2 ~姉の美少女〜



「あ―――……。やっと終わったー………」


 二〇八九年の五月は十一日。

 三時間目の終了時刻をげるチャイムの音が鳴ると同時に、あたしは机の上に上半身を雪崩なだれれ込ませる。

 そしてその隣、何人なんにんかがあたしと同じように机へ体を預ける中、微動びどうだにせず目の前のタブレットを見つめる親友が居た。


わった………。ふふ……確かに終わったわね。これは………」


 そうつぶやき、チャイムが鳴り終わるのと同時に試験答案ウィンドウが自動で保存・送信・削除される様子を眺めていた小鞠こまりちゃんは、コロン、と右手から机上へタッチペンを滑らせ落とす。

 回答していたテストの科目は、歴史れきし。世界史と日本史の両方が出題される、ありがたいお得セットだ。

 カンニングをするつもりはないけど、時折ときおりちら、と小鞠こまりちゃんの様子を盗み見ていた感じだと、ペンの握られた手はほとんど動いてなかった。

 今回はもしかしたら、あたしよりも解けていないかもしれない。その時は、小鞠こまりちゃんの好きなコムギダ珈琲に連れて行ってあげよう。今月はもうあまり出費できないけど、親友のためだ。しむ理由はない。

 そんなことなどを考えているうちに、ホームルームも終わり解散の挨拶がかけられる。

 意気消沈としている小鞠こまりちゃんを介抱しながら前方のドアから教室を出るとき、前の方の席の大塚おおつか君達の会話が漏れ聞こえてきた。


「ん? なんか、ミカンっぽいにおいがしねえか?」

「はぁ? 何言ってんだ大塚おおつか。おい、そんな匂いするか?」

「ん-、言われたらほんの少し、する気もしなくはない、かな?」

「えーマジかよ。お前らの鼻どうなってんだよ」

「いやお前の方がまってんじゃないの」

「間違いねえな」

「あははははは」


 そんな話を聞きながら、ふと思う。

 そういえば、今朝けさからなんだかオレンジっぽい良い匂いがするけど、なんなんだろう。

 あたますみでそう考え、廊下に出たところでようやく自分で歩き始めた小鞠こまりちゃんを追いかけて並んだ。


 教室棟きょうしつとう中央の階段を下りて、昇降口の下駄げたばこで上靴からスニーカーにき替える。その頃には小鞠こまりちゃんも気持ちを切り替えて、二人でこの後どうするかを話していた。

 本当はテスト勉強をするべきなんだろうけど、あたし小鞠こまりちゃんも、お互い逆の理由でその必要性と意味がないから、仕方がない。むしろ何もせず、気楽にテストを受けた方が結果は良いことが多いのだ。

 小鞠こまりちゃんいわく、「ちゃんと普段の板書ばんしょを書き写していたら勉強する必要なんてないでしょ」らしい。うらやましいかぎりだ。

 昇降口からグラウンド沿いの正面通路に出ると、春も終わりの日差しがあたし達を出迎でむかえる。そろそろブレザーを着て外を歩くのもきびしいかもしれない。早くもセーターがかえく時が来るようだ。

 あと一、二週間もしないうちに、夏服なつふくに移行する生徒も増えるだろう。

 二十一世紀もなかばを過ぎた頃から、夏と冬が大きく春と秋を侵食しているようで、世紀末も目に見えてきた昨今さっこんでは、夏と言えば五月から九月の五カ月間をすようになった。正確には両月の中旬くらいが境目だから、おおよそ四カ月間だけど。

 小鞠こまりちゃんとそんなことを話しながら歩いていると、少し前を行くつやのある長い黒髪くろかみの女子生徒の後ろ姿が目にうつる。


「あっ。―――み~きちゃー、んぷッッ」


 この春から仲良くなった新入生の女の子の背中へ、いつものように飛び付こうとジャンプをするが、くろ色のサイドテールをなびかせ今日はものの見事にするりとかみ一重ひとえけられてしまった。

 くういた腕を交差させ、勢い殺せずそのまま地球にダイブしてしまったあたしの背中から、近頃ちかごろ聞き慣れ出した小さくもりのある女の子の声が降り掛けられる。


「何やら不穏な気配を背後に感じたかと思えば、灯成ともな先輩でしたか」

けるなんてヒドいよー。深輝みきちゃん」


 ヒリつく顔を持ち上げたそこに立つのは、将来は美人さんになりそうな可愛らしい顔を携えた後輩の女の子、深輝みきちゃんだ。

 立ったままあたし一瞥いちべつする深輝みきちゃんにあたしは訴えかける。が、


「こんにちは。すぎ先輩。……その様子だと、今日はさっそく歴史系の試験でもありましたか」

「………エエ」

「試験初日から災難でしたね」

「……ソウネ」


 不起訴。

 あたしなどお構いなしに、二人のお話が進められていく。




「……こんにちはです、先輩。相変わらず馬鹿をやれているようで何よりです」


 あたしを置いて先に校門を出て帰路きろ小鞠こまりちゃん達に、身体の正面の各所が痛いのを我慢がまんしながら追い付くと、前を向いたまますずしげのような顔で深輝みきちゃんは言う。


「………深輝みきちゃん、何かあった?」


 どこかいつもと違う雰囲気に違和感を覚えて、あたし深輝みきちゃんにそう問い掛ける。

 今日初めてあたしと視線をまじわわせた深輝みきちゃんは、しかし顔の表情は変えず、数台の車が行きう道路の歩道信号に向き直す。


「いえ。……何もない、とは言いませんが、私個人こじんの事情です。わざわざ灯成ともな先輩に話すようなことではありません」

「もしかして、弟くんのこと?」

「っ!?」


 なんの根拠もない、ただの思い付きだけど、どうやらドンピシャだったらしく深輝みきちゃんは目をいて鋭くあたしの方を振り向いた。


「な、なぜ、ですか?」

「えーっと、な、なんとなく」


 これと言って隠す理由などあるわけもなく、素直に答える。

 そのタイミングで信号が青に変わり、あたし達三人は歩き出した。

 渡った先の歩道を右に曲がりながら、深輝みきちゃんは小さく息をく。


「はぁ………。灯成ともな先輩の場合、はぐらかしではなく本当にそうであるのが少し頭に来ますね。変なところでさっしが良いというか……。(普段は分かりきったことでも全く理解できないのに)」

「あはは……ホント、なんでだろねー」


 深輝みきちゃんに言われるとおり、たまにピンとくることがあるけど、どれもただのかんだ。最後にボソッと何か聞こえた気がするけど、すぐに小鞠こまりちゃんが本題に引き戻す。


灯成ともななな不思議ふしぎはともかく、つまるところは、深輝みきさんの弟さんに何かあったのかしら」

あたしそんな不思議ちゃんじゃないよ!? ていうか七つもあるの!?」

「弟の事というのは、まぁ、そうですが」

「あ、スルーなんだ」

「でも、近頃ちかごろ弟の様子が、雰囲気がいつもと違うように感じるというだけで特になにかあるというわけ―――」

「……深輝みきちゃん?」


 途端とたんに口を閉ざした黒髪少女の見詰みつめる先、車道を挟んだ反対側の歩道には一つの人影があった。くり色の髪は短く整えられ、暑くなった気候に合わせてかそら色のTシャツの下は膝丈ひざたけのパンツだ。

 視線がそのに釘付けの深輝みきちゃんは、ポツリと声を漏らす。


あきら………?」

「アキラ……くん? ってあの子のこと?」


 最近どこかで聞いた覚えがありそうな名前だ。なんだったっけ? 

 その時はなんだか色々とごちゃごちゃしていたような気がするけど、思い出せないのならばしょうがない。


「………はい、弟です。………どうしてこんな所に……」


 無意識のように呟いた深輝みきちゃんは、住宅路の角に消えていく少年の背中を目線だけで追いかける。

 それは、あたし達と途中まで帰路を共にする深輝みきちゃんの足の向く先とは、まったく逆の方向だった。


「確か、このあたりの小学校は、今日は特別授業があったはずだから、この時間にここにいてもおかしくはないのじゃないかしら?」

「いえ。あの子はどこかに出かけるにしても、一度家に帰り荷物を改めて出ていきます……。学校帰りに、こんな所に居るのは不自然です」


 深輝みきちゃんがそう言うのに思い返すと、そういえばさっきの子の背中にはダークブラウンのランドセルがあった気がする。

 深輝みきちゃんの話と合わせると、最近アキラくんの様子が変なのとここに居るのは、何か関係があるのかもしれない。


「それは一理いちりあるかもしれないけれど。ただの偶然ぐうぜんという線もあるわよ?」


 あたしの呟きに、小鞠こまりちゃんは相槌あいづちを打ちつつも残念な方の可能性もげる。


「だったらあとを追いかければいいんだよ! 尾行びこうだー!」

「どうやってですか。あきらは角を曲がってもう姿も見えませんし、何より私達が居るのは反対側の歩道です。今更いまさら追いかけても無駄ですよ」


 確かにそれはそうだ。しかし、深輝みきちゃんは一つ大事なことを見逃している。


「な、なんですか……」

「ふっふっふー。今日がダメなら明日あした尾行すればいいんだよー。小学校は今日は特別授業で、あたし達の明日は?」

「なるほど。アキラ君が今日この時間、この場所を歩いているのは特別とくべつ授業じゅぎょうで早く学校が終わったからだけど、ここ最近様子がおかしいなら明日も寄り道をする可能性は少なからずある。そして私達の中学校は明日はまだテスト期間で、小学校よりも早くに解放されるから、そこでアキラ君の小学校まで行ってせするということね」

「そういうことー。ムフフン」

灯成ともなにしては、珍しくえた一案いちあんね」

「最後の得意げな顔はひどく気に食わないですが、その通りですね」


 不満そうな深輝みきちゃんは、あたしを覗き込みながら歩き出した小鞠こまりちゃんにともなって帰路へ足を向けた。




 くる翌日。


「というか、なぜ先輩達が一緒になって向かっているんですか………!」

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