第20話

 シュウは袋小路の奥で壁に寄り掛かり放心していた。日陰に身体を隠して、時々空を見たりしている。滲み出てくる汗にも構わず、右手には銃を持ったまま、怠い身体を預けていた。

 頭の中はカラであると同時に許容量一杯でもあった。

 何も頭に入ってこない程、シキを渇望している。この状態は異常だと自分でも解っている。しかし、薬も無くなった今、綻んだ精神が何かに触れる前にシキか望む物のどちらかを手にしなければいけない。

 夏の陽気は精神を落ち着けていてくれない。日陰に籠もり、上の空になっていなくては今のシュウに荒ぶる自分を抑えることは出来なかった。

 少しずつ内側から削られていく理性を、治す手だてもなく途方に暮れる。その体現が今の状態だ。

 いつ壊れるか。いつ壊されるか。怯えを通り越して空っぽになっている。

「助けてくれよ……」

 小さく零し、銃を持った腕を上げると何となく引き金を引いた。

 ぎゃあ

 しわがれた老婆のような短い悲鳴が聞こえた。

 少しして、伸ばした足先にカラスが落ちてきた。確かめることはない。死んでいる。

 同時に遠くから複数の人の声がしてきた。

 足下にあるカラスの死骸と、聞こえてくる声とに漸く神経が向いた。そして、騒いでいるのがただの住民ではないのに気が付くと、目眩がするのも構わずに急いで立って駆け出した。

 また面倒の種を撒き散らしてしまった。自分が追われている身であることまでも、思考の中から消し去ってしまっていたのがまずかった。肩の傷は治りかけであるがまだ疼く。利き腕の肩なので、痛みが尚鬱陶しい。

 ある角から顔を出そうとしたとき、集団の足音が右側から迫っていた。このまま出ていけば蜂の巣にされる。だが後ろからも誰かが追ってきている気配がする。

 それ程迷っている時間はない。手にしている銃を見、軽く口の端を上げる。そして意を決すると、シュウは助走の為に少しだけ後ろに下がり、駆けた。

 左腕を伸ばして頭から飛び込むように路地から舞い出る。五、六人の男達の姿が目に入った。男達はシュウの姿を見るなり形相を変える。これで敵だと解った。

 シュウは左手を地面に付き側転しながら敵に銃を向けた。相手が銃を構える間も与えずに、この無理な体勢で発砲した。連射だ。一見、見境無しだが、一発に一人、確実に当たっている。連中が地に伏す前にシュウは向かいの路地に入っていた。

「やろうと思えば凄いじゃん、俺」

 自惚れつつ、口笛でも吹き出しそうな軽い足取りで逃亡を続行する。

 走りながら弾を込め直す。

 その作業の間に楽の表情は消えた。また悪いムシが騒ぎ出そうとしている。事態は思った以上に深刻のようだ。意図的に残酷である自分は構わないのだが、それが無差別になり狂い出す自分は抑えたい。それはシキの我が儘と同じだ。自分の意志による物ならいい。だが、意志に反することは許せない。

 そう考えると、抑える手だてのある自分はまだ幸せだとシュウは思った。逃げ道の一切無いシキは、どうやってこの苦しさに堪えているのか。考えると沸き立ちそうな頭が少し冷えた気がした。

 ――俺には抑えてくれる薬が必要。じゃあ、あいつには何が要るんだろう。

 じわりと滲みだした汗を袖で拭い去った。

 行っても行っても変化のない街並みの所為で、方向感覚が完全に壊れている。自分の位置さえ把握出来ず、無我夢中で走っている。

 がくり

 何もない所で躓き、思い切り膝が折れた。気付いていなかったが、既に膝が笑っている。ふくらはぎは痙攣を始め、骨はぎしぎし音を立てていた。足がこんなになるまでよく呼吸が続いたと関心さえする。気力で引っ張ることは出来ても、これ以上はそろそろ限界と思われた。

 相手の人数も顔ぶれも全く把握出来ずに逃げ回るのも飽きた。一休みして、そろそろ反撃に出たい。

 そう思うと身体はもう休息モードだ。

 近くにあった家の扉を勝手に開けると勝手に入り込んで勝手に一人で溜息を吐いた。

 薄暗い室内だった。陽の光さえほとんど入ってきていない。

 電灯のスイッチを探そうと壁を向いた瞬間、冷たい何かが首筋に当たった。その後にカチリという知った音がする。

「わー、待て待て。撃つなよぉ」

 シュウは小さく両手を上げると肩をすぼめた。適当とはいえ、人気の無さそうな家を選んだのに、入って即行で銃口を突きつけられるとは思わなかった。奴らの仲間でない限り、反抗しなければ撃たれることはないだろうが、この感覚、たまらなく嫌だ。

「……またおまえか」

 覚えのある声が銃口の向こうから聞こえた。はっとして銃を突きつけられているのも忘れてシュウは振り返った。暗がりの中に輪郭が見える。

「あんた、この前酒場で……」

「やはり、変な縁があったか……」

 溜息と共に銃が降ろされた。

 安心したシュウがぺとりと壁に背を付けたとき、肩に何か当たったかと思うと部屋の灯りが点いた。

 そして目の前に現れたこの部屋のような表情の男を見て、思わず口の端を上げた。こんな前後左右の変化さえ分からないだだっ広い街で、偶然知り合った奴にまた会えるとは。しかも味方ではない代わりに、敵でもない。

「まだ追われてるのか?」

「モテちゃってさ」

「関わるなと言っただろう」

「好きで鬼ごっこやってんじゃねぇよ。俺は元々関係ないの」

「関係あるからトレ・タルパの連中が血眼で追いかけてるんだろう」

 莫迦かと頭ごなしに言われた気がしてシュウは少しむくれた。

 そんなシュウを他所に、黒い男は背を向けると家の奥に入っていった。

 後を付いて少し奥に行くとリビングがある。テーブルに椅子が四脚。灯りと物が少ないだけで普通の家とそれ程変わらない。

「座っていい?」

「何も言わなくてもおまえは座るんだろう」

「まあ、そうだけど」

 何か性格を見透かされているようでいい気分ではない。シュウは椅子に座ると落ち着き無く辺りを見回した。写真か何かあればあの男の過去が少し見られるかと思ったが、そう言う匂いのする物は一切ない。生活出来るだけの最低限の物しかないようだ。

 男が戻ってきた。台所に行っていたと思われる。手にしたカップを一つシュウの目の前に置いた。コーヒーの良い香りがする。男はもう一度台所に行き、コーヒーの入ったポットとカラの自分のカップを片手で器用に持ち、これもテーブルに置いた。そしてシュウの向かいの席に座る。

「ねぇねぇ、あんた、名前は?」

 差し出されたコーヒーを疑いもなく啜りながらシュウは尋ねた。

 男はあからさまに嫌そうな顔で返す。

「訊いてどうする」

「お近づきに決まってんじゃん。俺はシュウ」

「……フォルトだ」

「でも運良くあんたの家に入るとはね」

「運悪く、の間違いだろ。俺は迷惑だ」

 溜息を吐きながらフォルトは自分のカップにコーヒーを注いだ。今見てもやはり左腕の存在は確認出来ない。コートを着ていないシャツ一枚だからこそ尚更分かる。

「じゃあ、俺も訊くぞ。なんでトレ・タルパなんかに追われてる」

「正当防衛したら逆恨みされた」

「正当防衛なんて言葉、何処で覚えたか知らないが早く忘れろ。言って通じる奴なんて居ない」

「でも事実だし。そういえばあんた、あいつらと知り合い?」

「知り合いじゃない。だが、嫌われてる」

「……好かれてたらビックリだぜ」

 またコーヒーを啜る。苦くて美味しい。カフェインが身体に染みて、僅かに薬の代わりをしてくれている。

「あんた自身はどうなわけ?」

「『どう』とは何だ」

「だから、あんたはトレなんとかのこと嫌ってんのか、って訊いてんの」

「気にくわないが、別に何があるわけでもない」

 このフォルトという男、シュウ以上に声に感情がない。

 シュウはシキと居るうちに柔らかみを帯びてきた言葉が、最近はシキと同レベルにまでなりつつあった。地が出てきたのか変わってきたのか。少なくとも薬や狂気でラリっている所為ではないとは確信しているが。

「そろそろ立場変えたいんだよねー」

 シュウは椅子にふんぞり返って、わざと偉そうにコーヒーを啜る。

「変えたいとは?」

「だーかーらー」

 カップを置いたシュウは、口元を不敵に綻ばせた。

「やるのは好きだけど、やられんのは嫌いなんだよね、俺。だから、今までの分倍返しにすんの」

 シュウは笑んだ。

 笑み、カップに口を付けたまま辺りをまた見回した。温度のない部屋だ。目の前に居る男も温度がない。シュウも以前シキに似た類のことで文句を言われたが、暫くしてから何も言わなくなった。それはシキが慣れたからではなく、シュウ自身が変わったからだと思っている。

 執着故の感化か。

 海に攫われてしまったものが、戻ってきているのだとしたらそれは幸か不幸か。

 少なくとも、人付き合いをするには幸いであり、楽しい。だがそれを苦手とする者もいると言うことは頭に止めておこう。



 本来青い空の色が、何故か夕焼けのように見える。

 気の所為か。

 否。

 フォルトは自分の目を一度疑った。だが、間違いはない。人殺しを生業としている自分よりも、目の前にいる男は血生臭い。

「おまえの目は、まるで血の色だな」

「そう? あいつは空の色だって言ってたけど」

 なんと言われようと、血の関わる話になるとこの男の目は赤に染まる。まるで何かに憑かれたかのように青が赤へと変貌する。裏の世界で生き続けているフォルトでさえ、この色は異常に思う。

 同じ様に殺し歩こうと正常と異常とに分かれる。殺し屋は異常者ではない。その境はその人間の目の色で解る。

 この男は、時々、向こう側へ行く。

「俺の目って、そんなに血生臭いか?」

 疑問ではなく確認のような問いかけであった。

 二人の動きが、僅かだけ止まった。

 だがすぐに、

「まあな」

 フォルトは答えを返した。

 そして、何か思案した素振りを見せた後、二つの夕陽が見てきた。

「なぁ、フォルト。あんた、今、お仕事中?」

 訊かれたフォルトは、コーヒーを飲みかけたまま怪訝そうに目だけをシュウに向けた。

 質問と目の前のニヤリと笑った顔で意図は読めた。だが、会って間もない、しかも殺し屋家業の人間にこうも気安く誘いを持ちかけるシュウの神経を疑った。

 フォルトは溜息をわざと大きく吐きながらカップをテーブルに置くと、睨むようにシュウを見た。

「本気で言ってるならコーヒーぶちかけるぞ」

「そんじゃ逃げなきゃな」

「本気だったのか……」

 フォルトは腕を付き、こめかみを押さえた。本当に頭痛がしてきそうだ。

 この警戒心の無さは何だ。家に入れて貰い、コーヒーを奢られたからといって安心しきっているのか。もしそうならば、とっくの昔にこの世には居ない。

 それをいうなら、正体も分からない男を家に入れ、コーヒーを奢っている自分も愚かしいことこの上ない。こんなに浅はかではなかった筈なのだが。

 確かにフォルトはシュウに対して敵意を持っていない。殺す気もない。それを見透かして、気を許しているのか。

 ――コイツは、食えない野郎だな。

 苦い顔をしたフォルトを見て、シュウはまた笑みを浮かべた。

「な? 手ぇ組まねぇ? どーせトレなんとかの奴らって、あんたにとって利も害もないんだろ? それだったらいいじゃん」

「トレ・タルパだ。いい加減覚えろ」

 それにしても簡単に言ってくれる。一人で連中を相手にし続けてこの数日を生き延びてきたことは褒賞にも値するが、単に運が良かっただけだろう。質はともかく数だけは豊富な害虫を一斉駆除するなど、愚か者の考えとしか思えない。

 だが、実際にフォルトにとっては利も害もない。相手からも目の敵にされているわけではないが、出会えば何かと揉め事になる。主に向こうから売られてくるものだが。

 加えて、

「それにさ、あん時、あれだけ簡単に殺しちまえる相手だったら、いっそ殲滅した方が気が楽じゃねぇ? 気が楽って言うか、さっぱりするって言うか」

 ときた。今まで心に仕舞っていたことを一々言葉にしてくる。ここまで言われると、フォルトの方にも断る理由はなくなってきた。後は手法と気力だけ。



 フォルトは迷っているようだった。黒髪の男は視線をずらし、一定の間隔で机を指先で叩く。シュウはそれを急かすこともなく、その間、残りのコーヒーを啜り続けた。

 無謀な提案には違いない。しかし、鬱陶しい状況がだらだらと続くのは願い下げだ。

 その為にすべきことは解りきっている。その為には、助けが必要だ。一人ではやはり厳しい。

 誘った張本人でありながら、実はすぐに断られると思っていた。迷うということすらしてくれないだろうと。

 予想に反し、頼みの綱は、今、苛々と迷っている。

 と、フォルトの指の動きが止まった。

 是か非か。どちらにしろ心は決まったか。視線を遣ると、訝った黒がこちらを向いた。

「そう言えば、俺はおまえの腕を知らない。おまえは俺を勝手に信用しているようだが、俺の方はそうは行かない。手伝う相手が足手纏いでは、俺もやってられん」

「ふーん。そう来た」

 初対面の時は傷を負って逃げ回っていたときだ。何も出来ない腰抜けと疑われても仕方がない。

 さて。汚名を返上するには。

「どうすれば俺の実力、解って貰えるのかな?」

「おまえ、まだ追われてる途中なんだろ?」

「ああ」

「じゃあ、まだ外にいくらか居るだろうから、何人か殺ってこい。銃と弾丸タマはやるから」

「それでいいわけ?」

「不満でもあるのか?」

「俺、あんたと撃ち合いさせられるのかと思ったから」

「するか、阿呆」

 殺気とは無縁の苛立ちを放ちながらフォルトは立ち上がり、すぐ後ろにある棚の引き出しから銃と弾丸を取り出した。

 銃は手軽なハンドガンだ。そして一杯まで詰まったマガジンが数本。後は勝手にしろとばかりにシュウの前に置く。

 どちらかと言えばリボルバー派のシュウだが、得手不得手はあまりない。染みついた習慣に従って、マガジンを押し込み、装填する。その動作の途中、フォルトの左袖が目に止まった。

「あんた、その腕じゃ弾込めも大変だろ」

「弾切れする前に勝てばいい話だ。そんなこと、おまえにはどうでも良いだろう」

「一発装填しておいたとしても十六発。そんだけで勝てるか?」

「一丁しか持っていかない莫迦が居るか」

「そうだけど」

「この腕が不安材料になるのなら、一人でやれ。元々俺の問題じゃない」

「そうじゃねぇよ。それでも殺し屋やってられるあんたがすげぇな、って思っただけ。それじゃあ、行ってくる」

 日常生活だけでも苦労しそうなのに、その上で命を狩って生きている。

 並大抵の覚悟では出来ない。そして、そこに実力も伴わねば。

 両腕が揃っていたらどれだけ強いのだろう。

 一度も手合わせしたことのない男であるにもかかわらず、勝てる気がしなかった。



 ――認められていた、のか。

 フォルトは、まるで近所にお使いに行くように軽い足取りで人殺しに向かうシュウの姿を、どういう目で見ればいいのか一瞬解らなくなった。

 やたらと人間らしかったり、やたらと人の道を外れていたり。全く掴めない男だ。

 銃口を向けてくるようであれば即座に撃ち抜く用意は出来ていた。だがそれは徒労となり、警戒していた相手はもう居ない。

 品定めのため、フォルトは少し遅れて外に出た。

 玄関に鍵を閉め終わったときには既にシュウの姿はなく、奇声のような声がその位置を知らせていた。異様に元気な奇声はシュウのものである。付属して銃声と事切れていく者達の断末魔の悲鳴がする。

「無差別に殺してるんじゃあるまいな……」

 やりかねない。不安になり、足を速めた。

 とっくにマガジン一つ分は消費しているだろうにいっこうに音が止まないのは、恐らく相手の銃を奪っているからだろう。そう考えるのは、聞こえてくる奇声の内容から、シュウが劣勢とはとても思えないからだ。

 夏という季節には不相応の黒のロングコートの裾と左袖をはためかせ、フォルトは走る。右手はコートのポケットに突っ込んだまま。姿勢はやや前傾。

 このままここに居る者を全滅させられたら、品定めの機会を与えた意味が無くなる。

「あの莫迦。何処まで遠くに行った」

 走っていく間にいくつかの死体があった。どれも一発で仕留められていて、二発目が入っているものは殆ど無い。フォルトはそれらを横目で流す。

 流している中に、一人の男が影の中に立っているのが目に入った。フォルトは一旦立ち止まり、相手を確認する。

 目が合った。

 無言で頷き、シュウのことは少し放っておくことにして男の所に寄った。

 影の中に収まって、彼の色は見て取れない。フォルトも半分影に染まり、相対する。

「これ、仕事」

 影の中でフォルトより少し小さな男は、一枚の写真を渡した。

「ごめんね。今回、細かい調べが付かなかったんだ。だから、調べるところからお願い」

「金は?」

「半額は調査費として前払い。残りは殺したらね。じゃあ、頼んだよ」

「……わかった」

 差し出された厚みのある茶封筒と写真を受け取り、内ポケットに入れた。不定期なメシの種はこうして突然やってくる。

 男は、フォルトが仕舞う動作をしている間に消えるように居なくなった。フォルトは渡された写真を一瞥。すぐにコートのポケットにしまった。

 彼の正体を、フォルトはよく知らない。背はそこそこあり成人しているようだが、身体は細く、喋り方が若干幼い。バックに何が付いているのかも実はよく知らない。しかし、腕がこうなった以上、あまり選り好みしている余裕はなかったというのが本音だ。

 まだ後ろでは激しい銃声がしている。それ程までに在庫が豊富なのか。影から抜け出し、再び死体の道を縫いながら、発砲音の方に向かって走った。

 丁度着いたとき、シュウは腰砕けになった男の眉間に死を撃ち込んだ所だった。

「遅いぜぇ、フォルト。全部殺っちゃったじゃん」

 返り血で顔を汚したシュウが、楽しそうに笑った。やはり、目が赤いように感じる。感覚の所為だとは解っている。実際に色が変わるなど有り得ないからだ。

 何かに触れてしまっているかのような色の目。踏み込んでいくのは危険だと、本能が告げてくる。

「始めはもっと淡々とした男に見えたが、存外にやかましいんだな」

「うん?」

「どっちがおまえの本性だ?」

 訊かれ、シュウは一度首を捻った。

 そして相変わらず血生臭い目を向け、

「さあな。とも俺だよ。きっと」

「……そうか」

 相づちを打ったフォルトは、ポケットにある右手を取り出した。その手には銃。そして、当然のように銃を構えた。腕を真っ直ぐに伸ばし、相対するシュウに向けて。

「ふうん。そう来た?」

 シュウも負けずにフォルトに向かって銃を構える。その顔は、笑ったままだ。

 二人の距離はかなりある。銃口で相手の頭が隠れる程度の距離である。決して近くはない。

 膠着は数秒と続かなかった。

 ほぼ同時に互いに向けて一発ずつ発砲した。

 銃声の余韻の中、二人とも表情一つ変えずに立っている。片方は無。片方は笑顔。

 余韻が消え始めたとき、二人の背から呻き声と重い物が倒れる音が一つずつした。二人はその音を確認して銃を降ろす。

「ちょっと冷や冷やしたけど、流石だな、あんた」

「別におまえごと撃ち抜いても良かったんだが」

「そりゃねぇだろ」

「だが、おまえも大したものだ。真後ろに居たから、撃ち辛かっただろうに」

 実際、互いの弾丸はそれぞれの耳元すれすれを掠って後ろの標的を撃ち抜いていた。

 僅かでも弾道がずれれば手前にいる人物に当たり、狙った獲物を外すことになっていたところだ。

「どう? 免許皆伝?」

「そうだな。付き合っても、悪くはない」

「スッキリしない言い方するんだな」

「性分だ」

 言うと、フォルトは道を空け、シュウを先に歩かせた。誰かに背を見せるのは好まない。たとえ隻腕になっていなかったとしても、他人に無防備な姿を曝すのは命取りだ。横に連れて引く手もない今、誰の前にも立たない。



 食えないレベルで言えば、フォルトとシキは良い勝負だ。知り合って間もないことを考えると、腹を割って、と簡単に行かないのは解る。しかし、何かと邪険にされるとシュウでも傷付くのだ。シュウは少しふくれてフォルトを背に、元来た道を戻り始めた。

 一度通ってきた道を辿る中、シュウは道に転がる自分の殺した者達の姿を眺めやった。

 平常心で、と言うのもおかしいが、さっきは狂気に駆られることなく引き金を引いていた。引き金を引くのは容易いことだ。その結果を受け入れるのも。しかし、その容易い銃口は、どうして最も望む方を向いてくれないのだろうか。疑問を得、自分の作った屍を避けながら、それを自分の姿と重ねようとしてみた。

 出来なかった。

「探し物か?」

 不意に声を掛けられ、シュウは振り返った。

「さがしもの……」

 探していたのだろう。見つかるわけもないのに。

「死体から探して見つかる物なんて、過去だけだ。他に見つかる物があるなら、教えて欲しいものだな」

 そう言われ、シュウは改めて死体を眺める。

「探し物……。確かに、……探してる」

 シュウはもう一度、歩いていたときと同じ思考をした。

 転がっている死体に、自らの死を重ねようとする。けれど、一致したりすり替わることは決してない。

「今探してたのは、……俺の死体」

「なに?」

「本当の探し物は、もう見つかってるんだけどさ。目ェ離した隙に、どっかやっちまってさ。次はそれを探してたんだけど……」

 シュウは死体を見るのをやめた。何度見てもそれは他人で、自分ではない。

 そして前を見る。探し物の姿を勝手に目の前に描き、それを睨んだ。睨んでも睨んでも掴めない。今どこにいるのかと呟くことすら虚しい。

 幻影の向こう側で、フォルトが頭を振る。

「タルパの殲滅は手伝ってやるが、探し事それは自分でやれ。そこまでしてやる義理はない」

「ああ。解ってる。そこまで言わないさ。これだけは俺一人でやらないと、どうしようもないから」

「少しは物事が解ってるようだな」

「少しは、ってなんだよ。俺の頭空っぽみたいじゃないか」

「違ったか?」

 フォルトの場合、表情の変化が一切無いままに構ってくるので、シキよりタチが悪い。冗談なのか本気なのか、その区別さえ難しいときもある。

 ――シキ。ここに俺より人間臭くない奴が居るぞ。出てきて一言言ってやれよ。『機械みたいだ』ってさ。

 所詮は独白だ。聞かれることがない代わりに聞いて貰うこともない。

 その独り言の代わりに、別に思ったことを口に出した。

「なあ、頼んで引き受けて貰ってこんな事言うのも何だけど、何で俺なんかの手伝いしてくれるわけ? 物好き?」

 丁度家の前に着いた時だ。

 ドアを開けるためにこの時初めて前に出たフォルトの動きが止まった。どういう理由で止まったのかシュウには解らない。フォルトの後ろで、次の動きか言葉のどちらかが来るのを待っていた。

「別に深い理由はない。タルパの連中は元々好かなかった。それに、……おまえに少し興味があった。それだけだ」

 深い理由はないという理由。それだけでわざわざ面倒に首を突っ込んでくれたのか。

 つくづく変わっている。物好きであると同時に、人好きなのかも知れない。

 人の良い殺し屋に出会った。欲を言うのなら、シキと同じように、狂気を抑えてくれる存在だったら尚良かったのだが、欲張りというものだ。

「興味あるとか言って、夜中襲ってきたら返り討ちにするからな」

「……するか。阿呆が」

 家の中に足を踏み入れていたフォルトは、まだ外にいるシュウを閉め出そうと、扉を背で押した。それに気付いたシュウは、慌てて中に飛び込む。

「冗談くらい付き合えよ」

「十二分に付き合ってるだろう。この欲張りめ」

 今度莫迦を言ったら閉め出し所ではない。少しは口を慎もうと、申し訳程度に思った。

 相変わらず部屋の中は暗い。外との照度の差が激しすぎて、シュウの目の前は真っ暗になった。フォルトはその変化に慣れているようで、足取りにほんの僅かな乱れも見せずにいる。シュウは立ち止まって目を見開いた。どんなに開いてもなかなか見えるようにならない。余り開けていると目が乾く。目をしばたたかせ、視力を回復しようと努める。

「何をしてる」

 一度奥まで歩いていたフォルトが戻ってきた。

 シュウには、フォルトが近づいているのは解るが、その姿を捕らえる事が容易ではない。何しろ、フォルト自身が全身この空間に溶け込むような黒なのだ。

「や。ちょっと、目が慣れなくて……。何でこの家こんなに暗いんだよ」

 いまいち焦点の合ってないシュウを目の前に、フォルトは小さく溜息を吐いた。姿を捕らえ切れて無くても、そのことはシュウにも解る。

「別に今が昼だろうと夜だろうと、俺には関係もないし興味もないからだ」

「仕事は夜が多いから?」

「それもあるが、昼に仕事をする時もそれなりにある。光が在ろうと無かろうとどうでも良いから好きな方を選んでるだけだ。それに、夜になれば電気くらい点ける」

「ふうん。そんなもんか」

 漸く目が慣れたシュウは、フォルトの黒い瞳を見据えて首肯する。納得はしていないが。

「何か言いたげだな」

「陽の光浴びたくても、その結果が怖くて浴びらんないヤツだって居るのにさ。あんたは贅沢だよな、と思って」

「この世界に生きて、陽の光など要らないだろう」

「比喩じゃねぇよ。病気とか、そう言う話でもない」

「? じゃあ何の話だ? 吸血鬼ヴァンパイアじゃあるまいし」

「吸血鬼ねぇ。あいつは、他人よりも自分を犠牲にして生きてる。自分じゃどうしようもない自分を引きずってさ」

「……おまえの知り合いの話か。だが、もう少し掴めるようにして貰わないと、俺にはわからん」

「会えれば解るよ。あんたはかどうか知らないけど、大丈夫じゃないなら、余計に解るはずだ」



 フォルトはシュウの目の色に目を見張った。

 青い瞳がそのままに、まるで空のように澄んでいる。少し前までの血のような赤の気配はまるでない。思慕や信頼と言った類の感情とはまた別の物だ。その中に愁いさえ感じる。フォルトには、空のような瞳の持つ感情が一切理解出来なかった。

「……それは、おまえの目を『空の色』と言った男か?」

「そう」

 目の色の変わり方を見れば、解らなくもなかった。恐らく普段は見せない色。もしくは、これが素のシュウなのだろう。

 陽の光を浴びたくても浴びられない男。目の前にいる男の血生臭さを消し去る男。

 そんな人間に、フォルトは少しだけ興味を覚えた。

「あんた、自分以外の人間には好奇心旺盛なんだな」

「面白いからな」

 突然の質問に動じもせずフォルトは家の奥に歩いた。コートを脱ぎ、いつものように帰宅後のコーヒーを入れる。既に習慣になっていて、怠るとなにやら落ち着かなくなる。

「おまえも飲むか」

「うん。苦いのにして」

「生憎、インスタントじゃないんだ。味の注文は無しにしろ」

「おー、ドリップ! いいね!」

 そんなにコーヒーが好きとは。急にはしゃぎ出したシュウを残し、やかんを火に掛けに行く。その後を付いてくる影があった。

「……湯が沸くまでここで待ってるつもりか」

「……それもそうだな」

 はしゃぎすぎだろう。子どもじゃあるまいし。

 解りきっていたことに肩を落とす長身の男を見、重なる姿があった。屈むか目線を落としてやらないと目が合わない、遠い過去。我が儘を言っては、一人で肩を落として哀しんでいた。記憶は更新されず、姿は幼いままだが、今でも生きているのだとしたら立派な大人になっていることだろう。

 回顧の間に腕の喪失感を思い、やかんに水を入れ火に掛けると、シュウの脇を抜けてリビングへ戻った。

 L字に置いたソファの端に腰を降ろし、立ったままのシュウに向く。

「ね。立ち入ったこと訊いていい?」

 振り返ったかと思うと、唐突に問われた。

 立ち入るな、と思いつつ、

「腕のことなら五年前に訊け」

「うーでー」

 まさにその話題だったらしい。

 ごねるようにシュウは身をくねらせる。

 初見はこんな滑稽を感じる男ではなかったのだが。観察眼が鈍ったのだろうか。

 一度右目を擦り、改めてシュウを見る。やはり、何か変だ。もしや、これこそが素なのか。

 黄色い髪の男のことは少し置いておこう。簡単に量れる相手では無さそうだ。

 息をつく。

「おまえな。普通だったらそこは避けるべき話題だろ」

「俺ね、曲がったこと嫌いなんだ。だから避けない。何があったの?」

「……」

 空気を読むスキルとか、読める空気とか。そういうものはこの部屋にはないらしい。

 隠すほどの過去ではないが、披露するほどのことでもない。

 どうしたものか。頭が痛い。

「そこ、額を押さえたいトコだよな。でも、その左手がないのは何で?」

 こんな誘導尋問は初めてだ。それにしても、強引だ。はぐらかすことは難しいだろう。

 では、端的に。

「下手扱いてトんだ」

「詳細は何処だ!」

「躁鬱か、おまえ。テンション乱高下しすぎだろ」

「ん? なんか、エロいこと言った?」

 性的なことは何も。

 ――否……、乱高、下。らん……。

 可能ならば両手で頭を抱えたい。何て頭の悪い会話なのか。その当事者として今居ることに、改めて頭痛がする。

「……溜まってるなら、道を二本挟んだ通りにアパート丸ごと娼館になってるトコがあるから好きにしてこい」

「なに。馴染みでもいるの?」

「一棟丸ごと俺の馴染みだ」

「うそっ。どういうこと。どんだけお盛んなの。腕一本しかないのに」

「五年前は両腕揃ってた。それに、今でも片方生えている」

「三本目も健在、と」

「くだらない会話は終わりだ」

 かたかた騒ぎ出したやかんの音を聞き、フォルトは強制的に話を打ち切った。

 顔を見ると、これと言った理由がないのに胸焼けのような不愉快さ感じる。軽口に腹が立ったのとは違う。シュウ個人に対する感情ではないようなのだが、はっきりしたことは解らない。

 胸をさするための左手が欲しい。

 健在の右手で、コンロの火を止めた。



 人間は面白いからと興味を抱く傍ら、その人間を感情に関係なく殺していくことを生業とする、少しちぐはぐな男は、存外に面白い人間だった。願いを叶えてくれる相手ではないが、シキとはしなかった勢いで交わす会話は、正直、楽しい。乗っては来ないが突き放してくることもない言葉は、こちらの精神を許してくる。

 保護者とは忌避すべき存在という認識であるシュウにとって、包容力とはどう扱えばよいのか解らないものの一つだ。嫌な記憶にも結びつくが、結びつけなければ身を委ねてしまうことも出来る。

 フォルトの場合、ある意味、後者に当て嵌まるのだろうか。そもそも、この感覚を包容力と解釈して良いのか。大人の余裕、程度であるようにも思える。

 どちらにしろ、ちょっとやそっとでは動かせない揺るぎなさは、共に居て落ち着く。どうやら、無意識のうちにシキの前では「お兄さん」を演じていたらしい。ぎこちなくもなる。

 ほろ苦い良い香りがしてきた。こぽこぽと和やかな音もする。

 自分に、狂気という負がなければ。フォルトに、生を忌避するような負があれば。もっと距離感は違ったはずだ。もっと気兼ねなく、もっと気を緩められただろう。

 関わりは、これ以上深度を増さないように思う。

 何故なら、フォルトに対してシュウは初めから何も求めていない。欲しいものは貰えないだろうと、そう信じて疑わない。今の状況で、溺れられない安堵をくれる者は、ある種の敵だ。

 もし、何かの理由でこの男が目の前で殺されたとしても、恐らく大した感情は抱かないのだろう。それは薄情とは違う。摂理として、受け入れるような淡泊さでしかない。

「淹れたぞ。取りに来い」

 呼ばれ、促されたカップを取った。早速一口啜る。苦味も解らないほど熱く、すぐに口を離した。

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