10.刻め ①/神685-4(Pri)-20

 異世界というのは一種の夢だ。

 辛い現実から逃げたいという願望の現れこそが異世界という世界の正体である。

 この世界では現実ではありえないものが起きる。

 平凡な日常さえ毎日が夢のような冒険の日々となる。


 でも叶ってしまえば最早、夢ではない現実だ。

 辛くない現実なんてあるはずがない。

 私達の常識ではありえないものは、そのまま目の前の脅威となる。

 平凡な日常すら満足に過ごせない、悪夢ゆめのような現実が続くのだ。


 そう、この異世界は紛れもない現実だ。

 嫌なものは決して無くならず、嫌な自分も変わりはしなかった。


「これより、我らの村に攻め入った人間の処刑を行う!

 処刑の執行は、同じ人間である彼が執行するものとする!」


 朝日もまだ登りきってない明け方。

 まだ幼いエルフを除いた、この村の全エルフが集まったらしい。

 少し周りを見渡すと近くにはエレミアやレインさん。

 エリアも少し後ろの方でここを見ているのを見つけた。

 レミアさんは私の後ろから、苦しい表情で私を見守っている。


 前の方に視線を向くと一振りの剣が地べたに転がっていた。

 そしてその先には、全身を縛られ身動きの取れない男がこちらを睨んでいる。

 視線を向けた私と目が合っては、こちらを睨みながら恨みの言葉を放つ。


「そうか……やはり貴様か! 貴様が全てを企んだのか!

 人間の癖に、人間を裏切ったのか! この裏切り者めが!」


 彼がこの村に攻め入ってきた人間。

 エレミアや私を閉じ込めていて、恐らくどこかに売ろうとした人間。

 でも、こうやって顔を合わせてもこれといった感想は浮かばなかった。


 右も左も分からない状況で閉じ込められ、エレミアに救われたからだろう。

 今の私にとってこの人は何の意味もない、ただの一人の人間でしかなかった。


 それにしても、罵る言葉で最初に出るのが人間の癖に、か。

 ――

 何がそんなに偉いというのだ。


 吐かれる恨みの言葉をただ飲み干し、目の前に転がっている剣を拾う。

 初めて握った真剣は、ただ重かった。

 とても片手では振れないほど、重く感じた。


 そのまま剣先を地面に向かせては前に跪いている男を見る。

 私が取って剣を見て、またしても彼は狂ったように笑った。


「その剣で、俺を殺そうってのか!?

 く、ククッ、クハッハハハ! 良いだろう殺せ!

 お前なんか人間であるものか! いや、人間のはずがない!」


 ――――人間のはずがない。

 ただ罵る言葉だとわかっているのに、どうしても気になった。

 気になって、仕方がなかった。


「――そうか、人間のはずがないか」


「何だ? 今まで黙っといて、やはり人間を否定されたのは我慢できなかったか?」


「いや……多分、スッキリしただけだ」


「スッキリ? スッキリか!?

 人間ということを否定されて出た言葉がそれか!?

 滑稽だ、お前なんかがなんで生きている!?

 なんでお前が生きて俺が死ぬんだ!

 なんでお前なんかが生きて! 俺が、この俺が!」


 罵倒は止まらず、周りのエルフたちも次第に顔が辛くなる。

 でもそれだけだ、誰も止めない。

 村長の目的は最初からこれで、これこそが村の総意ということなのだろう。

 この光景が夢世界ファンタジーだって?

 笑えるほら話だ、全然笑えない。


 結局、私は私のために目の前の人を殺さなければならない。

 エルフが拉致られそうになった?

 実際にエレミアもさらわれたのは事実だ?

 エレミアがそこにいたから私はそこから出られたんだし、他のエルフが拉致られようがどうでも良い。


 ただ村のエルフが襲われそうになったというだけでは足りない。

 それで怒りを覚えるほど私はこの村に馴染めてない。

 村のエルフもまた、私を受け入れてない。

 私自身は彼に恩義こそ感じても憎む理由が存在しなかった。


 なら、私は眼の前の人にせめてもの務めを果たさなければならない。

 例えその結果が何も変わらないとしても。


「――なあ、どうせ最後だ。どんなに叫んでも今は変わらない。

 なら、何か最後に言い遺したいことはないか?」


「言い遺しか? はっ、お前がそれを言うのか?」


「あんたがそれで満足なら良い……でも言葉には力が宿るものだ。

 何でも良い、何でも言ってくれ、何でも聞こう。

 私に出来ることなら何でも叶えるよう努めよう」


 それが、最小限の罪滅ぼしだ。最小限の礼儀だ。

 死んでほしい命はいても、死んで当然の命なんかない。

 そんなのあるはずもないし、あってはならない。


「……何でもと言ったな」


「あくまでも出来ることに限る、願い事に関しては必ずとは言えない」


「――はっ、その時は嘘でも《何でもやる》と言い返すのが筋だろうが」


「嘘は嫌いだ、本当に、うんざりなんだ」


 そこから私に怒鳴るのを止めて、彼は目を閉じた。

 私もただ、何も言わず彼を待つ。

 少しだけ村長の表情が気になったが、わざわざ確認はしない。

 執行者は私だ、これくらいは好きにさせてもらう。

 私がここで処刑を執行するのを放棄しない限り、とやかく言われる筋合いはない。


 それから、何も言わずに暫く待つ。

 時間の感覚は、正直わからなくなっていた。

 短いようで長いような時間、彼はただ考えた。

 そして、静かに目を開いて私に言った。


「インルー……国境都市インルーに、家族がいる。

 女房と娘が一人、仕事が忙しいから同じ村なのに顔すら見れない日が多い。

 多分、今回も同じだろうと、何も知らず待っているはずだ。

 ――適当に、伝えてくれないか? やり方は任せる」


「――それと?」


「それだけだ――お前さんに怒鳴っても、結局なにも変わらない。

 そもそも自分の責任だ、何も変わらないのは俺だって知ってんだ。

 なら、その後を考えるしか……くっそ、こんな、ことなら……」


 後悔する時はいつも、既に遅い。

 同情はしない、しないと決めた。

 この商人はそれだけの事をしたんだと、納得できない自分の心を宥める。

 ただ同情はしなくても、この人は死を前にして残される者を考えてる人だ。

 そんな彼に追い打ちを掛けたくはなかった。

 彼は涙と鼻水でボロボロの顔で、何とかそれをこらえながら私に言い切った。


「俺の名前はライ、女房はルニーで娘はルイラだ。

 商人の名前は仮名だから、間違えるな」


伝えよう。何があっても」


「――はっ、言ってろ」


 そして、彼は目を閉じた。

 歯を食いしばっては、そのまま何も言わずに。

 言うことは全部言ったということだろうか。

 わからない。思考は既に麻痺している。


 ――でも、自分が昨日言った言葉だけは覚えている。

 、その言葉に嘘はない。

 何度目かわからない覚悟を決めて、握った剣を両手で掴み振り上げる。

 剣は相変わらず――いや、更に重くなっていた。


 彼の目は見えない、閉じたままだ。

 もしここで彼が恨みの目で私を見ていたらどうだっただろうか。

 果たして私はこの剣を振り下ろせたか?

 今にもこんなに、腕が動かないのに。


 手は先程から震えっぱなしだ。

 呼吸は落ち着かず、心臓ははち切れそうに脈打っている。

 これは私の音か、それとも彼の音か。

 何もかもわからないまま、無我夢中にただ剣を下ろすことだけを考え、



――――目を閉じて、その両手を振り下ろした。



「――っァァァァァ!!」


 悲鳴で目を開けてみると、剣は首と肩の間に深い傷だけを残してた。

 声にならない悲鳴が朝の森の中に響き渡り、死にそこねた苦痛に苦しむ彼。

 慌てて、どうすれば良いかもわからず、もう一度振り下ろそうと剣を引き抜いた。

 ――そして、今度は傷口からが湧き出ては、自分の顔と体を濡らした。


 自分に掛けられたものが何なのかも気にせず。

 正常な思考も出来ないまま、無我夢中に動く。

 考えるのは、それだけだった。


 無意識の中、身動きも取れないままもだえ苦しんでいる彼を仰向けに倒す。

 剣を逆手に取っては心臓の上から体重を載せて一気に突き刺した。

 突き刺して、目を閉じて、彼が動かなくなるまで手の力も抜けずそのままでいた。


 やがて、彼が動かなるに連れて、頭が思考を取り戻す。

 いつの間に食いしばっていた歯から力を抜く。

 そして、胸から込み上がってきた言葉は、結局ありきたりな言葉でしかなかった。


「ごめん、なさい……ごめんなさい……っ」


 言える言葉がそれしかなかった。

 何故、私は謝っているのか。

 自分で殺しておいて、何故謝っているのだ。

 そんな資格が殺した人間にあるわけない。

 それでも胸から出てくるのはその言葉だけだった。


 謝罪の言葉だけを、ただただ垂れ流す。

 許しなんて望んじゃいないのに、胸から出る言葉はそれだけだった。


 そして、そっと閉じた目を再び開けると、赤の世界がそこに広がっていた。

 彼が倒れている地も、自分で刺した傷口から流れる血も。

 その傷口を刺されている自分の剣も、自分の手も。

 視野に映る全てが赤く染まっていた。


 生臭い血の匂いがして、吐き気が込み上がってくる。

 今にでも吐いてしまいたかった。

 でも、それは出来ない。

 私にはまだ、やらなくちゃいけないことがある。

 いや、私がやるべきことは


 吐き気を我慢して、刺した剣をまた抜いては杖代わりに自分の体を支える。

 そして、そのまま目の前のを睨みつけた。


「――これで、満足ですか」


「ああ、満足だ。素晴らしい、君は試練を見事に乗り越えた」


 目の前が赤く染まっている。

 もう、この世界が赤いのか、俺が赤く見てるだけなのかもわからない。


 気に食わない。

 その澄まし声が気に入らない。

 何がそんなに誇らしい。

 何がそんなに満足なんだ。

 そんなに死ぬのを見るのが好きか?

 エルフお前人間は、そんなにも違うのか?


 寝て、起きて、食べて、クソして、殺して、生かして。

 そうやって生きていくのは同じではないのか。

 何が人間だ。何が選ばれた種族だ。

 結局同じだ、同じクソッタレだ。


 そんな考えを、言葉を全て飲み干す。

 今日、私がここでやるべきことには無意味なことだ。

 もう私は、説得できるだなんて思い上がらない。


 ただの言葉だけでは何も変わらない。

 最初からわかってたことをもう一度認識した今、言うべきことはそんなのどうでも良いことではない。


「それで?」


「ああ、約束通り、今この瞬間からお前の滞在を許そう人間。

 もちろん、お前が何かしら騒ぎを起こしたら何時でも取り消す用意がある」


 この言葉が聞きたかった。

 これでようやく、この道化ぶりも終わりだ。

 さあ、最後に踊り明かそうとしよう。


「……ああ、だったら話は早い」


「――なに?」


 私は一度だけ後ろを振り向いた。

 視界は赤いままだが、きっと後ろで見ていてくれているであろうレミアさんに自分の視線を伝えるために。

 何も見えていなかったけど、きっと見てくれていたと信じて、視線を戻す。

 そして、自分の体を支えていた剣をもう一度握り直しては前を向いた。


「……どういう真似かね?」


「剣を握ったらやることなんて、一つだけじゃないか」


 敬語も止めて、全ての仮面を取り払う。

 真っ赤な世界の中で、俺はこの世界で初めて、を出すことにした。


「はっ、そんな状態で誰を殺そうと言うのかね、人間」


「――じゃない」


「なに?」


「人間じゃないと言ってんだ、クソが!

 俺は俺だ、俺は歩望アユムだ。

 歩み望むという意味を持つ、一人の歩望アユムだ!

 いつまでも人間人間ってうるさいんだよ、エルフ野郎が!」


 剣を前に突き刺し、震える体に力を入れる。

 何もはっきりと見えないまま、赤い世界に向けて、胸の中の言葉を吐き出す。


「人間が何だ、エルフが何だ、そんなに違うのか。

 お前らはそんなにも違うのか!?

 お前らの血は青いのか? 違うだろう、俺と同じく赤いだろうが!

 それとも俺の言葉はお前らに届いてないのか?

 俺がお前らに近付こうとした結果がこれなのか?

 俺は、人間じゃない俺は、エルフじゃないお前らとどれだけ違うってんだ!」


「何をほざ――」


「答えてんじゃないなら口を開くな!

 この惨状を見て満足なんて言葉が吐けるやつはただのだ。

 お前が悪だ! お前らが悪だ! 俺と同じクソッタレだ!

 お前の認めなんかいらない、俺を種族人間と呼ぶお前の評価なんていらない!

 俺を種族人間としか見てないお前らの認めなんか、俺から願い下げだ!」


 そうだ、いらない。

 もう、居場所なんて求めない。

 俺が本当に欲しかったのは居場所じゃない。


 ただ期待に応えたかっただけだ。

 彼女の期待に応えたかっただけなんだ。

 もうそれが叶わないのならどうすれば良いのか?

 一番大切な一つ、それだけを考える。


 大切なものなんて、全部置いてきた。

 この世界に大切なものと呼べるものはそれこそ片手で数えるくらいしかいない。

 その中でも今一番に考えなければならないものは何か。

 のことだけだ。


 これ以上の迷惑は掛けない。

 この場所で、今この瞬間に、俺自身のけじめをつける。

 それが、どんな方法だったとしても。

 ――それで、彼女が悲しむとしても。


「……言いたいことはそれだけか? 人間」


 結局、最後まで人間呼ばわりか。

 まあ、良いさ。既に全ての期待を捨てた。

 前に向けていた自分の剣を握り直した。

 ――ああ、やっぱり、軽くなってる


「喋り足りないが、言う必要性を感じないな」


「そうか、なら今までお前が言った言葉の責任を取って貰おうか」


「権利の取り消しか?

 はっ、どうぞご自由に、いまさらそんなのいらないさ。

 ――そもそも、何で俺が未だ剣を握ってると思うんだ?」


「ふん、誰に振るうつもりかはわからないが、そんな状態では誰も殺せないだろう」


「いや、一人、殺せるのがいるぞ?」


「なに?」


 剣はもう、重くない。

 そのまま剣を逆手に取って、


「俺は種族人間じゃない、俺は歩望だ。

 精々、俺の姿をその目に刻め」


――――これが、俺がお前らに送る初めての挨拶だ。

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