~昂の疫売屋~


「おっほほほほほ」


 男はわらっていた。

 自身の体を響き渡った、心地のい重い音に心をおどらされて。

 現在の仕事の後始末をしてしまおう、と腰を上げたところだった。

 ベストタイミング。

 ねらって行動に移せる状況ではない。それが、これからそうとすることを詳細に構想したところで、欲していた偶然が自身の味方をしたのだ。男は驚喜きょうきに震えるしかなかった。


「んっふ……おっほほほほ。のんンっびりと絶頂している場合でンはありまっせンねぇ」


 ここは城北中央じょうほくちゅうおう公園ミモザ広場。今しがたカジュアルスーツの全身をむしばんだ重音の元は、隣の石神井しゃくじい川を挟んだ向こう側の城北公園の方といったところだろう。

 すぐにでも近場の魔法少女まほうしょうじょたちが出向いてくるはずだ。悠長に構えている時間はない。セールスマンをイメージさせる男は背筋を伸ばし、手に持っていたコンビニのカップコーヒーの残り半分全てを、大口へ垂らし込む。口内とのどを余すところなく火傷やけどした。


「……。さぁってまいりまっすかぁ」


 位置情報の共有を切っている自身のタブレット端末たんまつには音沙汰ないが、遠くで緊急警報の発令を伝える着信音が早くもいくつか鳴っている。

 園内のゴミ箱にペーパーカップを放り込み、続く足で練馬ねりま区のいちマンションへ急行する。

 そこでまたも、ベストタイミングが男を待ち受けていた。

 五分とせずに辿り着いたマンションの共用廊下。開いたエレベーターのドアの先では、目的の少年が姉のような女をかばうように玄関ドアにもたれかかり、くだんの男らしき青年は廊下に倒れ込んで、さらにはこのような所にはいないはずの魔法少女までもがそろみだったのだ。

 ここへ向かう道すがら散見した魔法少女たちの動向からかんがみるに、どうやら別の場所でも大きな『影』の出没があったようだ。そこから推察できるのは、少年たちを背に立っている彼女は少年の関係者の魔法少女であるということ。加えて、ここまでの道中で目にした探偵たんていとそれに引っ付く例の姉妹。

 好都合に僥倖ぎょうこうかさなりに重なっている。

 芳醇ほうじゅんな不幸に嫌となるほどのスパイス。

 偶然などという陳腐ちんぷなものなどではない。

 まさに神は、天は我に味方した。


「おっほっほっほっほ――。おーーっほっほほほほほほほンぉっほっほぉお!!!」


 視線が集まる。

 だが目の前の少年少女と青年美女から浴びせられる注目など、男のえられぬ欣快きんかいからすれば、些末な刺激だった。自身をこのフロアまで運んだエレベーターから、男は夢見ゆめみ心地でタイル床へ足を下ろす。興奮に身をよじり、目の前の『不幸』を堪能しながら少年たちの元へと進む。


「あああぁぁぁ。イイぃ、お不幸ふこうでっすンねぇええ……」

「なんっだ、このキショイおっさんは」


 ぱから、ぱから、と鳴らす革靴を青年の頭の近くで止め、男はえりの上に結ばれたネクタイを上機嫌で整える。

 フロアに現れてからの一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくや口調を一貫して無表情の真顔まがおで行う男に対し、誰もが同じに抱く感想を表す青年。男はかがみ、青年の顔へ整えたネクタイを垂らし指す。


「おっっほほほほ。ああぁ、あなった、いいィ臭いをまとっていらっしゃいまっすンねぇ」

「に、におい……?」

「えぇえ、ここンへまいるまでに一応いちおう目っにしておいた『影』とンおおなっじかぐわしい臭いをしていらっしゃいます。ありがとうごンざいまあす。あっなたでしょう、『あれ』をお作りなさったンのは」

「んなんっ……そうだけど、なんでそれを――」

「ンおっほほほほ、今っ私はほざいたでしょう。同じにンおいがする、と。何かしンらの生存せいぞん本能ほんのうに訴えかけっる強いストレっスを与え続ければ、『影』になーることもなーくはなーいですからねンンぇ。まあー今の時世に、わざわっざそれをなさる理由などしったこっちゃねぇっですっが、ふふっ。分かりますよぉ、不幸には、ンびんかんンですから。私」


 ハイテンション。

 無駄にハイテンション。初めからずっと、変わらない無表情に周囲が困惑する中、唯一ゆいいつ男を知る少年は、男の不気味をとおした異様な高さのテンションへの嫌悪を込めて、その名を口にする。


「……不幸ふこう

「不幸……屋さん?」


 色の少女の疑問へ、少年の代わりに男、不幸屋は答える。


「えぇえ。私は押売おしうりこうンをあきなうさすらいの、ス・テ・キっな不幸屋さンんでっす。幸せで不幸ふしあわせなお嬢っさん」


 真正面ましょうめんから不幸屋の言葉を受けた色の少女は、小さく身震いをした。不幸屋と初めて対面した人間は、誰しもが同じ反応するから面白い。

 過去、同じように不幸屋の前で小さく身震いして見せてくれた少年、かつての顧客だった少年は、ける。


「いまさら、何をしに来たんだ」


 ここへきて、男は立ち上がった。


「ナニって……それはあなたンの不幸を買いっ取りにンでっすよ」


 表情と呼べる顔面の変化を見せて。

 不幸屋が新しい顧客とする少年へと向ける目を、細める。


「あなたンが不幸をおっ買いなさったほんとうの理由の少女たちンへ、りするために」


 とても楽しそうに目だけを細めていた。


「おっほほっ」

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