2 〜無能の少女〜



 黄昏時たそがれどきの屋上に輪郭りんかくのぼんやりとした影を落としながら、それはたたずんでいた。

 江戸川を越えた千葉ちば県は市川いちかわ市、そこにある総合病院の上で徐々に下りる夜のとばりに身をやつす大きなは、何をするでもなくただそこに座っている。

 猫や犬のようにお尻を落とし、首との境が見分けられない頭を乗せたスラリとした胴をたわませ、短い四本の足を床に着けているそれはフェレットのような形をしていた。


「あれはイタチ型じゃないかしら」


 近くの商社ビルの屋上で様子を見ていたあたしの横に、気付かないうちに立っていた薄橙うすだいだい色の少女がボソッと言う。


「えっ。フェレットじゃないの?」

「人に飼育されている生物がディザイアー化したのなら、あなた達くにいぬにはそう報告が来ているはずでしょう。そうでないのなら日本で野生のフェレットはまず繁殖はんしょくできないから、あれはいたち型よ」

「そっかー。フェレットじゃないかー。………フェレットじゃなくていたちなの?」

「あなたのそのフェレットに対する思いは一体なんなのかしら………」


 ため息と共に吐き出された言葉に、返事は不要と言うように薄橙うすだいだい色の魔法少女/ルナちゃんは頭に左手を当てがい首を振る。


「ところで、私がこれに気が付いてここへ向かって来るまでにそれなりの時間があったと思うのだけれど、他の国家魔法少女国の狗はこの怪物を倒しに来ていないのかしら」


 ルナちゃんに向けていた視線を外し、いたち型のディザイアーの鎮座ちんざする総合病院の周囲、そして少し離れた後ろを流れる江戸川を見る。

 警戒避難誘導のアナウンスが江戸川の向こうから聞こえてくる。こっち市川市側の避難はもうほぼほぼ済んでいるらしく、いたって静かなものだった。

 あたしがこのディザイアーの出現の報告を受けたのは放課後に友達とカフェにお茶をしに行っていた時だったから、変身して出動するのに少し時間が掛かった。そうして数分前にここへ来たときにも誰も居なかった。

 今こうしていたち型ディザイアーの動向をうかがっている間も、ルナちゃん以外の魔法少女の気配は感じられない。


「うん、あたし以外の子達はみんな来てないみたいだね。何でも今、他のところでディザイアーが先に出たらしくってそっちの方に駆り出されてるんだって。だからちょっと離れてて療養りょうよう中でいてたあたしが呼ばれたみたい」

「……………っ」


 言葉は口にしなくても、ルナちゃんが苛立いらだった思いをつのらせているのが分かった。

 あたしのことを思ってくれてなのか、それともディザイアーが出現しているのに魔法少女が来ていないことなのか、どちらかは分からないけどルナちゃんがホントは優しい子なのかなと思えると、ちょっと嬉しくなる。

 それとも、前に言っていた”守りたいもの”が危険にさらされるから、かな。


「大丈夫だよ。療養中って言ってもほとんど治ったようなものだし、魔法少女は怪我けがの治りが早いから。他の子達がいないのも、半分くらいはこの間のくらディザイアーとの戦いで怪我したりしばらく戦闘不能になったりで、今は東京近辺この辺りで戦える魔法少女が少なくなってるだけだから」


 言ってはにかんでみせると、薄橙うすだいだい色の少女は不服そうながらも納得したのか、少し難しい顔をしていたち型ディザイアーを見据みすえた。

 夕日ももう山の向こうに隠れて表情は見えづらくなる。数日前に見た時は綺麗だと思ったけれど、パラパラときだした町の街灯に当てられるその横顔は、今は何故なぜ格好かっこうく見える。


「…………だとしたら、あのディザイアーは私の手でほうむるしかないわけね」

「えぇ? もしかして一人で戦う気!? 危ないよ。ルナちゃんは確かに強いかもだけど、一人でディザイアーと戦うなんてそんな危ないことはさせられません!」

「問題無いわ。これまでもそうだったし、今回も今まで通りやるだけ。それに私一人の方が下手に連携を組むより効率的で安全よ」

「だったらあたしが合わせる!」


 わずかに目をむいてルナちゃんはあたしと視線を合わせる。だけどすぐにはずされた。恥ずかしがり屋さんだなぁルナちゃんは。


「(あなたという人は、やっぱり他の狗共とはどこか少し違うわね)」

「……ん? 何か言った?」

「あなたみたいな甘い人間がよく今まで生きてこれたものだとあるしゅ感心していたのよ」

「ホント!? えへへぇ、そんな程でもないよ」

められたのではなくけなされたのだという自覚とうたがいを持ちなさい………はぁ」


 ルナちゃんはまたも左手で頭を抱える。むぅ~、とほほふくらませるあたしを無視して、ディザイアーを再び見遣みやる。


「………別に無茶な戦い方をしようと言っているわけではないわ。第一、あれが病院の上に居る以上こちらもそうそう手を出せないでしょう。それにあれも随分ずいぶん大人しいものじゃない。だから、ト……あなたもずっと様子をうかがっていたのでしょう」

「と………?」

「関係無いから無視してちょうだい」

「わぷ……!」


 ふい、とらす目を覗き込もうとするあたしの顔をルナちゃんの右手に押し戻される。

 なんの負けるか! と、それを逆に押し返す。ふんぬぬぬ。


「ちょ、なに頭を押し付けてこようとしてるのよ! この………!!」


 ぐぐぐ……、と双方引かぬ押し合いの綱引きが繰り広げられる。右手を左手で支えるルナちゃんに、両足をしっかりと踏みしめて顔を突き出すあたし

 ふとそれを見ていた―――目のようなものはくら過ぎて見えないが―――いたち型ディザイアーは、馬鹿らしいとでも言うかのようにこちらへ向けていた頭を向こうの正面に戻した。

 一瞬いっしゅん気が逸れた隙をついて、ルナちゃんは屋上の床にあたしの頭をいなす。


「わきゃっ!? っぺぶ!」

「………こんなことをしている場合じゃないでしょう! まったく……あなたと居ると調子をくずされるわ」

「いたたたた………。体勢たいせいを崩されたのはあたしだけど……。でも、あの子、ずっと動かないよね」

「そうね。ディザイアーはおもに根源となった欲望よくぼう沿って行動するものだからどうとも。(というかディザイアーを”あの子”呼ばわりって………)」

「あんなにじっとしてるなんて、どんな欲望からディザイアー化したんだろう」

「それについては少々しょうしょう情報がありますよぅ」

「「!!」??」


 後ろからふいに声が掛けられて、慌てて起き上がって振り返る。

 半身だけ回して構えるように背中をひるがえすルナちゃんのするどい目線の先、屋上にそのまま飛び移ってきたあたし達―――多分ルナちゃんも―――とは違い、屋根と壁に囲まれた階段の出入り口の扉から出てきたところに、にやけ顔で立っている一人のスーツ姿の男性が居た。


「あれっ。近藤こんどうさん!?」

「いやぁ~~。なかなかに仲睦なかむつまじいご様子で大変眼福がんぷくなのですがぁ、流石さすがにちょっと心配になりましたので来ちゃいましたぁ」

「………誰?」


 警戒心を隠す気配もなく、ルナちゃんは怪しい雰囲気が駄々だだれの男性/近藤こんどうさんをめ付けた。

 近藤こんどう徳彦とくひこさん。いつもうすら笑いが顔に張り付いたようなこのおじさんは魔法少女保護ほご管制局かんせいきょくの職員で、主に魔法少女と日本内閣防衛相とのはしわたしをしている人だ。その他にも現地の魔法少女達を補佐ほさしたり連絡役になったり等、いわゆる色々振り回されているお役所さんである。


「あっはっはっはぁ。おじさんはひどいなぁトモナさん。私はこれでもまだ、二十代ですよぉ」

「で、その雑用係の国のがここへ何の用かしら」


 頭をいておどける近藤こんどうさんに対し、ルナちゃんは辛辣しんらつな物言いで話を進めようとする。

 ルナちゃんにうながされ忘れてたと言うようにぽん、と手を叩く近藤こんどうさん。


「そ~うでしたそ~うでした。今回はトモナさんとお会いしに来たんでしたぁ。ところでトモナさん、本題とあのディザイアーについて、どちらから先に聞きたいですかぁ?」


 楽しそうな調子で両の手の人差し指をそれぞれ順に立てて近藤こんどうさんはそう言った。

 そういえばさっき情報がどうだとか言っていた気がする。


「あっ、そうだ。あのディザイアーの情報って?」

「そんなものよりももっと重要視するべきものがあるでしょうに………」

「えぇ~えぇ。まぁ情報と言いましても、噂話うわさばなし程度のものなのですがぁ。あのディザイアーの元となったイタチですが、どうやらあの病院に入院されていた老婦人に近くの江戸川で世話されていたものらしいのですよぉ」

「えっ、それってあのディザイアーはそのお婆さんのお見舞いがしたくてああなっちゃったってこと?」

「あくまで噂からの推論ですが、そういった情慕じょうぼのようなものから哺乳類ほにゅうるい型のディザイアーが出現することが、ごくごくまれにあるそうですよぉ」


 後ろの病院を振り返り、その屋上のディザイアーを見つめる。ディザイアーはただただ座ったまま、小さく「くぁ……」と欠伸あくびのようなものをしていた。

 今まで戦ってきたディザイアー達とは違い、暴れるような素振すぶりもなく、かといって何か行動を起こしているようでもない。

 そのようは、静かなものだ。

 その時、ルナちゃんがあたしの名前を呼んだ。


「トモナ。例えどんな事情があろうとも、相手は怪物と化したけもの。放っておけば被害が出るのは必然よ。東京事変で起きたことを、覚えていないわけではないでしょう」

「………うん。あの時の暗闇のせいで、世界中で千人せんにん単位の犠牲者が出たことは分かってる。それにもしそうだとしたら、このままじゃどのみちディザイアーからは元に戻れないから、ここにいる間だけそのお婆さんの入院が長引いちゃうかもってことだよね。だったら、あの子のためにも早いところ浄化たおしてあげないとだ」


 病院の屋上にディザイアーが出現した以上、移動が可能な患者さん達は避難しているだろうし、そうじゃない人も何かしらの防衛処置で治療ちりょう等はストップしているはずだ。

 それに経緯けいいは何であれ、ディザイアーが出た以上不安で多くの人が顔をくもらせる。それは、嫌だ。

 あたし魔法少女あたしである限り、笑顔はやさせない。

 ルナちゃんはあたしから近藤こんどうさんへ向き直り、ぶっきらぼうに言い放つ。


「あのけものは早々になんとかするとして。いぬ。その前に、あなたは何をしに、ここへ、来たのよ」

「ああぁ。そうですねぇ。実は、先日の一件でトモナさんが魔法を覚えられたとの報告がありましたので、もし可能であれば今回の戦闘などで拝見はいけんできればとうかがった次第なのですよぉ」

「あー! そうだ。そういえば忘れてた! あたし魔法使えるようになってたのに言ってなかったんだっけ」


 国家機関所属の魔法少女は、自身の魔法や魔力のパターン等を国に報告して、ディザイアー撃破げきは時や有事のさいに、誰がどこでどんな魔法を使って何をしたのか分かりやすくしているのだ。またそれによって出動している魔法少女の得意な状況を作り出したり、魔法発動後の反動はんどう等の対応や戦闘後の搬送などを援助したりも行われている。

 それに、


「トモナさんは今まで魔法を使用なさらず純粋な魔力だけで戦ってこられたので、現場状況や自己申告、居合わせた魔法少女さん達による証言から戦績等を把握はあくしていたのですが、魔法が使えるようになったというのであればなお評価・援助・補佐しやすくなりますぅ。まぁ、撃破時の追加報奨ほうしょうらないと言うのであれば、こちらとしても問題はありませんがぁ」

「もー。近藤こんどうさんいつもすぐそうやって意地悪う」


 近藤こんどうさんはにこやかな顔で胸の前に手で作った報奨金を表すような形をぺいっ、と身振りで投げ捨てた。

 あたしは改めて病院のディザイアーに杖を向けて、張り切って魔力を込み上げていく。その横に、ようやく警戒の色を薄めたルナちゃんが並び立つ。


「今からあたしのありったけの魔法を使うから、近藤こんどうさんちゃんと見ててよ! ルナちゃん、攻撃はお願いね!」

「まったく、仕方がないわね。あなたのあの魔法なら、私も余裕を持って戦えるでしょうし………」


 ルナちゃんにうなずき返し、杖をあか煌々こうこうと光らせていく。たかぶっていく魔力を杖の先の玉にどんどんと送る。

 杖のかがやきは増し、辺りの街灯なんかよりも明るくなっていく。

 光の色は魔力の流れにしたがってしゅ色や黄色きいろと移り変わってみせる。

 溢れ出す魔力で商社ビルの屋上が揺らされ、風に運ばれて来たのであろう小石や枯れ枝に葉っぱをおどらせるのが横目でも見える。

 空気に緊張が走っていくのが分かった。

 その空気もふるえ、魔力がこの場を支配していく。


「……………………………………トモナ?」


 ルナちゃんがちら、とあたしを見る。


「………………あ」

「あ?」

「あ………あれ~~~~~? 魔法が、出ない?」

「は?」

「おやぁ?」

「ていうか、あの魔法ってどうやって使ったんだっけ………」


 杖にめた魔力をほとぼらせらしながら、ルナちゃんに顔を向ける。視線と視線が交わり、熱くなった目尻にしずくが宿っていく。

 すっかりとの落ちた夜空に薄黄うすき色の少女の絶叫が響き渡たった。


「は……はぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ??!!」


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