第4話 アルキューレ一族
「ただいまー、ちゃーんとお仕事してきたわよォ、ラキシス皇帝陛下様ァ」
金属の柱が何本も並んだ広い部屋。空間の中央を横切るように敷かれた臙脂色の絨毯の上を歩きながら、シャーリーンは長い髪を掻き上げつつ前方へと声を掛ける。
帝国の紋章が描かれた巨大な黒い垂れ幕が掛けられたその場所に、壁や柱と同じ素材で誂えられた椅子が置かれている。どっしりとしており、全体に青く発光するラインが入った、立派な椅子だ。その傍らに、帝国の紋章が入った純白のマントを羽織った人物がシャーリーンに背を向けて立っていた。
全身を覆う漆黒の甲冑は、機械部品を彷彿とさせるデザインの細かい彫刻が施されており、物々しく厳つい。人の顔を模った兜は角飾りが付いていることもあって一見すると鬼神のようにも見える。腰に差しているのは一振りの剣。複数の歯車やシリンダーといったパーツで構成され、金属のパイプが張り巡らされた機械のようにも見える得物だ。
その人物は背後からの呼びかけに気付くと、ゆっくりとそちらに振り向いた。
「……早かったな」
変声機を通して喋っているかのような、低く電子的な声だ。
ええ、とシャーリーンは皇帝──ラキシスの前までやって来ると、ローブの片方をついと女性がドレスを持ち上げるように摘まんでくるりとその場を踊るように一回転した。
「味気ないお仕事だったわァ。ログリスの空軍も大したことないわね。ログリスは空軍が一番強いって言うから期待してたのに、アタシの魔術一発で簡単に墜ちちゃうんだもの。ぜーんぶ蹴散らしてやったわよ。あんなの、うちの戦艦を出すまでもないわね」
「それだけ貴様が有能な魔術師であるということだ。……恐ろしい男だ、ルシア・アルキューレ……何の力も持たぬ普通の人間を、世界屈指の魔術師に変えてしまうのだからな」
「あら、世界最強とは言わないのね? アタシが世界最強じゃ不服だって言うのかしら?」
「あの男が持つ知識と技術は我々には理解できぬようなものすら容易く生み出す。ただの人を魔術師に変え、相容れぬと思われていた機械と魔術を融合させ、我らの暮らしを以前とは比較にもならぬほどに裕福なものへと変えた……貴様は破壊することはできど、創ることはできぬだろう。世界最強の魔術師を決めろと問われたら、余輩は迷わず奴を指名する。紛れもなく、あの男こそが世界最強の魔術師だ」
「ふうん……ま、いいけど。アタシは別に世界最強の称号になんて興味ないし」
シャーリーンは肩を竦めて、周囲をのんびりと見回した。
壁、柱、床……建物のあらゆる場所に血管のように走る、青く発光するライン。これは、魔術の力の通り道だ。
アルガリア帝国は、魔術の力で稼動する巨大な機械要塞なのである。
魔術の力をエネルギーにして動く機械は、この世界で一般的に普及している石炭や石油や蒸気で動く普通の機械と区別して『魔機』と呼ばれている。小さな日用品のようなものに始まり、巨大な兵器に至るまで、魔術の力で稼動する機械は全て魔機だ。アルガリア帝国はこの魔機を手にしたことによって、世界最強の軍事大国へとのし上がったのだ。
「さてと……今日はルシアちゃんが来る日だし、アタシも部屋に帰って準備しなきゃ」
「……そういえば、今日が薬の納品日であったか」
「そうよォ。魔装強化薬『スブリマトゥム』。兵士たちを強くする大切なお薬なんだから、忘れちゃ駄目よ? 皇帝陛下様。……ねェ、アタシ、いっつも疑問に思ってるんだけど」
大袈裟とも思える仕草で抱擁を求めるように両腕を広げる格好をしながら、シャーリーンはラキシスに問いかける。
「ルシアちゃんにお薬届けさせるなんてちまちま面倒なことしないで、此処でお薬作らせればいいのに。どーんと。どうせ空いてる部屋なんて幾らでもあるんだし、適当に設備揃えてそこに監禁しちゃえばいいのよ。その方が手間省けるんじゃないの?」
「スブリマトゥムは自宅の設備がなければ作れぬと奴は言っている。製法も人目に晒したくないらしい。納期は厳守するから自宅で作らせてくれと懇願されてな。……余輩も鬼ではない。良き関係を保ち、奴を余輩の敵に回さぬためには、奴の言い分にも耳を傾けてやることが重要だ」
「はぁ、相変わらずルシアちゃんには甘いのねェ……皇帝陛下様。ま、アタシもルシアちゃんの力がないと魔術師でいられないわけだし、皇帝陛下様がそう仰るのも理解できないわけじゃないけどォ」
やれやれ、と呆れたようにかぶりを振って、シャーリーンはラキシスに背を向けた。
「それじゃ、アタシは部屋に戻るわ。バイバーイ」
鼻歌を歌いながら去っていく魔術師の後ろ姿を見つめながら、ラキシスは誰が見ても分からない程度に小さな溜め息をついて、呟いた。
「始祖魔術師、アルキューレ一族……奴の存在なくしてこの国は成り立たぬ。魔装兵も、人造魔術師も、魔機も、マーテル・システムも……奴がいるからこそ、我がアルガリア帝国は世界を掌握できるほどの力を有することができたのだ。今更、手離すわけにはいかぬ。余輩が人類のカーストの頂に立つためには、何としても奴を支配下に置かねばならぬのだ……」
「…………」
ルシアからの話を聞き終えたネロは、複雑な表情をしたまま相手の顔をじっと見つめていた。
魔術師。魔機。
アルガリア帝国という軍事国家を生み出し、全人類を巻き込んだ世界大戦を勃発させるきっかけとなった元凶。
それこそが、今目の前にいる、この男なのだという。
アルガリア帝国が世に誕生して四十年。国としての歴史は浅いが、その間にアルガリア帝国は諸外国に対して様々なことを行ってきた。
数多の街を焼き払い、人々を虐殺し、若く美しい
人類にとっての最重要施設である『クローニング・コロニー』──男性しか存在しない人類を複製という形で生み出すことを目的として作られた世界各地に点在する施設も、ことごとく破壊された。
この男さえいなければ、今頃世界はこんな有様にはならなかった。親しき人たちを大勢目の前で失うこともなかった。
自分が軍に入隊して特攻兵となることも、なかった。
彼が、全てを狂わせたのだ。自分だけではない、世界中の何の罪もない人々の人生を、未来を、全て──!
「────」
湧き上がった怒りを叩きつけようとした、その時。
ドンドンドン。
部屋の外から、扉を叩く音が聞こえてきた。
「──ルシア・アルキューレ殿。アルガリア皇帝陛下の命により、貴方をお迎えに参りました」
「…………」
ルシアは僅かに眉間に皺を寄せると、音がした方に視線を向けた。
「……ああ、今行くよ。仕度するから、少しだけそこで待っていてくれないか」
少しだけ大きな声でそちらに呼びかけてから、ネロに視線を戻す。
「すまない。僕はこれから出かけなければならない……帰ってきたら、話の続きをしよう。君はこの部屋でゆっくり休んでいてほしい」
周囲の目を気にするように少しだけ辺りに視線を這わせてから、声を潜めて、言う。
「いいかい。決して、この家の外に出てはいけない。今の君を帝国の……帝国兵たちの前に出すわけにはいかないんだ。君が外部の人間だとばれたら、何をされるか分からないからね。外から呼びかけられても絶対に返事をしてはいけないよ。ただ待つのが退屈なら家の中を歩き回っても構わないけれど、窓の傍には絶対に近付いてはいけない。分かったね?」
あまりにも真剣な眼差しで念を押してくるので。
ネロは、胸中の怒りを引っ込めて思わず頷いてしまった。
ルシアはふっと微笑んで、椅子の上に置いていた薬入りの壺を抱え上げた。
「それじゃあ……行ってくるよ」
彼はそう言い残し、部屋から出て行った。
少なくとも、ルシアには自分のことを陥れるつもりはない。それだけは確かだ。
ルシアの話を聞いてしまった以上、彼に対して湧き上がってしまったこの怒りを今更なかったことにすることはできない。しかし、だからといって無条件で憎み拒絶することもできない。ルシア自身、自分が現在の帝国を作り出してしまったことを後悔しているようなのだから。
彼が戻って来るまで、言われた通りに大人しく待っていよう……ネロはそう独りごちて、ベッドの上にごろんと横になったのだった。
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