気配など全く感じられない。

 コートのポケットから鍵を取り出すと、鍵穴に通し、解除する。

 扉の片方だけをゆっくりと力強く前へと押した。中は明かりが無く外から漏れる光が反射して、少しばかし見えるだけ。持ってきた懐中電灯かいちゅうでんとうを点けて、中の様子を確認する。

 ホコリのかぶった箱が多く、夢で見た壷には動く気配がない。周りには変な妖はいないようだ。

 恐る恐る中に入り、夢の中で見た古い本を探し始める。

 床には消えかけてホコリかぶっている陣がそのまま残されていた。

 箱の中身を調べながらふだが貼ってあるものには触れないように気を付ける。箱の中には、使われていない札や何かお祓いをするのに使うような道具ばかりが入っていた。休憩なしに一時間ほど探し、一番奥に置いてある小さな木箱にその本ともう一つ見たことのない書物が置いてあった。

 それを中央に持っていき、そのままにしてから外の空気を吸いに一息休憩を入れる。

「あれは一体何が書いてあるんだろう? それにしても外は寒いな……。蔵の中に入ろう」

 大きなくしゃみをして、灯真はもう一度、蔵の中へ入った。

 近くの木箱の表面に付着しているホコリを払い落し、古い本と書物を持って腰を掛けた。

 まず、一ページ目をめくる。そこには誰かの思いが書かれていた。

「この本を次に見る者に告げる。この本を見た者は、霊力のあり、妖の視ることのできる者だと思う。私は……」


『私は、有馬家五代目当主有馬啓二ありまけいじ。この本は、呪術じゅじゅつ、占い、契約のなどが記してある。決して他の者には見せてはならない。ここには共に禁術きんじゅつの仕方が記されている。最後に、私は妖と人は分かり合えるものだと思っていなかったのかもしれない。私には式が三人いるが、それはただ契約で結ばれた仮の繋がり、これを読む君は、どう思っているのかは知らないが、もし、迷っているのであれば迷い続けるといい。迷い続ける先にきっと何かが見えてくるだろう。妖を見えることとは人と少し違うが、それは将来何かに繋がっていると私はそう思っている』


 書きつづられた言葉を一語一句読み終えると、灯真はそっと閉じた。

 これはあまりにも自分には扱えるものではないと思ったのだ。

 もう一つの書物は、まだ新しい雰囲気があり、やはりそれも同じ内容が書かれてあったが、字は女性が書いたように思えた。自分よりも前に誰かがこの本を見て書いたのかもしれない。

 だったらなんで、こんな所に隠されていたのだろう。

「ここに記されている術って俺には重たすぎるな……。でも、あの妖怪だけはどうにかしないと……」

 灯真は、悩みに悩んだ。

 この本を所有するか、しないか。自分の命の選択も同じだった。

 すると、蔵の隅から物音が聞こえた。そして、何か言っている。

『ダセ……。ココカラ私ヲダセ……』

 それは聞き覚えのない声だった。妖力も高く、危険だとすぐに分かった。

 薄暗い霧が、少しずつ溢れ出ている。

 もしかすると、封印ふういんされていた妖が現代に復活する前触れなのかもしれない。

 この蔵は強力な結界けっかいが張ってある。呪符じゅふを剥がさない限り、暴れることは出来ない。

「ちっ……。ここは一旦離れた方が良さそうだな」

 灯真は、本と書物、箱に入っていた呪符をすべて持って蔵の外に出た。そのまま扉を閉め、施錠せじょうをしっかりとした後、地べたに座り込んだ。

 冷たい雪が尻からじわじわ伝わってくるのが分かる。

 蔵から持ってきたものはこれだけで、呼吸が正常に戻るまでそこに座っていた。


 蔵から部屋に戻ると、灯真は決心して自分にできることが無いか古い本の中から封印の術や妖祓いについて夢中になって調べた。

 妖力の強い妖に対しての術、陣など読み続けるがさっぱり分からない。

 だが、あやかしを式にする儀式ぎしきはなぜかすぐに分かった。

 書かれている文字は何十年、何百年以上に書かれたものであり解読するのにも一苦労である。

 だが、この儀式は書物の方で書かれたものであり、文字が次から次へと浮かび上がってくる。そこから見開き六ページはすぐに理解することが出来た。

「ふぅ……。頭が痛いな。それにしてもこの難しい文字は専門の誰かに依頼するしかなさそうだけど……。いや、これは見せたらそれこそやばいかもしれないな」

 集中していたせいなのか、いつの間にか太陽が西に傾き始めていた。

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