16.辛くても前を、辛いから前へ ③/神685-5(Imt)-2

 重苦しい空気を引き裂いて、エレミアは言葉を紡いだ。

 静かながらもはっきりと部屋中に響く声色。

 彼女が入ったことに驚いたあまり、反射的に彼女の名前を呼んだ。


「……エレミア?」


 降神の場に行ったはずのエレミアが、ここにいる。

 今までの話を全部聞いていたかのような言葉を発しながら。

 いや、大事なのはそこじゃない。

 そんなことよりも――


「理由を、くれるのか」


「うん――でもそれを話す前に、少し別の話をしようか」


「別の話……?」


 エレミアは、俺が座っているベッドの横に座って、俺と視線を合わせる。

 ほぼ同じ高さと、手を少し伸ばせば届く距離でエレミアと向かい合っている。

 そこで、エレミアとこうして話したことが今まで一度もなかったのに気がつく。

 いや――エレミアどころか、今の今までただ一度もなかったことだ。

 馴染みない体験、馴染みない感覚に戸惑う私を置いて、エレミアは話を進める。


「アユム、降神の場に行く前に、言ってたよね。

 戻ってきたら、ちゃんと話し合おうって」


「……ああ、そう言ってたな」


「実は前にも似たようなことを言ったの、覚えている?」


「前に……?」


 エレミアに言われ、記憶を辿ってみる。

 今より前と言っても、フリュード村で私とエレミアが話した回数は少ない。

 あの処刑の時くらいから、やっと少し話せるように――――


『全ては明日から決めよう』


 そこで、思い出したのはその先日の夜。

 俺が俺自身の行動を決めたあの時、エレミアを戻らせるために言った言葉。

 その言葉を言った時も、嘘を吐くつもりはなかった。

 その明日から全てがそのままでは居られないだろうから。

 約束の事も含めて、全てに決着を付けようという意味だった。

 ただ結果としてその言葉は――


「そう、私たちは結局、何の話も交わしてないし何も決めてない。

 私は私の勝手でアユムを連れてきただけで、アユムだって何も話してこなかった。

 互いが互いの顔の色だけを気にして、言いたいことは何も言えなかった」


「それは、悪いと思ってる。

 でも、今回のあれは別にそういうつもりで言ったわけでは――」


「正確には、でしょう?

 それにアユムを責めようってわけでもないの。

 これは貴方だけでなく、私の問題でもあるから」


「いや、エレミアが悪いわけでは」


「違うわ、私が――私たち二人が悪かったの」


 エレミアは声を荒らげず、だからといってこちらを責めようとせず。

 どこかもの悲しくも思えるその表情で淡々と、宥めるような声色で語っていた。

 それを聞いてる俺は、口を開けば今でも出てきそうな否定の言葉を飲み干す。


 エレミアは何も言えずにいる俺の手に、そっと自分の手を重ねる。

 その手から伝わる暖かさが、自分の胸にも伝わる気がした。


「アユム、知ってる?

 約束はね、必ず交わす相手が必要なのよ。

 相手の居ない約束はないし、約束は二人が守っていくものなの。

 なのに、私たちはその最初の約束をあまりにも軽く交わしてしまった。

 だから、もう一度交わそう。

 今度こそ、互いが間違わないように」


 エレミアの言葉はどこまでも真っ直ぐだ。

 この手の温もりを感じるだけでも、何も考えず頷いてしまうほどに。

 それでも、俺は聞く必要がある。

 ここまで来た以上、もう誤魔化しては通れない。


「……エレミアは、何で俺にそこまでしてくれるんだ?」


「――それは、先程の理由のこと?」


「そうだ――私たちの関係は最初に出会ったのあの監獄から出ての一ヶ月。

 村ではまともに会話すらかわせなかった。

 それなのに、そこまで私を庇ってくれるのは、何故だ?」


「基本はレミアお姉ちゃんと同じ理由だけど――きっとアユムは満足しないよね」


「納得できない、が正しい。

 俺は、俺自身にそんな価値を見出だせない。

 君たちの立場から考えても、私に価値なんかないはずだ」


 言いながらも、自分自身が情けなくなる。

 本当にどこまでも成長しない子供のままだ。

 なのに体だけが成長して、大人というレッテルが貼られている。

 俺の精神は、あの時、他人との間に壁を作った時から何一つ変わってない。


 他人の真心を信じきれない、俺のような人間には。

 どうしても、それがほしかった。


「私は、アユムのことをよく知らないけど。

 アユムも、私のことをわかってないよね」


「そりゃ、会って間もないから――」


「ううん……違う。それよりも、私たちの間にあるその壁が邪魔なのよ」


 だからこそ、この指摘はそのまま俺の心臓をえぐる。

 遠慮がなくなった抜身の真実が自分の胸に刺さるのを感じていた。


「人間とか、エルフとか、異世界人とか、元の世界とかは関係ない。

 あの日、あの時、私は人間を信じきれなくなっていた。

 父さんのように、人間への希望を捨てようとしたその時、貴方がそこにいた。

 希望を持てと、助かると、貴方はそう言ってくれた」


「それは、ただ上辺だけの言葉だった」


「知ってるよ、知ってたけど嬉しかったの。

 貴方がそれから私についてきてくれて、頑張ってくれたのも。

 最後はあんな形になったけど、それをきっかけに村には変化が産まれた」


「――――あんな形でなくても、いつかは成されたはずだ」


「そんなもしもの話をしても意味はないよ。

 アユムが大好きな結果で語りましょう。

 貴方は、貴方がやったことの結果を否定する人間じゃないでしょ?」


 エレミアの真っ直ぐな瞳が俺を見る。

 俺はそれを見つめきれずに、すぐに顔をそらしてしまう。

 何時からだろう、他人の瞳を真っ直ぐ見つめられなくなったのは。


「助けた当時には、確かに同情心のほうが強かったかもしれない。

 でも、今の私は……私たちは貴方が貴方だから力を貸してるの。

 ――もう、自分を責めないで。

 貴方は、十分に価値のある人で、私たちの大切な人だから」


 そして、エレミアは静かにこのやり取りを見守っていたレミアに視線を移した。

 視線を受けたレミアは、何も言わずにそのまま立ちあがる。

 いつの間にかレミアからは、緑色の暖かな光が放たれていた。


 俺とエレミアの間まで来たレミア。

 いつか見たフォレストのような威厳に溢れている彼女。

 本当の意味で神降ろしをしているかのような厳かな雰囲気で、静かに口を開いた。


「これより、誓約の儀式を行います。

 本儀式は、我々エルフが行う約束の中でも一番神聖なもの。

 神の名の下で、互いは己の名前と魂にその約束を刻むことになります」


「名前と魂って、それは――」


「アユム」


 重ねている手に少し力を入れて、俺を止めるエレミア。

 魂とか、名前とか、どう見ても軽い約束事ではない。

 恐らく本当の意味での誓約。

 守らなかった場合、重いペナルティーを受けることになる類のもののはず。

 そんなの、俺なんかのために――――いや、違うのか。


「俺だから、って言いたいのか」


「あなたが物凄く頑固な石頭なのが悪いの、観念して諦めて。

 まさか、今更約束を守れないとか、言わないよね?」


 温かい光が、体全体を包んでいるのを感じていた。

 恐らくこれは、フォレストからの後押しだろうと何となく伝わってくる。

 そして、ここまで真剣に俺と向き合おうとしてる彼女らが居る。


 もう一度、信じても良いのか。

 俺は、また裏切られるのではないのか。

 未だに正解は見えず、正しいと思う結論は見つからない。


 でも今の自分の感情を偽らず、素直になるのなら。

 目の前で俺を見てくれている彼女を。

 種族エルフでも、他人でもないただのエレミアを。

 種族人間ではない、ただ一人のアユムとして。

 また信じてみたいと思っている。


「俺は、何をすればいい?」


「感じたまま、心が流れる通りに約束を交わします……エレミア」


「――我が神フォレストの名の下で、我が魂に刻む誓約の宣言を申し上げます。

 願うは互いが互いから離れないこと。

 いつか訪れる別れの時まで、共に歩んでいくことを」


「アユム様、以上の内容に、異議はございませんか」


 正直、異議しか無い。

 今でも突っ込みたいが、この状況を招いたのは俺だ。

 この儀式は俺の引っ込み思案を見かねたエレミアからの荒療治あらりょうじ

 それに、俺も覚悟を決めた。

 だから、胸から出てこようとする否定の言葉は全部飲み干す。


「一つだけ、誓約の追加というか単語の定義を確実にしよう。

 《離れない》というのはあくまで自分の意志によって離れることを前提とする。

 もしもの場合があった時、それで誓約が破られたとさせるのは避けないと」


「それだけ、なの?」


「文句はある――けど、今回は言わないことにした。

 エレミアにもレミアにも、ここまでやってもらったんだ。

 だからわた……俺も、もう一度歩んでみるよ」


 歩み望む。

 名は体を表すというのに、いつからか俺は歩むことしかして来なかった。

 望んで裏切られるのも、望まれたのに裏切るのも嫌だったから。

 でも、貴女がそう信じてくれると胸を張って言ってくれるのなら。

 俺も、もう一度望んでみることにした。


「アユム……!」


「――――では、この誓約の立会人である私、レミアがこの誓約が無事成された事を、ここに宣言します」


 レミアは微笑みながら、静かにそう告げた。

 それと同時に、俺とエレミアを包んでいた緑色の光が繋がれた手に集まって、昇天する様に消えていった。


「アユム、アユム!」


 目に涙まで潤せながら俺の名前を連発しながら抱きついてきたエレミア。

 後ろのヘットボードに背中を支えて、彼女を受けとった。

 私の胸に飛び込んできだ彼女を抱きしめようと伸ばした手を一瞬止める。

 そして、その手をただそっと、彼女の背中に添えることに留めた。


「そう何回も言わなくても、ちゃんと聞こえてるよ」


「でも、嬉しいんだもの――貴方に、やっと一歩近づけた気がして」


「嬉しいのは……お礼を言わないと行けないのは、俺の方だよ」


 俺のような面倒くさい厄介者に、ここまでして来れたのだ。

 この全てが俺が行った行動の結果だというのなら、受け入れよう。

 俺が俺として見られているというのなら、嬉しさ以外にない。


「ありがとう、こんな俺を、認めてくれて」


 そう言いつつ、降神の場での出来事を振り返ってみる。

 人間が選ばれた種族と呼ばれる所以ゆえんを確認して、

 私という個人でなく、条件に満たした誰かが欲しかっただけというのはわかった。

 その条件は、その厚顔無恥さに怒りを覚えたが、とにかく聞き出せた。


 もう少し調べてみないと何とも言えないけど、この世界ははっきり言って歪だ。

 この歪さにこそ、俺が呼ばれた原因があるとすれば。

 そして、これを解決させるために私のような異世界人を呼んだのだとすれば。

 私にやれることなら、やってやろうじゃないか。


 絶対神の思惑はわからないけど、それがこの世界のためだと言うのなら。

 この世界で出来た、大切な絆のために。

 望みを持って歩み続けようと、そう決心した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Interude


「これは、一体どういうことだ!」


 国境都市インルーにある、旅館の一室。

 こぢんまりとした部屋だが、どこか高級さが滲み出ている。

 ここが国境周りということを考えると、似合わない華やかさがあった。


 そこで目の前にある執事服の老人に怒鳴っているの男もまた同じ。

 黄を基調としたに見える華やかな服装、その指には宝石がはめられた指輪。

 顔からも滲み出る傲慢さからも彼の身分を測れる。


「ここで、あの商人からエルフを受け取る手筈ではなかったのか!」


「そ、それが、どうも例の商人が行方不明らしく……」


「そんなのを聞きたいのではない!

 エルフ、あの種族の奴隷を買えるというから直接ここまで来たのだぞ!」


「ペイル様、お声を静めてくださいませ。

 厳密に奴隷はこの国に存在しておりません」


 ペイルと呼ばれたその男は、老人の言葉に舌打ちしながらも口を噤んだ。

 それもそのはず、老人の言葉は何も間違ってないからだ。

 この国、イースト国に

 あるのは一般市民と、貴族と、貴族が抱える下僕くらいだ。


「くっ、忌々しい。

 何で国王はあいつらを攻めないのだ、属国にしてしまえば――

 それも駄目かくそっ、とにかく、あの商人の周りを徹底的に調べろ!

 追加で、エルフの情報もだ!」


「ペイル様、それは――」


「ここまで来て手ぶらで帰れるか!

 目的のものも手に入れられず、無様に帰る恥をこのペイル・フラーブに晒せと?」


「そうではありませんが――」


「手ぶらで帰るのは俺の面子が許さん。

 俺の性格は知ってるな執事、やると決めた以上は、やるぞ」


「は、はい、もちろん存じております」


「なら黙ってやれ、今は情報だけでもいい。

 実際にどう動くかはそれから決める」


 二人の間を蝋燭の火だけが、危うく揺らいだ。


Interude Out

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