双子は魔法少女 -2

序章 - 雪辱

 0 ~儚の未少女~


 東京とうきょう西武せいぶ池袋いけぶくろ桜台さくらだい駅。

 そこにほど近い路地裏で、男性のなさけない悲鳴が夜の住宅街に溶けゆく。


「ひ。……ひ、ひぃぃぃぃいいい―――」


 気が動転しているのか、はたまた酒でも入っているのか、男のまどうその様子は、よたよたふらふらと足取りがおぼつかないでいる。

 あと一つ角を曲がれば桜台さくらだい通りが目の前というところで、行く先、その頭上から追っ手の甲高かんだかい声が降りそそぐ。


だいの大人の男がそんなきっつらでどうするんだよ。カッコ悪い」

「あひぃっ――!」


 場面が変われば可愛らしいとも思えるその声に、驚き足をもつれさせた男は、少しよれたスーツにアスファルトの土埃つちぼこりこすり付ける。

 いつくばり地面に向いていた顔を上げる男のすぐそばに、コツ、とヒールを小さく打ち鳴らして高声の主は降り立った。


「ひっ……!」


 男ののどから短い悲鳴がれ出る。

 フリルをふんだんにあしらった、パステルピンクのドレスを身にまとう少女の華奢きゃしゃな足が、男の背中を踏みつけたのだ。

 レースソックスの足を乗せたダークグレーのスーツは、男が転んだ箇所かしょ以外にも所々よごれやほつれが見受けられる。

 嗚咽おえつを漏らしながら男は藻掻もがくが、それはまるで遊んでいるのか四肢ししをじたばたとさせるだけで、胴体は微動びどうだにしない。


「う……ふ、ぐうっ………。ぅあ、タ、助けて……ゆるっ。許してくれぇ……!!」

「………」

「きぅ……っ」


 少女が足にちからを込め、男性の声帯から出たとは思えない甲走った悲鳴が絞り出た瞬間、ぶちぶちと手足のきん繊維せんい千切ちぎられる音が男の体内にかすか響く。

 その代償として細足の呪縛じゅばくからのがた男は、先程とは違う形の千鳥ちどりあしで希望の曲がり角へ急ぎ走る。

 が、


「へぇ。あれか、火事場かじば馬鹿力ばかぢからってやつだっけ。凄いね」


 男が角の家のへいに手を掛けようとしたところで、


「でもその根性は普通に尊敬そんけいするけど、出すとこ間違ってるでしょ」


 見えない何かの力が、男の肢体をもも色の絶望へ強烈きょうれつに引き寄せた。


「ひ……ぁっ! ぁぁぁあああ!! ――ぁう。ひっ……」

「どうしたの? あんたが今まで散々、もてあそんできたモノがその手と目の前にあるんだよ? もっと喜んだらどうなの!!」

「ひっぎ―――ぁぁあああああああああ」


 男のおおいかぶさるような成人の体をその華奢きゃしゃな体に張り付けた少女がくるりと、その身を反転させると男の体は勢いよく引きがされ、男がもと来た道の突き当り、石垣の壁へしたたかに打ち付けられる。


「ぐぁっ…………」

「まったく、こんな夜中に大声出したら近所迷惑でしょ」


 数十メートルを吹き飛ばされその場に崩れ落ちた男の眼前に、パステルピンクの少女はいつの間にか静かに立っていた。

 かすかにコツ、と少女のくつが地面のアスファルトを打ち鳴らす音に、男は「ヒぃッ」と身をよじらす。だが、限界を振り絞った手足と強く打ち付けた体は、それ以上は動いてくれなかった。


 コツ。


 一歩。


 コツ。


 また一歩と、謎の襲撃者は短い距離を詰め寄る。


「ひ、あ……お、おれ。いやわたしが悪かった。二度と、あんなことはしない……」


 コツ。


「ぁ……。い、今、手持ちで、なな、七万ななまんある……! い、慰謝料いしゃりょうとして……は少ないが、今ここで、それをは、払う。残りの財産も、何かしらの防犯事業に、ぎ込む……!」


 コツ………。


「はぁはっ……。はぁはっ……。い、今の会社もめて、自首する……っ」


 薄桃うすもも色の足音が、鳴り止む。


「ゆ、許して――いや、せめてこの場はみ、見逃し、て下さい………!」

「………」


 ほんのわずか、その場に夜の静寂せいじゃくが戻る。だが男にとっては、それはとてつもなく長い沈黙に感じられた。

 それをやぶ衣擦きぬずれの音が、鼻と鼻を突き合わせるような距離へ、ほのかな甘い匂いをまとった少女の顔を動かす。


「……いいよ。あんたはまだ、他のゴミよりかは人間らしいや。だからこそムカつくってのもあるけどね……!!」

「ひっ!」


 ガチガチと歯を打ち鳴らせる男の顔から、射殺いころすような視線ははずされた。そして、パステルピンクの手袋に包まれた左手が付きだされる。

 その手に刹那せつな戸惑とまどう男だったが、力の入らない手でおそる恐ると元の高級そうな仕立ても見る影の無いスーツの内ポケットから、長財布を取り出した。震えながらファスナーを手繰たぐり開け、現実で手渡せる紙幣しへいを八枚取り出し、目の前のか細く広げられた手の平へそっと置く。一万円の価値を持つ紙幣が六枚と、五千円の価値を持つ紙幣が二枚。合計の紙幣価値は七万円。

 それを一瞬とらえた少女の目は、なおも男の目へすくめられる。

 これ以上の現金は持ち合わせていないと、男は怖々こわごわと首を振るが少女の冷えた視線は微動だにしない。

 そこで、男の頭は運く少女の求めるものを思いつき、財布を取り出した方とは反対側の内ポケットから、かわの名刺ケースを取り出す。自身のつとめる会社や連絡番号、氏名等を書き連ねた小ぶりな四角い再生紙を一枚抜き取り、この電子社会で紙の名刺を用意していた過去の自分の用心深さに安堵あんどする。

 男の名刺を受け取った少女は、ようやくその手を握り締め引っ込めた。


「……」


 少女が無言で一歩下がり、そのまま立ち尽くす。

 男はまだ何かあるのかと気持ちだけ身構みがまえるが、小さな顔がかすかに振られたのを見て、戦々せんせん恐々きょうきょうとした心持こころもちのままボロボロの身体を引きずり少女の横をすり抜けた。

 荒い息を吐きのっそりと逃げる男の背中を見送りながら、少女はため息をこぼす。

 男が桜台さくらだいどおりへと続く角を曲がったところで、少女の身体はあわい光と共に崩れていく。


「もう変身へんしんけちゃう。またしばらくは無理、か……」


 男が逃げ去った方向とは逆へ足を引きずるように歩き出し、は徐々に声を低くしながらそうつぶやいた。


「早く帰らなきゃ。姉さん、心配するから」


 片手でかぶったパーカーのフードを、夜闇よやみさえぎ街灯がいとうに照らされて。

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