9/死がふたりを分かつまで

「何だ貴様ら! 一体どこから」


 言い終わる前にバイケンの手刀の一撃を受けて、その騎士は意識を失った。


 これで五人。倒した騎士は縄で縛って人目に付かないところに隠しているのでまだ大きな騒ぎにはなっていないが、気づかれるのは時間の問題だろう。何しろ我々は


「騒々しいぞ! 間もなく報道官発表が始ま」


 六人目。今度は前蹴りで息を詰まらせてから頸部を締めて失神させる。決して弱くはないはずの騎士たちを、バイケンは汗一つかかずに無力化していく。


「あとは広間まで一直線です。衛兵は無視してください。ともかく報道官だけを何とかしてください。良いですね?」


「「わかった!」」


 吠えるように言って、わたしとステラはバイケンの後ろを走り出す。覆面をしているので多少息苦しいがそんなことを気にしている場合ではなかった。


 扉を蹴破るように開けて、報道官へと突っ込む。間に衛兵が立っている。二人。しかし、衝突する前にバイケンの強烈な掌打が彼らをまとめてはじき飛ばした。


「武器を捨てろ。さもないと報道官の命はないぞ」


 わたしが壮年の報道官を捕らえながら、周囲の騎士達に向かって叫ぶ。遅れてステラがナイフを報道官の首筋につきつける。


「脅迫になど屈するか!」


 騎士のひとりがそう言うなり剣を振り回して突っ込んで来たが、バイケンが正確無比な蹴りで騎士の手を打ち、剣を吹き飛ばした。


 他の騎士たちの士気を挫くという意図もあったのだろう。バイケンはさらに踏み込んでから鼻の下、顎、喉、鳩尾と、人体の急所に拳をたたき込んだ。膝から崩れたところにさらに側頭部への蹴り。報道官付の騎士の中でもっとも不幸な男は、ボロ布のように地面に伸びて動かなくなった。


「まだ、やるか?」


 残りの騎士たちはあっさりと武器を捨てた。バイケンは彼らを広間から叩き出すと、報道官用の演台の前に置かれた交信鏡の動作を確認した。


「いけそうですよ」


「ありがとう。じゃあ、始めようか」


「お、お前たち、何をするつもりだ!」


 ようやく自失状態から脱したらしい報道官が言ったので、わたしは言ってやった。


「決まってるじゃないですか。大陸を救うんですよ」


 ――作戦について説明する前に言っておかなければならないことがあります。ぼくの剣は聖剣なんかじゃない。むしろその逆。邪剣と呼ぶべき代物なのです。


「緑痰病が大流行したときのことは前に話しましたね。人が死ねば死ぬほど強くなる。滅亡の危機に瀕した人々を救うのではなく、──それがこの剣の真実なのです」


 しん、と場が静まり返った。剣の真実に驚愕したからか。違う。ルカが真実を知ってなお剣とともに生きることを選んだことに畏怖に近い感情を覚えたからだ。少なくともわたしはそうだった。


「幸いこの剣には。そして、魔術による仮初めの死と真実の死を区別することができないのも確認済みです」


 ボンズで手術を頼まれたことがあったが、あの時に確かめたらしい。人数が少なければ目に見えるほどの変化は生じにくいという趣旨のことを言ったのはルカだが、であれば目に見えない微小な変化を測る術を持っていたということなのだろう。

 

「わかりますね? テオン先生の仮死の魔術をうまく使えば、この剣を欺くことができる。多くの犠牲を払わなくとも、この剣に魔王を切り裂く力をもたらすことができるのです」


「待った待った。わたしの魔術は基本的に一人ずつしかかけられない。本来外科手術に使うものだから効果は強いけどその分消耗も激しい。いくら頑張っても一日十人が限度だよ」


 わたしが指摘すると、ルカは小さくうなづいてからとんでもないことを口にした。


「ええ。だから、みなさんには報道官事務所を襲撃してもらいます」


 わたしもステラもバイケンすらもぽかんとしてしまう。だが、ルカは涼しい顔で続けた。


「わかりませんか? 交信鏡とステラの『天使の絵の具』でテオン先生の仮死の魔術を大陸中に拡散させるんですよ。ここのところ連日、近衛騎士団の氷壁への派遣がらみでずっと交信鏡が動いています。見ている人も相当数いるはずです」


 何ということを考えるのだ。この男は。


「待って待って。前にも言ったと思うけど、あたしの『天使の絵の具』では魔導書の魔術を拡散することはできないよ」


「……その件についてはテオン先生から話した方が良いのでは?」


 すべてお見通し、というわけか。わたしはふう、とため息を吐き出してから「できるよ」と言った。


「わたしの仮死の魔術は


 『死がふたりを分かつまで』は外科医療の世界では、不可能な術式を可能にする仮死の魔術を記した奇跡の魔道書と言われることもあるがそれは過分な評価だ。何故ならわたしの運命の書は魔導書などではない。ごくごく平凡な書──すなわち星の記憶なのだ。


 内容はわたしにはあまり似つかわしくない悲恋の物語だった。とある街に対立する二つの名家があった。一方の家には男子が、他方の家には女子がいた。二人はパーティーの会場で偶然知り合い、恋に落ちた。しかし両家の対立が激化する中、男子には街からの追放を、女子には別の男との結婚を命じられる。二人を哀れに思った修道士が、女子に仮死の毒を授ける。一度かりそめの死を迎えた後、密かに復活し、男子とともにこの街を離れる――それが修道士の計画だった。しかし、計画は失敗した。男子はそれがかりそめの死とは知らずに自殺し、かりそめの死から目覚めだ女子も彼の後を追ったのだった……。


 初めて読んだときの印象は覚えている。修道士も馬鹿なことをしたものだ。自分ならもっとうまくやるのに、と。我ながら捻くれていたと思う。しかし、それが医師を目指すきっかけとなった。この書に書かれている仮死の毒を魔術的に再現できれば、今まではできなかった難しい医療を行なえるのではないかとそう思ったのだ。


 その後わたしは医学校に学ぶ傍ら、昏睡魔術を基礎とした医療魔術の研究に取り組み、外科分野でそれなりの業績を作った。その頃には運命の書の内容も素直に受け止められるようになっていたが、それがかえって良くなかったのかも知れない。


 わたしは休暇中に訪れたシエナの町でまさに件の修道士と合わせ鏡のように同じ役回りを演じることになったのだから。結果は大失敗だった。何が自分ならもっとうまくやるのに、だ。運命の書では、二人の死をきっかけにして対立する両家が和解したというのに、わたしときたら、関係者の大半が死ぬほどの争いにまで発展したのだから。


 ともあれわたしの仮死の魔術は断じて魔導書魔術オーダーメイドではない。だから、ステラの踊りで大陸中に拡散することができるのだ——。


「先生、よろしく!」


 報道官事務所の大広間——交信鏡の前でステラが激しく踊っている。覆面姿でもその踊りは躍動感に満ちていて、何より美しかった。


「おうとも!」


 わたしは両手を胸の前に組んで、意志の力を言の葉に乗せた。


「深淵なる眠りを以て仮死となす。昏睡魔術コーマ!」


 報道官がばたりと倒れた。だけではなかったはずだ。大陸中に設置された交信鏡の前で次々と倒れていく人、人、人。わたしもステラもバイケンも実際に見ることはできなかったが、この大陸に住まう人々の少なくとも四分の一ほどは、わたしとステラの魔術で仮死状態となったようだ。


 ――これで足りるのか。ルカは大丈夫だと言ったが、不安は消えなかった。


「逃げましょう。起きている騎士が来る前に」


 バイケンの言葉にわたしとステラがうなずく。


 報道官事務所を出た時、北の空が青く輝くのが見えたのは、目の錯覚だったのだろうか。 

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