第一章 - 災禍と希望

 1 ~重の少女達~


 五月十二日。晴れ渡る春の日差ひざしの午後。

 練馬ねりま区の北東部に広がる住宅街の一角で、三人の少女のかげかさなり合って交差点のかげから何かをのぞうかがっている。


「………ねぇ灯成ともな。私達はいったい何をしているのかしら」


 交差点の先、とある小学校の校門をながめながら一番上の少女は、暗褐色あんかっしょくのボブウェーブを風に流しながらそう言った。

 黒髪くろかみの後輩少女にき着く形のまま視線を上へずらし、その名を呼ばれた真ん中の赤茶あかちゃショートヘアーの少女は、自身の背にりかかる質問者に答える。


「んー。なんだっけ」

「言い出しっぺの先輩が忘れてどうするんですか。何もしないなら帰りますよ」

「わー! うそウソ! っていうかあきらくんを待ってるんだから、深輝みきちゃんが帰っちゃったら意味ないじゃん!」


 上の少女になか身柄みがらとらえられている一番下の小柄な黒髪少女/深輝みきおどしをかけると、活発そうな真ん中の少女/灯成ともなは叫び、後輩の少女を一段つよめた。

 それをたしなめるように暗褐色あんかっしょくの髪の少女/小鞠こまりは、灯成ともなの頭に容赦なく手刀を打ち落とす。


「あぎゅ」

「せっかく隠れているのにあんたがさわいでどうするのよ」

「はぁ……。しっかりと隠れられているのかどうか、はなはだ怪しい前時代的なひそみ方ですけど」


 若干ゆるくなった抱き着きから逃れるのもあきらめ、ため息をこぼ深輝みきはなおも目前の門を見つめる。

 そこからは、まばらに大小様々な児童達がぞろぞろと出てきていた。

 一、二年生の授業はとうに終わっているらしく、見受けられるのはどれも中・高学年のものばかりだ。

 それらを見ていた灯成ともなは、頭上から香る柑橘かんきつ系のさわやかなにおいに気が付く。


「あれ? 小鞠こまりちゃん、シャンプー変えた? オレンジみたいな匂いがする」


 いつの間にか灯成ともなと同じように彼女へ身を寄せる小鞠こまりは、覗き込むように答える。


「シトラスの香りよ。昨日から変えてたのに、今更いまさら気付いたの、灯成ともな?」

「あー、なんとなく小鞠こまりちゃんからいい匂いするなー、とは思ってたけど。そっか、やっぱり小鞠こまりちゃんだったんだ」

「テスト期間だから、気合入れるためにこの間ひかりおかで買ったのを試してみたのよ。最終日の明日まで気付かなかったらやめようかと思ってたけど。あと変えたのはコンディショナーね」

「先輩、コンディショナー付けてたんですか?」


 先輩二人の緊張感のない会話に、聞き流し程度で耳に入れていたサラサラの黒髪ロングの後輩少女は、不意に加わった。

 それを驚きつつも嬉しそうに、一番上の小鞠こまりはもう少し乗り出して深輝みきを雑談に引っ張り込む。


「そうよ。というか、そう聞くってことは深輝みきさん、もしかしてリンスとかそういうの何もやってないのかしら?」

「はい。……ウチの家計はあまり余裕があるものではないですから。基本シャンプーだけです。ボディーソープとしても使える兼用のヤツを」

「あー。あたしも同じだー。あ、でもあたしは週に一回、百円ショップのトリートメントも使ってるんだよ」

灯成ともな先輩も、ですか? 中学生になるとやはり、そういうことはするんでしょうか」


 深輝みきは意外という声の抑揚よくようおさえず、それに反応した。

 それに対し小鞠こまりは、自身や周りの同級生女子じょし達の様子を思い出し語る。


「んー。小学校の内でもやってた子は多いと思うけれど。大体だいたい小学校高学年か、中学に上がった辺りから色々と意識して使い出してるかな」

「そう、なんですか」

「ええ。私も自分のお小遣いで買ったりし出したのは中学に入ったくらいかしら。まぁ、家にあるので小さい頃からずっとやってる子がほとんどでしょうけれど。……深輝みきさんのお家は置いてないのかしら」

「……はい。今は、母は入院していて、実質じっしつ私が家計を管理しているのでそういうのはまったく購入してません。……もっとも、母が健在の頃からシャンプーだけでしたが」

「そうなの……。えっと、なんだかごめんなさいね」


 上段の少女はややしおらしく謝辞しゃじ吐露とろした。

 だが、下段の少女はさして表情を変えず、前を注視したままそれにこたえる。そのむらさき色の瞳を微小に揺らめかせて。


「いえ。……お気になさらず。物心ついたころからずっとですし、母のことも………もう長いものですから、それほど気にかけられなくても大丈夫です」

「でも深輝みきちゃん、シャンプーだけでこんなにサラサラなの羨ましいな~」


 抱き着くショートヘアーの少女は、そんな沈みかけた空気を変えるためか、はたまた何も考えず、言いながら黒髪の少女のそれにほおずりをする。

 そんな灯成ともながふと、頬下からき立つ怒気はどこ吹く風か別のその気配けはいに気付いて横を見ると、小学校から出てきたばかりかの男児が二人、じっ、とこちらを見ていた。


「おい不審者ふしんしゃがいるぞ。ブザー鳴らせ鳴らせ!」

「鳴らせー!」

「ち、違いますー! 不審者っていうのは、こーんな目で、こーんな顔をしてる人のことですー」


 そばの小学男子にさわぎ立てられあせった赤茶毛の少女は、絹のような肌触りの黒髪から顔を離し、自身の目のはしや頬を引っ張り精一杯せいいっぱいに反論する。

 しかし、


「ぎゃはははは! 変な顔ー。ぶっさいくだー」

「あはははは」

「ち、違うもん。あたし不細工じゃないもん! そりゃ深輝みきちゃんとかに比べたらそれ程じゃないかもだけど!」

灯成ともな。論点はそこじゃない。あとそれじゃ目元くらいしか変わってないでしょ……」

「………」


 上下の少女達にはいつも通りあきれられ、かたわらの男児達から゙お笑い芸人゙の称号を受けたまわるだけに終わった。


「ほらあんた達。学校が終わったならさっさと帰りなさい。この間お母さんが、すぐに帰ってこないからどうしたものかって言ってたわよ」

「コマリねぇちゃんこそ中学校の服のままでなんかしてんじゃん」

「私はこのお姉さんが変なことしないか見張っているのよ」


 そう言って、小鞠こまりもたれ掛かっていた灯成ともなの両頬をまみ広げる。


「あ、あたひ?」

「ほら、分かったなら道草食わずにさっさと帰りなさい」

「へーい」

「じゃあまたね。コマリおねえちゃん」

「はいはい。またね」


 無造作むぞうさに頬から手を離した小鞠こまりは、去っていく二人の小学男子に手を振り返して見送った。

 その手慣れた様子を見て、赤茶毛の少女は疑問を口に出す。


小鞠こまりちゃん、兄弟って居たんだっけ?」

「あれはウチの町内の子たちよ。私は一人っ子。灯成ともなだって知ってるでしょ」

「そ、そっか。結構好かれてるんだね」

「ええ。誰かさんのおかげで、子供のあつかいには慣れたものだから」

「へぇ……」

「あなたが『へぇ』ではダメでしょう……」

「どうゆうこと……?」

「何でもないです……」


 本日三度目のため息を吐きかける深輝みき

 その時、彼女達の背後から、やや大人びたものと幼さの残るもの、か細いものではなくしかし威勢の欠片もない二つの女児の声が、重なる少女達の鼓膜こまくふるわせた。



「「あんたらそんなとこで何してんの?」」

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