25.他人の気持ちは他人しか知らない ②/神685-6(Und)-1
やがて時間は夜となり、現公爵との
メイドであるロゼさんを除けば、実質五人である。
人数が少ないから私たちが動くより、この屋敷の食堂に現公爵が直接、来ることになったらしい。
そして到着した食堂には既にベルジュと現公爵が席に着いていた。
短く切ってある白い髪とひげ、歳月を感じさせる顔と鋭い目つきの現公爵はこちらを見るなり笑みを浮かべては、我らを歓迎した。
「やっと会えました使徒殿、そしてエルフの方々。
このような出会いが
フラーブ公爵家の当主であるベルク・フラーブと申します、以後お見知りおきを」
「……はじめまして、アユムと言います」
「このように
トレーフ領のエレミアと申します」
「フォレスト様の神官のレミアと申します。
今夜はこのような場に招待してくださり、ありがとうございます」
後ろの二人はさも当然のごとく挨拶を述べてみせた。
適当に自己紹介を済ませてしまったが、こうなるとやり直したい気持ちになる。
しかしもうやってしまった以上、やり直しなんてできない。
でも、現公爵は何も気にしていないかのように笑ってみせた。
「はっはは、ご丁寧な紹介、ありがとうございます。
慣れない席で緊張されるのも無理はありませんが、どうか気楽にいてくだされ。
どうぞお座りください、細かい話は食事後にいたしましょう」
言葉に従い私たちが座ると、すぐさま食事が目の前に並べられる。
この世界で見た食事の中では一番豪華な食卓だ。
エルフの二人のために、果物や野菜で作った料理なども用意されている。
並べられるおいしそうな食事、そしてグラスには何かが注がれる。
注がれた液体からが、ぶどうの香りがした。
「酒ではないので、心配なさらないでくだされ。
めでたい席ではありますが、大事な席でもありますからな。
エルフの方々も考え、ぶどうを絞って作った飲み物を出してみました」
「はい、これなら私たちも大丈夫です」
「よろしい、ではこのめでたい席を記念して乾杯といたしましょう。
フラーブ公爵家と、アユム様たちとのこの出会いに――――乾杯!」
『乾杯!』
「……乾杯」
軽くグラスを上げ乾杯をして、そこからは普通に食事が続いた。
現公爵は私の食べる物とかを見ながら、軽く説明をしてくれている。
それを適当に相槌を打ちながら、頭では必死に考えを巡らせた。
見た目からして厳しい印象だったが、今のところはただのいい人だ。
権威的なところも見当たらないし、エルフに対する偏見もないように見える。
そこでふと、給仕をしているロゼさんと目が合う。
ロゼさんは特に何も言わず小さく会釈しては、そのまま自分の仕事に戻った。
――――信じても、良いのだろうか。
いまだに疑いが晴れないまま、午後の会話が脳裏に蘇る。
『私の目的はあなた様を邪魔することではありません。
しかし、言葉だけでは信じてもらえないでしょうから、情報をお渡しましょう。
その代わり、役に立ったのならこちらのお願いを一つ聞いてください』
そうやってロゼさんが述べたのは現公爵、ベルク・フラーブの人物像であった。
何をしろ、どうしろではなく、単にどういう人間であるかだけの説明。
それと、私の現状についての助言とも言えるものである。
『ベルク様の爵位は公爵であり、それを次代に継がせようとしてる方です。
ただで維持できる爵位でも、息子という理由だけで継げる爵位でもありません。
それほどまでに政治的にも軍事的にも、文武両道な方であります。
なのでアユム様が今回の
せっかく神の使徒という切り札を陣営に引き入れたですから』
『何をしでかしても、ですか』
『はい、むしろアユム様の機嫌を損なわないために振る舞うでしょう。
要は公爵本人との顔合わせと、関係作りのための場でしかありません。
――おわかりですか? 今回、顔色を窺うべきはアユム様ではないのです。
相手に合わすよりは、逆にアユム様の目線まで引き下ろしたほうが良いでしょう』
まるで、私があれこれ悩むのは筋違いとでも言うように、そう断言された。
それらの情報の裏付けも、現状を見ると疑う必要はなさそうだ。
もし、これらの情報が全て真実なら、本当に馬鹿げた結論が導かれる。
悪いことではない、私としては良いことだれけだ。
私の感情を二の次に置くのなら、あっという間に全ての問題が解決するだろう。
ただ、この状況がどうしても気に入らないのは仕方がない。
「アユム殿、どうかなされましたか?」
「いいえ、何でもありません」
現公爵の言葉を軽く流して、隣のエレミアの方を目で追う。
私の視線を感じたエレミアは果物をかじっていた口を止め、私に聞いてきた。
「アユム、どうかした?」
エレミアの声を聞きながら考える。
この状況で一番、効率的な行動とは何なのか――ではなく、それをやるべきかを。
大抵のことにおいて、効率と正しさは共存できない。
そして私はこの数カ月の間、効率的な行動というのをあえてやらずにいた。
だから私は今、ためらっている。
余計なことに気を取られて、一番大事なことを忘れていた自分を呪いたい。
こうなることはわかっていたはずだ。
人間の、それも政治の世界に飛び込むのに、いつまで意地を張れると思ったんだ。
それこそ今更の話だ、元の世界では散々やってきたことではないか。
人間らしく、人間社会で生きて逝くために、誰もがやっていることだ。
でもそれを、今この場でやるのか?
『口が動かないからといって、それが嘘にならないとは思わないでくださいね』
彼女らは私の行動や態度からも嘘を見抜く。
でもここで私がそれをやってしまったら、彼女らは従わざるをえない。
挙動がおかしくなるかもだし、態度にも不自然なところが出るはずだ。
そして、ここにはどうも見る目が多すぎる。
「いや、何でもないよ」
やはり駄目だ。
私が道化になるだけならまだしも、彼女らを私の嘘に付き合わせるのは筋違いだ。
だと言うなら、道は最初から一つしかない。
「ふむ、何か気に召さないところでもありましたかな?」
私の不自然な行動に、さすがの現公爵も聞かざるをえなかったのだろう。
聞いてくる言葉は至って普通なのに、なぜかイラついてるように感じる。
それに答えるために、私は両手で持っていた食器を下ろしながら言った。
「単に慣れないだけです、それにあなた様は公爵。
国王にも匹敵する力を持つ方を前にして、緊張しているのです」
「何を仰るか。アユム殿は神の使徒、我ら普通の人間とは立ち位置が違う。
言ってしまえば一国の枠に収まる方でもありますまい」
普通の人間とは立ち位置が違う、か。
確かに、私はこの世界の普通の人間とは立ち位置が違う。
根本から違う余所者で、神の使徒なんて呼ばれるような人間でもない。
この状況を作ったのは私で、広めたのは公爵家だ。
そしてこの現公爵の言葉は、もしかしたら一つの助言なのかもしれない。
解くなら使徒として、自分の位置くらいは知っておけといったところか。
私の読み過ぎである可能性もあるが、目の前の人間は公爵で政治家だ。
ロゼさんの言葉を信じるのなら、読みすぎて問題となることはないだろう。
まあいい、その真意はどうでもいいことだ。
そっちがそこまで譲歩してくれるのなら、遠慮はしない。
「だったら、お互いに遠慮はなしで行きましょうか」
「遠慮とは、はて、どういうことでしょうか」
「――そのふざけた態度をやめろっつってんだ、鬱陶しい」
「なっ……!?」
さすがの現公爵もこちらからこんな暴言を吐くとは思わなかったのだろう。
一度も顔色を崩さなかった現公爵は、ここで初めて声を上げた。
俺は言葉を止めずにそのまま続けた。
「最初に訂正しておくが、俺は自分から神の使徒なんぞ名乗ったことは一度もない。
この名前を付けたのはあんたら公爵家であり、これを呼んだのはいつも他人だ。
俺がそう見られる要素があるというのは認める、だから否定もしない。
ただ、俺を勝手に型にはめて、それに沿った行動を強制するのを従う気はない」
「……それは、約束と違うのでは?」
「いや、違わんな。
俺は陣営に加わってもいいとは言ったが、従うとまでは言わなかったはずだ。
それが嫌なら今からでも俺たちをここから追い出せ、それで解決だ」
「良いのですか? アユム殿は
「――なるほど、
まあ名前はどうでもいいが、入れないにしても問題はない。
そちらに媚を売ってまで入る気は毛頭ないさ。
この肩書がそんなに立派なら王と直接、取引するのもできるだろう」
現公爵の表情はだんだんと固くなっていく。
現公爵から送られる視線からは、正直なにも感じられなかった。
特別な何かは感じられず、だからこそとてつもなく冷たく感じる視線。
でも、残念なことにそんな視線には慣れている。
それくらいで怖じけるような人間でもないので、今回は視線を避けず、あえて見つめ返してやった。
和気あいあいとした空気は一瞬で砕け散り、静寂と緊張だけが場を支配していく。
誰もが口を開けずに、当事者の二人は睨みあっているこの状況。
その雰囲気を破ったのは、小さく溢れる笑い声であった。
「く……くっ、はっははっ! ああ、駄目だっ、我慢できない!
まさか
この姿を国王が見たら爆笑したでしょうね、ああっ録画用の水晶があったなら!」
「ベルジュ、笑いすぎだ」
「も、申し訳ありません父上、ぷふっ。
でも言った通りでしょ? なかなか愉快ではありませんか?」
「ふん、貴様の目を疑ったことはない」
「そのわりには随分とわざとらしい態度でしたが、そういうことにしましょう」
ベルジュの引っかかりのある返しに無言で睨み返す現公爵。
それを受けたベルジュは肩を竦めるだけで、特に何も言い返さなかった。
現公爵はその態度に舌打ちするも、視線をこちらに向き直す。
その顔には先程までの薄っぺらい笑みは浮かんでいなかった。
個人の感想を言うなら、ようやくらしくなったと感じる。
「素の態度がお望みならそうさせてもらう。
それで、そこの青臭い使徒殿はこれからもずっとそれで貫き通すつもりか?」
「さあ、そればっかりはなんとも。
でも――彼女らが見てくれる限りは、そうなるだろうな」
「要は女の前で良い格好を見せたいということか」
「否定はしないが、そこに性別は関係ない。説明する気はさらさらないが」
俺の返答にこちらを睨んで来る現公爵。
睨んでるのに表情だけは無表情に見えるのはさすがとしか言えない。
それとも、本当にこちらへ興味はないのかもしれないが……それはないか。
この態度はあくまで、さきほどの俺自身の行動に対しての返事だろう。
「こちらも実害がなければ貴様の価値観など興味はない――ベルジュ」
「はい、父上」
「とりあえずどんなやつかはわかった、好きにやれ。
ただし公爵家の人間らしい行動を心得よ――貴様に言う必要はないだろうが」
「わかっております、愚弟の二の舞にはなりませんとも」
そう言っては現公爵は席から立ち上がり、ベルジュもそれに追従する。
現公爵は先よりは多少和らいだ表情で、私ではなくエレミアたちも視野に入れて言葉を発した。
「親睦を深める場にしたかったのだが、こうなってしまったのは非常に残念に思う。
しかし、先程の態度で誤解するかもしれんが、あなた方と敵対する気はない。
そういう意味でも、次回はもう少し建設的な会話を交わしたい。
――今回はこれにて先に失礼する、ベルジュは後で私のところへ来るように」
「了解しました父上、こちらがお開きになったらすぐに赴きます」
「うむ」
現公爵は食堂を出る直前、私をチラッと目に留めてから出ていく。
それを確認したベルジュはこれまた大袈裟に私に向けて両手を開いた。
「先程も言いましたがもう一度、本当にさすがですアユム様。
この国に公爵家――いえ、父上相手にあそこまで言える人間はいません。
それも陰口でもなく真正面から堂々と叫んだ。
父上でもこんな経験は初めてでしょうね、いやー良いもの見させてもらいました」
「こちらも引けなかっただけだ、他意はない」
「そうですか、それはよかった。にしてもどうされますか?
このままここで食事をする空気でもなし、解散といきましょうか」
「そうだな、そっちも私の件でいろいろと話さないといけないんだろ?
エレミアとレミアも、それで良いよね?」
「大丈夫だよ」
「わかりました、ではここで今回の場は終わりにしたいと思います。
もし空腹になりましたら、部屋の外の従者たちに申し付けてください。
今後の動きなどに関してはまた別の機会を設けます」
ベルジュの言葉でその場は解散となり、それぞれが自分の部屋へと戻っていく。
私もまた、自分の部屋で先程の行動を振り返っていた。
態度はどうかと思うが、やったことに後悔はない、そうするしかなかった。
エレミアたちが一緒の場である以上、あそこで仮面を被ることはできない。
というか、ここ二カ月はそんな風に自分を演じたことはない。
抑えてはいるが、ほとんどの場合は素の自分でいようと努力していた。
それで正しいと思ってるし、間違ってるとは思わない。
ただ、公爵家と一緒に動くようになった今、どこまでこれを貫けるか。
率直で曲げないというのは一見、痛快に見えるが諸刃の剣でもある。
その率直さが自分の足元をすくわない保証はどこにもない。
公爵家に合わせるためには、私は仮面を被るほかないだろう。
しかしそれだと、エレミアたちも巻き込んでしまう。
私の嘘に合わせて、エルフの彼女らに嘘を強要することになる。
それだけは駄目だ、何があってもそれだけは許容できない。
片方を優先すれば片方がおろそかになる。
いつもが選択の連続だからこそ、物事の優先順位はあらかじめ決める必要がある。
ベッドの上で適当に仰向けで倒れたまま、部屋の中でグジグジと悩んでる最中。
コンコンとたたかれるノックの音とともに、ロゼさんの声が聞こえた。
『お休みのところ申し訳ございませんロゼです、他の皆さんも一緒です。お手数ですが扉を開けて貰えますか?』
「他の……はい、しばしお待ちください」
ロゼさんがこちらに来るだろうということはわかっていた。
他の皆さんというのは少し謎だったのだが、とりあえず扉を開ける。
するとそこにはロゼさんに含め、エレミアとレミアまでもがそこにいた。
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