2 ~笑の護少女~


 練馬ねりま氷川台ひかわだい

 地震かと思うような気味の悪い振動が響いた。そしてその振動が来たと思われる方向、城北じょうほく中央公園の上空に、どすぐろい炭のかたまりのような怪物が現れた。

 それはむらさきにまり暗くなっていく空であっても、見失みうしなうこともないくらいに真っ黒な姿がはっきりと分かる。

 それは閉め切ったカーテンの隙間すきまから覗くだけでも、何かの鳥の形をしたような姿が見て取れる。

 ディザイアー。

 名古屋なごやで見たものと比べると小さいけど、影が立体になったような、光を全く寄せ付けない怪物を、それ以外に僕は知らない。

 さっきの振動から遅れて、待機モードから緊急起動したテレビが緊急警報を途切とぎれることなく自動放送し続けている。

 いったい、なんだっていうんだ。

 どうして僕の周りでばかり、こいつら怪物が発生するんだ。

 ましてや一か月前と同じ、姉さんに危険が迫る場所で。ついでに言うと、よりにもよって、家の近所でだ。

 でも、今回は学校や街に居た時とは違う。いま一緒に居る姉さんを、避難させるんだ。

 姉さんはあの一件怯え帰ってきた時以来、自力で外には出られない。

 *147アスタリスクいちよんなな

 十年近く前から日本で開通された電話番号が、頭によぎる。

 自宅療養者や寝たきりのよう介護者かいごしゃなどが、この緊急警報下で避難要請をするための緊急ダイヤルだ。

 けれど、それは姉さんには使えない。対象者ではないから、ではなく、誰が来るか分からないからだ。もし救助に来た人が男だった場合、姉さんはパニックを起こしかねない。

 城北地区じょうほくちく区民館くみんかん。あそこなら、女性優先の避難所として開設かいせつされている。距離も姉さんをみちびきながらでも行けないことはない場所だ。


「姉さんっ。……行こう」

「い、いわ……お」


 家のすぐ近くに現れた影っぽい怪物。否応いやおうなく外に出ることをせまられる状況。そんな非情な二つの恐怖が、姉さんを一層いっそう縮こまらせている。

 なにか――。

 なにか、嫌な予感がする。

 早く避難をしないと、取り返しのつかないことになる。

 不確ふたしかなあせりが変な衝動にならないように気をつけながら、姉さんを連れ立つ。

 恐怖が支配しているであろう心で、わずかに働いている理性が足を動かしているのだろう。おぼつかない足取りの姉さんの手を取り、僕も玄関へ向かって足を引きずる。

 すぐに重心をくずす姉さんを何とか支えながらに思ってしまう。になれば、何の心配や苦労もなく姉さんを守り連れていけるのに。

 いやダメだ。

 は姉さんにゴミを近づけさせないための、姉さんを壊したゴミを掃除するためのものだ。姉さんを守るのは僕自身でないと。

 そんな考えの中、気を持つように姉さんを元気づけながら、玄関のドアを開く。

 そこには、絶望が居た。後ろの、ベランダの向こうの怪物とは違う絶望が――。


「はっ。やっと見つけたぜ」


 力無く嫌がる姉さんをかついで出た共用廊下。そこで、不意にかけられた聞き覚えのある男の声に、全身の肌がめ付けられた。

 身体を支える姉さんが、ピシっという効果音でも鳴ったかのようにこおり付く。

 またた呼吸こきゅう気味ぎみになる姉さんすらも一瞬わすれ、僕は声のした方へ顔を向けて無意識にその男の、姉さんの幼馴染みという、男の名を口からこぼした。


「――コースケ……っ」

「ったく、去年きょねん引っ越してからずっと家を教えやがらないで。結構探したんだぞ」


 コースケのそのセリフと被さるように、城北じょうほく公園の方からまた地響きがとどろく。

 それにらいだ意識からもう一度顔を戻すと、一歩こちらへ踏み出す、コースケの少し日に焼けた顔が近づいていた。


「こういう時なら、顔を出さざるをえないもんなあ。花緒はなお

「――――ッッ……」


 そう遠くない場所に、怪物がいる状況で、その顔は歪んでいた。

 いな

 ゆがんでいるのは口元だけだ。なのに、どうしてコイツの顔はこんなにもみにくく歪んで見える。

 なんで、コイツはこんな状況で笑える。

 なんで、コイツはこんな状況で、このタイミングで、ここにる。


「……ャメロ」


 また一歩、近づくコースケに、乾いた声しか出ていかない。

 その声に体中の水分でも持っていかれたかのように、身体が軽く――いや違う。いつも僕を困らせる左手足のしびれが、全身をおそう。体に力が入らない。

 日が落ちてもまだ暑い空気に、汗が体中からき出す。それとは裏腹に、感覚はえ切っていく。

 そうだ変身だ。

 あれに――『魔法少女』に変身しろ。

 何のために手に入れたチカラだ。

 ここはマンションの角部屋で、すぐとなりに外階段がある。そこから姉さんを連れて逃げるんだ。

 違う。この時だ。こいつと、コースケと対面した時のために――いや違う。このチカラは、なんのために。

 コースケが近づく。

 やめろ。

 姉さんにちかるな。

 変身しろ。

 よろける体が、今出てきたばかりのドアに姉さんごと背中を打ち付ける。そこへ、僕よりもずっと背の高い、今度は機嫌きげんさを隠さない顔のコースケの手が伸びる。

 触るな。


「おい」

「……ヤメロ」


 手が伸びる。

 変身しろ。

 姉さんに触れるな。


「彼氏が来てやったってのにそんなつれねぇ顔すんじゃ――!!」

「ぃゃッ」


 へんし――――


「待って!!」

「――――っ?!」


 姉さんの目前。僕の目横までせまる黒みをびた色肌の手が、つかみ止められた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ――」

「あぁ?」


 男の手をつかんだのは、あか茶髪ちゃぱつの女の子のうすだいだい色の手。


「んだガキぃ――!」

「ガキじゃない!」


 イラ立ちがふんだんに込められた怒声どせいへ叫び返す少女の姿は、えんじ色のすそ特徴的とくちょうてきな白いスカートの、おうとつの目立つこん色ブレザー。

 エレベーター側から現れたコースケとは反対の、そと階段かいだん側から手を伸ばす少女は荒い息を押し込めながら、廊下のLEDの影になっていたちゃ色のひとみを持ち上げた。

 ともなだ。


「はぁ……はぁ――あたしは、フレア……! 魔法少女フレア。みんなの笑顔をまも国家こっか魔法少女まほうしょうじょだ!」

「…………ト、モ、ナ……?」


 姉さんの、今までかすれがすれだったものとは違う、久しぶりに聞いた生気をびた声。それと、この場に出ていないはずの名前が姉さんの口から出てきたことにもおどろく。

 小さくもはっきりとした呼び名に自称魔法少女は姉さんへ優しくみを向けると、空いている左手を自身の胸に当てて再びコースケへ精気の込められたを戻す。


「な……なに言って――」

「あなたがお姉さんの――イワオくんとお姉さんの笑顔をうばうっていうなら、あたしは、絶対にお前を許さない!」


 ともなの体が、あっという間に光に包まれた。かと思った次の瞬間、ともなの――魔法少女の衣服とまとう空気が、ガラリと変わった。

 はじけた光のカケラが残る、色やオレンジ、あかといった燃えるようなカラーリングが目を引くドレス。自然なものとは思えない、ほのおを思い浮かべるな髪。それらに身を変えたともなの、全てを射抜いぬくような赤茶あかちゃ色の瞳は綺麗きれいでいてするどく、コースケをにらむ。

 《魔法少女》を目にしたコースケは、わかりやすくひるみ、後ろによろめいた。


「んな……!? ……んで、なんで魔法少女が邪魔じゃまをするんだよ。関係ないだろ!」

「関係なくない! イワオくんは永未えいみちゃんに夢香ゆめかちゃん、あきらくんの大切なお友達だから。この状況もどうなってるのかは分からないけど、お前がお姉さんを泣かせてることだけは分かる。あたしが手を出す理由なら、それらだけで十分だよ」


 ぎりぎり、と歯噛はがみするコースケは、つかまれている右手を振りほどいて魔法少女に完全に向き直る。

 魔法少女の左手には、さっきまでは無かったい赤色のつえ。それがコースケをさらにイラつかせたのか、歯ぎしりの音よりも強くこぶしをにぎった。


生意気なまいき言ってるんじゃねえよ……。ぼくが花緒はなおと会うためにどれだけ苦労したと思ってるんだ。魔法少女だったら、おとなしく怪物あいつでもやっつけていろよ!」


 勢いをしていく言葉に連なって、ともなより、魔法少女よりもいくつか背の高いコースケのパンチが彼女をおそう。

 たった数歩。助走も何もいらない距離にある小さな頭へ大人の男のこぶしが振り下ろされる。

 

「(ッ)」


 見ている以外できなかった、いきなりの暴力。

 それが理不尽りふじんに叩き付けられる寸前、いつの間にか杖をかまえていた魔法少女が何かを小さくとなえた。

 肩を引き首をひねる。そのわずかな動作でパンチをよけたともなに、コースケが勢いそのままにおおいかぶさる。そう思ったが、透明な何かに受け止められたかのように魔法少女に触れる数センチ手前てまえでコースケの体が止められた。

 そして次に魔法少女が「ゴム」か何かととなえると、なんの冗談か、彼女は何もしていないのにもかかわらずコースケがその小柄こがらな体から弾き飛ばされる。

 正確には、何もしていないんじゃない。だ。

 ともなが、魔法少女が【魔法】でコースケを受け止め、弾き飛ばしたのだ。

 よたよたと浮いた足取りで、コースケは後ろに倒れ込む。


「っ……く。オマエ……国家魔法少女だろ! くにの人間だろう! 怪物かいぶつどもと戦うような公務員が一般人に手を出していいのかよ!!」


 声がガラガラになるほどに怒りを乗せて叫び上げるコースケに、ともなは僕や姉さんの前を越えて立ちふさぐ。


あたしは戦う魔法少女じゃない。さっきも言ったでしょ。あたしは、笑顔えがおまもる魔法少女。だから、誰も傷つけさせないし、誰も傷つけない。誰にもきずつけせたりしない!」

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