第8話 彼女が服を脱いだなら



 受付の奥にあるドアは、倉庫然とした大部屋に繋がっていた。四隅に設けられたランプの淡い光に照らされる室内には、いくつかのテーブルと椅子が乱雑に置かれている。壁際には大きなクローゼットと複数の食器棚が並んでおり、チェロットはそのクローゼットの扉を開いて中の物色を始めた。

 

 「この部屋は倉庫兼控室みたいなもので、普段はここで着替えたり食事を取ったりしてるんです。このクローゼットには給仕用の服があって……まあ、従業員はあたししかいないからつまり、あたしの仕事服なんですけど……」

 

 喋りながらチェロットは2人分の白いブラウスと赤いエプロンドレスを引っ張り出し、それぞれをアリスとリリィに手交する。

 

 「とりあえずおふたりはそれで。リオナさんはさすがに入らないと思うので……」

 

 チェロットはクローゼットの扉を閉め、続いてその下部にある引き出しを開けた。そうして彼女が取り出したのは、着物のような小豆色の小袖とフリルのついたエプロンである。

 

 「お母さんのお古です。リオナさんはこれで」

 「へえ……珍しい服ね。旅の途中に見たことある…………確かここからずっと東にある島国の民族衣装じゃなかったかしら?」

 「むかーし、まだお父さんと結婚する前に買ったものだと聞きました。市場でたまたま見つけて衝動買いしたとか」

 「いいの? これ相当な値打ち物のはずよ? だって今、その国は鎖国状態でどの国とも貿易してないはずだもの。ものすごい希少価値があるはずよ」

 「いいんですよー。服は服だし、仕舞ったまま使わないのはもったいないじゃないですか。それに、もう着る人もいないし」

 「え?」

 

 着物を値踏みするように凝視していたリオナは、不意の発言に顔を上げる。

 チェロットはそんな彼女を一瞥もせず、クローゼットの引き出しを閉めながら告げた。

 

 「お母さん死んじゃいましたし。あたしを産んですぐに」

 

 淡白なチェロットの告白に、リオナとリリィは揃って息を呑む。その沈黙にチェロットはハッと振り返り、鬱然となっている姉妹に慌てて両手を振った。

 

 「ああっ、気にしないでください! 別にそんなつもりで言ったワケじゃないですからっ」

 「だけど、そんな大切な物を、赤の他人である私が着るなんて……」

 

 気まずそうに着物を差し出すリオナ。だが、そんな彼女にチェロットは緩く頭を振って応えた。

 

 「お母さんはあたしを産んだせいで亡くなったから、だから、お母さんのことぜんぜん知らなくて……だから、いまいち実感が無いんです、お母さんっていうの。……まあ、だから、と言いますか……そこにあんまり執着は無い、ってカンジかな」

 「でも……」

 「いーんですっ。それよりも早く作業に取り掛かりましょう! さっさとしないとお昼休みが始まっちゃいますっ」

 

 さらに食い下がろうとするリオナを制し、チェロットは両手をパンパンと叩き合わせて3人を促す。


 その気丈な振る舞いを前に、これ以上の口出しなど野暮だろう。そう観念した様子のリオナは、渋々といった具合で服を脱ぎ始めた。

 ――が、リオナはジャケットのボタンを外していた手を止めて、なぜか急に振り返る。視線の先にいるのは、服を胸に抱いたまま棒立ちするアリスだ。

 

 「ちょっと、アンタは出て行きなさいよ」

 「は?」

 「だってアンタ、男なんでしょ? なに覗こうとしてんだよヘンタイ。部屋から出てって、早く!」

 「いや、んなこと急に言われても。だったら俺はどこで着替えればいいんだよ。第一、こんな服の着方なんて知らねえし」

 「私が知るか。廊下でもどこでもいいだろうが。いいから出てけ」

 「どうかしたんですか?」

 

 言い争うアリスとリオナを見かねてチェロットが声を掛ける。

 

 「ううん、なんでもないの。それよりもチェロット、この服ってどうやって着ればいいの?」

 「ああ、そうですね。着慣れないものですもんね。分かりました、あたしが着付けを手伝います」


 リオナはコロッと態度を変えて、朗らかな声付きでチェロットに返す。柔らかな物腰で彼女の着付けを受け入れ、アリスには目もくれない。

 

 相当、怒らせてしまったようだ。


 こちらのことなど微塵も気にかけてないような挙措を一貫するリオナの背中をぼんやりと眺め、アリスは苦い顔で頭を掻いた。その時、不意に肩を叩かれて首を回す。隣でリリィが、自分と似た苦笑を浮かべていた。

 

 「服の着替え方が分からないんでしょ? わたしが手伝うよ」

 「お、おう。頼む」

 「うん。チェロットちゃん、他に着替えられる場所はないかな?」

 

 リリィに訊ねられて、リオナのジャケットを預かっていたチェロットが振り返る。

 

 「ここじゃダメなんですか?」

 「ちょっと……この子、あまり着替えを見られたくないみたいで」

 「はぁー。んじゃあ、隣の部屋を使ってください。あたしたちの部屋です」

 

 「ありがとう」と述べて、リリィはチェロットに示された奥のドアに向かう。アリスもまた、その背中に従った。そうしてリオナの横を通り過ぎる途中、彼女に流し目を向けられていたが、終ぞ声を掛けてくることはなかった。

 



 ◆◇◆




 大部屋の隣にあった一室は、二つの木造ベッドと骨組みだけの質素な衣裳棚くらいしか目ぼしいものがない、こじんまりした内情だった。一応、中央にカーテンの仕切りが設けられており、左側の化粧台があるスペースがチェロットの部屋なのだろう。

 

 「それじゃあ、服を脱いで」

 

 リリィはチェロット用のベッドに2人分の服を置き、アリスに言った。

 アリスは「あいよ」と返事をし、躊躇無く脱衣を始める。やはりそこら辺は男なのだろうか。スカートをたくし上げていく乱暴な脱ぎ方も、女の子らしさを一切感じられない。


 長い髪に邪魔されながらアリスはワンピースを無理やり脱ぎ捨て――その下にはドロワーズのみ。雪を髣髴させる白の素肌が柔らかそうな膨らみを誇るだけだ。

 

 「わぁ……」

 

 思わず漏れる、吐息。

 同性の裸。その一言で片付けられない神秘性がそこにあった。ランプの淡い暖色が、細くも程好い肉質の手足や胴回りを扇情的に炙っている。その有様を、自分1人が独占しているという、背徳的な愉悦。

 

 「改めて思うけど……アリスちゃんって本当にキレイだね。なんかこう……神秘的っていうのかな。噂に聞く妖精さんとか、昔に滅んだエルフみたいな」

 「んー、そうなのか? 自分じゃよく分からねーからな」

 「本当だよ。とても……」

 

 リリィは、続く言葉を咄嗟に飲み込んだ。

 

 ――とても、元は男だと思えない。

 

 その一言を果たして現実にしていいのか、彼女には判断つかなかったからだ。

 

 「とても……なんだ?」

 「ううん、なんでもない。それよりも着替えよう? いつまでも女の子が裸なんてはしたないからね」

 

 仮初の笑顔でアリスに応え、リリィはさっそく彼女の着衣に取り掛かった。ブラウスを着せて吊りスカートを履かせ、エプロンの紐を腰に結う。

 その時、自身の金髪を指先で弄るアリスから声を掛けられた。

 

 「なあ、ついでにこの髪も切ってくれねーか? うっとおしくて仕方ねえんだ」

 「えー? もったいないよぉ、こんなに綺麗でサラサラなのにぃ」

 「そりゃ見る分はそうだろうが、こっちはまさしく無用の長物なんだよ。いちいち絡み付いてくるし重てーし」

 「そう言われてもわたし、髪を切る技術なんて無いからなぁ……あ、そうだ」

 

 そう呟きながら、所在無く辺りを見回していたリリィは、化粧台に置かれた髪紐を見つけて腰を上げる。そしてドアに向かい、少しだけ開けて隣室に顔だけ覗かせた。

 

 「チェロットちゃーん。化粧台にある髪紐を使ってもいいかなー?」

 「どーぞー」

 

 「ありがとー」と返してドアを閉め、リリィは化粧台に置かれている紐を一本摘んでアリスの後ろについた。それから彼女の長い金髪を優しい手付きで纏めて束にし、頭頂部の辺りを髪紐で固定する。

 

 「ほら、これでどうかな?」

 「ほぉ……」

 

 艶やかなブロンドがふんわりと持ち上がり、そこから毛先にかけて乱れなく流れるゴージャスなポニーテール。化粧台の前で一回転するアリスは、鏡の中の一味変わった自分に感動したのか、頻りに感嘆の音を漏らしていた。

 

 「とりあえず今はこれで我慢して。こういうのは本当はお姉ちゃんの方が上手なんだけど……」

 「いや、これで十分だぜ。うなじ辺りのうっとおしさが無くなっただけでかなりマシだ。しかし…………髪型一つで随分と変わるもんだな……」

 「………………」

 

 鏡に近づき、左右に頭を振って別角度から自分を確めようとしているアリス。その後姿をジッと眺めていたリリィは、意を決して目付きを硬くする。

 

 「あのね、お姉ちゃんのこと、怒らないであげて」

 「あ?」

 

 振り返るアリスに、リリィは続ける。

 

 「お姉ちゃんのこと。あの水晶が壊れちゃって、気が立ってるだけなの」

 「ああ、そのことか。言っとくけどな、お前らが薦めたから俺はやったんだぞ。だから……」

 「うん、そうだね。アリスちゃんは悪くないよ。悪いのは全部、言い出したわたし」

 「…………まあ、なんだ、俺も、ちょっとは非はあるかも、だけどな」

 「ふふ……そうかもね」

 

 リリィに気を使ったのか、他所に視線を飛ばしながらアリスは意見を緩和させる。その様が可愛らしく映って、リリィはクスクスと笑ってしまった。

 それが気に障ったのか、少し赤くなった顔を逸らし、アリスはドアへ向かって歩き出した。

 

 「んああ、もうその話はいいよ。俺は先に行くからな」

 「うん。わたしもすぐに着替えるから」

 

 アリスが部屋を出るのを見届けて、リリィも着替えに取り掛かった。

 

 数分で全てを完了し、リリィが控室に戻った時にはすでにリオナは着替えを終え、アリスと並んで立っていた。しかし、どちらとも全く視線を合わそうとせず、2人の間で居心地悪そうに両者を見遣るチェロットが不憫でならなかった。

  

 リリィの登場によりホッと息を吹き返したようなチェロットは、急いでアリスとリオナの間から脱し、全員から少し距離を取る。そうして3人の服装を1人ひとりチェックしていき、満足げに首を揺らした。

 

 「リオナさんはバッチリですね。アリスさんはあたしと体の大きさが一緒なようで良かったです、すごく似合ってますよ。リリィさんは……」

 

 2人に高評価を与えたチェロットは、しかし、リリィに瞳を移して苦笑する。

 

 「やっぱりリリィさんにはちょっと小さかったですねー」

 「あはは……」

 

 アリスより体格の大きいリリィにはチェロット用の服は合わず、トップスはなんとか収まっているものの、スカート部分は完全に膝まで露出していた。少しは伸びないかとスカートの裾を引っ張ってみるが、効果は期待できそうに無い。

 

 「んー、だけどお母さんの服だと今度はブカブカになっちゃいそうですしねー。すみませんが、しばらくはそれで我慢してもらえますか?」

 「う、うん。しょうがないもんね」

 「はい。それじゃあ仕事をはじめましょー。とりあえず途中までやった食堂の片付けを終わらせましょう。時間が無いのでテキパキやりますよーっ」

 

 「おーっ」と1人で掛け声を上げ、チェロットは部屋から出て行った。それに3人が続いて、受付から食堂までの道のりを辿る。

 

 爆発によってできた大きなゴミの大半は端に寄せられ、ある程度の掃除は済んでいた。後は細かい木片やカーペットに積もった粉塵などの処理で、4人はさっそく清掃に取り掛かる。


 やがて清掃の目処が立つと、チェロットは3人に仕上げを託し、自身は控室に向かった。その後、厨房に寄ってから食堂に舞い戻った彼女は3人に集合を掛ける。

 

 「倉庫の備品をチェックしたんですけど、足りないのがいくつかあるんです。それで、誰かあたしの買出しについてきてもらいたいんですけど……」

 「ああ、だったら私が……」

 

 挙手するリオナに、チェロットが首を横に振った。

 

 「それも大切なんですけど、今お父さんに話をしてきたら、厨房の方にも手伝いが欲しいそうなんです。それで、皆さんの中で料理が出来る人はいませんか?」

 「料理なら……」

 

 リリィはリオナに顔を向ける。それに合わせてチェロットも彼女を見上げた。

 

 「リオナさん、出来るんですか?」

 「ええ、まあ……子どもの頃はよくお母さんの手伝いをしてたし、旅に出てからはお金を稼ぐために飲食店で働いたりしてたしね」

 「だったらお願いします。残ったおふたりはあたしについてきてください」

 「はい」「ん」

 

 揃って首肯したリリィとアリスはリオナと別れ、チェロットと共にドアの無い玄関から外に出て行った。

 

 

 











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