~怪の押売屋~



「おっほほほほほ。おやおンや。どうやら『探偵』が動き出しているようですンねぇ」


 東京都とうきょうと新宿区しんじゅくく

 とある駅ビルの喫茶店、通路に面した窓際の席に落ち着くその男は、書類大のタブレットを片手に、キャラメルマキアートを優雅ゆうがに口にふくんだ。

 タブレットの電源をスリープモードに切り替え、セールスマンのようなカジュアルスーツの男は残りわずかなカップの中身をのどへ真上から流し込む。

 そして男は席を立ちあがり、入り口付近の会計かいけい端末たんまつに右手首の腕時計を接触させて、軽やかなジャズの音色が耳を打つ店を出た。

 右のてのひらを自分に向け、時刻をはかる。金曜日の朝はまだ七時半でありながらも、すでに外の雑踏ざっとうは混雑へ向けてせわしなくなっていく。


「これは、もう一、二仕事をすればおいとまする必要がありますンね」


 ズボンから伸びる男の足は、靴下をいておらず、ぱから、ぱから、と革のくつを鳴らし歩く。ネクタイは首に掛かってはいるものの、シャツのえりには収まらず衣服の最上部を揺れ動いている。

 駅ビルを出て、セールスマン風の男は裏通りと大通りを渡り歩いていく。

 数分移動した大通りのバス停。男がそこを通りかかったその時、丁度ちょうど停車していた路線バスから、一人の青年が下車する。


「くそっ。ふざけんな。なんでクソな客に口答えしただけでクビにならなきゃなんねーんだよ!」


 いかにも不機嫌な雰囲気をかもし出して青年は悪態あくたいき、肩を怒らせて歩道を男の方へ歩いていく。


「おっほほほほほ。これはこれンは。不幸そうなおつらをお持ちですンねぇ。そこなお兄さンん。いかがですンかぁ、不幸でもおひとっつ!」

「あぁ!? うっせ人の不幸ふこう笑ってんじゃねえよクズが!!」


 すれ違い様に男は声を掛けるが、青年はそれに一睨ひとにらみすると、声をあらげて去っていく。


「んンっふふふふ。手厳しいですンねぇ。おっと興奮だけしていてはいけませンね。いさぎよあきらめて次へ行きますンか」


 まゆ一つ動かさずそう言う男は、肩をすくめるとタブレットを持った左手を大きくり返し、元の進行方向へ足を向ける。

 更に十数分、徘徊はいかいでもするように町でを進めた男は、の客にめぐり会う。


「ホントに、もう、最悪サイアク……! ひぐっ。あいつら、いつの間にか私を置いて就活わらせてるし。ぐす、シューヤには朝一あさイチでフラれるし、ひっ……。うぅっ……よりによって、ぐすっ、水に落ちやすいコスのときだし……。もうっ、さいあく……!!」

「おっほほほほ。おやおンやぁ。これはまた、素晴すばらしい不幸でっす。おじょうさンん。どうでンす。とびっきりの不幸でも、いかがですっかぁ。まーぁ、らないとおっしゃってもおりするンのですが」

「ひっ!」


 男の前からふらふらと涙を流しながら歩いてくる学生とおぼしき女性に、怪しさを微塵みじんも隠す様子もなく、男は真顔まがおで語り掛ける。

 突然おそかる脅威に、それまでもいっぱいいっぱいだった女性は、ただ喉をしぼるだけしか出来ず、ただその場でへたり込むほかなかった。大好きな人をおもい仕上げたメイクを流し落としながら。

 そこへ、渋さをふんだんにまとった低い声が、四つの鼓膜こまくを震わせる。


「おい。あさっぱらから不快になるようなモンを見せるんじゃねえよ。押し売り屋」


 女性が顔を半分振り返り、見上げた先に立っていたのは、珈琲コーヒー色のスーツを違和感なく着こなす、長身の男。顎髭あごひげたずさえたその男は、片足を女性とセールスマン風の男の間に踏み下ろし、真顔を一切くずさない不審な男に面と向かいながら女性に語り掛ける。


むすめっ子。こいつは見た目通りの不審者だ。さっさとこの場を離れて気分転換にでも行ってきな」


 言われ、女性は腰に下げていた腹のミニバッグを両腕で抱えて、涙をぬぐう間もなく駆け出した。

 それを残念そうに見送る雑なスーツ姿の男にも、威圧感をにじませることなく顎髭の男はバリトンボイスを吐き出す。


「押し売り屋。俺は近藤こんどうとは違って、温厚な性質タチじゃあねえぞ」

「おっほほほほ。私は物語の黒幕だとか、そういった大したものでンはありませんから、近いうちに姿をくらませますンよ」


 話が噛み合っているのかいないのか、視線を交わし合う二人の男は、そのまま無言で数秒か十数秒ち並ぶ。

 沈黙をやぶるように顎髭の男は一息き出し、片方の足に重心を傾ける。


「おっほほほほ。ご安心下さンい。私の目的は、既に終えていまンす。その後を見届けれっば、ちゃんと居なくなりますンよぉ」


 変わらず真顔のままそう吐き捨てるセールスマン風の男は、珈琲コーヒー色のスーツの横をすり抜け歩き出す。

 横目でそれを見送った顎髭の男は、始終しじゅうズボンのポケットに手を入れたまま、不審者な男とは逆に足を動かしだす。


「あ、このあと一緒いっしょンにおちゃにでも行きませンかぁ」

「行くかっ! とっととね!!」


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