第59話 虹の夜桜
「なに?! 何が起こってるの?!」
それは、あまりに突然過ぎる事態だった。
拳を振り落とし、花壇に跪くアリス。しかし、彼女はゆっくりと上体を起こすと、そこにいない誰と会話しているかのような独り言を繰り始める。そして、契りの木に手を伸ばし、その小さな葉を握った。
直後、爆発的な極光が全てを包み込んだ。
ゴゥン! と遅れて全身を襲う暴力的な突風。リオナは地面に尻餅をつき、さらに押し寄せてくる光の洪水に腕を翳して対処する。
それは、アリスと契りの木を源とする異常現象だった。彼女たちから迸る強烈な光が、猛烈な風を伴って四方に拡散しているのである。
そして、この全身を突き抜けていくような鮮やかな光の
「馬鹿なぁ?! なんだこの途方も無い魔力は?!」
地面に平伏すヨネスの絶叫が、轟音の中でも微かに聞こえた。
そう、これはただの光ではない。魔工技術士として、魔法を扱う者だからこそ分かる莫大な魔力の流れ。圧倒的な光と風は、その魔力によって生み出されているのだ。
「なんなのよおお! アリス! あありぃぃすっ!!」
どれほど叫んでみても、逆光に佇むおぼろげな後姿は振り向くことなく。昼間を思わせるほどの発光の中で、契りの木が俄かに大きく膨らんでいく。
ドン!
と、下から臀部を突き上げてくる衝撃が起きたのはその時だ。契りの木の成長に従って花壇を中心に地盤が盛り上がっていき、舗装された道の煉瓦を次々と引っぺがしていく。このまま近くにいるのは危険だ。
「アリス! 早くこっちに来なさい! アリスったら!」
「危ない! 離れろ!」
「アリス! アリスううう!!」
地面から跳ね起きたヨネスに手を引かれながら、リオナは必死にアリスに呼びかける。しかし、やはり聞こえていないのか彼女は一切の反応を見せなかった。間も無く、その小柄は契りの木から伸びる枝葉に覆われて、姿すら確認できなくなる。
それでも尚、契りの木は成長を止めない。
仕切りの壁まで急いで退避して、リオナは振り返る。そして頭上を仰ぐ。契りの木はどんどんと規模を拡大していき、高さは市街の民家を優に超え、太さはあの広い花壇と同じくらいの幅まで肥えてしまった。そこまで至って、契りの木はようやく成長を止める。
時間にして、一分もなかっただろう。花壇は剥き出しになった露根によって完全に崩壊しており、植えたレインローズの花々は、露根の合間に挟まる土の上で、何事もなかったかのように揺れている。そして、アリスは一番高く露出した根の上に立っていた。
ひらり、とピンク色の花びらが目の前を掠める。
頭上から現れたそれは緩やかな軌道を宙に描き、音も無く地面に舞い落ちた。二枚目、三枚目と、赤や青の
レインローズの固有種、タマムシサクラ。その花弁は多色に色付き、世界を美しく染めるという。その謳い文句に嘘は無いだろう。未だ淡く発光するその木によって作られる幻想的な花吹雪に、誰がケチをつけられようか。
猛烈な風を浴びて、辛うじて立っている状態の仕切りの向こうからは、都民たちのどよめきが聞こえてくる。突如として街に立派な夜桜が出現したのだから、驚嘆するのは当たり前だろう。そんな民衆を押し止める警備兵たちの忙しない声や足音も聞こえてきて、外はかなりの大混乱に陥ってるようだ。
「まさか……真に
外の騒動など今は忘れて、しばらく空を眺めてうっとりとしていると、弱々しいヨネスの声が聞こえてきた。せっかく契りの木が成就したというのに、彼はまだ現実を受け止められてないようである。
「やっぱり信じてなかったんですね。まぁ……私も似たようなモンだけど。残り一日で育てられるとは思ってなかったし」
「ふむ……養分はすでに十分に与えてきた。ここまで成長する土台は出来上がっていたのだろう。ただ、この急速な成長は、あの娘の常識外れの魔力によって成されたもののはずだ。虚露木だから、という理由だけでは説明できん」
アリスを眺めながらそう告げて、ヨネスはリオナを睨み付けた。
「あの娘は、いったい何者だ?」
「……さぁ。私にもよく分かんないです」
「ただ」と付け加え、リオナはアリスに目を向ける。
「誰かの力になるために……そのために一生懸命になれるヤツ、だと思います」
「誰かのために……」
「まあ、よく分かんないですけどね。それよりも、例の約束、よろしくお願いします」
「約束? ああ、あの娘を弟子にする、アレか……」
「そのために頑張ったんですから。それじゃあ!」
ヨネスに一礼し、リオナは彼を置いて走り出す。契りの木の根元に近づき、そこからアリスに声を掛けた。
「アリス! 返事をしなさいアリス!」
「――っ、おおぅ。どうし――」
今度の呼びかけはどうやらアリスに届いたようで、
「ん? なんじゃこりゃあぁぁああっ?! あいてっ?!」
そこで自分の状況に気が付いたらしい彼女は、驚いた拍子に足を踏み外して、露根から地面に転げ落ちた。頭からなのでスカートが完全に捲りあがり、ドロワーズが丸見えになっている様は、絶世の美少女であったとしてもみっともない。
「なにやってんのよ、まったく。ほら、捕まりなさい」
逆様になっているアリスに手を差し伸べ、彼女を起き上がらせる。そうして立ち上がった彼女は、大きくなった契りの木を下からなぞるような動きで顔を上げた。
そこに映るは、満天の花空。色とりどりの花びらが優雅に舞い落ちてくる光景はまさしく虹色の雨であり、自分たちの尽力を労う祝福の雨でもあった。
ひらひらと落ちてくるその雨の一粒を掴み取り、アリスは小さく笑む。
「よかった……ちゃんと成長できたんだな」
「ええ」
リオナは頷き、それからゆっくりと右手を挙げる。
「ま。何が起こったのかよく分かってないし、聞きたいことも山ほどあるけど。とりあえず、今は……ね」
「……ああ」
この手の意味を理解した様子のアリスもまた、右手を挙げて構えた。
――とりあえず今は、この奇跡を分かち合おう。
共に笑い合い、そして2人は、パァン、と高らかにハイタッチを交わしたのだった。
――虹色の雨が降り注ぐ。自分の存在を証明するかのように、遠く、遠くへ飛んでいく。
聖都の中の人々の許へ。壁外地域の人々の許へ。
ホテルの前で待ち侘びる少女の許へ。彼女に誘われて外に出てきたホテルの主人や常連客たちの許へ。
スクープを求めて飛びまわる新聞記者の許へ。
自宅の広い庭で鍛錬していた金髪の青年の許へ。彼に呼ばれて書斎の窓を開けた領主の許へ。
約束の一週間を明日に控える優男の許へ。
ただ、部屋に閉じ込められている少女だけは、その光景を窓から眺めるだけだった。
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