第12話 はじめてのおつかい



 宗教国家ヴェネロッテ、リドラルド領『アリレウス』。国と国を結ぶ魔力式機関車の導入により、領内で最大の発展を遂げた宿場街である。


 『アリレウス駅』一帯には、有名なホテルブランドの宿泊施設が立ち並び、ヴェネロッテ観光に赴いた旅人たちをより多く引き込もうと、まいにち鎬を削っている。ロイス・マリーは、そうした激戦区の外れにあった。

 

 世界でも有数の群雄割拠の中において、郊外でありながらもロイス・マリーが今日まで生き残ってこれたのは、宿泊の優位性ではなく、店主の手腕によるところが大きい。元シェフだったオーブルが作る絶品の手料理は、高い評価と共に高いリピーター率を誇り、その収益が宿泊設備の赤字を完全に補っていた。

 もはやホテルという看板は形骸化しており、常連客も飲食店として訪れている者がほとんどである。偶に酒に酔った人が友人宅で一晩の明かす感覚で客室を利用するくらいで、チェロットの夢の実現にはまだまだ時間が掛かりそうだ。



 

 「はーいっ。三番テーブルの注文できたよーっ」

 

 一気に3人の新規従業員を得たロイス・マリーであったが、蓋を開けてみるとスムーズに事が運んでいた。重大な問題も今のところは発生せず、むしろ賑わいはいつもより栄えている。

 

 単純に女性が増えたから、だけではない。与えられた持ち場が、それぞれの個性にきちんと適しているからだ。

 

 例えば、カウンターに振り分けられたリオナである。五席を保有するカウンターゾーンは、手早く食事を済ませたい1人客が大半で、回転率が早い。料理の経験があり、手先が器用な彼女はそこに抜擢され、専用のキッチンでサンドウィッチなどの軽食を手がけ、オーブルが作った調理品の仕上げも行う。


 その調理品を運ぶのがチェロットとリリィ。いわゆるホール担当であり、配膳や注文の聞き取り、後片付けなど、忙しなくカウンターとテーブルを往復する。

 

 「はいはーいっ。料理をお持ちしましたよーテーブルを空けてくださーいっ」

 「こちらの席へどうぞ。こちらがメニューになります。では、ご注文がお決まりになりましたら声をお掛けください」

 「え~っと、食用宝石のラズクリーム煮と三日月クラゲのシャキシャキサラダですね。承りましたー。お父さーんっ! 次のちゅーもーんっ!」

 「お水をお持ちしまし……あ、はいっ。ありがとうございました! 二番さんお会計でーす!」

 「りょーかいでーす! 受付までどーぞー!」


 年齢に不釣合いな真面目さが可愛らしいチェロットと、慣れない仕事にも健気に取り組むリリィ。

 年頃の少女たちがスカートを翻して懸命に動き回る姿は、見る者の心を打つものだ。

 

 「いやぁ、やっぱ女の子が多いと華があっていいなぁ」

 

 誰かが口にする、誰に宛てたでもない、明け透けな言葉。

 食堂でそのような声が立つのは、これで何度目だろう。

 

 「だよなぁ。ここに来るのはむさ苦しい野郎共ばかりだからなぁ」

 「メシが美味いのはもちろんだがよぉ、やっぱ食事を作ってくれたり運んでくれたりするのは可愛い女の子じゃなくちゃなー」

 「悪かったですねー可愛い女の子じゃなくてー」

 「げっ」「ばっ、おまえ……」

 

 丁度、テーブルにやってきたチェロットが、一度は置きかけた料理皿をお盆に戻して男たちに微笑んだ。

 

 「可愛くないあたしに運んでほしくないようなので、残念ですがこの料理はお渡しできませんねー。ついでに食べかけの料理もお下げしましょう」

 「待って待って待って!」

 「じょーだん! じょーだんだからマジで!」

 「……ホントにですかぁ?」

 「うんうん! だってチェロットちゃんも可愛い女の子だもん、な!」

 「そ、そうそう! 今のは言葉の綾と言うか、ただ他の子に比べていろいろと小さいから対象外なだけで……」

 「はーいお会計ですね受付までどーぞー!」

 「あっ……」

 「おまええええっ!」

 

 テーブルにある料理皿を全て取り上げて、さっさと歩いていってしまうチェロット。男たちは彼女に必死に取り縋り、その無様を傍から見ていた衆人が一斉に笑う。

 

 「ははははっ、懲りねえなぁあいつらも。チェロットに逆らったらこの店でモノは食えないってのに」

 「全くだ。大体、チェロットが対象外とは嘆かわしい」

 「おっと勇者がここにいるぞ」

 「いやでも分かるぜ。確かに今は幼いけど、あの子の将来性よ」

 「そうだなぁ……マリーもオーブルの旦那には勿体無いくらいの美人だったからなぁ。あと五年もすれば、チェロットもそれはそれは食べ頃の……」

 「へいラズクリーム煮お待ちっ」

 「あっつぅい!」「ぎゃああとろみのあるクリームがああっ!」

 

 ドン、と置かれた大皿の汁が飛び掛かり、男たちは床に転げ落ちる。

 その犯人は、なぜかホールにいるオーブル。

 

 「だだっ、旦那ぁ?! アンタ厨房にいたんじゃ!」

 「面白そうな話が聞こえてきてなぁ……ああ? 五年後のチェロットがなんだって?」

 「い、いや、そそそれはぁ……」

 「なにが食べ頃だって?」

 「はわわわわわ……」

 

 オーブルに凄まれ、ガタガタと震えだす男たち。

 しかし、1人の男は違った。「安心しろ、オーブルさん」と臆することなく彼に言う。


 同席の男たちは期待した。妙に自信たっぷりのこの勇者に。もしかしたらうまく場を取り成してくれるんじゃないか。そう願って。

 

 「オレはむしろ今が食べ頃だ」

 「ほっほほーいっ」

 「あぁコレもうだめだわ」


 そんなことはなかった。

 

 「こっち来いやああっ!!」

 「「「ぎゃあああああ!!」」」「これが負うべき宿命さだめか……」

 「……なにしてるの? お父さん」

 「なんでもない。少しこいつらと話をするだけだ、肉体的に」

 「肉体的にっ?!」「前後の文章がおかしいぜ旦那ぁ!」「しかし、乗り越えてこそまさに愛っ」「おまえさっきからなんでちょっとポジティブなの?!」

 「い、いってらっしゃーい……」

 

 仲間内で言い争う男たちを厨房まで引き摺っていくオーブル。それを手を振って見送るチェロットの顔には苦笑が踊る。



 これがロイス・マリーの日常。

 気の良い男たちによる馬鹿げた乱痴気騒ぎ。チェロットやオーブルに窘められれば、それを肴にまた盛り上がる。

 

 高級ホテルやレストランでは決して味わえない、気の置けない空気がそこにはあった。長年に渡って積み重ねてきた信頼、関係、絆。これこそがロイス・マリーを支え続けた掛け替えの無い財産であり、リオナとリリィはうまくその輪に溶け込めていた。


 一方、もう1人の新参者はというと、


 「はぁ…………」

 

 途切れることのない食堂からの大音声を聞きながら、一階と二階を繋ぐ階段の中頃で腰を落ち着け、ひとり溜息をついていた。

 

 どうして彼女だけ騒ぎの輪から外れて、階段の途中で呆けているのか。


 最初はアリスも、リオナたちと同じように食堂で働いていた。しかし、非力な筋肉、把握し切れない身振りの範囲、着慣れない女性用衣服、そしてガサツな性格。それらマイナス要素が悉く阻害し、彼女はミスを連発した。

 料理のイロハも知らず、キッチンには立てない。

 だからと言って、レジを任せるには信用が足りない。


 そうした経緯の末に言い渡されたのが客室と廊下の清掃で、早い話が戦力外通告である。

 しかし、ただでさえ宿泊客の乏しいこの宿場だ。二階や三階に目立った汚れは存在せず、ルームメイクもほとんど必要無い以上、どれほどチンタラやっても仕事はすぐに尽きてしまう。


 だから、こうして皆の和を乱さないように人気の無い場所を選び、時間が過ぎるのをただ待っているのだ。

 

 「あっ、なにサボってるんですかー?」

 

 受付で会計を終えたチェロットが、食堂に戻る途中でアリスを見つけ、不機嫌そうに顔を顰める。

 

 「別にサボってんじゃねーよ。やることがねーだけだ」

 「それをサボってるって言うんですよ。掃除は終わったんですか?」

 「ああ、というか掃除する場所が無いんだよ、そもそも」

 「まあ、まいにち掃除してますからねー。その上、客も少ないんじゃ散らかりようがありませんねぇ」

 「だろう?」

 「ですね。でも、だからと言ってこのまま何もしないでいるのは見過ごせません」

 

 そうですねぇ、と人差し指を唇に当ててチェロットは一考し、

 

 「この店でやることがないならケージの返却をお願いします。さっきの家具店、場所は覚えてますよね?」

 

 と言って、アリスの返答を待たずに受付奥の控室に入っていった。そこに保管していたケージを抱えて戻ってきた彼女は、それを差し出してくる。

 

 まだ諾すると決めたワケではないのだが。


 しかし、他に出来る事が無いのも事実であり、汗水を流して働いているリオナたちの手前、決まりが悪い。

 不承ではあるが、アリスはケージを受け取り、扉の無い玄関へと重い足取りで向かっていく。

 

 「気をつけていってくださいね」と、外まで追いかけてきたチェロットが言った。

 

 「あたしが案内した道以外は通らないこと。特に人気の無い場所は避けてください。最近は物騒なんですから……って、聞いてますかー?」

 

 チェロットの忠告に右手を挙げて応えるアリスは、終ぞ振り返ることなく人ごみの中に消えていった。

 

 

 




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