5 ~侮の叫少女~


 どこか遠く。はるかな意識の向こう側で、ヴァイオリンの静かな音色ねいろが、聞こえる気がする。

 またふかく、落ちていきそうになったところで、今度は、小刻みで小粋こいき太鼓たいこの音が、加わり鳴り出す。心をき立てられるような愉快ゆかいなリズムは、次第しだいに大きく、ふえの音が重なり、一瞬り止んだかと思うと数度すうどの連打音が意識をって、いつしかピアノもわさった情熱的なメロディを強く響かせてくる。

 まるで大地をけ渡っているかのようなたかぶりに、まぶたが自然と、重々おもおもしく持ち上げられた。


「―――……」


 あごや表情筋をつた鼓膜こまくを揺らす吸気きゅうきが口かられ出るが、仄暗ほのぐらに鳴り響く大音量の音――いや音楽がそれすらもき消す。おぼろげな意識は、それすらもフェードアウトさせようとして、しかしそこで今日は珍しくストップがかかる。

 け布団の隙間から伸びた手は寸分すんぶんたがわずしき布団の角に置かれた携帯端末をとらえ、布団の中へと引きずり込んだ。その動作で、あたし仰向あおむけだった体を横向けに転がる。


「あー……。ぅ~~~……」


 いつも無意識に出る声の後に大きく欠伸あくびをして、流れるようにアラームを切った携帯端末の画面を掛け布団しに見やる。

 画面の中央付近に大きく表示されている数字は、5:10。このまま頭も布団に潜り込みたい欲求を何とか押し殺し、小さくびをする。良かった。ちゃんと目覚めれたことに安堵あんどしながら、端末を布団の外に出す。

 そのまま体位をもぞもぞと動かし、うで立て伏せのように両腕で体を持ち上げた。普段ならこの時に、横髪がはらりとれるのだが、今日は半分以上がこめかみやひたいり付いて落ちてこない。一連の動きでよれたパジャマの上着のすそを直そうとするものの、背中にゆるく張り付いていて、少してこずる。寝汗ねあせいたのだろう。

 昨日、一昨日はそうでもなかったけど、ここ最近、寝汗をくことが増えてきた。

 修学旅行から帰ったら掛け布団をブランケットに替えようか。

 そんなことを考えながら起き上がり、布団を片付けようとして手を止める。先にシャワーをびたい。ベタベタするとまではいかないけれど、着替えるにしても汗をいたままでというのは嫌だ。だいいちれる。

 布団も少し湿気しっけているかもしれないし、すぐにたたむのも気が引けるから、掛け布団をずらしてしばらく放っておこう。

 部屋のふすまを開けて、廊下に出る。

 左手の玄関とは逆の、少し長い廊下のき当りにある左右の引き戸の左を開ければ、そこは脱衣所だついじょ、そしてお風呂場だ。

 軽くシャワーで汗を流した後は、パジャマ姿にまた戻って、右隣の台所に立つ。

 修学旅行初日の今日は、おひるごはんは持参になっているから、用意していかないといけない。とはいっても、事前に準備してタッパーに入れていた具材を六枚ろくまい切りの食パンにはさんで半分に切り、ラップでつつんだらそれでおしまいだ。

 カバンの中でつぶれないように別のタッパーに詰め込む。容器は使い捨てにできるものをと言われているけど、ラップは小さくしてどこでも捨てられるし、タッパーもあまり汚れないから何か小さいお土産みやげとかを入れるのにも使える。

 それを持って部屋に戻ると、携帯端末に映し出される時刻じこくは六時前。お風呂にっていたわりに、思ったより想定通りの時間だ。

 お弁当のタッパーを軽移動用のナップサックに押し込み、携帯端末を充電チャージパッドに乗せて制服に着替える。

 旅行カバンの中は昨日のウチにチェックしているから、あとはちゃんと持って出るだけだ。

 出る前にトイレに寄って、台所に置いてある、お弁当とは別の、朝ごはんの分のサンドイッチを二切れ持って玄関に向かう。歩き食べはあまり行儀ぎょうぎいとは言えないかもだけど、遅刻しないようにするためには割と最適だとあたしは思っている。

 外に出たあたしは玄関の鍵をめ、表札のかった軒下のきしたを軽くあおぐ。足腰が弱かったというひいお婆ちゃんのためにそなえ付けられた手すりやスロープだらけのこの家は、あたし一人には大きくて、まだ時々さびしく思う時もある。けれど、それよりも帰ってきたときの安心感が、とても大好きだ。

 このお家を残してくれたお婆ちゃんに『行ってきます』と心の中で声を掛けて、くるりと回り道路へ出る。そこで、結局お布団をったらかしにしていたのを思い出して慌てて家の中に戻った。

 そして、あやうく携帯端末も忘れるところだったのは内緒ないしょの話。


 いつもとは違う時間の電車の雰囲気にあらためてソワソワとさせられ、普通列車に十数分られて東武東上線の上板橋かみいたばし駅に着いたのは、七時を回ったころだった。

 改札口を出て、学校へ向けて歩き出そうとしたその視界のはしに、見慣れた少女の影が入り込む。


「おはよう。灯成ともな。今日は随分ずいぶんと早いのね」

小鞠こまりちゃん!」


 通り過ぎかけた足を止めて、背後から声を掛けてくる親友の女の子に振り返る。

 いつもの通学かばんに加えて、キャリーケースとハンドバッグを持った小鞠こまりちゃんは、もたれ掛かっていた駅の外壁から体を離し、あたしそばへ歩を進める。


「どうしたの、小鞠こまりちゃん。学校から離れたここまで来るなんて」

べつに大したことじゃないわよ。ただ早起きして行くだけじゃつまらないでしょ。それにどうせあんたのことだから、遅れても大丈夫なように少し早めのに乗ってくると思ったからね」

「それで駅まで迎えに来てくれなくても……。いつもの場所で待っててくれても良かったのに」

「待ってる時間がヒマじゃない。それともいやだった?」

「ううん! すっごく嬉しい!」

「ふふ」


 一緒に歩きだす小鞠こまりちゃんは、あたしの反応くらい分かっている、とでも言いたそうに小さく微笑ほほえむ。

 学校に着くまでは、向こうに行ったらどうするかとか、深輝みきちゃんや双子ふたごちゃん達のことを話していた。

 あたし小鞠こまりちゃんが修学旅行で東京を離れている間は当然ながら、イワオくんのことはどうにもできない。お家のコトを一人でになっているという深輝みきちゃんも、そう何日も付きっ切りで調べ事に時間をけられるわけじゃないから、この三日間は必然ひつぜんてきにまた双子ちゃん達だけの調査になる。

 どうやら双子ちゃんは何かを調べるのは得意ではないらしく、一昨日の尾行も手段としては考えていなかったらしい。あの後の、ミサキさん。《高校生》のことも、個人的に気になる。

 多分ルナちゃんのことではないだろうけど、野生やせいの魔法少女のことを、一般人男性を襲撃しているという魔法少女のことを調べていると彼女は言っていた。

 どこか無関心むかんしんではいられない、一抹いちまつの不安を意識の外でいだきながら、あたし小鞠こまりちゃんと学校に着く。

 集合場所のグラウンドには、もう半分以上の三年生が集まっていた。

 こういう時はいつも体育館が集合場所だけど、冬や夏のようなきびしい天候じゃないのと、体育館はまだ改修中だから今年はここになったのだ。




灯成ともな?」

「……」

忽滑谷リヤっちー、ドシター?」

「え? あっ。あたし?」

「あんた、またボーっとしてたでしょ」

「ご、ごめんごめん。ちょっと考え事してたみたい」


 人数にんずう確認が終わって、学校を出て新幹線しんかんせんに乗り東京を離れて少しした頃、三列席の隣に座る小鞠こまりちゃんと、その奥の窓側まどがわの席に座る女の子/夏珠かじゅちゃんが、また双子ちゃん達のことを考えだしていたあたしの意識を引き戻す。

 夏珠かじゅちゃんは適当な言動が多いけど、トラブルメイカーなあたしと一緒に居てもまったく気にしない、学校では小鞠こまりちゃんの次に一緒に居ることが多い、器の大きい友達だ。


「その感じじゃー、今の絶対いてないでしょ」

「進学先の制服せいふくの話よ。あんたもそのへん気にしてたでしょ」

「あー。そうだねー、どうせならカッコいいのとか可愛いのを着たいって思うかな」

「スラックスが格好カッコいいとこもありでしょ」

「そうそう。スカートもいいけど、やっぱりたまにはパンツをいて学校行きたいよね」


 ラフな格好かっこうが好きな夏珠かじゅちゃんは、どちらかというと動きやすいパンツタイプの服が良いらしい。あたしも、最近のことがあるから、やはりガードが強いのも魅力的だ。

 小鞠こまりちゃんも思うところはあるのか、大きくうなずく。


「ウチは古臭ふるくさいから絶対スカートだからねー」

「ホントそれ。中学ってやっぱなんやかんやまだスカートだけんとこ少なくないし」

「昔にくらべて、女子のスラックスのデザインをってる高校も増えてるから、そういうとこ行きたいな」

「でもそーゆーとこって、ここらじゃ大抵たいてい偏差値へんさち高いんよね」

灯成ともなじゃ近い所はむずかしいんじゃないの?」

「うっ……。そ、それは……」


 夏珠かじゅちゃんが成績の話を持ち出すと、すかさず小鞠こまりちゃんがあたしの顔をのぞき見る。


「あっははは。私も忽滑谷リヤっち程じゃないけど行けるとこ限られるからなー。小鞠コマは選べるとこ多そうだし、いいなー」

「私もそれほど選択肢せんたくしは多くないわよ。真面目に勉強してやっとだから、気を抜いたらすぐにオール3とかになっちゃうし」

「その割にはよく忽滑谷リヤっちと遊びにいったりしてるよね」

「あ……」

小鞠コマは確かに真面目ちゃんだけど、授業くらいのもんでしょ。板書ノートとってたら分かる頭がうらやましいよ、私は」

「ホントにねー」

「ちょっ、灯成ともなまで!」


 夏珠かじゅちゃんが話の矛先を小鞠こまりちゃんに向けたのを逃さず、仕返しとばかりにそれに乗っかる。

 想定外の集中砲火を回避せんと、小鞠こまりちゃんは標的をらせる反撃のカードをさぐり出す。


「そ、そんなことよりも夏珠かじゅ、好きな人とか居ないの? 彼氏カレシ欲しいってよくボヤいてるでしょ」

「お、恋バナー? なになに小鞠コマ、気になるヤツでもいるん?」

「あ、やっぱなし。私と灯成ともなにはネタが無かったわ」

小鞠こまりちゃん!? いやまぁそれは、あたし、今は好きな人とかそういうのは居ないけど、なんかひどくない!?」

「あー、確かに忽滑谷リヤっちはサチうすそうだしなー」

夏珠かじゅちゃんまで!? あたしそんなに魅力ないかな……?」

「あーうそウソ。ジョーダンだって。忽滑谷リヤっちは可愛いよ。ちょっと抜けてるとこ多いけど、忽滑谷リヤっちのこと好きなヤツくらいいっぱいるって」

「そうそう。確かに灯成ともなは美人とかじゃないけど、普通にちゃんと可愛はあるから」

「……ホントに?」

「う、うん。(変なのに騙されそうな心配はあるけど……)」


 思わぬ飛び火にブルーになりかけるも、すぐに夏珠かじゅちゃんがフォローをしてくれる。

 小鞠こまりちゃんも、最後、どこか苦笑い気味にも見える笑顔で答えてくれる。


 それから少しして、富士山ふじさんも知らないうちに通り過ぎた頃に、夏珠かじゅちゃんはふと思い浮かんだようにあたしに問い掛けてきた。


「そーいや忽滑谷リヤっちって魔法少女まほうしょうじょなんだっけ」

「え!? いや――あー……えっと、うん。一応いちおう?」

「なんで疑問形なの……? 教室で堂々どうどうと変身してたじゃん……。すっぱ――」

「わー! タイムタイム! そうですあたしです!」

「いや別になんかの犯人探してるとかそーいうんじゃないけど……」


 もうほとんどの三年生、特にあたしのクラスの間では周知しゅうちの事実となっている事だけど、あらたまって正面から聞かれると、どうしても反射的に隠そうとしてしまう。テリヤキき今――いや死んでない死んでない。彼があたしと一緒になった今、あとは怒られるかもしれないのは近藤こんどうさんくらいだけど、すでに知れ渡ってしまっている学校の人達には隠す必要はないだろうし、どちらかというとそうなってしまったら報告するように。という話になっている。もちろん知れ渡っているのは報告ほうこくみだ。

 そもそも認識にんしき疎外そがい魔法まほうが使えない時点で、周りの人にバレてしまうのは時間の問題だった。近藤こんどうさんもその辺りは注意していたけど、逆に理解もしてくれやすい。


「まあなんでもいいけど、やっぱ関西の方でディザイアーとかが出たら行かなきゃなんないの?」

「んー。人手ひとでが必要な時はそうなるかもだけど、基本的に現地の魔法少女達が優先ゆうせんして戦うから、呼ばれることはあんまりないかな。そもそもこんな時修学旅行中にピンポイントで出てくることなんてそうそうないよ」

「まぁそれもそーね」


 夏珠かじゅちゃんと二人、小鞠こまりちゃんをはさんで楽しく笑い合う。





 そして、

 ゴメンなさい。


「なんでこんな時にかぎってここでディザイアー出るのー!!!」


 色の衣装いしょうまとい、洛外らくがい市の二日目の宿屋を飛び出して目指すは京都きょうと南部なんぶ京八幡きょうやわた市は木津きづがわ上流(木津川全体的には下流なのだとか)。

 オオサンショウウオ型のディザイアーが発生したらしい。名前通り、オオ型とのこと。

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