16.辛くても前を、辛いから前へ ②/神685-5(Imt)-2

 20XX年4月。

 わざわざ遠くの高校に入ったおかげで、中学時代の私を知る人はいない。

 成績はあまり良くなかったから、そんなに良い高校ではないけど。

 規則は厳しいっていうから、私には好都合。

 好きだった数学も、もうわからなくなってしまった。

 今度こそ、誰も信じない。


 20XX年5月。

 常にカッターナイフを持ち歩くようになった。

 これがあれば、脅しにはなるだろう。

 持ち歩くという噂が広まって後ろから言われることはあっても、それだけだ。

 暮らしは随分と安定した。

 最初からこうすればよかったんだ。


 20XX年7月。

 夏休みが近づいた頃、昼休みに休んでると誰かが話しかけてきた。

 別に拒む理由もなかったため、適当に相槌を打ちながら会話を楽しんだ。

 久しぶりに、口を開いた気がする。

 他人と話すのは相変わらずどこかぎこちなく、笑顔も自然ではなかったけど。

 ここまで、心が動じるものだっただろうか。


 20XX年8月。

 あの日以来、何故かあいつが絡まってくる。

 悪い気はしなかったし、やることもなかったから、適当に付き合った。

 休み中にもたまに連絡が来ては一緒に遊んだ。

 少しだけ、楽しく思えてきた。

 やはり、人は一人では生きていけないのかもしれない。



 20XX年9月。



――――何度騙されれば気が済むんだ?



「――――アユム様!」


 私を呼ぶレミアの声が聞こえたのは、悪夢から覚めるのとほぼ同時だった。

 自分がどうやってこの状況になったか、最後の記憶を引きずり出す。

 その最後の出来事か、この夢のトリガーになったのは明白だった。

 久々に見たトラウマが胸に残した残響が、消えてくれない。


 自分の感情すらままならないまま、レミアの方を向く。

 心配そうな顔でこちらを見ているレミアを見ては周りを見渡した。

 他の人の姿は見当たらない。


「エレミアとエリアは、降神の場です」


「――何で?」


「貴方が、そこで倒れたからですよ」


「……そうか」


 きっと、降神の場に行く前なら何とも思わなかっただろう。

 いや、あの夢を見たせいかもしれない。

 エレミア達が降神の場に向かった理由に、とてつもない違和感を感じた。


 私が倒れたから……か。

 本当に、私にそこまでする価値はあるのだろうか?

 ――果たしてこの善意には、どんな裏があるんだろうか。

 蘇ったトラウマは、胸の奥でその火種を未だに残していた。


 エレミアは私と交わした勝手な約束を守ろうとしている。

 レミアはフォレストの命により、エルフ達の罪を償うためだ。

 本当にその理由が、私を案ずる理由足り得るのだろうか。

 むしろ、私が居なくなったほうが互いのためでは――


「――本当に、馬鹿か俺は」


「はい?」


 裏切られても、信じたいと思う。

 異世界だから、元の世界とは違うのでは無いだろうかと。

 この世界なら、私を知っている人間はどこにもいない。

 なら、自分を演じきるだけでも、私は私の価値を作れるのではないか。

 今度こそ、上手く行けるのではないのか。


「アユム様……?」


 そこで、レミアの顔を覗いた。

 私は、この顔に嘘を吐くのか。

 この世界でずっと?

 誰にも見せられない本音を隠して、自分を演じ切れと?


――何を今更、この一ヶ月の間、ずっとそうしてきたじゃないか。


 心の中で、迷う自分を嘲笑あざわらう声が聞こえる。

 そうだな、今更だ。

 そんな今更なことを思うほどに、私は揺れていた。


 私という人間には意味がなかった。

 ああ、最初からわかってたことに何でショックを受けているんだ。


 あの時、イミテーの前で憤慨ふんがいしたのは、本当に他人のためか?

 相手側がやったあの理不尽な行動に対してか?


 本当は違う。

 ああ、そんなはずがあるか。

 俺は善人でもなく、聖人君子には程遠い。

 ――ただ、自分自身という記号に何の意味もなかったことに腹が立ったんだ。

 異世界人を特定する前提条件のどこにも、そんな条件はない。


 私は《歩望アユム》だから呼ばれたわけではなく、ただ条件に符合した《異世界人》だから呼ばれたってことを知ったから。

 環境が変わっても、期待されるのはいつもそんなものだ。

 誰も、私を見てくれない。

 どちらの世界でも、私は孤独だ。


「レミア」


「はい?」


「少し、一人にしてもらえないか」


 レミアから目をそらして、何もない真っ白い壁を見ながら吐いた。

 自分が吐いた言葉に一番うんざりしてるのは恐らく私自身だろう。

 でも、今の自分を見せたくはなかった。

 だからと言って嘘の言葉と表情を出したくもなかった。


 なら隠さないと。

 見せないようにしないと。

 本当の自分を、弱い自分を先に見せたほうが傷つく。


 それでは前に進めない?

 今更だ、そんなことを気にするくらいならこんな生き方はしていない。

 そもそも私は一ヶ月前と比べて何が変わった?

 少し、異世界の常識を知ったこと以外の変化なんてない。

 お荷物なのはあの時と何にも変わらない。


 エレミアだって、本当は後悔しているに違いない。

 レミアだって――待て。



――――私、レミアが出ていく音を聞いてない……?



 そこまで考えて先程までレミアが居た場所に振り向くと、

 彼女は相も変わらず、私をじっと見つめていた。

 その視線に目をそらして、彼女の退室を急かす。


「レミア、悪いけど今は一人に――」


「嫌です」


「……え?」


「そうしたくはありません。

 今のアユム様を、一人にしておくわけにはいかないのです」


 そして返ってきたのは、予想もしなかったレミアの退室拒否だった。

 今まで一度も私の頼みを拒絶しなかったレミア。

 そんなレミアが私の言葉を真っ向から否定したのは、今回が初めてだった。


「理由を、聞いてもいいか?」


「理由、ですか」


 ならば、納得できる理由が欲しい。

 私があなたに気を使われるに値するという理由がほしい。

 私がそれを聞いて納得出来たら、私だって受け止められるはずだ。

 それなら、私でも――――

 

「いい加減にしてください!

 理由なんて、人を心配するのに理由が要るわけが――」


「――要らないはずが無いだろう!」


 どんな存在でも、それが知性体である限り損得勘定が働く。

 この人は俺に取ってどんなものをもたらす存在か。

 利益をもたらすのか、損害をもたらすのか。

 無意識の内に皆がやっていることだ。

 この世界の神というやらも、エルフも、そこだけは変わらなかった。


 それに、今の俺たちの関係は罪悪感によって築かれたものだ。

 そう仕組んだのは誰だ?

 言われるまでもない――――俺自身だ。

 俺は彼女らに何かしらの利を与えることができたのか?

 出来てない、穀潰しにそんなことが可能なわけがない。


「元の世界も、こっちの世界も、根っこのところは何も変わってない!

 人間が人間である以上、理性を持つ存在である以上、現実は変わらない。

 時代と世界が変わっても、現実というのが変わらなければ結局は同じだ!」


 俺がなぜ異世界を夢見てファンタジーな世界を夢見たのか。

 そりゃ、夢だからだ。

 存在しない仮想の世界だからこそ、現実でありえないことが起こるからだ。

 ありえないというのは、別に魔法や魔獣といったものを言うのではない。


 会って数日の人間と心を交わす。

 時には異種族さえも一度見ただけで友になり、お互いのため命を掛けられる。

 ロマンを歌いながらも輝かしい成功を勝ち取る。

 最高だ、それこそ夢の理想郷ユートピアだ。

 そんな世界、現実にあるはずが無いから理想の郷というのだ。


「俺には、無理だ。

 エレミアも、レミアも、私が私の罪で縛り付けてるようなものだ。

 いや、そもそも私があの時、エレミアに付いて来なかったら――」


「そんな事――――」


「――――なら、私が理由を上げる」


 レミアが口を開き私の言葉を否定しようとした直前に、声と共に扉が開かれた。

 入ってきたのは降神の場に行ったはずのエレミア。

 その声はどこまでも冷静で、その目は真っ直ぐ俺を捉えていた。

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