8/武道家
パキンという音がして、目が覚めた。出窓に置いてあったガラス球が綺麗に割れている。
「いよいよですね」
朝の早いバイケンが出発の準備をしながら言った。
ウリッカの宿からサカトゥムにあるわたしの診療所跡に拠点を移してから二週間が経過している。ルカはいない。ボンズの騎士としての任務を果たしたのち、単身カオカへと向かったのだ。
そう。魔王と戦うのはルカひとり。サカトゥムに残った我々には別の役割があった。
「気持ちの整理はついたのかね?」
「ご心配なく。目標に辿り着くまで二人にはかすり傷ひとつ負わせませんよ」
ルカから作戦の全貌を聞かされたとき、普段あまり感情を表に出さないバイケンが珍しく激昂した。
──何故俺を連れて行かない! あの時の約束を違えるというのか!
──申し訳ありません。テオン先生とステラを守る人間がいなければこの作戦は成り立ちません。償いはします。ここはどうか引いてください。
口調こそ穏やかだったが、ルカはまったく引かなかった。
──バイケンさん、これはあなたにしかできないことなのです。
結局バイケンは、不承不承ルカに与えられた役割を果たすことになった。
ルカがサカトゥムを去った後、バイケンはぽつりぽつりわたしに身の上話をしてくれた。
元々は名の知れた道場の武道家だったこと。ささいなことで暴力沙汰を起こして破門になったこと。身を持ち崩して裏稼業の一団で用心棒をしていたこと。その一団が摘発され、逃亡を図った際に、ルカと一対一の殴り合いをしてやぶれたこと──。
──純粋な殴り合いで負けたことなんて、道場でもなかったんですがね。
バイケンをその矜持ごと地面に組み伏せた若きみなし騎士は「ぼくについてきませんか? そうすればぼく以上に強い相手と戦うことができますよ」と言ったのだという。
バイケンはその時のために牙を研ぎ続けた。しかしルカには彼を魔王を倒す旅路に同行させるつもりはなかったのだ。今回の作戦でバイケンが相手をする連中も決して弱くはないのだが、それで気持ちの整理がつくはずもない。戦いとは無縁の生き方をしてきたわたしだって、それくらいのことはわかる。
「ひとつ納得できないのは、あの男が虫も殺さぬ顔をして案外周到なところです」
バイケンが出窓の上の割れたガラス球を片付けながら言った。ガラス球はルカが置いていったもので、破壊の呪いが封じられあった。そのガラス球が割れたのはカオカで準備を整えたルカが呪いを起動する呪文書を読んだからで、それが作戦開始の合図ということになっていた。
こんなものを用意してあるくらいなのだから、今回の作戦はずっと前からそれぞれの役割も含めて決めてあったはずだと、バイケンはそう言いたいのだろう。
わたしもそうに違いないと思った。だから、こう言ってやったのだ。
「きっとこの作戦はうまくいく。ルカが戻ってきたら殴ってやればいい」
バイケンがにやりと笑った。
「なるほど、あの男以上の相手なのだから戦うのは本人でもいいわけですね」
それで気持ちの整理は付いたらしい。バイケンはガラスくずをごみ箱に捨てると「ステラを起こしてきます。テオン先生も出発の準備を」と言って、部屋を出て行った。
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