4 ~套の襞少女~
胸が痛い。
急に走り出したせいで、心臓が驚いたのだろう。バク、バク、と内側から強く胸を叩く
気付けば、
地を、
ディザイアーだ。
いつも感じている気配とは違ったけど、あんなことをできる存在はあれ以外には思い付かない。
そして全身を重い音の衝撃が打ち抜いてすぐに、それを考えてすぐに思い浮かんだのが、ここ。学校の持久走でも出したことのない速さで走り抜け、足を止めた
恐らく、ここら一帯はみんな避難指示区域になるだろう。そうなると、足の悪いイワオくんとお家から出られないお姉さんは、近くにディザイアーがいるこのマンションでも留まるかもしれない。
行って
だけど、またも響いてきた重音で些細な迷いを振り払い、以前
陽が落ちて照明に照らされる三階の踊り場を回り、開けた視界の共用廊下。
そこには二人の人物がいた。
一番手前のドアに背中を打ち付ける、近頃の暑さにも
一触即発な雰囲気なのが、
男の人は、健康的な印象があるはずの肌色だけど、
男の子の方はすぐに分かった。イワオくんだ。そして、最初は気が付かなかった小さなその背中の
夕焼けに照らされれば、綺麗なオレンジ色に輝きそうな明るい
「彼氏が来てやったってのに」
その人物へ、イワオくんとよく似た女の人へと、濃い肌色の手が触れようとする。
階段を駆け上がったばかりの足を、
「そんなつれねぇ顔すんじゃ――!!」
「ぃゃッ」
「待って!!」
声にならぬ声を上げる女の人の顔へ迫る、黒みがかった骨ばった手首を、
「――――っ?!」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「あぁ? んだガキぃ――!」
「ガキじゃない!」
すぐには整わない荒い息のまま、不愉快な感情を包み隠さず向けられた
そこには、小さな感情が入っていた。
「はぁ……はぁ――
「…………ト、モ、ナ……?」
弱々しくもはっきりと耳に届いた、微かに
そこで
そのお顔を、声を脳が捉えたところで、
怒っていたのだ。涙に。
かつて
それを一度押し込め、
「あなたがお姉さんの――イワオくんとお姉さんの笑顔を
燃える激情を胸に
私は笑顔を護る魔法少女だから。
目の前で変身した
「なん……で、なんで魔法少女が
「関係なくない! イワオくんは
怒りと怒り。感情がぶつかり合う。
「
喋るごとに硬くなっていく男の拳が、セリフの
いったい何を苦労したのかは知らないが、それはお姉さんに涙を流させて良い理由にはならない。
怒りがさらに込み上げる。
この男は許せない。けれど許せないからこそ、同じ土俵に立ったらダメなんだ。
それを
あの時の数々の記憶が、脳裏に
柔らかい、マシュマロのイメージ!!
かつての女の子も、このように受け止めてあげられたのだろうか。
そこからすかさず、透明とほとんど変わらない
張り詰めた「ゴム」のイメージ。
沈むように
何が起きたのか分からないといった表情で、男はこちらを見つめる。だが、すぐに憎悪を込め、しゃがれた声で叫び上げてくる。
「っ……く。オマエ……国家魔法少女なんだろ!
「
男と、お姉さんとイワオくんの間に立ち直し、
「みんなの顔を曇らせるディザイアーを倒すだけじゃない。……あなたが、誰かの笑顔を奪うっていうなら、
「はっ。オマエがなんて言おうと、怪物どもへの攻撃権しか持たない
「……」
確かに、男の言うことは、正しい、正しくないとは別に間違ってはいない。
遅かれ早かれ、
そうなればもう、恐らく国家魔法少女としてはいられなくなる。けど、それはここで杖を握らない理由にはならない。
「
「――つっ」
「「……」」
舌打ちをする男は、不愉快そうに顔を歪ませる。
「…………ともな――」
背中に
「おっほっほっほっほ――」
お腹の底から、
「おーーっほっほほほほほほほンぉっほっほぉお!!!」
内臓の内側までひっくり返して、全身
ひとしきり笑っても気が済まなかったのか、自身の胴と腕をねじりながらそれは、いつ到着音が鳴ったのかも気付かなかったエレベーターから出てくる。
それは、一人の男だった。
靴下を
だが、それらの不自然さも常識の範囲内とさえ思えてしまう、セールスマン風のカジュアルスーツの男の表情に、
「あああぁぁぁ。イイぃ、お
上機嫌な口調で細身男を覗き込みながら、スーツの男は服の一番上に揺れるネクタイを整える。不気味に。
「おっっほほほほ。ああぁ、あなった、いいィ臭いを
「に、におい……?」
「えぇえ、ここンへ
誰もが引くほどに、ハイテンションだ。不気味に。
「ンおっほほほほ、今っ私はほざいたでしょう。同じ
ハイテンション。
無駄にハイテンション。それでも、そのハイテンションすらも、気にならない。
なぜならスーツの男は、エレベーターから降りてきたときからずっと、無表情のまま変わらないのだ。
笑っているときも、身体をねじっていたときも、ネクタイを直しているときも楽しげに語っているときも、変わらず
不気味という表現すらも生ぬるい、本能から拒絶しようとするこの男に、
魔力の
それらを
「……
「不幸……屋さん?」
聞き慣れない名前に、
その反応が嬉しかったのか、イワオくんの代わりにスーツの男、不幸屋は楽しそうに答える。
「えぇえ。私は
続く不幸屋の言葉に、
「幸せで
そのまま
「いまさら、何をしに来たんだ」
後ろから一歩前に出て、
「ナニって……それはあなたンの不幸を買いっ取りにンでっすよ。あなたンが不幸をおっ買いなさった
変わらない無表情。しかしここにきて初めて、イワオくんを
「おっほほっ」
「本当の……理由の少女、たち……?」
イワオくんが、警戒心をさらに強めて問い返す。
「ええぇぇっえ。おン
それに対し、不幸屋はまた不気味な無表情のまま、細身男を横に伸ばした手で指差す。
「とーころっで。
「――は……? なに、言って……」
「おっほほほほほ。です! かぁらっ、お
シスターズ。姉妹を示す複数形英単語。
口にした言葉の意味を、
けれどその前に、さっきまでの警戒心を霧散させたイワオくんが、先に答えに辿り着いた。
「まさか、エミユメ……? 不幸屋あんたっ……! あの子たちに何をした!!」
「なぁぁっンにも! ワーッタシはなーにっも手を出しておぉりませんよ。たンだここへ参る道すっがーら、
「――っっ!!」
戦えない魔法少女の探偵。思い当たるのはミサキさんくらいだ。
不安な思考に駆られる
さっきの今まで下ろしていたパーカーのフードを深く
その直後だ。
引っ掛けるように掴んだ
突き出された右手の指輪もそれに呼応して瞬いたかと思うと、右手を起点にして
明るい
「二人はどこだ」
「おっほほほほほ。でぇっすから、すンぐそっこの大ぉっっきいぃぃ、公園ですよっお」
それを聞いたパステルピンクの少女は、すかさず共用廊下の外へ飛び出そうとして、踏み止まった。
振り返る視線の先は、
「……
「うん……」
しかしやはり、というか、目の前の彼女――そう、フリルの魔法少女は、イワオくんということで合っているらしい。
ルナちゃんの時もそうだけど、目の前で
「
ずっと腰が抜けているのか、
見るからに無理をして笑って見せる
「ぃきなさい。それが……いまあんたが、するべきことなんでしょ」
今にも
「……ともな」
「うん。
廊下の転落防止用の手すりから身を乗り出すパステルピンクの少女は、「当たり前だ」と両足を廊下から離しきる。
「行ってくる、姉さん」
そう言って、魔法少女となったイワオくんは、投げ捨てたパステルピンクの体を重力に引かせてマンションの屋根へと飛び上がっていった。
お姉さんも
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