第9話 アリス、二次元へ




 「へえー、お母さんが宿屋をやりたいって言い出したんだ」

 

 最寄の家具店へ向かう道すがら、リリィは感嘆の声を発した。

 

 空の青みが深くなった午前の刻、町中はさらなる活気で混雑している。3人は身を寄せ合い、人波に呑まれないように道の端を進んでいた。

 その先頭を歩くチェロットが頷き、雑踏に負けない声でリリィに返す。

 

 「はい、お父さんからそう聞きました。お母さんはとても活発な人で、若い頃はリリィさんたちのように世界中を旅してたらしいんです。その土地土地でいろんな人と出会って、お友達になるのが楽しいんだとか。だから、結婚したら宿屋を開くと決めていたそうです。旅の人たちとたくさんお喋りができるから」

 「そっかぁ。結婚したらさすがに旅なんて行けないもんね。チェロットちゃんが産まれたらなおさら」

 「まあ、結局はあたしが産まれて間も無くに亡くなっちゃいましたけど。でも、お父さんはお母さんが開いたあの店を続けることにしたんです。あの店だけが、お母さんがあたしに残してくれた唯一のものだ、って言って。お母さんの名前を店の名前にして……」

 

 だんだんと小さくなっていくチェロットの声は、しかし次の瞬間、明るく弾む。

 

 「だからっ、ロイス・マリーを大きくすることがあたしの夢なんですっ。お母さんが残してくれたあの店を、この国一番の、いえ、世界一の宿屋にする。そしたら天国のお母さんもきっと喜んでくれるはずだから」

 「チェロットちゃん……」

 

 強かな笑みを輝かせるチェロット。

 そんな彼女を目にして、リリィは表情を曇らせる。その健気な背中に自分を重ねてしまったのか。

 

 「……本当にごめんね。そんな大切なお店をあんな風にしちゃって……」

 

 罪悪感を覚えたらしいリリィが謝るも、チェロットは淡々とした歩調を崩すことはなかった。

 

 「もういいですよ。謝られたって全てが元通りになるワケでもないし、お父さんが言うとおり、リリィさんたちを自警団に引き渡すのも正直、今はしたくありません。大体、本当に反省するべきはお父さんの方だし」

 「え? オーブルさん? 良い人だと思うけど……」

 「人が良すぎるんです! もうっ、何回こんなことがあったか! お客さんのちょっとした苦労話を聞いて感動して、御代をナシにしちゃったりたくさんサービスしたり! 食い逃げや泥棒の人とかも説教しただけで返しちゃうし、常連さんにはいくらでもツケを許しちゃうし! 注意しても人と人との繋がりは財産だナンとか言ってはぐらかすしぃっ! もおおっ、本当に宿屋をやっていく気あるのかなぁ!」

 

 ちっちゃな体を大きく動かして、チェロットは怒りを露にする。歳不相応のしっかり者が見せる、歳相応のふくれっ面を眺めて、リリィは微笑ましそうに表情を柔らかくした。

 

 「それは大変だね。なるほど、だからかぁ」

 「なんですか?」

 「チェロットちゃんって子どもなのにものすごくしっかりしてるなぁ、って思ってたの。お父さんがそうならしょうがないよね」

 「本当ですよっ。お父さんだけじゃとっくにお店なんて潰れてますっ」

 「でも、わたしはそんなお父さんでもいいと思うなぁ。懐が広くて人情味があって……チェロットちゃんだってお父さんのこと、ホントは大好きでしょ?」

 「それはっ、あの、んや……きらいーとか、別にそーいう意味で言ってたワケじゃなくて……」

 「ふふっ」「はっ」

 

 途端に慌て出すチェロットに、アリスとリリィが揃って吹き出した。

 からかわれたのだと、その時に気付いたのだろう。チェロットは急速に火照っていく顔を逸らし、ずんずんと歩いて2人を置き去りにしていく。

 

 「ああもう! ほら、今は仕事中ですよ! お喋りしてないで早く行きましょう!」

 

 そんな稚気もまた、失笑の種にしかならないのだが。

 込み上げてくる笑いを噛み殺し、アリスはリリィと共に先を急ぐチェロットの許へ駆け出した。

 

 

 

 チェロットが目指す家具店はそこから数分もしない場所にあった。

 通りに面する平屋、その職種ゆえか店構えは周りのそれと比べて大きいが、店内に家財道具らしき代物は玄関の受付カウンター以外、とんと見当たらない。それどころか紫のカーテンで店内は仕切られ、とても家具店とは到底思えない内情だった。

 

 「おい、ここが家具屋か?」

 

 受付前のロビーで内部の様子を窺っていたアリスが、チェロットに訊ねる。

 

 「ええ。お店の物のほとんどはここで買ったんです」

 「ほとんど、っつってもなぁ……」

 

 買うどころか商品そのものが見当たらないのだが。

 

 「おや、アーヴィングさんトコのお嬢さんじゃないか」

 「こんにちは、オゼットさん」

 

 少女たちの話し声に誘われたのか、受付奥のカーテンから白髭の老人が姿を現した。オゼットと呼ばれたその店主らしき男性は、「こんにちは」とチェロットに返しつつカウンターからロビーに回り、3人を出迎える。

 

 「どうしたんだい、今日は?」

 「新しいテーブルとかが必要になりまして……だからここに買いに来ました」

 「なるほど。ケージはいるかい?」

 「はい、中型のでお願いします」

 「ふむ。ではそれなりの量になりそうかな。分かった、ついておいで」

 

 アリスたちを手招きし、オゼットは左右をカーテンで占められた通路を、小さな歩幅で進んでいく。そして、カーテンに仕切られた一区画の前で足を止めた。

 

 「ここがいいだろう。あの日、キミの担当をした従業員だから話も早いはずだ」

 

 カーテンの入り口を手で開きながらオゼットは言う。

 

 中央に長椅子だけが置かれた、小さな部屋だった。それ以外の家財もなければ、従業員もいない。あるとすれば、長椅子正面の壁に掛けられた三枚の絵画だろうか。

 左には燕尾服を着た青年、右には黄色のドレスを着た女性、そのどちらも上半身だけを描いた絵画である。それらに挟まれる大きな絵画は、何も存在しない暗闇の舞台をモチーフにした奇妙なものだ。

 

 「さあ、お得意様がいらっしゃったぞ。モナ、リザ。しっかりと接客しておあげ」

 

 オゼットは入り口傍のサイドテーブルに置かれたハンドベルを手に取り、それを鳴らしてからカーテンを閉めた。


 途端、それまで聞こえていた店先の雑音が完全に消失する。カーテンには防音の効果があるのだと、耳鳴りしそうなほどの無音の中でアリスは理解した。

 

 「おやおや、可愛らしいお客様たちがいらっしゃったよ。リザ」

 「あらあら、しかもその内の1人はチェロットちゃんよ。モナ」

 

 否、どこからともなく聞こえる、男女の声。

 振り返る。

 壁に掛けられた絵画の中、左の青年と右の女性が笑っている。

 

 「んなっ? 絵がっ?!」

 「うわっ、どうしました? 大きな声出して」

 

 驚いてアリスが声を上げると、隣のチェロットが驚いたように身を竦めた。

 

 「いや、だって、絵が動いてっ!」

 「はい? 絵が動くなんて普通のことでしょ? もしかして『アニマリンク』を知らないんですか?」

 「は? アニマリンク?」

 

 アリスが聞き返すと、チェロットは訝しげな表情をさらに濃くした。

 見かねたリリィが口を挟む。

 

 「あのね、この子、魔法がぜんぜん普及してない田舎の出でね。あんまり魔法具まほうぐとか知らないの」

 「はぁ……でも、アニマリンクすら知らないなんて。かなりの片田舎なんですね、アリスさんの故郷は。しょうがない、あたしが教えてあげましょう」

 

 片目でウィンクして、チェロットは得意げに胸を張る。同世代の少女に教授できる立場という優越感に浸っているのだろうか。

 

 「アニマリンクというのは意思を持った魔法具の総称です。魔法具は分かりますよね? 魔法使いの技術者さんがいろんな効果を付けた道具のことです。そのうち、自分で考えたり動いたりできるものをアニマリンクというんですよ」

 「ほーん。つまり、それがアレか」

 

 アリスが目を向ける先で、絵画の住人たちが笑う。

 

 「そうさ! 僕らこそ、文化大国『ボルボン』の伝統工芸『現実逃避アンレアリテ』によって生み出されたアニマリンク、そして僕はモナ!」

 「私はリザ!」

 「「さあ、運命の出会いを始めよう!!」」

 

 モナとリザが同時に腕を振り、すると中央の絵画に変化が生じた。暗い舞台に照明がつき、さらに左右の端からスポットライトが照射される。挙句には紙吹雪が散り乱れ、さながら劇の大団円のようだ。

 

 モナとリザが動き出す。彼らの姿は額縁に消え、そうして2人は、中央絵の舞台の袖から登場した。

 

 「お客様のご要望を聞き受け、相応しい一品と引き合わせるのが我らの使命!」

 「送り出した同胞が、その方の掛け替えの無い一品になることが我らの喜び!」

 「それはまさしく一期一会! 人と物、その間にも絆が芽生えるならば―――」

 「それは運命という他無し! その架け橋となるために私たちはここにいる!」

 

 「「さあ、お客様! 本日のご要望はなんですか?!」」

 

 軽やかなステップで舞台上を駆け回る2人は、最後に中央で独特のポーズを決め、質問を投げかけてくる。妙にリズミカルな台詞回しも相俟って、まるでミュージカルを見ているかのようだった。


 その常識離れした光景にアリスは唖然となり、そんな彼女を他所にしてチェロットは、長椅子の前まで歩いて二次元の住人に答える。

 

 「テーブルを三台、それから椅子を四脚ほど欲しいんです。同じデザインで、なるべく安い物をお願いします」

 「承りました! テーブル三台と椅子が四脚!」

 「おなでざ、なるやす、抜け目無し! 片っ端から紹介しましょう!」

 

 リザが指を鳴らすと、舞台の緞帳どんちょうが左右から下りていく。しかし、それはすぐに巻き上げられ、公開された舞台上には多種多様のテーブルと椅子がずらりと並べられていた。


 今度はモナが指を鳴らす。すると、テーブルの一つが浮き上がり、舞台中央に立つ2人の間にゆっくりと着地した。それを手で示し、彼は言う。

 

 「ではお客様、この商品はいかがでしょう? シンプルなウッドテーブルですが、レインローズの千年杉を使用しています」

 「千年杉? しかもレインローズ産って、ものすごく高いんじゃないですか?」

 「ご心配なく。千年杉といっても、切り落としのものをうまく繋ぎ合わせたテーブルなのです。ほら、木目もまるで違うでしょう? 余った材料をもったいないと思った職人が作ったものなのですが、結局、見切り品となってしまいました。なのでお値段もお手頃になっています。もちろん、品質の方は問題ありません」

 「なるほど……ちょっと見せてもらってもいいですか?」

 

 「かしこまりました」とモナは頷き、人差し指を振った。その途端、件のテーブルがふわりと浮かび上がって、それは絵画の中でどんどん大きくなっていく。

 やがてテーブルは音も無くキャンバスの表面を通過し、そうして現実のものとなったそれが緩やかに床に足を置いた。

 

 その明らかな異常現象を、しかしさして驚いた様子も無く見届けたチェロットは、さっそくテーブルに手を掛ける。

 

 「なるほど…………テーブルクロスで見えないからこれでもいいかな。とりあえず保留で、他を見せてもらえますか?」

 「かしこまりました。では次の商品に参りましょう! リザ!」

 「はーいっ」

 

 溌剌と返事をして、新たな商品の紹介を始めるリザ。

 

 そうしてチェロットとモナ、リザの交渉は続いていく。いつしかリリィも加わって、無駄に弾む会話は女性ゆえか。

 

 買い物という行事に全く心惹かれないアリスは、品定めに興じる2人の背中をぼけーっと眺めて、時を待つ。

 

 そうした手持ち無沙汰な時間の中で生まれる、一つの疑問点。

 

 頻繁に二次元と現実世界を行き来する商品。果たして、その境界面はどうなっているのだろう? 彼女の男心はそこに食いついた。


 リリィとチェロット、そしてモナ、リザたちの意識は品物だけに向けられている。

 アリスは4人の目を盗んで壁に近づき、右手を恐る恐る中央の絵に伸ばした。キャンパスに触れた指はそのまま抵抗無く突き抜けていく。しかし、絵の世界に右手は映らず、キャンパスと腕の境界面に挟む光の中に飲み込まれていくだけだ。

 

 原理が分からぬまま、好奇心だけを原動力にして、アリスは我が身を絵の中に沈めていく。そうして胸まで入り込んだ時、彼女が目にしたのは明るい舞台上ではなく、中心に滝を通すとても広大な空間だった。

 

 「なんじゃこりゃ……部屋の中に滝がある」

 

 さらに足を絵画の縁にかけ、アリスは完全に全身を絵の中に投じた。

 そこは広く長い回廊の一部であり、隣ではモナとリザがリリィとチェロットを映す絵画に向かって話し掛けていた。どちらも商品説明に熱中して、こちらには気付いていないようなので、アリスは揚々と滝の方へ向かっていく。

 

 回廊の欄干まで辿り着き、そこで頭上を仰いだ。とてつもなく広い空間は吹き抜けになっており、滝はその部分を流れ落ちている。数え切れないほどの階層が上空の果てまで続いていて、水源も恐らくそこにあるのだろう。そうして滝は、また数え切れないほどの階層が連なる下へと、音も無く落ちていく。


 次にアリスは辺りを見回した。長い回廊の途中途中に大きな絵画があり、中にはモナとリザのような2人組みが、絵の中にいる人物と話し合いをしている姿を観察できる。きっと、その一つひとつでチェロットたちのしているやり取りが行われているのだろう。

 

 ということは、この果てしない階層の一層ごとで同じような事が行われているのだろうか?

 

 そんな憶測を浮かべ、なんとなしに再び顔を上げるアリスの視界に、一筋の光が走った。滝から飛び出したそれは、アリスの頭上を通過し、モナとリザの方へ駆けていく。よくよく注視すると、滝からはそのような光の筋が無数に生まれ、四方八方へと飛散していた。

 

 「なんだ? 水飛沫……にしちゃあ動きがおかしいし。ってか、そもそもこれは本当に滝か? ぜんぜん音はしねえし、近くに寄っても涼しくねえ」

 

 アリスは欄干に身を乗り出し、手を伸ばす。底が存在しないので飛瀑の轟音が無いのは当然だが、大量の水がぶつかり合う音が聞こえないのは不自然である。また、霧のような水飛沫も一切、体にかかることはない。

 

 「もしかして水じゃねえのか……? うおあっ、」

 

 滝に触れてみたい。その一心で右手を伸ばしていたアリスだったが、体を支える左手を滑らせてしまい、バランスを崩して一気に腰まで滑り落ちる。ギリギリのところで笠木を掴み、なんとか留まるものの、まるで筋肉の無い腕では持って数秒が限度だった。

 

 「うおぅっ?! うあっ、うわぁあああああああああああああああっっっ!!!」

 

 手を放した瞬間、体は笠木を軸に一回転し、そして宙に投げ出される。

 魔法が使えるなら、何か手立てがあるだろうが。魔法を使えないアリスは、回転から始まった錐揉みの状態のまま、滝と共に落下していくだけだった。

 

 ――ああ、ここで死んでしまうのか。

 

 目まぐるしく動く視界の中、恐怖と混乱の極地で行き着いた諦念がざわりと体の内側を駆け抜ける。


 その時、


 「なにやってるのかなー? お嬢さん」

  

 どこかから、そんな素っ頓狂な声が聞こえた。

 

 





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