2.5章

番外1.誰よりも強くて誰よりも弱い人

 フリュードの村。

 緑に包まれたエルフたちの住処の一室。

 そこにはエレミアともう一人の女性がテーブル一つを挟んで話し合っていた。

 彼女の名前はターリア・フリュード、エレミアとレミアの母である。


「だーかーら、あなたはいつもやることがいきなりすぎるのよエレミア」


「うっ、でも仕方ないじゃない。

 励ましてもらったし、恩義には報えないとエルフとして駄目でしょ?」


 エレミアは答えながらも気まずそうにコップの中のオレンジ色のジュースを飲む。

 ターリアはそんな娘を見て笑顔でため息をついた。


「もう、そりゃ私とあの人の娘だもの。

 意地っ張りなところはもう諦めてるけど、私もこんなだったのかしら」


「なによ、じゃあお母さんも私が彼を救ったのが間違いだって言うの?」


 エレミアが彼、アユムを救ってから2週間が経過した。

 謹慎処分を受けていて気軽に身動きが取れないエレミアだったが、それでも色んな人にアユムの件を説明し協力を頼んだのだった。


 結果は連戦連敗。

 一人として彼女とアユムに味方してくれる者はいなかった。

 むしろ彼と約束を交わし、ここまで連れてきたエレミアが悪いと言われる始末。

 こうなることは予想できてたはずなのに、何で連れてきたということだった。

 エレミアはそれを思い出す度にイライラが止まらなかった。


「予想できるはずないでしょ!

 みんながここまで話が通じないとは今まで生きてて思ったこともなかったわよ!」


「落ち着きなさい、それと人間のことはずっと聞かされてたでしょ?

 あなただって今回は人間に拉致られた口じゃない。

 なのに凝りもせずに人間を――と思うのは当然じゃないかしら」


「だから彼は違うよ!」


「どう違うの? それをどうやって証明するの?」


「証明する機会すらくれないじゃない!

 レミアお姉ちゃんの言葉も聞き取ってくれなかったっていうし!」


 アユムに関する村のエルフたちの態度に不満だらけなエレミアだったが、その中でも一番もどかしいのはこれだった。

 何で他人からの言葉と偏見だけで見てもいない他人を決めつけるのか。

 エレミアは今まで村のエルフたちに抱いていた好印象が自分の中でどんどん削られていくのを感じていた。


 それ以前に、レミアは村にただ一人いるフォレストの神官だ。

 神の名前を持って滞在が許されたアユムに対してこの態度はひどい。

 少なくとも話し合ってから決めるべきではないのか。

 エレミアはそうずっと主張しているが、これに対しては否定も肯定もせず回避を選ぶ他のエルフが気に食わなかった。


「まあ、落ち着きなさい。そう興奮しても事態は改善しないわよ」


「――母さんは誰の味方なの? 私、それとも父さん?」


「私は中立以外なにものでもないよ。

 妻である私が中立を示さないと示しがつかないもの。

 でも私個人としては、あなたの意見に同意するわ。

 人間というだけで神がお認めになった方を無視するのは良いことではないわね」


「でしょ!? やはり母さんは話が通じるね、大好き!」


「そうやって大好きって言われても母さん全然嬉しくないよ――

 それに、これは個人感情だけの問題ではないからね」


 個人感情だけの問題ではない。

 母であるターリアの言葉はここ最近、エレミアも思っていた言葉だ。

 彼に対する態度の改善をがむしゃらに主張するだけでは何も変わらない。

 エレミア自身もそう思ってはいた。


 思っていたからこそ、彼女も考えた。

 こうなってしまった原因を、打破する手段を。

 しかし考えれば考える程、エレミアの頭は答えを出してくれなかった。

 出るのは衝突、理解不能による思考停止。

 何度考えてもそこを理解できないエレミアはただもどかしかった。


「本当にわからない、個人と種族は似てるけど違うものでしょ?

 人間が悪いのはわかったし、エルフが人間を嫌うのもわかるよ。

 でも個人は、アユムという個人は違うでしょ?

 何でみんなして確かめもせずに人間という一点だけで判断するの?」


「危険であるとみんながそう言っている。

 一人二人が無実を主張したところで多数の意見は変わらない。

 数が思考を決めて、正しさすらも数で決定される。

 集団というのは総じてそんなものよ」


「その正しさが過ちだとしても?」


「何を持って過ちとするの?

 感情に左右されない、動かない証拠が必要になるのよそれは。

 言葉だけで信じるとするならば、村長であるあなたのお父さんが信じてくれるしかないだろうけど――」


 それができてたらここまで来ていない。

 父娘同士の自分たちの間にそのような信頼関係は結ばれてないという証明だろう。

 そうは思ったけど口には出さないエレミアだった。

 ただ、種族以前に身内ですら信頼されないこの状況なのだ。

 アユムを受け入れてもらえない今の状況は、ある意味当たり前かもしれない。


「やっぱり、それしかないのかな」


「何が?」


「受け入れてもらえないなら、そういう場所を探すしかないでしょ?」


「――――まさか、あの人間が追放されたら一緒に出る気なの?」


「一緒に抜け出す予定だけど、別にどっちでも良い」


 もしものための準備は前々からしてあるエレミアだった。

 それこそアユムが村にたどり着き、あんな監禁まがいのことをされた時から。

 最悪の場合、アユムを連れて村を抜ける。

 それが約束を交わしたエルフとしての義務だとエレミアは考えていた。


「あんたね……それを私の前で言うの?」


「私は約束を守るために動いているの。

 恥ずべき行為でも隠すべき行為でもないでしょ?」


「目の前で家出宣言した娘を見つめる母の心境も察してくれたら嬉しいけどね」


「それなら母さんが父さんを説得してみてよ、それとなくさ。

 私も、もう少し他の人達を説得して見るから……いけるところは少ないけど」


 エレミアはそう言って食べていた果物を急ぎで食べきり部屋を出ていく。

 残ったのはエレミアが出ていった扉をじっと見つめるターリアだけとなった。


「はあ、でもこのままじゃまずいわね。

 もう2週間、いつ溜まった不満が爆発してもおかしくはないわ」


 爆発するのはエレミアか、エルフか、それとも例の人間か。

 どちらもそろそろ限界が近づいているとターリアは踏んだ。

 時間としても短くなく、何らかの方法で今の関係を整理しないと何かが起こる。

 そういう考えだけが根拠もなしにターリア中をぐるぐると巡っていた。

 

「――もどかしいわね、本当に」


 力はある、が発信できる立場ではなかった。

 動きと言葉は常に慎重に、他人にどう映るかを考えながら行う必要がある。

 そういう意味でも、ターリアの立場というのは難しい場所であった。

 本来なら、長である夫の体面もあるので何も言わずそれとなく考えが回るようにするのだけど――


「間に合わないかも、しれないわね」


 もうすぐ開かれる週末会議。

 その日の夜、エルドにそれとなく話してみようとターリアは考えをまとめる。

 間に合わないとしれないという不安もあったが自分が勝手に動くこともできない。

 そう思い、そう結論づけた。


 これが神暦685年4月15日、第三曜日の昼頃の出来事。

 そしてこの日から二日後の週末会議にからアユムの事件まで繋がるようになる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そして時間は今に戻り、アユムの部屋。

 未だ本調子ではなく、眠っていることが多いアユムの側にエレミアはいた。


「本当に、いつも無茶ばかりやるんだから」


 眠っているアユムが起きないように優しく、そっと頭をなでるエレミア。

 それを知ってるのかしらないのか、アユムはただ静かに寝息を立てていた。

 まるでなんの心配もないかのような穏やかな寝顔。

 エレミアはこれを見るたびに、起きてるときにもこの顔を見たいといつも思った。


「私では、無理なのかな」


 アユム、異世界から来た無力で使えない人間。

 それがアユムが自身につけている評価であった。

 確かに彼には力がなく、この世界の常識にも疎い。

 しかしその行動は決して無力な人間が行う行動ではなかった。


 自分の意志を曲げず、目的のためには自分を偽ってても成し遂げる。

 無情を演じながらもその奥には他人を思う優しさが潜んでいる。

 そんな彼を見るたびに思うのは、人間とは矛盾に満ちた存在だということだった。


「本当に無力な人が、前に出たがるはずがないでしょう」


 アユム本人が出たがっていたか、と聞かれれば否としか言えないだろう。

 もし本人が聞いていたら断固否定していたはずだ。

 しかし、アユムは必要に迫られた時に躊躇ちゅうちょする人でもない。

 本当に弱い人というのはそういう時でも尻込みするものである。


 戦う力はない、それこそエリアよりも弱い。

 だけどその内側だけは誰にも負けないくらい強く曲がらない芯がある。

 それがアユムという人間であった。


「弱いながらも、強い人……まさに矛盾した存在……」


 エレミアがアユムと会ってから二カ月弱。

 正確には一カ月半くらいのこの間、エレミアはアユムを通して人間を学んだ。

 エルフとは違い嘘もつけば約束も守らなかったりする人間。

 そこはアユムだって違わない、エルフからしたら許容できないものだ。


 それでもアユムはエルフであるエレミアたちと一緒にいる。

 エレミアだって、今更アユムと離れるというのは考えていない。

 種族では許容できないとしても、エレミアは自分たちのために己を傷つけるアユムを放っておけなかった。


 しかし、結果としてはどうだ。

 アユムを守ると言いながら、エレミアは何もできていない。

 今回だってせいぜいにらみを効かせてアユムを支援しただけ。

 エレミアが本当にやりたかったのはそんなのじゃない。

 それよりももっと単純で、わかりやすいもの――――


「でも、多分それはアユムが望まないよね。

 彼が自分であり続ける限り、彼は今の自分を変えない。

 私がエルフらしくいようとする限り、私もまた彼の力になりきれない」


 エレミアはどうして今までアユムを助けることができなかったのか。

 前回はエルフと人間の問題だったから。

 今回はエレミアがエルフだったため、一緒に動くことができなかった。

 種族の壁は、どこまでも高く分厚い。


「ほんと、難しいわね」


 そう言ってエレミアはアユムの頭をひとなでし席を立ち上がる。

 《難しい》と言ったわりに、エレミアの顔は晴れていた。


「でも、もう決めたから。

 今度はこうはいかないから覚悟しなさいよね」


 未だ眠っているアユムは何の反応も示さない。

 エレミアもまた、返答を期待したわけではなかったのかそのまま部屋を出た。


 ドアの閉まる音が聞こえ、やがて静寂が訪れたアユムの部屋。

 そこにポツンと、声が木霊した。


――――ほんと、ままならないな


 それだけ呟いては目も開けず、体の向きだけを変えて再び眠りを乞う。

 その顔には浮かんでるのは苦笑い。


 窓の隙間から微かに入る月明かりだけが床を彩った。

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