~奮の進獣医~


「どうしたの? わー、大っきい猫ちゃん」

「えっ?」


 夕日の東京外環自動車道とうきょうがいかんじどうしゃどう

 埼玉さいたま県は和光わこう駅にほど近い、その外環がいかん上部じょうぶ公園の一角に屈んでいた赤茶あかちゃの少女は、恐らく自身へ掛けられたのであろう女性の声に、ゆっくりと振り向く。

 彼女の視線の先、こしを折って立つあきれのあかね色にベージュのカーディガンを染める女性は、振り返った少女の肩越しにこげちゃ色の大柄おおがらな小動物を見ていた。

 背後から覗く女性の注目に気付いた赤茶あかちゃの少女は、自分が抱き上げようとしていた喋るねこのことを思い出す。


「……あ、こ、この子、怪我けがしてるみたいで……。そ、そうだこの猫しゃべ――」

「な、ナーォ……」

「あ、あれ……?」

「あらぁ、体に似合にあわないくらい小さく鳴いちゃって。結構、弱ってるね」


 少女の台詞をさえぎるように弱々しく鳴く猫の声に、女性はレースのスカートを折り屈む。若干の警戒の色を見せながらも、自身の体を優しくなでる女性の手を享受きょうじゅするちゃ色の猫は、どこか不服そうな顔をやわらげひとみを閉じる。


「私は花緒はなお

「あ……あたしは、灯成ともなです」

「トモナか。私、この近くの友達のお菓子屋さんで働いているんだけど、こう見えて獣医療じゅういりょうの勉強してるんだ。その子ちょっといいかな」

「ぬ……! な、にゃ、にゃごー……」


 カーディガンの女性、花緒はなお赤茶あかちゃの少女/灯成ともなにそう告げると、少女が手を伸ばそうとしていた小動物ぜんとした大柄猫を持ち上げた。ちゃ色の大柄猫は自身を抱き上げる女性の腕の中でもがくように暴れる。


「あらぁ。もしかしてこの子、病院とかそういうの分かるのかな。ダイジョーブ大丈夫。今ここでるだけだから。悪いとこありそうだったら行くかもだけど」


 あれこれと苦戦しながらも、花緒はなおちゃ猫の体を丁寧ていねいていく。

 その手際の良さに、灯成ともなはただ眺めているしかなかった。

 抵抗しても無駄かと悟ったか、あるいはもがく体力もすり減ったのか、焦げ茶色の猫は次第しだいに大人しくなっていく。図体だけは大きい猫がもうほとんど暴れなくなったところで、花緒はなおは雄猫を灯成ともなへ預け、自身のバッグを探りだす。


「うん。色んなところをケガしてるけど、目立った傷とか症状とかは無さそうだね。多分たぶん体力だけいちじるしく消耗して、倒れてたんだと思う」


 花緒はなおは肩に掛けていたトートバッグを躊躇ためらいなく足元の芝生へ下ろし、少ししてその中からラッピングされた包帯ほうたいと流線型のノズルが付いた傷薬をまさぐり出した。


「あったあった。この傷薬、動物と人の両方で使えるヤツなんだ。まぁ両用だから専用のヤツよりは応急用って感じだけど。ちょっと可哀相かわいそうかもだけど、しっかりその子さえててね」


 そう言って、花緒はなおは慌てて抱き着くように押さえる灯成ともなに抱かれるちゃ色猫の傷を、慎重に手当てしていく。

 多少過敏かびんに反応するものの、存外大人おとなしく治療を受ける大柄猫。

 その治療すがら、花緒はなおは少女へ語り掛ける。


「ふふ、夕焼けに当てられてるのもあるけど、この子、がしたハンバーグみたいな毛色けいろだね。今夜はテリヤキハンバーグにしようかな」

「……」

「――トモナ。何かあった?」

「……え?」


 一瞬らしかけた灯成ともなは、自身の手から逃れようとする焦げ茶色猫を捕まえ直し、目の前の女性へ視線を向ける。


「いやね、今日きょう初めて会ったし、普段のトモナを知ってるわけじゃないけど、……なんていうか、暗い顔してるように見えたから。この子のことで――っていう感じもしないし。ほとんど私のかんなんだけど。多分、普段のトモナはもっと明るい子なんじゃないかな……って。――あ、言いたいことじゃなかったら別に言わなくてもいいよ」

「…………」


 続けられる花緒はなおの考察に、灯成ともなは向けた視線を何もない芝生しばふへ無意識に落とす。

 その間に治療を終えた花緒はなおは、道具を片付けながらそれを口にこぼし焦げ茶色猫を優しくでる。

 その様子を視界のはしとらえる灯成ともなは、一トーン声音を落とし、質問の応えを吐露とろする。


「……小さい頃、お母さんが、しん――亡くなっちゃったん、です。それであたし、しばらくふさいじゃってて。小鞠こまりちゃんにも、心配かけちゃって……」


 ぽつ、ぽつ。と、とめどなく言葉を落としていく赤茶あかちゃの少女。

 少女に抱えられるちゃ色猫は、治療が終えられたことを認知したのか、暴れる様子もなく、静かにその言葉を浴び続ける。


「色々あって、立ち直れるようには、なったかなって、思ってたんです。最近は、そうでもなかったんだけど、でも、このところ、おばあちゃん、よく息を切らしたり、いつもより、疲れやすかったりして、て……ちょっと、しんぱいで――こわ、く……て」


 次第に小刻こきざみにふるえだす小さな肩とれた声は、そこで遮られた。


「そっか。……置いてかれるのは、ちょっ……と、つらいよね」

「……」


 耳元に紡がれる花緒はなおの声と、頭と両肩、右手の甲のあたたかみが、灯成ともなの心を暖める。

 身動きが取れない灯成ともなは、しかし自身の身に絡みついていた何かががれ落ち、解き放たれる感触を覚えた。

 過去数年、祖母そぼに甘えることの出来なかった灯成ともなが、感じることのなかった抱擁ほうよう。それに連なる、いのちの鼓動。


「ダイジョーブ大丈夫。一度は、立ち上がれるようになれたんでしょ。トモナは強い子だ。友達のことも考えられてる。あんたは一人じゃない」


 灯成ともなから離れた花緒はなおは目の前の少女の肩を抱く。


「私にも、一人、居るんだ。トモナよりちょっと小さいけど、危なっかしいけど、頼れる子が。何かあっても、トモナは一人じゃないよ。友達を頼っていい。その時は、私のお店にもな。この辺りでお菓子屋は、ウチくらいだから、すぐわかると思う」


 顔を上げた少女の、あかねかげる湿ったまつ毛をそっとぬぐいながら、オレンジの髪の女性ははにかんでみせる。

 そこで、芝生に置かれたトートバッグから短く響くかすかな電子音が、二人の空気を壊す。


「……?」

「あー。多分あいつかな」

「あいつ?」


 顔から離れた人肌の温度に名残なごり惜しさを抱きながら、トートバッグにその手を伸ばす花緒はなお灯成ともなは問い掛けた。


「あー。ちょっとね。……うん、私の元カレ。良いヤツなんだけど少しメンドクサくてね」


 画面を半分だけ覗かせた花緒はなおは、携帯端末の待ち受け画面をちら、と確認して、すぐにバッグの中へ端末をしまい込む。そしてちゃ色猫と灯成ともなを交互になで、トートバッグを肩に掛けてこしを上げる。


「それじゃ、私は行くね。その子、とりあえずは大丈夫だと思うけど、少しでも具合悪そうにしたら病院に連れてってあげてね」

「病院。えっと……なにに行ったら……」

「いや動物どうぶつ病院ね……。ヒトの病院連れてっちゃダメだよ……?」

「あ……そ、そっか……」


 小さく動物病院、動物病院、とつぶや赤茶あかちゃの少女に、女性と猫は、変わらぬ表情の下に不安を覚える。見かねた花緒はなおに携帯端末の地図アプリで近域の動物病院を教えてもらい、灯成ともなは頭をひねりながらも自信げに頷くが、何故なぜか一匹と一人の不安はいっそうつのるばかりだった。

 それから、花緒はなおは自身のバッグから別の新しい包帯を取り出し、灯成ともなに持たせた。

 様子を見てこまめに包帯を取り替えるように、と言い聞かせた花緒はなおを、和光わこう駅の方へ歩いていく後ろ姿に見送り、灯成ともなはゆっくりと立ち上がる。


「一人じゃ、ない」


 彼女から受け取った言葉を、口の中で反芻はんすうする。

 思い浮かぶのは、小学校から中学まで変わらず灯成ともなを支えてくれた、大好きだった人と同じ笑顔を見せ続けてくれた、一人の親友しんゆうの少女。記憶の中の二つの笑顔が、かさなる。

 自身を支える腕から、少女の機微きびはかる焦げ茶色の大柄おおがら猫は、少女の顔を見上げる。

 この短い時間ではだいぶ落ち、少女の輪郭りんかくほのか夜闇の影に溶け出そうとしたところで、周囲の車道の街路がいろとうが別の影を生み出す。その影の下は、先ほど大柄猫が目にしたものとは違う、《火》のともった口元だった。


小娘こむすめ。名は、なんという」

「わっ。やっぱりしゃべるんだ。あたしは……トモナだよ。忽滑谷ぬかりや灯成ともな

「そうか」

「……? きみは。きみはなんていうの?」

「ワタシか。今のワタシに、名乗なのる名は無い。貴様が、思うままに呼べ」

「そっか……」



「じゃあ――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る