3 ~淡の桃少女~


音子ネコちゃん……!」


 空気をつたって身体や地面全体を揺るがすようにうなり渡った衝撃の重音じゅうおんに全身をキツく硬直させられた私は、自身の助手の名前を曲がり呼んだ女子じょし高生こうせい探偵たんていの、抑制された叫び声でようやくこの現実を認識した。

 衝撃が起きる直前、地震などが起きる前に動物たちが見せる動揺を彷彿ほうふつとさせるほどの俊敏しゅんびんさで何かに振り向いた助手の少女は、女子高生探偵の呼びかけに「はい……」とだけ短く答える。

 そして、画面に向かって折りたためる付属キーボードが付いた、クラシックタイプの携帯端末を手に隣に立つ女子高生探偵へ、続けて彼女はまた短く付け足す。


「ディザイアー、です」


 ディザイアー。

 その名前を耳にした瞬間、これまでも強く打ち付けていたのであろう私の胸の早鐘はやがねは、遠望なものではなく、より確かに感じるものとなった。

 しかし、あの影の化け物が起こしたにしては、今の衝撃はあまりにも《不自然すぎる》。

 なんというのか、物理的に世界をおびやかすようなものではなく、感覚的に命を揺さ振るような不気味さだったのだ。今までの、東京とうきょう暗転ブラックアウト事件じけん灯成先輩と共に下校していた時目の前で犬がディザイアー化したときなどとは違う、異質な感覚。

 なのになぜか、助手少女・音子おとこさんの答えた化け物の存在は、私の中で得心とくしんがいくものだった。

 

 一年前の、私とあきらから母さんを奪った怪物と、気配が同じなのだ。

 強い緊張から解放されたばかりの左腕が無意識にふるえる。それを右手で押さえつける。

 恐怖なのか怒りなのかは分からない。いや、恐らくは恐怖の方だ。あの化け物共が現れた時は、いつも涙がき、気を失う。


「あ、あれ?! トモナーは!?」


 自分が曖昧になりそうになる意識。

 そこへ、先ほどとは違うたぐいの、女子高生探偵ミサキの緊張した声が私を遠ざけかけた現実に引き戻す。

 改めて覚めた視界でミサキの台詞せりふの意を探ると、今の今まですぎ先輩のそばに居たはずのおちゃらけた先輩のあかみがかった茶髪ちゃぱつが見当たらない。

 普段から落着きが無いとはいえ、この数秒の間にどこへ消えたというのか。


「う、うぅ~ん。まああの子は一応いちおーいっぱしの国家魔法少女国まほだし、いったんスルーしても良き……か?」


 ミサキも辺りを見回し灯成ともな先輩の姿を見つけられなかったのか、うっすらと苦い表情で頭をガシガシとく。


「とりあえず、あーしはマホカンに連絡して状況を確認するからちみっこたちは早く避難しろし!」

「ミサキさん、それは私用の携帯では」

「え。あーっ、ほんとだガラケーじゃん!」


 私たちの方へ振り向き、近くの避難所指定されているのであろう施設の方向をゆび差すミサキだが、画面がわはしを耳に当てていたクラシックタイプの携帯端末を慌てた様子でスカートの右ポケットにしまうと、逆のポケットからハンドサイズのタブレット端末を取り出す。


「と、とりあえず行くっしょ音子ネコちゃん!」

「えっ。ちょ……は、はい! すみません。私たちはこれで、失礼します。じきに、緊急警報きんきゅうけいほうが発令されると思うので、皆さんも早く避難して下さい」


 普段はスローペースな話し方の音子おとこさんも、今回ばかりはやや早口(それでも一般的な速さのうちだが)でそう言い残すと、端末を片手に衝撃が飛んで来た方へ向かうミサキを追いかけて走って行ってしまった。

 さしもの女子高生探偵でも、こうも不測の事態が重なれば分かりやすく動転するらしい。大山おおやま姉妹が彼女の言う魔法少女とやらではなかった時点で、だいぶ取り乱していたようにも見えたが。

 そして彼女たちが去るのと同時に、私たちの携帯端末が、緊急警報の知らせをうるさく届ける。

 ともかくとして、残された私たちは何ができるというわけでもなく、とりあえず音子おとこさんの指示の通りに行動を起こすほかない。


「あ、あれ? 双子たちもいない――」


 混乱にバタついていたミサキのおかげで逆に冷静さを幾分いくぶんか取り戻し、避難経路を頭の中で組むために辺りを確認しようとした時、灯成ともな先輩でも探していたのであろうすぎ先輩が、私の背後を見て視線を素早く左右させた。

 私も慌てて振り向くが、先程さきほどまで私の背中にくっついていた灰頭はいかぶりの双子の姿はそこにはなく、反射的に探偵を頼り、彼女たちが走り去った先へ視線を戻す。

 すぎ先輩も似たようなことを考えたのか、私は先輩と同時にそれを見た。


「ってあー! あの子たち。ミサキさんたちを追いかけて! ……どうして?」

「っ……! 仕方がありません、私たちも追いましょう……!」

「う、うん!」


 あの姉妹が何を考えているのかは分からないが、連れ戻すにせよ一人ではどうしようもない。

 双子が追いかける、恐らくかげの化け物の元へ行ったのであろう探偵たちの方へ行くのは、正直かなり気が引ける。しかし、あきら級友ともだちである彼女たちを置いて避難できるほど、私は臆病おくびょうではない……はずだ。

 恐い。けれどもそれを押し殺して、今にも折れそうな足をすぎ先輩に合わせて私は双子たち、そして女子高生探偵を追いかけた。




 避難を行う人が次第に増えていく城北公園どおりを抜けて、たどり着いた城北中央じょうほくちゅうおう公園。広狭こうきょうなく木々が立ち並ぶ公園内に満ちる、も言えぬほどに重苦おもくるしい空気を突き抜けたそこに、彼女たちはいた。


「あなたたち、こんな所まで探偵たんていに付いてきて何を――」


 後から付いてきた少女達を、やはりというか既に取り押さえているミサキ。その横にひかえる音子おとこさんが、人差し指を唇の前に立て、逆の人差し指を指し示す。

 林と言っても過言ではない園内に、ぽっかりと開いたトラック状の広場だ。そこに、巨大な影の化け物はいた。

 早くに辿り着いた四人が向けているのであろう意識の先で、ディザイアーはうずくまり何かをしている。


「あんまじっとは見ない方がいいよ。野生かどっかから逃げてきたんかは分かんないけど、普段見慣みなれた動物が捕食されてんのはショックがデカいっしょ」


 永未えいみ夢香ゆめかの視界をふさぐ形でおさえ込んでいるミサキが、トラック状の広場、競技場の数メートル手前の木の陰に隠れながら、遅れて来た私とすぎ先輩へ同様に隠れるよう視線でうながしてくる。

 先輩と二人で手ごろな太さの木のかげに身をひそめ、競技場の影の化け物をうかがう。ヘリコプター大の、鳥を想起させるシルエットの化け物がついばむようにもてあそんでいるそれは、既に原型の判別もつかない肉塊にくかいとなっているものの、日常のどこかで目にしている気がするパーツが遠目でもちらりと見えた。

 私の隣で覗いていたすぎ先輩も、凄惨せいさんな光景をの当たりにし、両手で口元をおおっている。


「捕食……って、ディザイアーは生き物とは違う存在なんじゃ……!」

しろんなったよくによっちゃ、そういう無意味な捕食衝動を起こすヤツらもたまーにいるんよ。たとえ生物としての機能が無くなってても、ねー」


 ミサキは化け物を横目に収めながら、放せと言わんばかりに暴れる双子を抑え続ける。自称であれど探偵と名乗るだけあってか、見た目や喋り方からくる印象とは裏腹な対応力だ。

 しかし前回、初対面の時にミサキは探偵魔法少女まほうしょうじょだと言っていたわりに、永未えいみ夢香ゆめかが追いかけていたからとはいえ、一向にあの化け物と対峙しようとしないのはなぜなのか。だから戦うわけではないとでもいうのだろうか。

 どこか信用し切れない彼女の横顔は、こんな状況下でも余裕ぶった雰囲気を表情へ宿している。

 すると、私がそんなことを考えてすぐに、女子高生探偵の口元が引きめられた。


「ッッ!! 全員ぜーいん伏せて――!!」


 両腕に抱える永未えいみ夢香ゆめかを倒し込む勢いでミサキが地面へ飛び込んだ。

 彼女の顔色をうかがっていなければ、私はこのとき、死ぬか、あるいは死ぬまではいたらずとも大怪我はまぬがれていなかったかもしれない。

 するどく変わった表情から放たれたミサキの指示に、私は土の地面へノータイムで自分の体をかなぐり捨てた。そんな刹那せつなの中、ジェット機でも通り過ぎたのかと勘違いする轟音ごうおんが私の黒髪くろかみ末端まったんを奪い去っていった。


「木が倒れるっしょ! すぐけて!!」


 小枝や雑草に土といった自然が鼻腔びこうを刺激するのもつか、女子高生探偵の切羽せっぱまった叫びに突き動かされて、一瞬にして恐怖が支配し固まろうとする体を無理やりに動かして右へ飛び転ぶ。

 私と反対側へかろうじて飛び退いたすぎ先輩の姿を、今しがた私たちが身を潜めていた直径一メートルはある木がバキバキと枝を鳴らしてき消した。

 大きく息を吸う。口はがんとして開かない。緊張と恐怖とで震える拍動はくどうが呼吸さえもカクつかせ鼻を通る空気を戦慄わななかせる。

 慌ただしい感情が、一周して冷静にそれらの状況を認識している。口の片隅に張り付く髪の毛がわずらわしい。

 暖かかった日中の面影もない冷えた地面から離した、小刻みにしか言うことを聞かない手で髪を取り払おうとした視界の端で、それは揺らめいた。

 木々の奥の影に紛れる化け物がこちらを振り向いたのだ。

 そこで微塵みじん齟齬そごもなく悟った。今のジェット機は、目の前の木を――あたり一帯の林を切り倒したのが化け物やつだと。

 いわゆる《かまいたち》というものだろうか。鳥の形をとった化け物がこちらの気配を感じ取ったのかどうかは分からないが、音の速さで私たちの命をもりにきたのだ。

 女子高生探偵の声が三度みたび、鼓膜を打つが頭まで届かない。しかし衝動はそれと合致がっちしていたようで、私が化け物から逃げるように飛び出た広場トラックに、土まみれの先輩も同時に現れた。


「ぁうっ」


 すぎ先輩の無事に安堵あんどしたのか、まりに溜まったおびえが脚にきたのか、あるいはその両方か、ミサキたちの元へたどり着くはるか手前で私は走りながらに崩れ落ちた。

 いつもであれば湧き出すのであろうずかしさなど今は欠片もなく、ただただ後ろの化け物から一ミリでも逃げたい一心で、地面にひれ伏す胴体を持ち上げる。

 そのとき、にじゆがむ地面へぽとぽとと数滴、しずくが落ちた。体を持ち上げる腕に力が入らない。

 情けなく小さな短い嗚咽おえつが自分の口から漏れ出る。

 何とか抑え込んでいたはずの感情が、せきを切って溢れてきたのだ。

 こわくて、どうしようもないのだ。

 改めて感じ、確信した。母さんと、父さんを奪ったあの怪物と同じ異質さをはらむ影を目の前にして、どうしようもなく、どうしようもなく怖くてしょうがない。

 私は何もできない。無力なのだ。あの時と、同じように。

 意識がブレる。

 このまま、い付けられる地面に沈み込んでいくのかと、錯覚さえした。


「「起きてミキちゃん!」」


 それをはばんだのは、若く高い、二つの声だった。

 小さな対の体は両脇から私を抱き上げる。


「えいみ……ゆめ、か……」


 なかば引きずられるていで、私は灰がかった髪の双子たちに担ぎだされていく。

 力に自信がある永未えいみだけでなく、いつも姉や私の背に逃げ込む夢香ゆめかさえも必死にこの体を支えてくれている。それに後押しされてか、一歩いっぽ二歩にほと、彼女たちの歩みに遅ればせながら自分の足が地を踏み締める。

 私と違い何事もなくたどり着いたすぎ先輩と、ミサキたちの元へ連れてこられたところで、また私は崩れ落ちた。しかし今度は、完全に体が地面へ投げ出されることはなく、ひざだけを着かせたところで女子高生探偵に受け止められた。

 双子たちは私をミサキに預けると、それぞれの手を取り合い音子おとこさんの背後へとまた隠れる。


「ダイジョブ? ミキちー」


 《ミキちー》。聞き慣れない単語だが、状況的に私のことだろうか。

 その場に座り込む私の肩を支えてくれるミサキの声に、小さくうなずき返す。

 それにしても、いったいどこで私の名前を知ったのか。聞いたとしても恐らく、女子高生探偵だから、とでもはぐらかされるだろう。それとも、魔法少女まほうしょうじょだからか。

 正直、今にも意識が遠くなりそうな程に恐怖が自我を侵食してきている。そんなかすみゆく頭で、ふと私は自らの思考を振り返った。


「魔法、少女……。そういえば、国家魔法少女はまだ来ないのですか?」

「んー、ちょっち遅いんねー。……ってのも、どーもさいたまの方でもでっかいディザイアーが出たっぽいんよね」

「どうやら、このとり型ディザイアーよりも、先に出現していたらしく、こちらへはまだ、人員をくまでに時間がかかるようなのです。先程の緊急警報もそちらのものらしく、こちらも感知されてはいるようですが、さいたまの大型ディザイアーと混同して、対応がとどこおっているのかと」


 つまり、この探偵魔法少女が戦えるのかどうか次第で、私たちの絶体ぜったい絶命ぜつめい確定かくてい付けられるということか。

 そして、恐らくは――


「あともう薄々うすうす分かってると思うンけど、あーしたたかうタイプの魔法少女じゃねーんよねー。……スマン」


 やはりと言うか崖っぷちだった。

 はかるまでもなく緊張している探偵魔法少女のほほに、一筋の汗が伝う。

 そのタイミングを見計みはからってなのか。知性のないとされるディザイアーあの怪物にそれがあり、まるでこちらの希望がたれたところを見抜いたと、誰もが見紛みまがう動きだった。

 もし威嚇を目的の一つとしてしていたのだとしたら、それは効果てきめんだった。

 影の巨体の周りにぎ倒された木々を、さらに押しのける勢いで怪物かいぶつは夕闇の空に飛びあがる。私を含む全員が、一斉に息を飲んだ。

 次に予想される確信めいた行動を、どうか思い過ごしであってくれと願うが、黄昏漂う空の面積は、涙があふれる視界は、攻め寄せ広がる漆黒に否応いやおうなく占め尽くされる。

 焼け石に水、どころかきりき程度にすらならない行為だったろう。ミサキがかばおうと前に出ようとするがそれすらも間に合わず、迫り来る影に私たちの目の前はっピンクに染められた。

 耳をつんざき、六人の人間の足元を揺らし、それぞれのお尻を地に着かせる。僅か一歩手前の地面を、巨影共々踏みくだいた轟音ごうおんの元凶たるその華奢きゃしゃあしを包むは、パステルピンクのブーツ。


「ま……魔法まほう少女しょうじょちゃん!?!?」


 らしかけた目にはいろく映っていた、パステルピンク調ちょうのフリフリの衣装いしょうそでを通す白髪はくはつの少女。その少女は、キャンキーずんぐりとしたヒールでディザイアーを広場に埋め込ませ、いで、軽いジャンプ以外の何の動作もなく、とり型の影の巨体を再び林へと吹き飛ばす。


「エミユメに、ちかくな……!!!」


 見た目の印象にそぐわない高い声で放たれた、パステルピンクの少女の低い咆哮ほうこうからして、恐らくは味方か。

 それを認識して安心でもしたのか、私の意識は、記憶は、そこで途切とぎれた。






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