~掠の追歯牙~


 五月十五日。

 夜。

 練馬ねりま区、石神井しゃくじい公園。

 深夜とまではほどいかない、けたころい。

 人通りもなくなりだした池のほとりへ、一つの人影が街灯がいとうに落としだされる。

 その人影は、どこか不自然な歩き方をするパーカー姿の少女。

 パーカーのすそからのぞくスカートと、フードからはみ出る長い髪を揺らし、行くあてはあるのか、り歩く。

 それは数十分か十数分か。

 少女の影が微々びびたる歩幅で数往復した頃、少女とはまた違う覚束おぼつかない足取りで、一人の男が近付いてくる。

 少女の進行方向から千鳥ちどりあしで向かってくる男は、オフィスカジュアルをくずし、危なげに手持ちカバンかかえてフラフラと少女との距離を詰めていく。

 そのままれ違うかのように思えたその男は、ふと片足を引きずるように前から歩いてくる少女を目にめた。


「おいおい。女の子がこんな時間に、ヒック、一人で何やってるぅだ~?」


 正気とは少し違うのか、愉快ゆかいそうに男はフラッ、と上体を揺らして、ちがおうとする少女の前にふさがった。


「どこに行くぅんだ? 一人じゃ危ないだろぉ。おにいさんが送ってっててやろうか」

「……ううん、大丈夫だよ」


 突然からんできた酒気しゅきただよわせる男を避けるように、パーカー姿の少女はわきをすり抜けようとする。

 が、


「おいおい。つれないこと言うなよぉ。おにいさんが守ってやるってつってんでしょぉ。大人の善意ぜんい素直すあおにきくもんだぞぉ!」


 その少女の右腕を掴み、男は強引に引き戻した。


「っ!」

なかにゃあ、まだまだ怖ぁいオオカミさんがるんだからさぁっ。おにいさんがナイトさまになってやるって言ってんでしょ!」


 気がたかぶっているのか、男の語気ごき次第しだいに強まっていく。

 その勢いに一瞬ひるみかけるも、少女は気丈きじょうに体を男から離し言い返す。


「だから、いいって言ってんじゃんっ」

「おいおい。強情だなぁおい! 良い身体してっからっておたかまってんじゃねえよ! 他の男どもに襲われてもんねぇぞ!」


 フードに隠れた、少女の目に怒りの火がともる。

 ぎしりとまではいかない程に食いしばり、男の手縛から逃れようと身を低くして引き下がる少女。


「キモっ。なにがナイトだし。おそってんのはアンタの――」

「ぁあ!? ガキがいきがってんじ――」


 いきどおりのたっしかけた男の怒声は、しかしそこで、おおよそ人体から聞こえていいものか分からないかわいた衝撃音にさえられた。


「ぁがっ!?!?」

「!?」


 頭に受けた衝撃に、いけ沿いの遊歩道ゆうほどうを飛び出して男は吹き飛んだ。

 身体を低くしていたフードの少女は、こうそうしてか、あるいは男を吹き飛ばしたがフードの少女を避ける軌道きどうで殴り抜いたのか、男に巻き込まれずに、ささえを失いその場にしりもちをく。


「ッ……ど、どこから――」


 少女。

 パステルピンクのドレスを身にまとうフリルの少女が、殴り飛ばした男に衝撃を押し付け、慣性かんせいを失いフードの少女の目の前に着地する。

 フードの少女は、いた言葉も途中で、自身の右手に広がる石神井しゃくじいいけ対岸たいがんに目をる。殴り飛ばされた男とフリルの少女の延長線。街灯がいとうかすかにらされる岸辺の木々。その一本が、風もないのにらいでいたように見えた。

 飛んできたのだ。十メートル以上は確実かくじつにある、石神井しゃくじいいけの向こう岸から。

 常人の域をえた、脚力か、もしくは人知を超えた能力で。

 魔法少女まほうしょうじょ

 それが出来るのは、このでは彼女達くらいのもの。

 そしてフードの少女の記憶に、眼前がんぜんのパステルピンクの少女の顔は、ない。


し……!」

「っ!?」


 不敵ふてきに笑みをこぼす金髪のフードの少女。

 その気配を敏感きびん察知さっちしたフリルの少女は、オフィスカジュアルの男へ向けていた、殺気さっきに近い敵意てきいらがせる。

 その隙をのがさず、フードの金髪きんぱつ少女は乱入してきた目当ての少女の華奢きゃしゃな手を掴んだ。


音子ネコちゃん! そのクソナイトヤロー捕まえちゃって!」


 起こす体にかぶっていたフードがげる金髪少女が叫ぶやいなや、いつのに現れたのか、遊歩道ゆうほどう沿いの植木に衝突し失神しっしんしている男のそばには、オーバーサイズのミニたけワンピースに身を包むおっとりとした雰囲気の少女。

 そのまとう空気とたがわない口調で、少女は手に持つなわで男の手を縛り上げながら叫び返す。


「だから、私のことをネコと、呼ばないでくださいって言ってるじゃないですか。ミサキさん!」


 そのバケットハットをかぶる助手少女のうったえにひらひらと手を振るミサキに、揺らぎりかけた敵意がするどく突き付けられる。


「ハメたのか……!」

「おー。案外あんがいかわいー声してんじゃん? 覚えトコ」


 男だけに向けられていた憎悪ぞうおの視線を、自身へ浴びせられているのにおくすることもなく、ミサキは大胆だいたん不敵ふてきにパステルピンクの獲物えものへ笑いかける。


「えーっと、また話ズレてたな。ハメたのは半分セーカイ。キミをり出したのは間違ってないけど、あのクソヤローはあーしも知らないやつだよ。だから助けに出てきてくれてあんがと。そんでゴメンね」

「……」


 笑みはくずさず、それでいて真面目な顔で、ミサキは脱げかけのフードを下ろしきる。


「あーしは女子じょし高生こうせい探偵たんていミサキちゃん! ――最近このあたりで男共を襲ってるっては、キミでしょ。魔法少女ちゃん!」

「っ!!」


 ここで初めて、パステルピンクの少女は動揺をおもてあらわした。

 公園の街頭に映しだされる小ぶりで可愛らしい幼さの残るその顔は、おびえと驚愕きょうがく

 その時、心の揺らめきか、それともシンデレラの魔法がけるのか、パステルピンクの少女のフリルが所々にあわい光をともない始める。


「っッ」

「あっ、しまっ――」


 ひるみに素早すばやく引き抜かれたレースの手は、一抹いちまつの隙をついて女子高生探偵の握手あくしゅ程度の拘束こうそくを振り解く。そして垣間かいま見られた素顔をすぐに可憐かれんな憎悪へ戻し、キッ、とだらしなく伸びている男と女子高生探偵をひとにらみずつすると、少女は池に沿う遊歩道を一目散いちもくさんに駆け抜ける。


「ちょい待ち――ってあだだだだ!! あしがっ、あさぐねった足が!!」

「何をやってるんですか! だから、そんなあしで今日の作戦をするのは、やめたほうがいいって言ったんじゃないですか!」


 ミサキは西へ走り出す強襲の魔法少女を追いかけようとするが、み出したその一歩を間違まちえる。こんな状況でも揺るがないマイペースな助手に言い返そうとするも、続く鈍痛どんつう言及げんきゅうを許さない。


「そんなこと言っ――あでっ、あたたた、さっき尻打った時に……! ああもう! 魔法少女ちゃん! あーし魔法少女まほうしょうじょちゃんを売ったりとかそーゆうのは考えてないかんね!」


 またたに走り去っていくパステルピンクっぽい魔法少女へ向けて、女子高生探偵は届くか否かは考えずに叫びつたえる。

 やがて園内は近くを通る車の走行音だけを残し、元の静寂せいじゃくへと戻っていく。


音子ネコちゃん。包囲網るよーに言っといてくんない? 多分たぶんムダだろーけど」

「はい……。いや、私あの人たちの連絡先、知らないですけど」

「あっははは。そーだったそーだった。ゴメンゴメン」


 右足をかばうように立ち上がる女子高生探偵は、助手の少女にそう笑いながらパーカーのポケットからハンドタブレット型の携帯端末を取り出した。のほほんとした雰囲気ふんいきただよう彼女へ指示した内容と同じ文言もんごんを通信相手へげると、パーカーとそのすそに隠れたミニスカートに付いた汚れをはたき落とし、そのまま立ち尽くす。


「ミサキさん……?」

「んー。今日きょーはそいつ警察けーさつに引き渡したら終わろっか」

「え……は、はい」


 いぶかしみをわずかにふくんで自身に呼びかける助手少女へ、探偵少女はオフィスカジュアルの男を指して歯を見せ返す。

 しかし、もう一度パステルピンクの少女が走り去った方向を見つめる彼女のひとみは、助手少女には笑っていないようにも見えた。



(にしてもあの表情カオ、追われるのは分かってたけど、現実を持って考えてはいなかったってカンジ? それにあの目とか、他にも……。もしかして、あーしが思ってた以上いじょーにちまっこい……?)

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