第13話 「相手だけ、と言った覚えはありません」by靴屋の店主



  家具店にケージを返し、外に出た頃には日はだいぶ傾いていた。人々の流れも昼間ほどの勢いは無く、店の活気もやや衰えが見え始めている。

 

 「さぁて、どうするかなー……」

 

 オゼットから貰ったマドレーヌ風の焼き菓子をパクつきながら、アリスは密度が薄くなった通りを緩い歩幅で歩いていた。夕日の朱に長い影法師を落とすレンガ道を踏む足は、まるで胡蝶のよう。あっちにふらふら、こっちにふらふらと定まらず、明確な帰路を徒に刻む。


 このままロイス・マリーに帰って、果たして何を成せると言うのか。


 彼女の足を不確かなものにしているのは、その憂鬱だった。あそこに自分の居場所は無い。別に構ってほしいワケではないが、和気藹々と騒いでいる集団の中に入れない自分がひどく惨めな存在だと思えて、遣る瀬無くなるのだ。

 

 「まぁたトンズラでもするかねぇ」

 

 朝、靴屋でしたように。

 

 そんなことを考え、つまらなそうに吹き出した時だった。目の前の角から人影が現れて、アリスは慌てて立ち止まる。


 現れたのは小さな老婆だった。薄汚いセーターに小豆色のストールを合わせたその人は、小柄なアリスの胸辺りに頭があり、目深に被った頭巾からは大きな鼻が突き出ている。

 

 「ああ、ごめんなさいねぇ」

 

 妙に癖のある声で老婆はアリスに会釈すると、彼女の横をゆっくりと歩いていく。

 アリスは、そんな老婆から目が離せなかった。確かに、彼女の身形は、いわゆる『人間』とは遠い。しかし、異形が跋扈するこの世界で、その程度の差は無いも同然である。

 

 それでもアリスが老婆に関心を寄せたのは、偏に直観だった。人であるのに、人ではない。そんな噛み合わせの悪い心象が、彼女からは感じられたのだ。

 

 そして、決定的な事が起こる。

 

 「いてっ」

 「あ、ごめん」

 

 老婆がアリスの横を通り過ぎた直後だった。二つの幼い声が、微かに鼓膜を揺らしたのだ。


 周囲にそれらしい子どもはいない。ましてや老婆とも違う、二つの声。

 よくよく思い返せば、老婆の声もおかしかった。老人らしくしわがれていたが、しかし声自体は子ども特有の甲高さがあった。ように思える。

 

 まるで、そう、子どもが無理やり老人の声を真似ているような。


 「…………追うか」

 

 普段ならどーでもいいと捨て置く事柄であったが、帰宅を渋る今ではお誂え向きのミステリーである。焼き菓子の一欠けらを口に放り、指に付いたクズを舐め取るアリスの顔に勝気な笑みが宿った。

 

 歩いていく老婆の背中を見続け、ある程度の距離が開くと静かに追跡を開始する。

 

 帰宅を急いでいるのか、老婆は脇目も振らずにひたすら大通りを一直線に進んでいた。そうして約20分も経つと、頭上を彩っていた市街の装飾は徐々に失われていき、開けた視界の果てに大きな石壁を見ることになる。


 それを目にしたアリスは、花の船から見下ろした今朝の光景を思い出した。エルフィリアを取り巻く都市の周りを囲む、巨大な郭。あれがそうなのだろう。

 

 (つーことは、あのババアは石壁の中の住人なのか?)

 

 石壁の周りには幅三メートルほどの堀が敷設されており、レンガ敷きの道は途中で石橋となって壁に設けられた関所に通じている。


 石橋は地面に書かれた白線によって半分に区切られ、左側には人や荷車が列を成していた。逆に右側に行列はなく、壁内からこちら側へ歩いてくる人が疎らに見える。どうやら左右で進行方向を分けているようだ。

 

 そして、その老婆である。

 橋を目前に迫った彼女は、アリスの予想に反して左方向に折れ、堀と建物の間にある草原へと行進していった。てっきり橋を渡るものだと思い、追跡を諦めかけていたアリスは、慌てて足を早めて老婆を追いかける。

 

 人通りの無い、店も無い草原を、堀を沿うようにして歩いていく老婆。やがて左側の住宅地は途切れ、鬱蒼とした森林地帯が続く場所まで来た彼女は、そこでようやく足を止めた。

 

 「こんな所まで来て、何やってんだ……?」

 

 関所からかなり離れた、石壁の影を纏う何も無い草原に老婆は佇んでいる。町の喧騒もそこでは遠く、ときおり吹く風が草木を揺らす以外に音は無い。


 だからだろう。森の木々に隠れて様子を窺っていたアリスが、うっかり踏みつけた枯れ枝の折れる音で、老婆は勢いよく振り返った。

 

 「だ、だれだ?!」

 

 同時に放たれる、正真正銘の子どもの声。思わず出てしまった叫びまで声色を維持することは出来なかったようだ。

 アリスの中で、確信がさらに色味を増す。しばらく木の陰に身を潜めていたが、老婆の警戒はなかなか解けそうにないことを察し、アリスは木陰から姿を現した。

 

 「お、おや、さっきのおじょうさんかい」と、アリスを視認した老婆は、また癖のある声調に戻る。

 

 「どうも、お婆さん。こんなトコでひとり何してんだ?」

 「え、えっと、さ、さんぽだよ」

 「ほぉう。散歩、ねぇ……」

 

 取って付けた様な返答だった。アリスが目の前までやってくると、老婆は忙しなく綺麗な瞳を泳がせる。虚言であることは明白だ。

 

 「散歩ってのはウソだろ。というか、アンタはホントに婆さんか?」

 「な、なにを言う。ワシはどこからどう見てもちゃんとしたおばあさんだよ」

 「『ちゃんとしたお婆さん』ってのは、変な言い回しだな、まるで『私はお婆さんを演じています』と言ってるようだぜ?」

 「そそっ、そんなことは……きゃっ」

 

 老婆が回らない呂律で紡いでいた弁明に突然、小さな悲鳴が混じる。彼女の青い瞳から光が消え、かと思えば、茶色の輝きがそこに灯った。

 

 「いっ、いちいちうるさいんじゃよっ! オレぇー……じゃなくて、ワシがどこで何をしようがワシのかってだろうが! あっ、じゃろうが!」

 

 そして、ビクついていた老婆は、打って変わって攻撃的な言葉を繰り出す。今までとは似もつかぬ声、調子、態度。無理に老人の言葉遣いを真似ようとしているのが、もはや哀れにすら思えてくる。

 

 「だいたい――ぅあっ」

 

 冷めた目付きのアリスに向かって、老婆が人差し指を立てた右手を突き出した瞬間だった。老婆の顔の皮膚がずるりと横にずれ、左肩側にだらりと垂れ下がる。そのアイホール部分は真っ黒で、明らかに作り物だと誰が見ても判断できた。

 

 「うわあっ?! なんだ前がみえないっ」

 「ずれてるんだよぉルーちゃんっ。早くなおさないとあやしまれちゃうよぉ!」

 「もうとっくにあやしまれてるような……いたいいたいっ。だれかボクの足ふんでますっ」

 「はぁ、これはもうダメだね」

 

 さらにくぐもった四種類の声が老婆から漏れ出し、アリスの中で確信は呆気に推移していった。短い両手を必死に動かし、なんとか顔を元の位置に戻そうとしている老婆だが、視界が塞がっているのでどうにも上手くいっていない。アイホールや口を乱暴に掴んでぐいぐい引っ張っているが、目の前にアリスがいることを分かっているのだろうか。

 

 そろそろ不憫になってきたので、アリスは彼女の顔を掴み、一思いに引き上げた。

 

 「うおあっ?!」「きゃあ!」「あいててっ」「おおう……」

 

 皺くちゃになった老婆の被り物から出てきたのは、男の子が2人と女の子が2人。年齢は全員5~6歳くらいだろうか、この界隈には相応しくない小奇麗な服飾をした子どもたちだった。

 

 あの小さな老婆の内部に4人も潜んでいたとは、さすがに思いも寄らなかったが、ともあれ魔法であればなんでも説明がつく。この世界の都合の良いルールで自分を納得させ、アリスは改めて地面に転がる子どもたちに目をやった。

 

 「やっぱりババアじゃなかったな」

 「あぃててて……なにすんだよっ。だれだよお前ぇ!」

 

 4人の内、短い金髪の男の子が立ち上がり、アリスに迫った。

 

 「いやぁ、悪ぃな。町中でヘンなババアがいるなーって思ってよ。ほぉ、しかしこの世界にはこんなモンもあるんだなぁ……」

 「なんだよそれぇ……ああもぉっ、返せよっ」

 

 アリスが物珍しげに眺める老婆の着ぐるみを、男の子は無理やり掠め取る。そしてそれを長い黒髪の女の子に手渡した。

 着ぐるみを受け取ったその子は、腕に掛けた巾着にそれを収納していく。どう見積もっても容量が足りないはずだが、難なく全てを仕舞い終える少女に、しかし特段の疑問を抱かず、アリスは金髪の男の子に眼を戻した。

 

 「で、ンな変装してなにやってたんだお前ら?」

 「なにって、別にあそびに来ただけだよ。だって中はたいくつなんだもん」

 

 金髪の少年は石壁の方を指差して答えた。

 

 「中ぁ? つーことはお前らやっぱり向こうで暮らしてんのか?」

 「そうだよ。毎日まいにち勉強したり習いごとしたりおいのりしたり、つまんないことばっか! こっちはいろんなモノがあるんだもん。まほーの道具とか、ヘンな生き物とか、おもしろい出し物とか。でもさぁ、あんまりこっちに来れねーんだよな」

 「なるほど。それでこの町にお忍びで来たってワケね。ふーん……」

 

 アリスは腰を捻って上半身だけで振り返り、石壁を見上げる。花の船から見たあの整然とした都市は、雑多に過ぎるこの街とは質が全く違うようだ。

 

 そんな感慨に耽るアリスに、一歩近づくのは長い黒髪の女の子。気配を感じて体を戻すと、その子は恐る恐る、といった具合で話しかけてくる。

 

 「おねえちゃんは、この町にすんでる人、ですか?」

 「ん? まあ……そう、なるかな?」

 「やっぱりそうなんですかっ? あのっ、わたし、カベの外の人たちの暮らしにきょうみがあって! ルーちゃんもそうで、あっ、ルーちゃんっていうのはこの男の子のことで、それで、だから、たまにこうやってみんなで外に出て、いろいろたんけんしてるんですっ」

 「ふーん。お前らもそうなのか?」

 

 金髪の少年の服を引っ張りながら興奮気味に捲くし立てる少女から、アリスは視線を別の2人に移した。それに対し、白髪をツインテールに括った半眼の女の子は「まあね」と曖昧な返事をするだけであったが、マッシュルームヘアの男の子はアリスから目を逸らし、つけているメガネのツルを指で持ち上げて答えた。

 

 「ボクは別に……る、ルークにごういんに連れてこられただけです」

 「ルーク……ってのはそこの?」

 「あ、はい。あっ、自己紹介がまだでしたね」

 

 金髪の男の子へと視線を動かすアリスを見かねて、黒髪の女の子が前に出る。そして、自身の胸に手を当てた。

 

 「わたしはホーリーっていいます。で、この人がルークです。それで、そこの男の子がトルテンで、そっちの女の子はスターニャです」

 「そうか。ああ、俺はアリスだ、一応な」

 「いちおう?」

 「あー、とりあえず名乗っとく、って意味の一応だ。気にすんな」

 

 はあ、と生返事をするホーリー。少しだけ呆けた顔の彼女は、しかしすぐに好奇心を瞳で煌かせる。

 

 「あのっ、おねえさんはせい服? みたいなのを着てるけど、おねえさんはお仕事をしてるんですかっ?!」

 「ああ、まあな。さっきも届け物して、帰る途中だったんだ」

 「やっぱり! あのあのっ、外の人たちは、おねえさんくらいのねんれいでもう働いているんですか?! そうだったらどんな仕事ですか?! おねえさんのその男の子っぽいしゃべり方にかんけいあるんですかっ?!」

 「ちょいちょいちょい待てっ。落ち着け、質問が多いっ」

 

 ぐいぐいと顔を寄せてくるホーリーをアリスは両手で押し止める。そうして自分の行為を自覚したのか、ホーリーはハッと目を見開くと、赤みがかった顔をことさら鮮やかにしてアリスから遠ざかった。

 

 「ご、ごめんなさいっ。あんまり外の人と話せることがないから、ついむちゅうになっちゃって……」

 「ああ、それは別にいいんだけどよぉ……なんか、食いつきに必死感があるなぁ、って思って」

 「しょうがないですよ。ホーリーは働くことにあこがれがあるんです」

 

 アリスにそう答えたのはトルテンだった。アリスが目を向けると、彼はさっと顔を逸らして、言葉を急がせる。

 

 「ぼ、ボクたちは進むべきしょうらいが決まってるんです。だから自由に仕事がえらべないんです」

 「そう。あたしたち子どもには人権が無い」

 「ここにすんでる人たちがうらやましいぜ。なんだってできるんだもん。なんでもあるしさ。そういうのを買ったり、あそんだりするために来てるんだ。オレたちは」

 「へえ。たとえばどんなの買ったんだ?」

 

 アリスが訊ねると、ルークたちは自分の荷物を取り出し始めた。

 最初にアリスに披露したのは、トルテン。

 

 「ボクは本です。べんきょう本やれきし書以外の本が読んでみたかったんです」

 「あたしは魔力を込めると花火みたいに爆発する粉。これで夜にひとり花火大会ができる」

 「おやに見つかんなよな。オレはこのおかしな花のタネだ! どうせ買うならたくさんのものがいいって思ってさ」

 「わ、わたしは描いたものがうごくまほうのクレヨン。おとうさんやおかあさんにみつからないような小さなものをえらんだの」

 「こういうのをみんなで持ってかえってさ、家にかくしてるんだ」

 

 嬉々として商品を見せびらかす4人。親から禁じられた行為を楽しむ事は、子どもにとってこれ以上に無い冒険だ。それも友人と一緒なら感動は一入である。


 この経験がいつか、彼らの中で燦然と輝く思い出になるのだろう。それをどこか寂しく思うアリスは、緩く頭を振ってぎきこちなく笑う。

 

 「それにしても、持って帰る……か。あのバレバレの変装で、だろ? あの程度も見抜けないなんて、あそこにいる門番も大したことねーな」

 「はぁ? そんなワケないじゃん」

 

 肩を竦め、鼻で笑うルーク。

 

 「ああ? どういうことだよ、お前らあの門を通ったんじゃねえのか?」

 「ちがうって。オレたちはあそこを通ってきたんだ」

 

 アリスに手を振って答えたルークは、再び石壁を指し示した。

 理解できず、アリスは眉間に皺を寄せる。そんな彼女を見て、「しょーがねーな」とルークは言い、ホーリーに視線を送った。

 

 ホーリーは一つ頷いて、老婆の着ぐるみを収納した巾着の中に手を入れた。がさごそと中を物色し、少しして彼女が引っ張り出したのは、丸い鉱物を取り付けた布らしき赤いものの一部である。

 その部分をスターニャが受け取り、ゆっくりと後ずさっていく。布はどこまでも続き、十メートルを超えた辺りで端を迎えた。


 それは、運動会でよく見る敷物用シートのような大きな幾何学模様の布だった。ホーリーはその布を、スターニャと協力して折り畳んでいく。

 

 「なにやってんだ? あれ」

 

 アリスは腰を折り、近くのトルテンに耳打ちした。その途端、彼は大きく両肩を跳ね上げ、慌ててアリスから距離を取った。

 いきなりのことに瞠目するアリスに、トルテンは赤らめた顔を逸らして答える。

 

 「あ、あの布は『オリペット』というまほうの道具です。決まったじゅんじょで折っていくと、いろんな生き物になって動き出すんです。ボクたちはそれであのカベをこえてきたんです」

 「そういうことか。しかし、それで行き来できるモンなんだな。関所の意味がねえというか……防犯システムみたいなのがあってもいいと思うが、魔法があるんだし」

 「もちろんありますよ。でも、あそこをよくみてください」

 

 トルテンは先ほどルークがしたように石壁を指し示した。

 アリスは言われたとおり、トルテンが示した箇所を凝視する。さっきは気付かなかったが、真っ白な壁の上から下まで走る亀裂を、その時になって発見した。

 

 「この『ウリヌスのカベ』には二つのまほうがかかっている、と学校でならいました。一つはまほうによる力を無こうかするまほう。もう一つは何かがカベの上をとおった時、それを知らせるまほうです。だけど、あのヒビがあるところだけは、二つ目のまほうが無くなってるようなんです」

 「なんでだ? あのヒビのせいか?」

 「そうだと思うぜ? オレたちが向こうであそんでる時にさ、ぐうぜんオリペットがカベをジャンプしていって。いつもなら石ころを投げただけでもすぐにけいびのオッサンたちがやってきて怒られるのに、その時はそーじゃなかったからさぁ」

 「それで壁が越えられることに気付いたのか。しっかし、けっこう大きなヒビだな。どうやってできたんだ?」

 

 アリスは会話に入ってきたルークに訊ねた。だが、彼も明瞭な解答を持ってないらしく、大人しく首を横に振るだけである。

 

 「おそらく、まえに起こった大きなじしんのせいじゃないでしょうか」と、額に指を添えるトルテンが代わりに答えた。

 

 「このカベは、グリアてい国がこの島をうばった時、他国からのしん入をふせぐためにつくったものなんです。それからいろんな国がここを防えいのかなめとしていたとならいました。そうして千年いじょうたってますから……」

 「なるほどなぁ。それも、戦争の度に傷ついて、それを修復してを繰り返してだろうから、見た目よりもだいぶ脆くなってんだろうな。だけど、これだけの大きなヒビなのに誰も気付かねーのが疑問だ」

 「まあ、ここらへんに来る人なんてほとんどいねーし、向こうがわにはヒビなんてないしな」

 「あと、かかってるのは二つのまほうだけですから。そのまほうがどうなってるかあまり分かってないんじゃないでしょうか?」

 「はーん。通ったモノを感知する魔法が消えたことを感知する魔法が無い、ってことか。そう考えると、あんがい不便なのかもな魔法ってのも」

 

 「かこにカベをのりこえた犯ざい者もいませんしね」と、自分たちのことを盛大に棚に上げた発言で話を締めるトルテン。それがあまりに真顔なため、アリスは苦笑を禁じえなかった。

 

 3人がそんな会話をしている間に、ホーリーとスターニャによるオリペットの実演は最終段階を迎えていた。幾何学模様の布を決まった手順で五つ折りにし、ちょうど上にきた丸い鉱物にホーリーは手を添える。


 少しの間を経て、鉱物は持ち前の乳白色の輝きを強く放ち出した。リオナが食堂で水晶にやったのと同じ光景だ。

 

 「もしかして魔力を注いでんのか?」

 

 アリスが訊ねると、なぜかルークは自慢げに胸を張る。

 

 「そーだぜ。ホーリーはオレたちの中で一番まほうが上手なんだ。どんな道具でもカンタンにつかえるんだぜ。すげーだろ」

 「え、えへへ。それほどでもないよぉ」

 

 口では謙遜しているが、ホーリーは嬉しそうに口元を緩ませていた。その間も、ホーリーの手の下で鉱物は光をますます強めていく。

 

 乳白色の閃光は鉱物を通じて布の幾何学模様を駆け抜けて、次の瞬間、布はひとりでに浮き上がり、その形態を変化させていった。模様を軸に布は大と小の二つにバラけ、片方はくるりと筒状に丸まって胴となり、そこから四本の足が生え、一方の端には尻尾、もう一方には鉱物による首輪が出来る。そこに小さい布が合体し、大きな鼻やピンと立った両耳が形成され、完成したのは一匹の大型犬だ。

 

 「おお、犬になった」

 「はい。こんなふうに動物さんをつくるのがオリペットのつかい方なんですよ。ペットをかいたくてもかえない人のためにあるもので、まりょくを込めた人の言うことをなんでも聞い――――」


 ホーリーの解説は、視界が白に染まったことで途切れた。

 何が彼女の視界を遮ったのか。それは彼女が身に纏う白を基調としたワンピースであり、実行したのはオリペットで作られた犬である。突然、その犬が猛烈な速度で駆け出したため、ワンピースが肌着のベビードール諸共ふわりと舞い上がり、ドロワーズどころかシミひとつないおなかまで丸見えになっていた。

 

 「きっ、きゃああああ?!」

 「ぎゃあっ」

 「うおーっ」

 

 ホーリーがワンピースを押さえてしゃがみ込む中、さらにオリペット犬はトルテンとスターニャに強烈な体当たりを噛ました。トルテンはメガネを吹き飛ばしながら地面に倒れ、スターニャは珍妙な悲鳴を上げながら堀に落ちていく。

 

 「トルテン! スターニャ!」

 「とまって! おねがいとまってぇ!」

 

 走り回るオリペット犬にホーリーは何度も指示を飛ばすが、それが叶うことはなかった。飛んだり跳ねたり地面を転がったり、まるで力を持て余すように暴れまくっている。

 

 「おいおいおいおい何が言うことを聞くだ! 全然じゃねーか!」

 「なんでだよ! ホーリー! どういうことだよコレぇ!」

 「わ、わかんないよっ。あ、で、でも、もしかしたら……ちょっとまりょくを入れすぎちゃった、かも……」

 「はあ?! なにやってんだよおまええっ!」

 「だってだってルーちゃんがほめるからぁ!」

 「言い争ってる場合じゃねーぞお前たち!」

 

 がむしゃらに暴れるオリペット犬が、ついにアリスたちへ疾走を開始した。3人がいる堀の縁に逃げ場は存在しない。ルークとホーリーは怯えて互いに抱き締め合い、そしてアリスは、震える2人の前に躍り出た。

 

 「くそっ! いつまでも調子に乗ってんじゃねえぞ!」

 

 アリスはスカートを持ち上げ、スタンスを大きく広げて構える。

 前脚で地面を蹴り、飛び掛ってくるオリペット犬。その動作を完全に見切ったアリスは素早く右足を振り上げ、大口を開ける犬の顔面にパンプスの爪先を叩き込んだ。

 

 「ちぇりゃあああああああ――――――ぅおっ?」

 


 気が付けば、アリスは宙を舞っていた。



 蹴りを入れた瞬間だった。とんでもない衝撃が右足を襲い、オリペット犬とアリスの両方を吹き飛ばしたのだ。

 

 「あっ――――」

 

 そして、アリスは思い出す。今朝に訪れたあの靴屋のことを。様々なインチキまがいの商品を紹介され続けて、最後に今履いているこのパンプスを手に入れた。

 

 その時、店主はなんと言っていたっけ――――

 

 (――女性にとって自衛は何よりも大切。この靴のつま先で相手を蹴れば、どんなに弱い力でも、遠くへ吹っ飛ばすことができるのです――)

 


 「俺も吹っ飛ぶんかーーーーいっっっ!!!」

 


 ツッコミを天に叫びながら、アリスは壁の向こうに落っこちていった。

 





 「ああっ、ヤベえっ! あのねーちゃんが中に入っちゃった!」

 「あーんっ、オリペットがもりに飛んでっちゃったぁ。どこにいったのー?」

 「ええっ?! じゃあオレたち中にもどれないじゃん! さがさねえと!」

 「うえぇん……おとうさんに怒られちゃうよぉ……」

 「メガネ、メガネはどこですかぁ……?」

 「ぶくぶくぶくぶく……」

 



 

 

 

 

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