8 ~間の穏少女~


 今日は、久々に静かな一日だった。

 あの人がからんでくることが多くなった最近では、貴重きちょうな学業生活だ。

 いつしかあの騒々そうぞうしい先輩と共に過ごす時間が組み込まれた日常に、私は違和いわかんを覚えなくなっていた。

 最初こそは得体えたいのしれない嫌悪感けんおかんと私の生き方とは真逆のアクティブな存在に、抵抗感ていこうかんいなめなかった。なのに、今となってはまだその抵抗感は残っているものの、心のどこかで彼女の存在を、受け入れている。

 休み時間にクラスメイト達がユウウツだと歓談かんだんする月曜日の授業をえ、とくに残留している理由もないので、髪留めに香りづけをする流行はやりなどの駄弁だべんに花を咲かせる女子達の横を抜けて教室を後にする。今日は少し歩いた駅前のスーパーがタイムセールをする曜日だ。むしろそちらのほう早々そうそうに退室する理由として大きい。

 一年生の教室が並ぶ三階から、階段を下りて下駄げたばこのある昇降口を目指めざす。三年生の教室がある途中の二階フロアは、今日きょう明日あすは静かなものだ。

 そしてそれに相対そうたいして、修学旅行から帰ってきた後の灯成ともな先輩は、いつにもしてうるさそうだ。

 容易よういに想像ができる天真てんしん爛漫らんまんな先輩の顔を思い浮かべ、一階に降りてくつき替える。

 今日の悪戯イタズラきな双子の少女の調査援助は、ひとまず自由行動といった形になっている。先輩たちもないから、彼女たちの背中にこっそりとほどこされる双子たちの悪戯イタズラをひっそりと処理しょりする気苦労きぐろうもしなくて済む。

 そろそろ冷蔵庫の中身をたしておきたい私としては、何かとタイミングが良い。修学旅行さまさまだ。

 家とは反対方向に歩きながら買い足しておくものを頭の中で整理する。時々ときどき、信号で足止めされるタイミングで、昨日のうちに書き出していた携帯端末のメモを確認しながら、国道254号線を渡り、目的のスーパーに辿たどり着く。

 今日の目当ては、おにくたまご

 特に卵は、月に一度の大安おおやす売りの日だ。大きさ不揃ふぞろいの十個入りパックが、なんと103円で買える。第三月曜日の午後四時から四時三十分。限られた少ない時間だけど、これをのがす手はない。

 お肉のタイムセールは、午後四時から五時までの一時間。良いものを買いたければ始まってすぐに行くべきだけれど、今日だけはあとまわしだ。

 ちなみに同じ内容のセールを、会社員かいしゃいん等のこの時間に来られないそう向けに閉店時間間際まぎわに第二弾として行われるが、時間じかん相応そうおうにそちらはあまり良い物は多くない。そもそも中学生が一人二人で出向ける時間ではない。

 携帯端末のしめす時間は午後三時四十六分。なんとかギリギリの時間に間に合った。

 カゴを取り、たまご売りコーナーに向かうと、すでに真剣なまなしの主婦や主夫の長蛇ちょうだの列ができていた。最後尾へ向かい、もう数えるほどしかない整理券を店員から受け取り並んだ。

 整理券せいりけん一枚で安く買えるのは一パックまで。けれど、このスーパーは平時でも比較的ひかくてき安く卵をあつかっているから、整理券以上に持っていく人が多い。夕方の品出し前なのも相まって、目的の数が買えるかどうかは五分ごぶ五分だろう。

 最近、イワオくんの件とは別に、あきら卵焼たまごやききを作るのにハマっている。毎晩まいばん一食は作っているため、卵のりが前より少し早い。できれば、二つは確保したい。

 受け取った整理券に書かれている数字は、15。この数は、自分の後の整理券の数。ここのルールは少し特殊とくしゅで、自分の整理券の数字の数以上の卵を残しておかないといけない。参加した人すべてに目的の品が行き渡るようにするためだ。

 つまり、私の番で十七パック以上のこってないと、一つで断念だんねんすることになる。

 タイムセールのベルの音が店内に響き渡る。

 もはやタイムセールではなく限定セールになりつつある安売り戦いが、幕を開けた。


 時刻は四時三十九分。

 二十四分に終わってしまった卵と、まだ時間の残っているお肉のタイムセールの戦果は、取りつ取られつ。

 たまごはギリギリなんとか二つを確保が出来た。

 けれど、おにくの方は一足ひとあし遅かった。やすりの品はまだ数多かずおおくあったけれど、手が届く範囲の値段の物は、根こそぎ無くなっていた。他の物は、どれもグラム100g百円を超えるものばかりで、安売りで買うには少し高い。

 あとは、アプリクーポンの対象商品のティッシュと、値引きされている野菜を少し買い込んで、今日の買い出しは全部だ。

 お肉は、また明後日あさってに出直すしかない。

 今日のセールよりは減率は低いが、水曜日も安売りをしている。もとが安いものであれば、そこで買うのも悪くはない。

 そう心のメモ帳に書きしるし、西城北にしじょうほく中学校区へ戻る。

 帰宅の途中、直線ルートを少しはずれて、先日あきらを追いかけた商店街のはずれの一角に寄り道をしていく。

 一見いっけんすると個人家めいた喫茶店きっさてんふうのお店。その窓からのぞく大小様々さまざまなケージが立ち並ぶそこは、小さい家族を、求める人へお届けするお店。

 年代を感じる蝶番ちょうつがいきしみを鳴らして、たわしの玄関マットを踏み入る。


「……」


 入店の音に視線を持ち上げた店主のおじいさんは、椅子いすに座ったまま私の姿を見止みとめると、カウンターのそなえ付けのホロウィンドウ端末の新聞へ意識を戻す。

 私はそんなおじいさんへ会釈えしゃくをして、店内を進む。

 以前、このお店の窓から『商品』をながめていた時、「見るのに金は取らん。中へ入りなさい」と引きずり込まれてから、お客でもないのに常連となってしまった。

 お店に入ってすぐ、右手の窓際まどぎわに吊るされている二つのドーム型のケージ。そこの二羽の住人――いや住鳥に小さくあいさつをする。

 右手側の鳥かごは手のひらサイズの青いおなかとくちばしのれ下がったはとのような頭。左手の鳥かごの丸く大きい頭が特徴的な茶色の斑模様まだらもようのもう一羽は、確か小柄な体にそぐわない猛禽もうきんるい。インコとフクロウだ。

 窓際まどぎわあるじたちを通り過ぎると、壁に沿って並べられるむねほどのケージの主たちは、茶トラやキジトラ、三毛みけといった模様が沢山ある、百獣の王の遠類。日本人が古くから生活を共にしてきた哺乳類、ねこだ。

 子猫から成猫まで、色々な子たちが居る。好奇心こうきしん旺盛おうせいな子猫たちは私の気配に気付くと元気良くケージ内を走り回ったりボール状のぬいぐるみのおもちゃをりしくが、成猫たちは「来たのか」みたいなクールな対応を見せてくれる。

 そんな子たちに指先から私の匂いを嗅がせていると、背後からガチャガチャといったケージを揺らす音が鳴りだす。

 音がする方、入り口からカウンターまでのなかの通路をはさんだ反対側からは、猫たちと同じように並べられた大小様々ないぬたちが尻尾しっぽを振ってこちらを見つめてくる。

 こちらはうって変わって愛想あいそうくケージ内を飛び回る彼らにも手を振る。

 そのとき、ふと猫たちのケージの端っこ、見慣れない新入りさんを目にめた。

 茶色い毛並みのぶち猫だ。ケージにられたホロタグの説明では、二歳くらいのめすねこらしい。

 よく見ると、小さい照明とまどからの外光だけの店内とは関係なく、彼女のその茶色い毛色は暗い、ちゃ色のものだ。

 焦げ茶色の猫。

 そういえば、同じ焦げ茶色の灯成ともな先輩の相棒、確かテリヤキさんだったか、彼は、今頃いまごろ彼女の中でどう過ごしているのだろうか。

 目の前の新入りさんを見ていると、不意に彼のことが思い浮かんだ。

 そういえば。

 私は何故なぜ、テリヤキさんがちゃ色なのを知っているのだろうか。

 私は、彼とは面識は、無かったはずなのだが。

 彼――。? テリヤキさんは、おす……なのだろうか? 灯成ともな先輩の話の中で――いや、彼女の話で三人称は一度も出てこなかったはず。ならば会話の内容やテリヤキというあだ名から、そうだ、そこから推測すいそくしたのだろう。焦げ茶色の毛色も、名前や話の中で認識したのだ。

 そこで、曖昧あいまいな記憶に思考を巡らせていた私に、店主のおじいさんから声が掛けられた。


「そいつは、去年からウチで預かってたやっこだ。怪我けがと病気をしててな。つい最近完治かんちしたから、もう新しいうちのところへ行っても大丈夫だろうと、店に出した」


 振り返ると、ホロウィンドウから視線を外して、おじいさんは雌猫めすねこひとみに映していた。

 そしてその瞳は特に感情を見せずに私へうつされ、何を思ったのか店主は抑揚よくようもない声で続ける。


「お前さん、連れて帰るか」

「え? い、いえ」


 本来の客として出入りしていなかった私が感じて良いものか分からないが、今まで一度も聞かれることのなかった意外な問い掛けに、一瞬いっしゅん、思考と返事がまる。

 今はなした通りにわけりだからか、焦げ茶色の彼女のホロタグにしるされている販売価格かかくは、一般的な中学生のお年玉程度なら手が出せなくもなさそうな桁数けたすうだった。


「……ウチは、飼育できるような環境や余裕はないので」

「そうか」


 私のありきたりな理由に微塵みじんの興味も見せず、あるいは私がことわるのを分かっていたのか、おじいさんは短くあっけらかんと返すと、またホロウィンドウの新聞記事へと目を戻した。

 店主のおじいさんにはこう答えたが、猫が嫌いなわけではない。口にした通り、飼える環境や金銭きんせんてきな余裕があれば、一考いっこうはしていただろう。

 まあ。動物をい出せばあの先輩がだまっているわけがないから、そうそう飼育をしはじめたりはしないが。

 それに、どちらかというと私はウサギ派だ。

 そういえば、母親あの人もウサギが好きだと言っていた。親子なのだから別段べつだん不思議はないが。あと、あの人はよく猫に好かれていた。動物に好かれやすいのかと小さい頃にたずねたことがあったが、確か、猫限定げんていの体質みたいなものだと答えられたのだったか。

 そう、あの人のことを考えていると、ここ最近さいきん病院へお見舞みまいに行けていないのを思い出す。

 以前はしゅうに一、二度はおもむいていたはずなのだが、先月の終わりに風邪かぜを引いた辺りから、行っていないような気がする。

 とは言っても、今の双子の問題にが着くまではそうそう行けそうにもない。

 この件が片付いたら、あきらを連れてひさしぶりにお見舞みまいに行こう。


「……別に、追い出したりはしない。いつでも見に来たら良い」


 私がまただまりこくって考え事をしていたのが本来の客でないことに引け目を感じているように見えたのか、ホロウィンドウ新聞に目をったまま、店主のおじいさんはいつものぶっきらぼうそうな口調でそうつぶやいた。

 正直、全く別のことを考えていた私は、それに対し「は、はい」と拍子ひょうし抜けな返事をしてしまう。

 私の間抜まぬけな返事に、再び視線をこちらへ向けたおじいさんは、ちら、とそれを私の頭に移す。


「そういえば、珍しく可愛かわいらしい頭をしているな。……友人にでもプレゼントされたか」

「あ……」


 言われ、私は思い出したように左のもみあげをめる薄桃うすもも色のリボンに手を当てた。

 今朝けさねむっている間にへんれさせてしまったのか、かみの左前部分の寝癖ねぐせひどくて出る時間までには直らなかったのだ。普段髪留かみどめやかみかざりのたぐいは身に着けないため、その時はすぎ先輩からゆずり受けたこのリボンしか選択肢がなかった。

 それから今まで、特に気にすることもなく過ごしていたから、リボンを着けていたことをすっかり忘れていた。

 本来はもっと多い、太めのふさを留める用途ようとの物なため、もみあげをまとめるだけだと長さがあまあごの高さまでリボンのはしれているというのに、これっぽっちも違和感を覚えなかったのが不思議なくらいだ。

 とは言ってもはずすのも面倒だし、もしまだ寝癖が直っていないならば着けておいた方がいいだろう。


いんじゃないのか。似合にあっている」


 私がリボンを振れたまま、また物思ものおもいにふけようとしているのを、外そうとしているのか悩んでいるようにとれたのか、おじいさんは抑揚よくようの落ち着いた言葉を呟くように残してホロウィンドウへ視線を戻した。

 そのとき、どこか気持ちの悪い。いや、気持ちの良い、よく分からない感覚にらわれたような気がした。

 快感かいかんを覚えたわけではない。ただ、一言でえば。こう。――そうだ。うれしい。

 そんな感覚など忘れてひさしいのに、はっきりと感じてしまった。

 私は、嬉しいんだ。先輩せんぱい達から貰ったリボンを、そしてそれを着けた自分が、可愛いとめられた、そのことが。

 恐らく学校の誰かや見知らぬ人間にそう言われても、心は微動だにしないだろう。すぎ先輩や灯成ともな先輩にリボンを着けられた日でも、ここまで気分は高揚こうようしなかった。

 昔、あの人から言われた時のような、そんな感情が、き出してくる。あの人が意識不明になって以来、ざしえた意識で受け取っていたはずなのに。『可愛い』がうれしかった。


「……ありがとうございます。今日は、もう遅いので、失礼します」


 半分はんぶん自動的にのどからしぼり出されたその台詞せりふは、なんとかうわずりもつっかえさせずに言い切り、私は不自然にならないように、まだ日没には早い斜陽しゃようのぞかせる窓の隣の、入り口の扉へ足早に向かう。


「……また気が向いたら来なさい」

「…………」


 顔を動かさずに掛けられたおじいさんの声に会釈えしゃくだけを返し、私は店名や看板のかかげられていないペットショップのドアの蝶番ちょうつがいを鳴らした。

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