6/魔王
ゴブリンの群れを撃退した日の夜、我々はサカトゥムまであと半日の距離にあるウリッカの町に入った。
宿の手配はバイケンが済ませていた。上宿とまではいかないが、大部屋はかなりの広さで、ベッドだけでなく巨大な円卓まで用意されている。
「つい先日、氷壁付近で哨戒中の小隊が行方不明となったのを知っていますか?」
階下の食堂で腹ごなしをした後、わたしたちを円卓に座らせると、ルカはそんな風に話を切り出した。
「ボンズの交信鏡で報道官が話しているのを見たよ。小隊がまるまるひとつなくなるなんて近年稀に見る大事件だったね」
わたしの言葉にステラとバイケンもうなずく。しかし、ルカは複雑な表情で「まあ、近年稀に見る大事件ではあるのですが」と言った。引っかかる言い方だった。わたしはルカにどういうことかと尋ねた。
「ぼくの剣が眩い光を放つようになったのは、あの事件のすぐ後です。しかし、テオンさんもご存知のように、この大陸では日々、大勢の人間が病気や事故、自殺などで亡くなっています。たかだか小隊規模の人数が亡くなったくらいで目に見えるほどの変化が生じるとは考えにくい。実際の被害は国の発表よりもずっと大きかったはずです」
「ずっと大きかったと言うと、具体的には?」
「あの地に駐留している騎士団が壊滅していたとしてもおかしくない――それぐらいの被害です」
「……魔王の仕業か」
呆然とするわたしに代わってそう言ったのはバイケンだった。わたしやステラのことは丁重に扱うバイケンだが、主であるはずのルカに対しては何故かいつもこのような態度をとる。
「北辺騎士団は軍属も入れれば五千人を越す大所帯だ。それを壊滅させる魔王とは一体どんなやつなんだ?」
「魔王は人ではありません。魔物とも異なる存在です。そうですね。生命と考えるより、火災や津波のような災厄と捉えたほうがよいかもしれません」
それからルカは一冊の帳面を取り出したて、円卓の上に置いた。
「古文書の記述を信じるならば、これが魔王の形状です」
帳面の一頁に描かれていたのは黒々とした球体だった。
「ただの球じゃん」
ステラがもっともなことを言った。ルカはさすがに苦笑して「そうだね」と応じる。
「でも、この球体は異なる大陸に通じていて、混沌を生み出すんだ」
「混沌って?」
「大雑把に言えば泥みたいなものだよ。紫色の泥」
それからルカはわたしたちの顔をぐるりと見回した。
「魔王──魔王球体は村や町といった人々の集まる場所を目指します。そして、ひとたび動きを止めると、何もかもを埋め尽くすまで混沌の泥を吐き出し続けるのです。伝説によれば、魔王球体は大陸のすべてを泥で満たすまで動き続けると言われています」
「……倒す手立てはあるのか?」
「手立ても何もそのための剣じゃないの?」
「ステラ、バイケンさんはひたすら泥を吐き出し続ける魔王球体を相手に、どうやって剣の間合いまで近づくのかと言ってるんだよ」
「混沌の泥とやらがどんなものかは知らないが、まあろくなものではないのだろう? 簡単には近づけないと考えるべきだろう」
「ええ、まあ。ただし、ぼくもあの剣で魔王球体を切ったり突いたりするわけではないんですよ。あれは刀身の輝きを光の帯にしてぶつける魔術兵器なのです。純粋な射程距離ならジャシュガル王の複合弓よりもよほど長い。もっとも細かく狙いをつけるのは難しいので、なるべく接近した方が良いことには変わりませんが」
「どこで迎え撃つかが重要になってきそうだが……貴様のことだ。もう答えは出ているんだろうな」
バイケンの言葉に、ルカは一瞬だけ苦いものを飲みこむような表情を浮かべた後で、帳面をめくって大陸の地図が描かれた頁を開いた。
「魔王球体の予想進路上にある窪地の集落。可能ならば見晴らしの良い丘の下にあることが望ましい──その条件を満たすのはここ、カオカしかありません」
氷壁からサカトゥムへと向かう赤い矢印。そのやや氷壁に寄った一点を指で押さえたときには、ルカはもういつもの表情に戻っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます