第60話 月下の触れ合い



 その夜、ヴェネロッテは大いに騒ぎ立っていた。

 

 降り注ぐ虹色の雨と記者たちの号外により、瞬く間にヴェネロッテ全土へと知れ渡った契りの木の完成の事実。それはすなわち、パイロトキアとの関係がいよいよ本格化することであり、その是非を論ずる国民たちの声によって夜通し盛り上がっているのだ。

 

 特に、功利こうり思想の強い壁外地域の賑わいはすごかった。パイロトキアとの関係が深まれば、より多くの恩恵に預かれるのがここだからだ。前祝とばかりにどこもかしこもお祭り騒ぎであり、それはロイス・マリーも変わらない。

 

 現に、ロイス・マリーの食堂は今や、マクギたち常連客の乱痴気騒ぎによって混沌としていた。なにがすごいって、本来はブレーキ役のチェロットですら今宵は柄にもなくはっちゃけており、現場は収拾の目処すら立たない状態で今なお驀進ばくしん中なのである。

 

 そんな狂気染みた大音声を、アリスはホテル屋上の欄干に身を預けて聞いていた。夜空にはもう、色の欠片は残っていない。視線を下げると、ホテル前の大通りにいるたくさんの領民たちが目に入る。夜の時間帯になると静かになるここも、今日ばかりはその限りではなかったようだ。食堂内ほどではないにしろ、誰も彼もが陽気に酒を飲み交わし、喜びを共有していた。


 「こんな所にいたのかー」 

 

 欄干に顎をつけ、何気なく大通りを見渡していると、後ろから声を掛けられた。振り返ると、ご機嫌な足取りで近づいてくるリオナを発見する。若干、顔を赤くしており、明らかに素面ではない様子だ。

 

 「なんだ、飲んだのか?」

 「ちょっとねー。マクギたちに誘われてー。いやね、私も断ったんだけどね。社交儀礼ってヤツ? どーしても断れなくて、まあ一杯だけ」

 「お前、酒飲めるのか? てか、飲んでいいのか?」

 「はっ、飲むも飲まねえも飲まなきゃやってられない時だってあったのよ。年齢制限とかあってないようなモノだし、私けっこう強いんだぜ? でもね、一杯だけよ。まだリリィが帰って、帰ってきてからぁ……っとと」

 「あぶなっ」

 

 歩いている最中で体を大きく動かし、そのせいでバランスを崩してリオナは前のめりに倒れてくる。アリスがなんとか抱き止めてなければ、鉄柵に顔を打ち付けていただろう。

 だが、小柄なアリスでは完全に支えることは難しく、ゆっくりと腰を落としてリオナともども床に座り込む。

 

 「あれぇ? おかしいなぁ? ホントに一杯だけなのに。私、こんなに弱くないのよぉ?」

 「疲れてんだよ。いろいろとあったからな」

 「いろいろ……あったもんねぇ……」

 

 平たい胸の中で身じろぎし、アリスを見つめるリオナは唐突に吹き出した。

 

 「あは。なんかヘンな気分。まさかこんなことになるなんて」

 「なにがだ?」

 「前にさ、こんな風にさ、アンタとさ、喋ったじゃない。チェロットたちにお金を返したら、そこで私たちの関係はお終いって。私は本気だったのよ? それなのに今はこうして抱き合ってる。人生って何があるか分かんないわ」

 「ああ……ホントにな」

 

 そういえば、そんなこともあったな。つい先日のことが遠い昔のように感じて、アリスは少し笑った。

 

 「ホントにそうよ。アンタが水晶を壊した時は、マジで殺してやろうか、ってくらいにムカついてたのに」

 「それについては悪かったよぉ。でも、アレはさ、俺のせいっていうか、俺のよく分からん力のせいっていうか……」

 「『勇者の極光ヘヴレキシオン』」

 「へ?」

 

 リオナが放つ意味不明の単語に、アリスはキョトンとなる。リオナは続けた。

 

 「アンタのその力はおそらく『勇者の極光』っていうものよ。普通の人が一色の魔力色を持つのに対し、アンタの魔力色は七つ。勇者ルカや教皇エリエステルしか持っていない、非常に珍しい力」

 「……『勇者の極光』か。そんなモノが俺の中に……」

 「契りの木があれほど急速に成長したのも、その力のおかげでしょうね。ヨネス大導師もそんなこと言ってたし……」

 

 饒舌だったリオナの弁が、途切れる。ぼんやりとしていた眼差しが徐々に真剣みを帯びていき、思わず目を逸らしてしまいそうな鋭さまで研ぎ澄まされた。

 そして、彼女は再び、口を動かす。

 

 「やっぱり、アンタは他の世界から来た人間なのね」

 「なんだよ今さら」

 「当たり前でしょ。異世界から来た、だなんてそう簡単に信じられないわ。たとえエルフィリアの伝承があったとしても。でも……今回のことで、確信した。アンタは普通の人間じゃない。アンタは……アンタは、いったい何者なの?」

 

 純粋な瞳が月に負けないほど輝く。その疑念はきっと、不信から来るものではないとしても、ここまで連れ添った相手から投げかけられるのはさすがに胸が痛んだ。


 だけど、この質問から逃げることはできない。その疑念はきっと、自分を信じたい心から来るものだと思うから。そんな彼女の想いを無視なんてしたくない。

 

 「……さぁな。正直、俺でも俺のことがよく分からねえよ。でも……」

 「でも?」

 「……初めて聖都に行って、フィリップス家の竜車で帰ってる最中。あの親子から、俺には樹導師の力がある、と散々言われた。その時に思ったんだ。この力に何の意味があるのか……って」

 

 アリスは、自身の胸を枕にするリオナの体を抱き締める。互いの体温を分け合う。この愛おしい一時ひとときは、決して夢ではないと確かめるように。

 

 「きっと、。俺の力は、俺1人のためだけにあるものじゃない。こうして、誰かの希望を繋ぐための力なんだ」

 「誰かの……希望を」

 「ああ。そして、今はまだその未来への途中だ」

 

 リオナの手に自分の手を重ね、アリスは言う。

 

 「俺たちの本当の目的はこれからだ。俺たちはただヨネス大導師の弟子、という肩書きを得たに過ぎない。明日のキールとの交渉が正念場だ。気を引き締めなおしていくぞ」

 「ええ……そうね。絶対に……取り、もどしましょう、リリィを」

 「ああ。絶対に取り戻そう」

 「うん。しんじ、て…るから。アンタ、を……」

 

 リオナの瞼がゆっくりと下りていく。アリスの体温に包まれて、夢の扉が開いたのか。そのうち、彼女はアリスの胸の中で穏やかな寝息を立て始めた。ここ数日の無理の上に、本日の大奔走だ。酒もいい具合に加わり、もう限界だったのだろう。

 

 アリスは、そんな彼女の前髪を優しく指先で触れる。

 

 「……ごめんな」

 

 小さな謝罪は、これから起こる事への僅かばかりの償い。信じてる。その言葉が叶わないことを知りながら進まなくてはならない自分の罪。


 

 せめて、今だけは安らかな眠りを。







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